また会える約束
ときおり萌梨くんとメールを交換しながら、九月はのんびりと過ぎていった。まだまだ昼間の残暑は厳しくも、日が落ちると空気が風を帯びて、ひやりと半袖にちょうど心地よくなる。夜が早くなって、街の喧騒の目覚めも早くなったから、僕は真夏より急いで部屋に帰る。
そして、八月に出した〔こもりうた〕の感想を読みつつ、選り分けている体験談の手紙を熟読して、イメージが湧くものからその着想を書き留める。それがプロットとしてまとまった投稿に、これから書かせてもらうという返事を書く。
メールでのやりとりはしない。返信先が天鈴町内であることが、〔こもりうた〕に載せる必須条件だ。メールだとどこから送られてきたのか分からない。返信がどこにたどりつくかも分からない。そんなやりとりも受けつけていたら、〔こもりうた〕は天鈴町限定ではなくなってしまう。
その注意は〔こもりうた〕の最後にいつも書いていて、それでも返信先が範囲内ではない手紙が来たら、申し訳なくても没にしていた。ただ、PCを使うようになってからは、『返信先による不採用』というはがきを作って、改めていつも〔こもりうた〕に書いている注意文を引用して送るようになった。
今回も何通かそのはがきを作って、採用ぶんの返事も書いた。それをポストに投函した日、僕はひと休みも兼ねて〈POOL〉に行った。
青空の色合いは柔らかくなってきたように感じるものの、歩いていると軆が汗ばむくらいの日射しだった。時刻は十三時過ぎで、人通りはほとんどない。
〈POOL〉に到着して、クーラーにほっと息をつくと、「紗月くんっ」と声がして、見ると芽留がカウンターで何か食べていた。
「芽留。仕事は?」
「やっと片づいたよー」
「そうなんだ。お疲れ様」
「直し入るかもしんないけどね。僕はやるだけやった」
歩み寄ると、芽留はナスとトマトのパスタを食べている。「お昼?」と訊くと、「そお」と芽留はフォークをパスタの中でくるくるまわす。
「僕もお昼まだだから、何か食べようかな。テーブル行こう」
「ん、そだね。紗月くんは〔こもりうた〕新作出したんだっけ」
「先月だよ。ファイルに残してるのがあるけど」
「読むー」
僕はリュックからファイルブックを取り出しながら、いつものテーブル席に腰を下ろす。芽留もパスタとアイスココアを持って移動してきて、「どれどれ」と僕がさしだしたファイルを受け取ってめくる。僕はメニューを見て考えてから、やってきたミキさんにオムライスとミルクティーを注文した。
「あ、そういえば、芽留、あのメール読んだかな」
「うん?」
「萌梨くんの友達で、芽留のファン──」
「あっ、読んだ! 返事できてなくてごめんね。読んだよ。うん、読んだけど、これ読んでから」
〔こもりうた〕を熱心に読んでくれる芽留に、僕は素直にミキさんが置いていったお冷やを飲む。冷たさが舌から喉に浸透する。「ひえー」とか「うわあ」とか言いながら芽留は〔こもりうた〕を読み終え、「紗月くんがこんなえぐい描写書いてるとか、何かすごいよね」と言われて咲ってしまった。
「あ、それで。ファンの人ね。うん、嬉しいな。そういう人に応援してもらえてるなら、ほんとそれが一番嬉しい」
「会うのはやっぱり、一線引きたいかなとも考えたけど」
「別にい。いきなり家に来たらビビるけど、萌梨くんとか紗月くん通してくれてるし、いいんじゃない?」
「じゃあ、その人がこっち来たら会ってくれる?」
「うん。僕も会いたい。けど、何話そうかな。照れるね。ふふ」
芽留はにこにこして、フォークにパスタをたっぷり巻きつけて頬張る。萌梨くんに夜にメールしよう、と決めていると、「どうぞ」とミキさんがアイスミルクティーを持ってきてくれて、「ありがとうございます」と僕はストローをグラスにさしこむ。
「そういえば、芽留は杏里に告白してきた男の人に会ったりしてるの?」
芽留はもぐもぐしてからごくんと飲みこみ、「話には聞くけど」とストローでアイスココアを吸う。
「紹介までする男の人は、まだいないみたいだよ」
「そっか」
「来夢くんのことも含めて、好きになってくれる人じゃないとダメなのかもねー」
「来夢さんも含めて」
「杏里は今んとこ、どうしても来夢くんを忘れられないことまで打ち明けて振る人はいないみたいだから」
「そうなんだ」
「最近会ってる人とは、楽しいときもあるみたいだよ」
「どんな人?」
「コズエさんとの専属モデルとか言ってた」
「あ、何かそういう人とデートしたのは聞いたかも」
「つきあってはないみたいだけど」と芽留はトマトが染みこんだナスの大きなひと切れを食べる。
「つきあうことになったら紹介するわとは言われてるレベル」
「杏里がついにほかの男の人かあ……」と僕は背もたれに寄りかかって、ため息をつく。
「来夢くん好きでいるのも、来夢くんを苦しめるのかもしれないしね。何ていうか、連鎖になってるでしょ。応えない人を想って応えられないというか」
「水香さんは──。いや、まあ、亡くなってるから一理あるか」
「ん、水香さんは好きで応えないわけじゃないよね。ごめん、言い方悪かった」
「ううん」
「水香さんが好きで来夢くんに応えないなら、むしろ来夢くんは杏里と幸せになってた気もする。でもそうじゃないから、うまくいかないというか。来夢くん、水香さんが幽霊になっても、自分を想ってくれてるのをすごく分かってるんだと思う」
「……うん」
「来夢くんは、水香さんのために絶対杏里には応えない。杏里を幸せにできる自分がそうしてあげないのは、来夢くんにも罪悪感あると思うよ。だから、杏里が新しい男の人に前向きになるのは、僕はいいことだと思うようにしてる。丸く収まるから」
「杏里はつらくないかな」
「つらくならない男の人を、今、一生懸命、吟味してるよ」
「そっか。じゃあ、うん、応援しないとね」
「そだね」と芽留はにっこりして、初めて会ったときからそうだけど、芽留はのほほんしているようで賢い人だなあと思う。僕のほうが、ぐずぐずと心配して迷惑だ。芽留のように割り切って応援するほうが、きっと一番なのだろう。
それから、夕方まで芽留とおしゃべりして過ごすと、僕は部屋に帰宅した。弓弦はいない。来夢さんもいない。ここしばらく弓弦とすれちがっていて、少しだけ寂しい。
通りかかったキッチンからふわりといい匂いがして、立ち止まると炒飯と水餃子があった。昼にここを出たときはなかった。ラップ越しに炒飯に触れてみると、かすかに温もりがあって、〈POOL〉にいるあいだに弓弦が帰ってきて、これを作ってたぶんわりとさっき出ていったのが窺えた。芽留と話せて楽しかったけど、それでも僕は現金に、ちょっと早く帰ってこればよかった、と小さく落ちこんだ。
荷物を下ろすと、その中華風の夕食を食べる前に、萌梨くんにメールすることにした。芽留が萌梨くんの友人に会ってもいいと言っていることを送信する。
もう一度キッチンを覗いて、炒飯をレンジで温めながら、焜炉の小鍋にたまごスープもあることにも気づいた。弓弦と食べたかったなあとまだ思いながら夕食の準備が整うと、僕はカウチに腰かけてテレビもつけずに弓弦の料理を味わう。
おいしかったってメールはしよう、と思っていると、ふとケータイに着信がついた。炒飯の皿をかたわらに置いてケータイを開くと、萌梨くんだ。
『紗月くん、メールありがとう。
僕からもメールしようって思ってた。
実は、僕のゲイの友人って聖樹さんの弟さんなんだ。
ずっと家族には秘密にしてて、でも紗月くんを通して芽留さんに会えるかもって話したら、会う前に自分も何か頑張らないと合わせる顔がないって、聖樹さんにカミングアウトしたんだ。
聖樹さんは、びっくりしてたけど、ちゃんと受け止めてた。
だから、彼がちょうど芽留さんに会う覚悟ができたところなんだ。
恵麻さんと弓弦さんにも会ってほしいんだけど、まずは芽留さんとその友達に会ってもらえないかな?
僕の都合ばっかり言ってるから、無理なところがあったら言ってね。』
文章がいつもまどろっこしくなるので、敬語はやめようということになって、だいぶ慣れてきた。
僕はメールを読み、聖樹さんに弟がいるのは会ったときにちらっと話題に上がった気がする、と思った。会うことはなかったけれど、そうだったのか。意外とゲイっているもんだよなあ、と思いつつ、まずは萌梨くんの希望通りに進めていこうと伝えた。
たまごスープをすすっていると、まもなく萌梨くんからメール着信がつく。読んでみると、その人とこちらに来れそうな日を調整してみるという内容だった。
やった、と部屋にひとりなのに笑みをこぼしてしまう。ということは、また萌梨くんに会えるのだ。それに、萌梨くんがこちらに来るということは、弓弦も萌梨くんに会える。
【第八章へ】
