波音に包まれるように
そこでミキさんが萌梨くんの紅茶と僕のミルクティーを持ってきてくれる。湯気が香る紅茶に口をつけながら、萌梨くんはもう少し〔こもりうた〕を読み進めて、「全部が本当の話なの?」と心配そうに問うてきた。僕はうなずき、「芽留みたいに話を作ることは僕はできないし」とミルクティーを飲む。
「それでもここまで書けるのすごいよ。書いててつらくない?」
「第三者になって書くのを大事にしてるから。それでも、集中が途切れると、疲れてることは多いかな」
萌梨くんは最初の第一号を読み終えると、「次も気になるけど、読んでたら時間なくなるね」とファイルを閉じてさしだしてきた。僕受け取ってリュックにしまう。
「聖樹さんたちは、元気にしてる?」
「うん。よろしくって言ってた」
「高校は?」
「何とか。千羽ちゃんと同じ授業も多いし。通信制だし、友達っていう友達はいないけどね」
「通信制って、杏里も行ってた気がするな」
「杏里はぜんぜん行ってないよね」
「アンリさん、って芽留くんの幼なじみの?」
「そう。女の子。千羽さんとも聖乃さんともタイプ違うかな」
「あの人の姪っ子ですよ」と弓弦はミキさんをしめして、萌梨くんはミキさんを振り返る。「綺麗な人ですね」と萌梨くんはまばたき、「昔、弓弦にお小遣いとかあげてたんだよ」と僕が言うと「それは言わんでいい」と弓弦がむくれる。
「にしても、萌梨くんにゲイの友達がいるってびっくりしたな。カミングアウトされたの?」
「ううん、僕が勝手に気づいた感じ」
「そうなんだ。僕が言うの変だけど、すぐ受け入れられた?」
「最初は混乱したけど、何か、沙霧が言ったんだよね。ゲイだったら、好きな奴にそんなことはしない……って」
「なるほど」と弓弦は納得した様子でコーヒーを飲み、「そうだよね」と僕もうなずく。
「僕にそういうことした人は、『好きだから』とかも言ってたけど……弓弦が僕のこと大切にしてくれて、それが恋愛感情じゃなかったのが今はよく分かる」
僕の言葉に弓弦は微笑み、頭を撫でてくれる。僕がそれに照れて咲うと、「『ハンドメイド』を見て」と萌梨くんが言う。
「望海くんと佑悟さんには、嫌悪とかなかったんだよね。何か、紗月くんと弓弦さんがモデルなら、それがすごく分かる気がする」
僕と弓弦は萌梨くんを見て、それから顔を合わせた。すると何だかはにかんで咲ってしまいつつ、「ありがとう」と萌梨くんに言った。
十二時になると、僕たちはそれぞれ昼食を取った。昼食後はメル友に会いに行く沙霧さんは、その前に萌梨くんの隣に来て、僕と弓弦とも話をしてくれた。僕と弓弦が知りあったいきさつを訊かれて、「弓弦のナンパだよね」と僕が言うと、「一目惚れって言ってくれよ」と弓弦は苦笑する。
「あの時点で僕のこと好きだったの?」
「かわいいなあとは思った」
僕のほうが恥ずかしくなってしまうと、「いいなあ」と沙霧さんはミートソースのパスタを食べる手を止める。
「やっぱ、そういう自然な出会いのほうがうらやましいんですけどね。ゲイってやっぱ、日常生活ではまだ出逢いがないというか」
「会うのはメル友ですよね」と弓弦が言うと、「信頼できそうな奴ではあるんですけど」と沙霧さんはフォークにパスタを巻きつける。
「やっぱ、一応は警戒しないといけないのが複雑ですよね」
「メールだけしか、やりとりしたことないんですか?」
僕の質問に、「電話と写メ交換はしてます」と沙霧さんはパスタを頬張る。「それでも危ないのかな」と弓弦に訊くと、「会ってみないと言い切れないよなー」と弓弦はホットドッグを食べる。「でも、まあ」と沙霧さんはパスタを飲みこむと僕と弓弦を見る。
「弓弦さんと紗月さんみたいに、普通につきあえてるゲイがいるのを見れただけでも、俺は嬉しいです。俺、今まで男と男がくっつくのって、イベントとかで軆だけのしか見たことなかったんで」
「ああいうのは肉食しか集まらないですしね」
「弓弦、行ったことあるの?」
「仕事で」
「……弓弦、すごい声かけられるんじゃないの?」
「俺が紗月にべったりなのは有名だしなー」
弓弦はにやにやして僕の頬に触れ、僕はおもはゆくてうつむいてしまう。すると萌梨くんと沙霧さんは噴き出す。弓弦は沙霧さんに「ちゃんとつきあい考えられる人だといいですね」と言い、「はい」と沙霧さんはうなずいていた。
沙霧さんがメル友に会いに店をあとにすると、ミキさんと話していた芽留が萌梨くんの隣に移動して、話題はいろんなことへと花咲いた。
ちなみに沙霧さんはここに戻らず、萌梨くんと直接駅で合流するそうだ。「僕の書いた映画で仲良くなったなら、うまくいってほしいなあ」と芽留は言っていた。「そういえば、芽留くんに恋人は」と萌梨くんが首をかしげると、「いないですねえ」と芽留はホットココアをすする。
「でも、『えっ、ゲイだったの?』って思う芸能人に告られることはありますよ」
「芽留はやっぱそういう方面で恋人ができるのかな」
「んー、どうだろ。僕も理想は紗月くんと弓弦くんだしなあ」
「智生さんと麻里香さんじゃないの?」
「パパとママもいいねえ」
「芽留の恋人って見てみたいよな。地味にふるい厳しそう」
「パートナー欲しいけどね。欲しいけど、今は脚本書くのが楽しいというのも本音なの。恋愛に時間取られたくないような」
「紗月は小説書きながら俺とつきあってるぜ」
「器用だよねえ」
のんびりそう言った芽留に、僕と弓弦と萌梨くんは笑ってしまった。
そんなふうに話していると、時間はすぐ過ぎていった。萌梨くんと沙霧さんは、十八時に駅で約束しているそうだ。なので、十七時を過ぎた頃に萌梨くんは「そろそろ」とケータイで時刻を確かめて荷物を膝の上にまとめて、「送りますねー」と芽留も立ち上がる。「沙霧さんがうまくいったか、また教えてね」と僕が言うと萌梨くんはうなずいてくれた。
萌梨くんと芽留が〈POOL〉を出ていくと、僕と弓弦は顔を合わせる。「俺たちも帰るか」と言われて、僕はこくんとした。
橙色の夕暮れがしっとり景色に降り、ざわめきはじめる通りを手をつないで弓弦と歩いていく。抜ける風は澄んで冷たい。
僕は弓弦を見上げて、何だかみんなに僕たちの関係が理想だと言われて、くすぐったくても嬉しいと思った。弓弦は僕の視線に気づくと微笑んでくれる。僕は弓弦の腕にくっつき、「今日は朝まで一緒だよね」といつもの匂いに安堵しながら確認する。
「ああ。部屋で飯食ったらゆっくりするか」
「うん」
「夕飯、何食べたい?」
「んー、ハンバーグとか」
「食料買って帰らないとな」
そう言う弓弦の肩に、僕は寄り添ってみる。そして、「萌梨くんはね」と小さくつぶやいた。
「まだ、千羽さんと、できないって前会ったとき話してた」
「千羽さんって、彼女?」
「うん。僕も、その……いつもできるわけじゃないけど、弓弦となら、大丈夫でしょ」
「そうだな」
「それは、すごく幸せなことなんだよね」
弓弦は僕を見つめ、そっと髪にキスしてくれる。僕はそんな弓弦を見つめ返し、きゅっと手を握りなおすと、「今夜、弓弦がよかったら」と瞳を熱で濡らしながらささやく。すると弓弦はくすりとして、「紗月がしてほしいことをいっぱいしてあげる」と耳元に口を寄せて言う。僕はしがみついた弓弦の腕に顔を伏せ、「恥ずかしいけど」と頬を熱く染める。
「弓弦が僕を抱いてくれるとき、僕は……生きててよかったって思うよ」
「うん」
「僕にそう思わせてくれるのは、弓弦だけだから」
弓弦は少し歩調を緩めると、そっと、僕の唇に唇を重ねてくれた。やっぱり、煙草の味がする。そして額を合わせ、「俺も」と弓弦は優しい声で言う。
「紗月と出逢えたから、今、生きてられてると思ってる」
「弓弦……」
「死んだほうがマシだと思ってた時期なんて、嘘みたいだ」
瞳が揺れて、睫毛が濡れる。背伸びして、今度は僕から弓弦にキスをする。そして、弓弦の首にぎゅっと抱きついた。
「弓弦に出逢えてよかった」
──死にたいと、思っていた。自分は醜く、汚く、穢れていると思っていた。でも今、僕は自分の呼吸をこんなにも愛おしく感じられる。脈打つ鼓動が幸福なことだと思える。全部、弓弦が教えてくれた。この人が僕の命を救ってくれた。ひどく犯され、息絶えそうだった僕に優しくキスをして、息を吹き込んで、心音を呼び覚ましてくれた。
弓弦を愛することができて。弓弦に愛されることができて。僕はとても幸せだ。
「夜になったら、いっぱいキスして」
ひかえめな声だけど、そう言うと、弓弦は僕の頭を抱いて愛撫してくれた。
ああ、みんながこの温かさに包まれたら、本当に、そうなったらいいのに。萌梨くんも。沙霧さんも。杏里も。どんな人も、僕と弓弦がそうであるように、愛する人と強く結ばれて永遠を望むことができたら。
僕は弓弦と穏やかに揺蕩って、乾涸びることのない沖にいる。心地よい波音に包まれて、きっと一生、この安らぎに満たされている。
生まれてよかった。生きていてよかった。だって、僕にはこの人がいる。
そこまで思える人と、僕は水平線まで揺られてきた。どんな人でも、この青く澄んだ幸せにたどりつけると信じたい。生まれてきたのは、生きてきたのは、この人と結ばれるためだったと──そう思えるのは、とても人の心を息づかせると思うから。
FIN
