だって咲えるから
次の日、悠紗は千羽さんを迎えに行く夕方には帰ると言って、XENONと出かけていった。リハ前のスタジオで、思いっきりギターを弾きたくなったのだそうだ。
見送ったあたしは、緩やかな冬陽が射すリビングで、聖乃さんと一緒に、彩羽ちゃんと飛羽くんを見ていた。「毬音ちゃんは、悠くんの妹さんに会ってきたんだよね」と聖音さんがふと言って、あたしは「はい」とうなずく。
「……聖樹さんのことは、聞いた?」
「ひどいことがあった、とは」
「そう。何か……私はね、そのことを思うと、聖樹さんに悠くんがいるのはすごいんだなあって思うの。だから正直、私との子供はあきらめてた」
「そうなんですか……」
「なのに、聖樹さんは私に飛羽を生ませてくれた。千羽ちゃんのお産を見てても、自分が母親になるって、イメージがなかったんだけど──飛羽を抱いた瞬間、重かったよね」
「重い」
「いい意味でね。ちっちゃいけど、しっかり命が入ってる重み」
飛羽くんは眠っていて、彩羽ちゃんはそれを覗きこんでいる。昨日は喧嘩みたいになっていたふたりだけど、それを引きずるようなことはない様子だ。
「飛羽を抱いて、聖樹さんは、どれだけつらかったのかなって思った」
「つらい……?」
「自分の子供をあんなふうに殺す女とのあいだに、悠くんが生まれて……どんなに必死に守ってきたんだろうって」
「あ……」
「何かを間違えたら、悠くんがあんなふうに殺されてたかもしれない。悠くんは、母親で『殺意』を覚えたとも前に言ってて」
「………」
「もう、それが傷だらけでも泣かないみたいな顔なんだよね。でも、毬音ちゃんといると、普通の男の子の顔になっててよかった」
「あたし、悠にそうしてあげられてますか」
「うん。きっと、悠くんと毬音ちゃんのあいだに生まれてくる子は幸せだよ」
あたしは聖乃さんの微笑を見つめてから、「もし、悠との子供ができたら」と何となくお腹をさする。
「その子も、この家の家族ですか?」
「もちろん」
「じゃあ、心強いです」
「何でも助けるからね。みんなそう思ってる」
聖乃さんの言葉に、あたしはこくりとして咲った。聖乃さんは咲い返してくれると、「さて、今日も晴れてるし、洗濯でもしますか」と立ち上がった。
その日はゆったり一日を過ごして、聖樹さんと萌梨さんは同じくらいに帰ってきた。「あれ、悠は?」と聖樹さんが不思議そうにして、XENONにくっついていったことを話す。「もうすぐ帰るってメッセ来てたので」とも言い添えると、「悠紗は、相変わらずみんなに懐いてるね」と萌梨さんは苦笑していた。
聖樹さんと萌梨さんがキッチンに立って、まもなく悠紗が帰宅してきた。「いやー、刺激になった」とか満足そうに言っている。「千羽さんの迎え行かないと」とあたしが急かすと、「もうそんな時間か」と悠紗は時計を振り返った。十九時を大きくまわっている。そんなわけで、あたしと悠紗は商店街まで千羽さんを迎えにいった。
道はもう暗かった。音を立てて吹き抜ける風が冷たく、息が白い。寒くて身をすくめていると、悠紗は手を握ってくれた。あたしはそれを握り返し、昼間の聖乃さんの話をした。悠紗は昔の話には何も言わなかったけど、「何でも助ける」という聖乃さんの言葉には「嬉しいね」と微笑んでいた。
人が引きはじめている商店街を歩いて、たどりついたソフトクリーム屋さんは、古き良きといった感じだった。フレーバーの数もややこしいほど多くなく、子供たちにとっても親しみやすそうだ。
閉店作業に入る前の千羽さんが、悠紗の注文でソフトクリームを作ってくれた。悠紗はミルク、あたしはストロベリー。寒かったけど、とろりと口の中でほどけるソフトクリームはおいしい。
「こたつで食いたいなー」
悠紗の言葉に、あたしは小さく咲ってしまった。そんなあたしを見た悠紗は、「よかった」と急に優しく微笑する。
「毬音、咲ってくれるのが増えた」
「え、そうかな」
「街の外を怖がって、落ちこむかなって心配してた」
「……あたしも、悠の家にいると、違和感とかなくて不思議」
「あの家は、毬音の居場所だからね」
「居場所……」
「俺に何か……病気とかあったら、すぐ駆け込んでいいから。みんな助けてくれる」
「……悠には、病気とかせずに、ずっと楽しそうにギター弾いててほしい」
「俺もそのつもりだけどね。まあ、念のため。それに、みんなは毬音に何かあっても心配するから」
「あたしに?」
「当然じゃん。俺の大切な人は、みんなにとっても大切なんだよ」
大切な人。ちょっとだけ気恥ずかしかったけど、「うん」とうなずき、あたしは甘酸っぱいストロベリーを頬張った。
ソフトクリームをコーンまで食べ終えると、千羽さんも閉店作業を終えてお店を出てきた。「ごめんね、迎えなんて」と千羽さんは謝ったけれど、「俺も、毬音がひとりで夜道歩くのは心配だから、萌梨くんの気持ち分かるよ」と悠紗は笑った。
帰宅すると、玄関にもほわっといい匂いがただよってきていた。リビングの座卓に並べられはじめていたのは、鯖の味噌煮、茶碗蒸し、大根とそぼろの煮物──茄子のお味噌汁に、白くてつやつやのごはん。本当に、あたしは食べたことがない、だから作ることもできない家庭料理だ。「全体の色が地味になっちゃって」と聖樹さんに言われたけど、「おいしそうです」とあたしは素直に言った。
みんなで食卓を囲んだ。味噌が染みこんだ鯖は柔らかくて、ふっくらした白米と一緒に食べる。三つ葉が乗った茶碗蒸しには小エビやささみ、ホタテが入っていて口の中でじゅわっと旨みが広がる。大根にも優しい味が染みこんで、お味噌汁の味もちょうどよかった。
「口に合うといいけど」
聖樹さんが謙遜して言うと、黙々と食べていたあたしは、「すごくおいしいです」と慌てて伝える。
「あたしには、こんなおいしいの作れない……」
「えー、作れるようになってよ」
悠紗が頬をふくらませると、「悠紗が毬音さんに作ってあげてもいいんじゃない?」と萌梨さんがくすっとした。悠紗は眉を寄せたものの、「作ってほしい?」とあたしに問う。「作ってくれるなら」と答えると、「じゃあ、毎日味噌鯖になるくらい、練習させてよねー」と悠紗は意外と承知してくれた。
心温まる夕食のあと、お茶を飲みながら明日のEPILEPSYの話をした。EPILEPSY第一夜が終わった翌日、土曜日の朝一にあたしと悠紗は天鈴町に帰る。「一週間って短いねえ」と聖乃さんがため息をつき、「また帰っておいでって言っても、悠は仕事でそうもいかないか」と聖樹さんも少し寂しそうにする。
「悠紗くんがツアーのとき、毬音さんはどうしてるの?」
千羽さんに問われて、「何かってほどのことはやってないですけど」とあたしは首をかしげる。
「一応、バイトしてるので出勤したり。たまにファントムリムってバンドのライヴと──あ、結音とお茶したりもします」
「結音ちゃん、元気?」
紗月さんの友人である萌梨さんが訊いてくる。
「翼くんに対してだいぶ生意気ですけど、元気ですよ」
「はは。また、結音ちゃんにも紗月くんにも会いたいなあ」
萌梨さんがしみじみと言っていた頃、外食を済まして、寝泊まりだけしにきたXENONが鈴城家にやってきた。
お酒をたっぷり持ちこんだ要さんと葉月さんは、明日の打ち合わせをしながらそれをどんどん空にして、「あー、無理」「疲れ来たわ」とばたっと寝てしまった。紫苑さんはギターケースに手をかけたまま、壁に寄りかかってやっぱり寝落ちする。梨羽さんは持参の迷彩柄の毛布を頭までかぶって、小さく震えていた。
そんな梨羽さんには聖樹さんが付き添い、萌梨さんと千羽さんが食器を洗いはじめた。聖乃さんは、彩羽ちゃん、飛羽くんを順番にお風呂に入れる。それから、「毬音ちゃん、どうぞ」と言われたので、あたしはお言葉に甘えてお風呂をいただくことにした。
頬がほんのりほてるくらいになって、悠紗が待っている和室に戻る。悠紗はふとんに腹這いになり、何やらスマホを睨んでいた。
「何か来てたの?」
「マネージャーが、メールでのインタビューなら回答くらいできるだろって」
悠紗はむくれた顔をまくらに埋め、手足をじたばたさせる。
「俺は今、完全オフを満喫したいのに」
「回答に締切とかあるの?」
「明日の昼」
「じゃあ、今夜答えたほうが楽かもね。明日はEPILEPSYでしょ」
「んー」と悠紗は顔を上げ、スマホ仮面に向かって息をつく。
「気になる新人バンドの評価をくださいって……。俺、新人評価するほどベテランでもないよ。何だ、この質問」
「悠はベテランみたいなもんじゃないの?」
「下積み時代とメジャーに行った今は、いろいろ違うよ」
唸ってスマホを睨む悠紗はそっとしておいて、あたしはドライヤーで髪を乾かした。いつものシャンプーの香りが、なびく髪に沿ってひらひら舞う。
そのうち、やっと回答を送信したらしい悠紗は、「よっし!」と立ち上がり、「風呂空いてるかなー」と和室を出ていった。あたしはふとんに横になり、このふとんも明日でお別れか、と何だか寂しくて、そんな自分の心の動きに驚いた。
街の外に出るのが、怖かった。わけもなく嫌だった。パパが言っていたことを丸呑みにしていたつもりはないけど、やっぱり、街に暮らしていると外から来た人は何となく分かったし、苦手だと感じていた。
しかし、いざ飛び出してみると──もちろん不可解なこともあるけど、こんなに温かい居場所があった。悠紗を育てた人、共に育った人、そんな人たちが愛した人、そして生まれた子供たち。みんな優しい。
もちろん、悠紗に万一のことなんて起きてほしくない。それでも、何かあってどうしたらいいか分からなくなったとき、この家の人たちはあたしを助けてくれると思う。そして、あたしに何かあっても、親身になってくれる。
家族だなあ、と感じる。あたしが夢に見た温かい家庭。あたしはようやく、幼い頃の家庭がクズだったと断言できる。
容赦なく殴ってくるパパ。
男を求めてばかりのママ。
あんな奴らは家族じゃなかった。アパートの一室にあったのは家庭でもなかった。
ばーか。ざまあみろ。可哀想な人たちだ。あたしは出し抜いて幸せになった。あたしはもう、咲うことができる。
【第九章へ】
