水平線まで揺られて-3

メールから

〔こもりうた〕に掲載する作品が仕上がると、投稿してくれた本人にチェックしてもらう。納得してもらえれば採用、「何か違う」と言われたら修正か、ときには掲載を断念する。その場合、また新しく作品を書き上げるから、予定が押してしまうことになる。
 今回の三作品は無事認めてもらえて、レイアウトを考えて文章を挿しこんでいった。原本が仕上がると、昔はコンビニのコピー機でやっていたものだけど、今はPCとセットで買ったプリンターで刷る。そうして何とか八月中に〔こもりうた〕が仕上がると、僕は陽桜をまわり、彩雪のぶんは例のバイトの女の子に託して、配布作業を手伝ってもらう。
〔こもりうた〕を発行すると、しばらく私書箱に投稿でなく感想の手紙が届く。たいていは応援をもらえるけど、中傷が混じっていることもある。この街で偽善活動をするな、人の過去に触れるなんて厚かましい、お前に何が分かるのか──
 傷つかないと言ったら嘘だけど、字のくせとか言いまわしとかで、また同じ人かと分かる場合もある。直接目の前に来て言うことは絶対にない人たちだから、僕はそっと手紙を閉じて、申し訳ないけど部屋で処理する。
 その日はいつもの喫茶店で、ちゃんとした感想の手紙を読んでいた。〈POOL〉というこの喫茶店は、弓弦の行きつけで、カウンターに一番近い席は弓弦の指定席だ。どんなに混んでいても、ウェイターやウェイトレスはここへは案内せず、身内以外が勝手にテーブルに着くことはない。
 僕はいつもその四人がけの席に座り、注文を取りに来た〈POOL〉オーナーのミキさんにミルクティーをお願いする。ちなみに僕の代金はツケで、弓弦が来たときにはらってもらえる。
 それを承諾しているミキさんは、若い頃は娼婦だった美人のおねえさんだ。僕に出逢うよりも昔の弓弦に、お小遣いをあげたりもしていたらしい。でも弓弦がミキさんを売春の沼から救い出したことで半端な関係は終わり、今のさっぱりした姉弟みたいになったのだそうだ。
 八月下旬、まだまだ暑い中を歩いてきたので、ミキさんがアイスミルクティーを持ってきてくれると、少し飲もうと僕は読み終えた手紙を封筒にしまった。
〈POOL〉は白と木目が基調の落ち着いた喫茶店で、お客さんも本を読んだり軽食を取ったり穏やかだけど、夜になると、娼婦や男娼が出入りし、それを吟味する客も訪れる場所になる。僕は弓弦に、日が落ちてからの外出はしないよう言われているから、夜の〈POOL〉の雰囲気はよく知らない。
 でも、弓弦と一緒に暮らすことになったのは、家に帰りたくなくてここでぐずぐずしていた日だった。僕がまだここに残っていると知った弓弦は、仕事を差し置いて飛んできて、身柄を引き取ってくれた。
 確かにあのときは男娼に間違われたりして怖かったな、とストローから冷たい甘さを飲んでいると、ふとテーブルに置いていたケータイに着信がついた。ん、僕はケータイを手にして開き、思わず「あ、」と声をもらす。
“萌梨くんからのメールが1通”──
 来た。
 そう思って、慌ててメールボックスに飛んだ。何だかんだで〔こもりうた〕の作業がいそがしく、僕からは何も連絡できていなかった。まだ萌梨くんのフォルダは作っていなかったから、メールは受信フォルダに入っている。僕はかちかちとボタンを急いで押して、メールを開いた。
『紗月くん、こんにちは。
 メールしていいのかなって迷ってたんですけど、紗月くんに報告したいことができたので、思い切ってしてみます。
 今年のお盆の最後、昔お世話になった人に会いに児童養護施設に行きました。
 そこでメンタル的な自助グループを始めようとしている恵麻さんという人と知り合って、当分ボランティアだけど、お手伝いさせてもらえることになりました。
 今までの僕だったら、踏み出せなかった気がします。
 恵麻さんに手伝いたいって言えたのは、紗月くんのおかげです。
 小説を書いて、やりたいことを頑張ってて、それがうらやましくて、僕も頑張ろうと思えました。
 だから、ありがとうございます。
 また何かあったらメールするかもしれないけど、時間あるときに読んでもらえたら嬉しいです。』
 僕はまばたきをして、すごい、とメールを読み直した。自助グループ。ボランティア。僕のおかげ──。いや、僕なんて好きなことしかできていない。自立すべきところは、全部弓弦に面倒を見てもらっている。闘って今の環境を得て、これからの目標をそういう行動に決めた萌梨くんのほうが、ずっと強い。
 そんな内容のメールを書いて、すぐ返したらうざいかなと躊躇しつつ送信してみた。ミルクティーをすすって、返事が来るかとそわそわしていると、意外と早く返ってきて内容を見る。そこには『よかったら電話できますか?』とあった。
 もちろん、とメールで答えようと新規作成を開いたものの、思い直した僕は席を立って、店内入口の観葉植物の隣に行った。そして、萌梨くんの電話番号を呼び出し、いいのかな、ずうずうしいかな、といろいろ考えつつも、勢いで通話ボタンを押した。
 コールが響く。一回、二回、三──
『あ、もしもし』
 途切れたコールの代わりに、久しぶりに聞く声が聞こえた。「もしもし」と僕は応えてから、「萌梨くんですよね?」と一応確認してしまう。
『あ、はい。いきなり電話とか訊いてすみません』
「いえ、ぜんぜん。僕も少しならと思って」
『よかった。えっと──あ、メールありがとうございます。でも、僕はそんな、すごくないのに』
「そんなことないですよっ。だって、実際に戸籍まで動かした萌梨くんのところなら、人も集まりそうだし」
 僕の言葉に萌梨くんは照れたように咲い、『人を楽にしたいって考えて、実行してる紗月くんほどじゃないです』と言う。
『僕は、ただのお手伝いで。面識つながりですし』
「それでもすごいです。僕は弓弦に甘えてばっかりで。あ、そうだ、弓弦も萌梨くんに会えるならって言ってました」
『ほんとですか? じゃあ、ほんとに行かなきゃ』
 萌梨くんは咲って、「待ってます」と僕も頬に笑みをはらんでしまう。
「またゆっくり話したいです」
『僕もです。あ、電話したかったのって、もうひとつ話があって。紗月くんが住む街って、天鈴……町? でしたよね』
「はい」
『僕がお手伝いするところ、団体として登録はされてないんですけど、人数増えてきたらしたいですねって話してて。そしたら代表は、メールに書いた恵麻さんって人になるんですけど』
「エマ、さん。女の人ですか?」
『男の人です。その人も子供の頃はつらい想いをして、当時、天鈴町にいたって話してたんです』
「えっ、そうなんですか」
『思い出すのもつらかったけど、僕が紗月くんのこと話したら、そのうち帰ってみたいって言ってました』
「じゃあ、その人と来たら萌梨くんもひとりじゃないですね」
『そうなんです。あと、僕がひとりで考えてることもあって。このあいだは伏せたんですけど、僕の友達に芽留くんのファンで、ゲイの男の人がいるんです。ずっと自分に自信がなかったけど、芽留くんの活動に勇気をもらってるって』
「……やっぱ、芽留すごい。え、せっかくだから、このあいだ会えたらよかったですね」
『ファンの子を連れてきたら、プライベートなのに悪いかなとか思って。でもいつか、会ってほしいです』
「そのこと、芽留に話していいですか?」
『もちろん。それで、その友達ともそっち行けたらいいなあって。これは僕がひとりで思ってるだけですけど』
「何回来てくれてもいいですよ。僕もそっちに行けるときは遊びに行きたいです」
『いつでも来てください。みんな喜んでくれるので』
 その言葉に安堵して笑んでいると、ふと、そばの自動ドアが開いた。すみません、と入ってきた人に無意識に謝りそうになると、「紗月じゃない」と聞き慣れた女の子の声がする。
 僕はその人を認め、何だ、とほっとした。そこで〈POOL〉に入ってきているのは、友達の杏里あんりだった。
「あ、そういえば、僕からメールするのっていいですか」
『いつでも。もらえたら嬉しいです』
 杏里は僕が電話中なのを見て、邪魔せずにミキさんに挨拶してカウンターのスツールに腰かけた。「じゃあちょっと外にいるので。また電話もしましょう」と僕が言うと、『はい。いそがしいのにありがとうございました』と萌梨くんも締めくくる。
 僕はケータイを下ろして通話ボタンを切ると、「芽留は?」と訊きながら杏里に歩み寄った。芽留と杏里は幼なじみで、家もお向かいだ。そして、杏里はミキさんにとって姪でもある。
「降臨してるらしいからほったらかしてきたわ。電話、仲良さそうだったわね」
「萌梨くんだよ。芽留に聞いてない?」
「息子の、ギターしてないほう?」
「そう。メールより電話が早くて、少し話してた」
「弓弦が妬いちゃうわよ」とミキさんがくすくすと杏里にアイスコーヒーをさしだし、「弓弦はほんと嫉妬深いわよね」と杏里もうなずく。そんなふたりに僕は困ってしまい、「ひかえたほうがいいかな」とあんまりそうしたくないなあと思いつつ言うと、杏里とミキさんは目を交わして笑う。
「直接会って安心したら、弓弦は紗月くんの自由にさせてくれると思うわ」
 僕の心を汲み取って言ってくれたミキさんに、「弓弦にも会いに来たいって言ってました」と僕は言う。「じゃあ」と杏里はコーヒーをひと口飲んでから、スツールを降りて僕を指定席へとうながす。
「早く来てもらわないといけないわね。紗月のことになると、すぐ弓弦は弱気になるわ」
 僕はつい笑って、飲みかけのミルクティーの前に座った。杏里は僕の正面に座り、グラスをテーブルに置く。その拍子に氷が動いて、からん、と涼しい音がした。
「こないだ〔こもりうた〕の最新号出したよ。見てないよね」
「見せて。にしても、紗月も芽留も書き物なんてよく続くわよね」
「書けなくてつらいときはあるけど、書かなくて楽ってときはないから」
 言いながら僕はリュックから最新の〔こもりうた〕の一枚取り出して杏里に渡す。
「書けないときもあるの?」
「それはあるよ」
「芽留は、紗月はコンスタントに書けてうらやましいって言ってたわよ」
「僕は原作として手紙もらってるし。全部考えて作る芽留はすごいよ。同じようにゼロから書けって言われたら、僕はぜんぜん書けないと思う」
「デビューしちゃうと、設定とか役者は、もうプロデューサーが決めてる中で書かされるって言ってたけどね。名前がもっと売れたら、やっと自由に書かせてもらえるのかしら」
「智生さんはぜんぜん贔屓しないもんね」
「『ハンドメイド』まで、さんざん『興味ない』って芽留の脚本を没にしてきてたもの」
「言ってたね。だからこそ芽留は、智生さんに認められたら自信になるって思ったんだろうけど」
「そうね」と杏里はアイスコーヒーのストローに口をつけ、飲みながら〔こもりうた〕を読む。目の前で書いた文章を読まれるのは、くすぐったい。
 僕は無造作にメニューをめくり、時計を見て十五時が近いのを知る。何かおやつ食べようかな、とデザートのページを開いていると、「紗月が芽留と旅行してるとき」と杏里はストローから口を離した。
「弓弦、ほんと腑抜けてたわよ。来夢らいむが手こずってたわ」
「見たの?」
「あたしも芽留がいなくてヒマだし、顔出したときに」
「そっか。うん、そこは悪いことしちゃったかなあって」
「結局ろくに働けてないから、ついていけばよかったじゃんって言われてたわ」
「来夢さんに」
「そう」
 来夢さんというのは、弓弦の親友だ。男娼をしていて、来夢というのは源氏名だそうだけど、僕は本名を知らない。ミキさん以上に古くから弓弦と一緒に生きてきた人で、昔、引き裂かれるように終わった恋を、かたくななほど大切にしている。
 だから、杏里がいくら想いを伝えても動かなかった。それでも杏里がどうしても来夢さんが好きなのは知っているから、何でもないように杏里が来夢さんの話題を出すとどきっとする。「何か」と杏里は頬杖をついて、紫のマニキュアの指先でストローをまわす。

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