新たな友達
一度は、もう死ぬしかないとまで思った。男なのに男に犯される自分。男なのに男が好きな自分。軆も心も、僕は穢れている。
でも、そんな自分であっても殺す勇気が出なくて、不用心に歩くと危ないと言われる街に踏みこんだ。適当に難癖をつけられて殺されてしまおうとした。
けれど、僕はそこでとても綺麗な男の人に出逢って、恋をした。彼も僕を好きだと言ってくれた。その腕にぎゅっと抱かれ、重なる僕の心臓と彼の心臓に、ようやく感じることができた。
ああ、生きていてよかった──……
運転席で夜の高速道路を飛ばしている芽留は、さっきライヴで聴いたXENONの曲を鼻歌している。助手席の僕はちょっと咲い、「ライヴすごかったね」と言ってみる。「でしょ!」と芽留は正面を見るままだけど、嬉しそうに頬を綻ばせる。
ライヴというものに、僕は初めて行った。いつも聴くのはクラシックだから、スピーカーからの爆音にはびっくりしたけど、間近で見たXENONというバンドは、CDで聴いた通りかっこよかった。「また天鈴に来たとき行きたいなー」と芽留は言って、僕はうなずきながら、一緒にそのライヴに行ってくれた新しい友達のことを考えた。
萌梨くん。昨日は、萌梨くんの家にも芽留とお邪魔した。いろいろ話をしてくれた彼も、僕と同じように男に陵辱された男だった。十四歳という岐路も偶然同じだったものの、萌梨くんの恋人は女の子で、逃げた先で得たものも僕とは違った。
僕は弓弦という恋人だったけど、萌梨くんは聖樹さんという保護者だった。聖樹さんもまた、昔、同性に踏み躙られた人だった。だから、どうしても萌梨くんを警察などには突き飛ばせなかった。僕は弓弦に、「ここにいて大丈夫だから」と言われるまま家に帰るのをやめて、戸籍とかどうなったのか分からないのだけど、萌梨くんは血を吐くような告白をくりかえして、闘って、晴れて聖樹さんの養子になった。逃げっぱなしの僕とは違って、すごいなあと思った。
もともとは、萌梨くんの弟で、聖樹さんの血のつながる息子で、XENONのギターのサポートである悠紗くんが、『ハンドメイド』を切っかけに僕に会いたいと言ってくれたのだ。芽留が悠紗くんならとモデルがいるということを話したそうで、「そういうのは伏せるって約束したのに」と初めは言った僕も、悠紗くんの身近に僕と同じ体験をした人がいると知って、そんな人も『ハンドメイド』を見てくれたのかと感慨深くなった。
芽留は、昔から脚本家志望だった。芽留のおとうさんの智生さんは映画監督で、おかあさんの麻里香さんは元女優だ。芽留はまず智生さんに作品を認められ、監督してもらった作品でデビューすると決めていた。
それが叶ったのが『ハンドメイド』という作品だ。性的虐待と同性愛が複雑に絡んだストーリーのモデルは、僕の体験だったりする。自分の経験をさらすことに抵抗もあったけど、モデルがいることは伏せることになったから、芽留にしっかりあの感情や感覚を伝えた。芽留はそれをとても丁寧に拾いあげ、映像が映えるよう努め、それを託された智生さんが『ハンドメイド』という切ない映画にしてくれた。
その映画の主題歌を、芽留たっての希望でXENONに依頼した。「まあ、たぶん蹴られるんだけど」とか芽留は話していたのだけど、別名義の覆面バンドでならとOKがもらえた。それから、芽留とXENONにつながりができて、イベント後の打ち上げに参加させてもらえたりするほどになった。
そのとき、芽留は悠紗くんと話をしたわけだ。そんな経緯の子なら、僕も会えるかもしれない。そんなわけで、いざ悠紗くんに会ってみたら、実はまだ十一歳で、六年生になっているはずの学校にはまったく行かず、昔から音楽の勉強に没頭してきたというなかなかすごい子だった。
悠紗くんは例の身近な人が、自分の実父と義兄であることを打ち明け、おにいさんのほうが僕や芽留と歳が近く、僕に会ってみたいと言ってくれていることを聞いた。芽留が「付き添うよ」とも言ってくれたので、僕はその人に会いに行くことにした。そうして僕は、芽留の運転で遠路訪ねて萌梨くんに出会って、さっきまで一緒にいたのだった。
ちゃんと連絡先は交換してきた。別れ際、連絡していいのか萌梨くんは遠慮していたけど、むしろ来なかったら寂しいなあと思う。僕からもしていいのか訊けばよかった。
『ライヴ終わった。今、高速道路でそっちに帰ってるよ。』
弓弦にそんなメールをしてケータイを閉じると、「萌梨くんからメール来るかな」と僕はつぶやいた。すると芽留は、「紗月くんには来ると思うよー」と咲う。
「紗月くんと話せて嬉しそうだったもん」
「そ、かな」
「うん。僕にはどっちかってと悠紗くんから来るかな」
「いい家族だったよね。三人」
「僕も思った。悠紗くんのママが、あんまりよろしくなかったんだっけ。でも、今は聖乃さんがいるもんね」
「ソフトクリームおいしかったね」
「ねっ。地元って感じの商店街もよかったなあ」
「千羽さんとも、もうちょっと話したかったね。芽留は話せてたけど」
「ほわっとした子だったねえ」
芽留がのんびりうなずいたとき、僕のケータイに着信がついた。「お、萌梨くん?」と芽留は言ったけど、「この曲は弓弦」とケータイを開く。
『大丈夫だったか? 俺はライヴとか行かないからよく分かんねえけど、人につぶされそう。』
少し笑ってしまう。弓弦はゆっくりできるとき、音楽を聴くより映画を観るほうが多い。智生さんの映画も、芽留に出逢う前から好んでいた。
『大丈夫だよ。休んでた? だったらごめんね。』
そんな返信を打つと、すぐに着信が戻ってくる。
『紗月のこと待ってるだけだよ。朝には着く?』
「あ、芽留」
「んー?」
「明日のどれくらいに、向こうに着きそう?」
「うーん、渋滞に引っかからなきゃ夜中だと思うけどお」
芽留はクーラーの風音が唸るエアコンの上のデジタル時計を一瞥する。ちょうど零時になりそうだ。
「Uターンラッシュだからなー。明け方かな。遅くても朝には」
「そっか」と言うと、僕はそれをそのまま弓弦に送った。返信に少し間があった。返事書くの長くなってるのかな、ぐらいに思っていたら来たのはひと言だった。
『会いたい』
僕はその四文字を見つめ、心の奥がじわりと幸せで溶けるのを感じた。
会いたい。僕も会いたい。弓弦に早く会いたい。
『ありがとう。もう少しだから、待ってて。』
『待ってるよ。ちゃんと安全運転でな。』
安全運転。ひかえめなのは照れたのかなと僕は微笑み、水曜日の夜から離れてるんだもんなあ、と窓の向こうで凛ときらめく月を見上げる。
弓弦にも、萌梨くんに会ってほしかった。僕のことを理解してくれたから、弓弦もきっと気に入る。温かいおとうさんである聖樹さんにも会ってほしかった。
弓弦はあの街で、十三歳から自活するほど、親というものを忌み嫌っていた。それをやわらげたのが芽留の家庭だけど、萌梨くんたち三人も、きっと弓弦をなごませてくれると思う。弓弦のことはあまり勝手に話せなかったから、弓弦から萌梨くんに話してみてほしい。萌梨くんなら、弓弦の傷も察してくれる。
トンネルに入ると、窓に映るオレンジのライトがたなびいては飛んでいった。あくびをした僕が目をこすると、「眠かったら寝ていいよー」と芽留は言ってくれる。
昨夜はあんまり眠れなかった。いつものベッドではなかったし、街の外にいることに警戒が解けなかった。弓弦も隣にいなかった。弓弦も、僕がいないと安心できないから、『おやすみ』でなく『待ってる』と言ったのだろう。
早く弓弦に会いたいな、と思った。しがみついて、いつもの煙草の匂いに埋まりたい。僕が安らいで眠れるのは、どうしても弓弦の腕の中だ。
芽留と萌梨くんや悠紗くんたちのことを話しながら、夜が明けてきた頃に車は高速道路を降りた。天鈴町の車道は層ごとに環状になっていて、芽留は繁華街から南区の陽桜につながる場所まで送ってくれた。明け方、あたりの空気は蒼く冷め、さいわい夜の狂騒が落ち着いてきている。
トランクに載せていた荷物を肩にかけると、「またメールするね」と僕は芽留に手を振った。芽留はうなずいて「弓弦くんによろしくー」と車に乗りこむと、僕に見送られてエンジンをふかして遠ざかっていった。
『ハンドメイド』がお正月に公開されて、芽留は脚本家としてデビューしたので、本当は仕事がある。もしかしたら帰ったら眠らずに作業かなと思うと、芽留もいて楽しかったとはいえ、若干申し訳なかった。
マンションの方角へと歩き出しながら、弓弦起きてるかなあ、と重みのある肩ベルトをかけなおして帰路を急ぐ。
十階から上はマンションになっている雑居ビルに到着すると、エレベーターで十七階までのぼった。見慣れたドアの前に着くと、一応チャイムを鳴らす。
鍵を取り出そうとしていると、その前にかちゃっと鍵の開く音がした。顔を上げるとドアが開き、会いたかった人が現れる。
「紗月」
そう僕の名前を呼んだのは、もちろん弓弦だ。腕を伸ばして僕を抱き寄せた弓弦に、僕は咲って「荷物落ちちゃうよ」と言いつつ、その胸に包まれる。弓弦は僕の肩から荷物を下ろし、ドアの中に僕を引きこむとぎゅっと抱きしめた。
言葉にされなくても、寂しかったのが伝わってきて、僕も弓弦の背中に腕をまわして抱きつく。煙草のにおいは得意ではないのに、弓弦が吸ったあとのこの匂いは、どうしようもなく愛おしい。
「紗月」
「うん」
「会いたかった」
「僕も」
弓弦が僕を覗きこんできて、間近で瞳が触れあう。艶やかな黒髪。瞳の澄んだ黒。綺麗な鼻梁や鉾から顎の線。出逢って、恋をして、もう何年も経つのに、ふと見つめるたび僕はまた弓弦に見蕩れてどきどきしてしまう。
弓弦、と無意識に名前をこぼしそうになった唇に、弓弦の唇が重なり、優しく舌を溶かされる。僕も背伸びして、弓弦ほど上手ではなくても応える。弓弦に口移しされるときだけ、煙草の味も好きになる。
匂い。体温。筋肉。それらが僕に染みこみ、指先まで神経が甘く痺れて、その麻痺は心臓も柔らかに止めてしまう気がする。
ふと弓弦が唇をちぎって、「おかえり」と耳元でささやいた。何でこれだけで泣きたくなるのか分からない。ただ、すごく幸せだ。「ただいま」と答えると、弓弦は僕の頭を撫で、軆を離した。僕はまだ離れるのが寂しかったから、弓弦の手をつかんだ。弓弦は微笑んで僕の手を握り返してくれる。
「楽しかった?」
「うん。でも、弓弦にもいてほしかったな」
「ごめん。日帰りだったらついていけたんだけどな」
「ん。いい人だったよ、悠紗くんのおにいさん。おとうさんも」
「そっか。俺、まだ悠紗ってのとも面識ないからな」
「悠紗くんは弓弦に会いたいって言ってた」
「はは。俺も会ってみたいな」
弓弦は僕の荷物を持ち上げ、クーラーの冷気がただよう中へと持っていった。手をつなぐ僕は、スニーカーを脱いでそれに続き、二日離れただけなのに、いつもの部屋の空気にほっとする。弓弦はカウチのそばに荷物を置くと、「眠くない?」と僕の髪を長い指で梳いた。
「車で眠いの我慢してたら、通り越しちゃった。でも、昨日落ち着いて寝れなかったから、弓弦と一緒に寝れたら嬉しい」
「夕方までここにいられる。もう休むか?」
「少し話もしたいな」
「何か冷たいのでも飲むか」
僕はこっくりとして、「あ」と言って握っていた手を放した。弓弦は咲って、僕の髪に軽くキスをしてから、キッチンに行った。
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