凪にスターチス
あたしも、親に命を軽視されてきた。それはすごく感じている。そんな人たちが気紛れにあたしを作って、ここに生きていることがそのおかげなんて、何て皮肉で耐えがたいのだろう。
気持ち悪い。そういうのはすごく気持ち悪い。だからこそ、悠紗となら愛する子供をお腹に宿したいと思える奇跡が、いっそうあたしたちを驚かせるのだ。
「いろいろ知った十六のときから、凛々子の誕生日には、墓参りに行ってるんだ」
「誕生日に?」
「命日は母方の親戚とかいるかもしれないし……最悪、母親が来て懺悔ごっこやってるかもしれないしね」
「……そうだね。そう思う」
悠紗は首をかたむけて、あたしを見たあと、「凛々子の誕生日、明日なんだ」と言った。
「一月十日?」
「そう。一緒に来てくれる?」
「いいの?」
「うん。毬音は、凛々子の姉貴なんだから」
「……そっか。そうだよね。あたしも……会いたかったな」
あたしの瞳が揺らめくと、「俺も会いたかった」と悠紗の声も揺らめいた。だから、なだめあうように身を寄せ、あたしは悠紗にぎゅっと抱きつく。
「悠」
「ん?」
「あたしは、パパもママも嫌いだから、何か……血が憎いって感覚のは、逆に分かんないの。他人って割り切ってる感じが強いから」
「……そっか」
「でも、悠が血を憎むのは、半分は聖樹さんの血だからじゃないかな」
「えっ?」
「聖樹さんと血がつながってることは、嫌じゃないでしょ?」
「もちろん」
「じゃあ、何というか……悠は、自分の血に愛おしさもあるんだと思う。拒否反応の元になってる母親の血は憎いよね。でも、聖樹さんの血は愛おしい。どっちも憎かったら、あたしみたいなもんだと思うけど……母親の血が憎いのは、それだけ、悠が聖樹さんを愛してる証拠なのかもしれない」
「……そっか」
「だから、いいんだよ。悠の血のつながった親は、聖樹さんだけでいい。そんな母親の血、大したことない雑菌だから。聖樹さんの血が、ちゃんと悠の軆を守ってくれる」
「毬音……」
「聖樹さんは、そんなおとうさんだと思う。会ったから、あたしにもそう言える」
悠紗はあたしを抱きしめ、「ありがとう」と涙声で言った。あたしは腕を持ち上げ、悠紗の艶々した黒髪の頭を撫でる。
「ごめんね、なかなかここに挨拶に来なくて」
「ううん。毬音が父親ってもんに失望してるのも分かってたし」
「……あんなおとうさんもいるんだよね」
「かっこいいでしょ」
「うん。すごく優しい。ほっとする」
「へへ。ありがと」
悠紗はあたしに甘えて、頭を撫でられるままゆったりささやく。
「俺、昔からとうさんを褒めてもらうの好きなんだ。とうさんも……いっぱい、つらい想いしてきたから。俺は、それをずっと見てきた。今も、萌梨くんたちがとうさんといてくれるから、離れて音楽できてるんだよ。とうさんがひとりで暮らしてたら、俺は音楽は辞めて、この町にいると思う」
悠紗にとって、音楽がどんなにかけがえない支えか。それはよく知っているあたしは、その言葉がどれだけ重いか分かる。
「とうさんをひとりにはできない。いまだに俺がそう思ってること知ったら、大丈夫だよってとうさんは言うかもしれないけど、大丈夫なわけないよ。何で、俺のとうさんがあんなに苦しめられなきゃいけなかったのか、俺には分からない」
あたしの首筋に、ひたっと水が落ちた。悠紗はあたしにしがみつく。
「そんなとうさんが、俺がいるから生きていられるっていうなら、俺は生きる。どんな感情を味わっても、死ぬもんか。でも、母親の血が流れる俺なんか死んだほうがいいのかも、って一回だけXENONに言ったことがあってさ。そのとき、要くんには頭ひっぱたかれた。『そんなこと言う悠は嫌いだわ』って葉月くんも言った。梨羽くんは泣いてて、紫苑くんも黙ってて、誰もはっきり答えは言わなかったけど……俺が死ぬなんて、そんなこと、とうさんの救いにはならないんだよね。全部、俺が生きていくことなんだ」
「あたしも、だよ。悠が生きてくれてるから」
「うん。俺も、毬音に救われてる」
「悠は……聖樹さんみたいなおとうさんになれるよ。それが、聖樹さんにとっても、きっと一番嬉しいことだと思う」
「じゃあ、いつか、毬音が俺を父親にしてくれる?」
「悠となら、幸せに子供を作れるよ」
悠紗はやっと咲って、あたしの頭を撫でると「帰ってから、めちゃくちゃセックスする」と言った。あたしも咲ってしまい、悠紗の胸にこめかみを当てた。この心臓の音が、本当に好き。
凛々子さんが生きていたら、あたしは仲良くなれたかな。優しい兄を奪うなと、意外と嫌われていたりして。でも、それすら生きていたらの話だから、切なく感じる。あたしと凛々子さんにはさまれて、困ってしまうような悠紗も、見てみたかったかもしれない。
翌日、悠紗とあたしは朝早く鈴城家を出かけた。凛々子さんのお墓は、電車で県内北部へと乗り継いだところにあった。悠紗はいつもスターチスを供えるのだそうだ。今日も花屋でスターチスの青と白の小さな花束を買っていた。花言葉、『途絶えぬ記憶』で選んでいるらしい。
「ずっと憶えてるから。一緒に過ごすことはなかったけど、凛々子のことは、妹として俺が永遠に想うよ。……それが、凛々子の供養になるかは分からないけどね」
あたしは墓石を見て、これは悠紗の母方の名字なのかな、と思った。だとしたら、いつか母親もこのお墓に入るのか。それはあまりにもむごいから、もしかしたら配慮されるかもしれない。
「風が止まっちゃったんだよね」
帰りの電車は空いていて、シートに腰かけてかたんことんと揺られながら、悠紗はぼんやりとつぶやいた。枯れた頃に回収に来れるわけではないし、訪ねた痕跡は残したくないから、スターチスの花束はいつもその手に持ち帰る。
「凛々子は飛べないまま、死んじゃって、もう風も流れない場所に行った」
あたしは悠紗を見て、ただ、手を重ねた。悠紗はこちらを見なかったけど、手は握ってくれた。
冬の陽光が、窓から車内に射しこんでいる。
心が凪いで乱されないことは、紙一重なのかもしれない。それは穏やかな平和か、あるいは虚しい無感覚だ。鈴城家は前者に満たされている。しかし、凛々子さんは、きっと──
あたしは、悠紗の手を握り返した。冷えた手が、溶けあった体温で静かに温まる。
この手を、悠紗はどれだけ凛々子さんにさしのべたかっただろう。その永久に叶わない願いは、あたしの胸の奥を、張りつめた痛みできゅっと詰まらせた。
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