悠久に凪いだ君を想う-4

弱くて柔らかい

 鈴城家の食卓は温かくて、あたしが憧れてきた空気があった。
 牛すね肉と野菜が煮込まれたトマトシチュー、かぼちゃのトルティーヤ、白菜のミルクスープ。一応あたしも悠紗との同棲生活で料理はしていても、足元にも及ばない。それを言うと、「いやいや、それは」と飛羽くんを膝に乗せる聖乃さんが笑った。
「うちは、男が料理の腕立つから、あたしたちも負けられなくなったんだよねえ」
「ほんとに。せっかくだから、萌梨くんと聖樹さんの料理も食べてほしいです」
「悠も……実は、料理できるの?」
 おそるおそる訊くと、「俺はしない。めんどい」と返ってきた。それはそれで複雑な気もするけど。
「悠紗、昔は僕の料理とか手伝ってくれてたけどなあ。野菜の皮むきとか」
「そのへんは、どんどんあの四人の影響受けていったね」
 聖樹さんは苦笑したあと、「週末のチケットは取れてるの?」と悠紗に目を向ける。
「もちろん。要くんに連絡して、返信来た」
「あの四人も、帰ってきたらここに泊まるから、大所帯になるね。悠と毬音さんは和室で休む?」
「でも、和室はエアコンがないよ」
 ひと足先に満腹になり、うとうとする彩羽ちゃんが寄りかかる萌梨さんの言葉に、「あー、それは平気」と悠紗はトマトシチューに入っていた大きなじゃがいもにかぶりつく。
「俺ら、人肌あるから」
 聖樹さんと萌梨さんは顔を見合わせ、聖乃さんは笑い、千羽さんも笑みを噛む。そんな女性ふたりに、聖樹さんと萌梨さんも笑うしかなくなったようで、「はいはい」と結局受け流していた。
 夕食をなごやかに過ごし、お風呂もいただいてしまった。ゆったり広い浴槽に浸かるなんて、あたしはほとんど初めてだ。軆が芯からほかほかになって、肌の潤いもぜんぜん違う気がした。
 あたしがお風呂にいるあいだ、悠紗が一階にある和室にふとんに敷いてくれていた。二組あるけど、くっついて敷かれている。「別にくっつけなくても」とあたしが言うと、「人肌のためには仕方ない」と悠紗は真顔で答え、「お湯冷めないうちに行ってくるよ」と自分もお風呂に向かった。
 この家に悠紗の部屋はないとのことだけど、悠紗のものはこの和室に残っている。主に漫画やゲームソフトのようだ。悠ってゲームとかするんだな、とかなり並んだソフトを眺める。意外とCDがないのは、現在の部屋に持ってきているからだろう。
 頭に巻いたタオルが水を吸ったようなので、コンセントを探し、あたしは持ってきたドライヤーで髪を乾かした。シャンプーやボディソープは、ミニボトルで持参したものを使った。乾いた髪は、いつもの香りをふわりとさせて仕上がる。
 スマホをチェックしたけど、もともとあたしに来る着信は少ないので、何もなかった。二十二時をまわっている。結音はシフトに入ってくれている頃だけど、あの子はまだ自分のスマホは持っていないから、労いは送信できない。
 親の弓弦にお礼を言ったほうがいいのだろうけど、弓弦にメッセを送っても直接届かず、精査する翼くんの仕事を増やすだけだ。それでも、翼くんにもお礼は言いたいし、やっぱり何か送ろうと腹這いになって作文していると、ほどいた長髪を湿らせている悠紗が帰ってきた。
 あたしがスマホを見たままでいると、「何だよー」と悠紗はおもしろくなさそうに絡んでくる。
「何か来てた?」
「ううん。ただ、結音が代わりにお店出てる頃だから。弓弦にお礼言ってないと思って」
「ふうん。じゃ、俺はドライヤー借りていい?」
「うん」
 あたしのドライヤーを手にした悠紗は、髪を乾かしはじめた。髪を乾かすとき、悠紗はよく鼻歌をしているけど、今日も何か旋律をたどっている。
 メッセを送信したあたしがスマホを置いたのと、「よし」と悠紗がドライヤーのスイッチを切ったのは、同じくらいだった。
「送った?」
「送った」
「返事待たなくていい?」
「すぐ来るか分からないし」
「そっか」
 悠紗はコンセントを抜いてドライヤーを片づけると、「ふとん入っとこ」とあたしにふとんをかけ、自分もふとんをかぶった。明かりはまだ消さない。
「ゲーム、すごいね」
 あたしが棚に並ぶゲームをしめすと、「昔はすげーやってた」と悠紗は咲った。
「今はやらないけどね。ネトゲもソシャゲも、課金あるし。そこまで余裕ないや」
「余裕」
「課金するなら、毬音に課金する。食事とか……結婚資金とかね」
 あたしは悠紗を見て、「子供欲しいね」と何となくつぶやいた。悠紗は、あたしにまばたきを見せる。
「毬音は、子供はあんまりって感じかと思ってた」
「ただ妊娠して子供ができるのは気持ち悪い」
「気持ち悪いのかよ」
「でも、悠との命がお腹にあったら、それは嬉しいと思う」
「そっか。へへ」
「………、あたしは、パパを引き止めるために、ママが生んだだけの子供だから。そういうのは、気持ち悪いな」
 悠紗は睫毛の角度を揺らしたあと、あたしの髪に手を伸ばし、優しく指先で梳いてくれた。「そうだね」と悠紗はどこか空っぽな口調で言った。
「そういうのは、俺も気持ち悪いな」
 悠紗を見る。彼はぼうっと遠い目をしていて、「大丈夫?」とあたしは少し心配になる。悠紗の瞳は、あたしを映すとすぐ明るく灯った。
「そういえば、風呂入る前に、とうさんと萌梨くんに一応訊いたんだけど」
「うん」
「妹の話を毬音にしていいかなって」
「あ……」
「毬音が、あんまり聞きたくないなら」
「あたしこそ、悠紗が話したくないなら」
「俺は知っててほしい」
「じゃあ、教えてほしい」
 悠紗はまくらに顔を伏せたあと、考えるように「んー」とこもった声で唸った。頭の中で整理しているみたいだ。しばしそうしたあと、悠紗は頭をもたげてため息をつく。
「俺の母親の話は、したことあるよね」
「……悠と聖樹さんを置いて、男と逃げたって」
「うん。その男の子供を妊娠してたんだ、母親」
「じゃあ、その子供が……?」
「俺の妹。異父兄妹だね。まあ、会ったことないけど」
「……そうなんだ」
「俺が六歳のとき、母親は一度、俺ととうさんの前に顔を出したことがある。萌梨くんも、もう一緒に住んでた」
 悠紗は苦々しく眉を寄せ、目を閉じる。
「何でいまさらって感じだったけど、その理由はニュースになってたんだ。ただ、当時俺たちはニュースとか見るのはひかえててね。萌梨くんがまだ正式に家族じゃなかったから……」
「正式に?」
「萌梨くんって、実は中学のときに家出したんだ。ひどい家だった。かくまったのがとうさんだったけど、未成年の萌梨くんを警察に引き渡さずにかくまうのは、ただの誘拐罪だった」
「え、じゃあ──」
「大丈夫。そこはちゃんと筋通して、俺たちは家族になった。それから、やっとニュースとか見るのも怖くなくなって。ちょうど、母親のことで、とうさんを警察が訪ねてきたんだ」
「え」
「元奥さんが、娘さんを殺害した件で、って」
 どくんと心臓が跳ねて、あたしは悠紗の横顔を見る。伏せられた悠紗の睫毛が、かすかに震えている。
「とうさんは急いで、ネットとかでニュースをさかのぼった。そしたら……当時、俺たちがニュースとか見てなかった頃の事件について、記事が見つかった」
 絞り出すような悠紗の声に、あたしは小さく唾を飲みこむ。
「母親、あの日、殺してたんだ」
「あの日──」
「俺たちのとこに来た日。とうさんにかくまってもらおうとして、顔出したみたい。どんな神経してんだって思うけど」
「………、」
「もちろん俺たちは、事情知らないまま追い返してたけどね。母親より、萌梨くんをかくまうほうが大事だったし。そのあと……母親はどっかのおっさんを捕まえて、金くれるなら何でもするって……でも、財布を盗もうとしてるのをおっさんに気づかれて、警察に突き出されて。そのまま。指名手配になってたから」
「指名手配」
「殺し方、えぐかったんだよ。風呂の水に顔を押さえつけて、溺死させた。そしてそのまま、ほったらかし。妹が発見されたのは死んで三日後だったから、風呂の水分吸って、ぶよぶよになって腐ってた」
 あたしはうつむく。胸のあたりに、悠紗の母親への嫌悪感が汚臭のように燻ぶる。
「俺はその話を、十六歳のとき、とうさんに聞いた。母親が釈放されるからって」
「死刑じゃなかったの?」
「ほんとそれなんだけど。もう釈放されてると思う。刑務所にいたのは、十年くらいだけ」
「………、十六歳なら、あたしには出逢ってた、よね」
「……言えないよ。俺はさ、あの女と血がつながってるのが昔から気持ち悪いんだ。憎い。吐きそうだよ、全身の血管を全部引きちぎりたい」
「………」
「もう、あの女と何の関係もないのは分かってる。なのに、どうしてもあいつの血が流れてるんだ。それを感じて、頭がおかしくなりそうなときがある」
 悠紗がそんなネガティヴな苦悩を口にするのはめずらしいと思った。おそらく、今、悠紗はあたしにはらわたをさらしてくれているのだ。絶対に攻撃されたくない、弱くて柔らかい部分。
「妹……凛々子りりこって名前だったらしいけど、凛々子に何もできなかったのも悔しい。俺、兄貴だったのに。俺が凛々子の存在を知ったのは、死んでからだから、何もできなくて当たり前なんだけどさ……生きてたら、してやれることはいっぱいあったんだ」
「……うん」
「少なくとも、血が汚れてる感じは共有できた」
 悠紗は細く息をつき、薄く目を開く。まぶたの隙間で、いつもは明朗な瞳が、暗澹としている。
「こういうのは、けっこう……XENONの四人とかにも聞いてもらって、俺なりに消化はしたんだけど。やっぱり気持ち悪いよな。俺も凛々子も、毬音もだと思うけど、何のつもりで生んだんだって、自分の命をナメられた感じがする。そういうことができる人間が親だってことに、ぞっとする」
 悠紗はやっと息を大きく吐いて、目も開いた。

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