寄り添いあって
僕は部屋の真ん中に置いてあるベッドに座り、クーラーの風に髪をそよがせながら、ベッドスタンドの上方の窓がカーテン越しに光を帯びていくのを眺める。
弓弦は氷を入れた烏龍茶と透明なカクテルを持ってきた。もちろん僕は烏龍茶だ。弓弦は水みたいにさらさらとお酒を飲む。僕たちはベッドサイドに並んで座って、どちらからともなく寄り添い合うと、また手をつなぐ。
そして、萌梨くんや聖樹さんのことを弓弦に話した。萌梨くんの恋人の千羽さんのことも、聖樹さんの恋人の聖乃さんのことも。もちろん、悠紗くんのことも。弓弦は相槌を打ちながら聞いてくれて、「紗月と仲良くなってくれる奴だったならよかった」とこめかみに口づけてくれる。「弓弦とも仲良くなれると思う」と僕は弓弦を見上げた。
「萌梨くん、今度はこっちに遊びに来たいって言ってくれてたよ」
「マジか。それなら俺も会えそうだな」
「じゃあ、萌梨くんが来たとき会ってくれる?」
「俺がいてもよければ」
「もちろん。萌梨くんに、弓弦にも会いにきてくださいって言っておくね」
弓弦は咲ってカクテルを飲み干し、グラスを床に置く。
「しかし、すごいな。そんな親子もいるんだな」
「気持ちを話したら楽になるって、僕はそう思ってきたけど。聞いてほしい相手なんだよね。知らない人に、何度も説明するのはつらかったと思う」
「それは、すげえ分かる。俺はあんまり人に話したくないからな」
「萌梨くん、頑張ったんだね。それで、ほんとに聖樹さんと家族になれたのがすごい」
「紗月も俺と恋人になれたじゃん」
僕は弓弦を見て、「うん」と笑みを噛みしめてうなずく。そして烏龍茶のグラスを空にして弓弦と同じく床に置くと、弓弦は「そろそろ寝るか」と毛布をめくった。
明かりを落とし、朝陽の影がカーテンに映る下で、僕たちはシーツに横たわる。弓弦は伸ばした腕で再び僕を腕の中に招き入れた。僕は弓弦の軆に身を寄せ、そのなめらかな鼓動に耳を当てて目を閉じる。
弓弦はたいてい、先に眠ることなく、僕の頭や背中を温かい手のひらで安んじてくれる。僕は熱に取りこまれて意識が消える前に、小さな声で「キスしたい」と甘えた。弓弦は優しく微笑み、僕にまろやかな口づけをしてくれる。舌や口の中を丁寧に愛撫されて、どきどきしてきて弓弦にしがみつく。
弓弦は僕の髪に指を通し、「これ以上すると我慢できない」と唇を浮かしてつぶやいた。たぶんそれは僕も同じだったから、素直にこくんとすると、弓弦の体温を体温になじませてうとうとと睫毛を揺らした。そして、弓弦に抱かれて頭を撫でられているうち、なだらかな眠りに落ちていた。
目が覚めたのは、昼下がりだった。おいしそうな匂いがしている。弓弦の名前をこぼして寝返り、ゆっくりまぶたを押し上げた。クーラーが前髪にそそぎ、カーテンが太陽を抑えている。
いつも部屋で、いつものベッドだ。でも弓弦は隣にいない。身を起こしてキッチンを見やると、弓弦がフライパンをあつかって料理していた。
僕は伸びをしてからベッドを降りると、「弓弦」とそのかたわらに駆け寄る。弓弦は僕を見て、「おはよ」と微笑む。
「うん。おはよう」
「今、飯作ってるから」
フライパンでじゅーっと音を立てているのはきつね色のオムレツで、たまごとバターの香りが柔らかい。
「一緒に食べれる?」
「ああ。出かけるの十六時くらいだし」
「そっか。僕も〔こもりうた〕の作業しなきゃ」
「手紙溜まってきてるかもな。近いうちに、私書箱見てくる」
「ん、ありがと」
〔こもりうた〕というのは、僕がこの街で発行しているペーパーだ。もとは、いろんな人の支えになっている弓弦に追いつきたくて始めた。僕は弓弦に、抱えてきた傷を打ち明けて楽になれた。でも、そんな話相手すらいない人は多い。そんな人の心の声を僕が小説にして、少しでも傷を光にさらして乾かす、という趣旨のペーパーだ。
借りている私書箱に届く手紙の内容は、失恋したとか身近なものから、虐待されたという深刻なものまでいろいろある。中には僕には代弁できない体験が綴られてくることもあって、そのときは無理に引き受けず、「他人が表してもつらいと思う」と断り、ただ、手紙をしっかり読んで返事を書く。
没ということはあんまりしないし、したくないのだけど、どう読み返しても『愚痴』とか『悪口』で、没になる手紙もある。愚痴もつらい想いの告白だと思うけど、感情しかないから小説として物語にできず、やはり一応背景や説明がある手紙が優先される。
そしてできあがったペーパーは、今でこそ置いてくれるところがあちこちに増えたけど、初めは弓弦のコネがあるところに少しだけ置かせてもらえる程度だった。今では南区の陽桜だけでなく、北区の彩雪にも置いてくれるところが増えている。
とはいえ、〔こもりうた〕は街の外にまでは配布しない。売春。暴力。同性愛や貧困。街の外の人のほとんどがきっと理解できない生々しさに、批判がすごいと思う。それを背負うほどまでの度胸はない、少なくとも今は。
それに、ほぼひとりで全行程の作業をしているから、仮に予想外に規模が拡大したら追いつかないし、他人に指示を出してえらそうにやるものでもない。〔こもりうた〕を発行して、「楽になれました」と言ってもらえるたび、支えられているのは手紙をもらえる僕のほうだと感じる。
顔を洗ったりしているあいだに、弓弦は料理を仕上げてくれた。テーブルも座卓もないこの部屋で、僕と弓弦はよくベッドの上で食事を取る。毛布を片づけて平らにしたシーツに、今日はオムレツとベーコンのお皿、ささみと野菜にドレッシングがかけられたサラダの小鉢が並ぶ。飲み物はさすがに不安定なので、床かベッドスタンドに置く。
ケチャップのかかった柔らかなオムレツの中には、ツナが入っていた。弓弦の料理は昔からおいしい。僕も弓弦に教わって少しできるようになったものの、自分より弓弦が作った料理のほうが好きだ。僕が「おいしい」と言うと、弓弦は照れながらも咲ってくれる。
食事が終わると、僕が食器を洗っているあいだに、弓弦は仕事に出る準備を始める。
弓弦の仕事を、僕はあまりよく知らない。周旋屋だと前に言われたことはあるけど、何を斡旋しているのかは、ちゃんと分かっていない。
弓弦は、とにかくこの街で顔が広く、今年で二十四歳なのにすでに強い権力を持っている。この街の人に、好かれたり嫌われたりはあるようでも、信頼だけは確実にしてもらっている。取引しても誰が裏切るか危ういこの街で、陽桜の弓弦を通せば大丈夫だ、と思ってもらえているようだ。
けれど、僕には弓弦はとびきり甘くて優しい恋人で、そんな冷徹な面には何だか実感がない。シャワーを浴びてきた弓弦は、ジーンズだけ身につけて上半身は着ないまま浴室から出てくる。僕が視線に困るのを見ると、苦笑しながらすぐTシャツを選んで着てくれる。
テレビと向かい合ったカウチに腰かけ、弓弦は髪の水気をドライヤーで飛ばす。ワックスを使わなくても、弓弦の髪は艶々と流れる。僕はその隣に座り、いつものことだけど、定時なんてない弓弦と次にちゃんと会えるのはいつだろうと寂しくなる。
同じ部屋に暮らしていても、生活を重ねてはいないから、弓弦が帰ってきても僕は出かけていたり、僕が起きたときには弓弦は寝てしまっていたりする。ドライヤーを置いた弓弦は、そっと僕の頬を温かい手で包んで、うつむいていた顔を上げさせた。
ひたと瞳が重なって、通じた痛みに急に視界が潤む。僕だけじゃない。弓弦も同じだ。僕たちは同じくらい寂しがり屋で、本当はいつも一緒にいたい。でも、弓弦の稼ぎで僕たちはこうして共に暮らせている。
「ごめん」とわがままに泣きそうになった僕が言うと、弓弦は僕を抱きよせ、「休み、ちゃんと作るよ」とささやいた。僕は弓弦のシャツを握ってこくんとして、「僕も、ちゃんとここにいる」と約束した。
それから、弓弦は僕に優しくキスをしてくれてから軆を離し、十六時になる少し前に部屋を出ていった。僕は玄関までそれを見送り、ドアが閉まるとやっぱりしゅんとして、鍵がかかるので見届けて部屋に引き返す。
弓弦の匂いがするベッドにもぐりこみたかったけど、これから弓弦は仕事をしてきてくれるのに、僕だけぐずぐずふてくされていても仕方ない。僕はテレビを載せているサイドボードの引き出しから手紙の束を取り出し、さっき弓弦と並んで座ったカウチにノートPCを開き、床に腰を下ろす。
〔こもりうた〕の作業は去年まですべてアナログだったけど、年明けにお金がたまったのでこのノートPCを買った。僕は仕事をしていないけれど、たまにタウン誌でライターをしたり、〔こもりうた〕に寄付してもらえたり、原則お金は取らなくてもどうしてもと言われたら手紙の主から報酬をもらったり、お小遣い程度は稼いでいる。弓弦は「買ってやれるけど」と言ったものの、〔こもりうた〕は僕の責任で始めたので、PCも自分のお金で買いたかった。初めはタイピングに慣れなくてかえって作業がとどこおったけど、慣れてくるとずいぶん効率が上がった。
締め切りがあるわけではないものの、せめて季刊はしたいから、それに間に合わないときには、手伝ってくれるバイトの女の子もひとりいる。その子は、弓弦に頼んで巡り巡ったツテでやってきた子で、普段は彩雪に住んでいる。アナログの頃はできあがったレイアウト通りに清書をしてもらうのがメインだったけど、本文がデジタルになってからは、アナログ部分の作業を手伝ってもらったりする。あんまり高いバイト代を渡せるわけでもないのに、しっかりやってくれるから、ありがたい子だ。
夏になってまだ一枚も発行していないから、次の〔こもりうた〕は八月中に出したい。載せる予定の三本は仕上がっているので、今日は推敲だ。手紙も読み直し、吐きたいことを代筆できているか、しかし感情的になっていないか、確認しながら文章を読み返していく。気になるところを修正し、また読み返し、その作業を根気よく進める。一度軽い夕食を挟んで、三本にひと通り納得いったときには、零時をまわっていた。
弓弦はまだ帰ってこないよなあ、と息をついた僕は、散らかしたものを片づけてシャワーを浴び、髪を乾かすとベッドに倒れこんだ。弓弦と僕の匂いがする。萌梨くんたちに会えて楽しかった。けれど、弓弦をこのベッドにひとりで寝かせちゃったんだよな、と思うと、次に弓弦がここで休むときはそばにいてあげたいと思った。
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