冬に向けて
これは弓弦に早く報告しなきゃ、とかちかちと弓弦の電話番号を画面に呼び出して、邪魔じゃありませんように、と願いながら通話ボタンを押した。
『──紗月?』
弓弦はすぐ電話に出てくれた。一瞬、その声が耳に流れこんだことに胸がいっぱいになったものの、「えと」とすぐ声は取り戻して、どこから話せばいいのかにちょっと迷う。
「あ、今、いそがしい?」
『いや、移動中で歩いてるだけ。悪い、周りうるさくて』
確かに電話の向こうには漠然とざわめきがある。しかし、ちゃんと弓弦の声は聴き取れるので「大丈夫」と僕は言った。
『何かあったのか?』
「うん。その……今ね、萌梨くんからメールが来たんだけど。近いうちに、こっちに来れるように調整してくれるって」
『え、マジで。思ってたより早かったな』
「ん、僕もびっくりした。それで──弓弦も、萌梨くんに会ってくれる?」
『ああ。俺も同席してよければ』
「萌梨くんも会いたいって言ってたから」
『そっか。予定決まって、早めに教えてくれたら俺も調整するよ』
「よかった。あと、萌梨くんのゲイの友達も芽留に会いにくるって」
『芽留のファンって奴?』
「そう。そのふたりで来てくれるみたい。恵麻さんと弓弦にも会ってほしいけどって、萌梨くん気にしてたけど」
『それはいつでもいいよ。恵麻が前向きに生きてんのが分かっただけでありがたいから』
「いつかは会ってあげてね」
『もちろん』と弓弦は言ってくれて、僕はかたわらの夕食を見る。「ごはん──」と僕はケータイを握りなおす。
『ん?』
「いや、えっと……ごはん、作ってくれててありがとう。おいしい。メール来たの、食べてる途中だったから」
『はは。ゆっくり食べてください』
「お昼帰ってきてたんだね。部屋にいたら会えてたかな」
『飯作っただけですぐ出たから、三十分くらいしかいなかったよ。飯もレトルト調理しただけでごめんな』
「弓弦が用意してくれただけでおいしいよ。……でも、一緒に食べたかった」
弓弦を困らせるかもとは思ったものの、正直にそうつぶやくと、『そうだな』と弓弦も声を落とす。
『ここんとこ、ゆっくり一緒にいられてないもんな。ごめん』
「ううん」
『今日は朝帰りくらいだし、紗月が起きる頃に帰れるようにする』
「ほんと?」
『うん。俺も紗月に触りたいし』
「触るって」
『紗月を抱きしめると落ち着くよ』
「ん……また、僕、添い寝するね。二度寝すればいいし、ぎゅってしてていいから」
弓弦の含み咲いが聞こえて、『ありがと』と優しい声で言ってくれる。
『じゃあ、頑張って仕事片づけてきますか。眠くなったらちゃんと寝ろよ』
「分かった。朝、楽しみにしてる」
『おう。じゃ、またな』
電話が終わるのは寂しくても、僕はケータイを下ろし、息をついてから通話を切った。ケータイを脇に置いて、とりあえず夕食を済ますことにする。
味わってゆっくり食べながら、明日の朝に弓弦に会えるのが待ち遠しくなる。弓弦は仕事上がりだから、そんなに甘えられないと思うけれど、僕を抱いて眠ってくれるならじゅうぶん嬉しい。弓弦の疲れが取れるようにしてあげよう。
食事が終わると食器を洗い、シャワーも浴びてしまうと、その夜から僕は次号の〔こもりうた〕に向けて小説を書きはじめた。
数日後、萌梨くんから、十月の下旬にこちらを訪ねる旨のメールが来た。そのとき、ちょうど僕は弓弦と〈POOL〉にいたので、すぐ予定を空ける日程を伝えられた。約一ヶ月後だ。芽留にも伝えておかなきゃ、ということでメールすると、『絶対予定に入れとく!』と返信が来た。
つながっていく計画にいそいそとケータイを置く僕に、向かいの席でコーヒーを飲む弓弦は、「紗月はほんとに萌梨くんに懐いたなー」と苦笑する。
「やっぱそれって、近い経験があるから?」
「どうなのかな。分かんないけど。萌梨くんは話しやすい」
「そっか。ま、俺と来夢も似た経験で親友なわけじゃないか。住んでる場所が近かったらよかったのにな」
「うん。でも、出逢えただけでも嬉しいよ」
「芽留の映画に感謝だな」と弓弦はくすくす笑ってから、カップに口をつける。僕もミルクティーを飲んで、「けど」と首をすくめる。
「ほんとはね、萌梨くんがストレートで、彼女もいてよかった、とかは思う」
「ん、何で?」
「だって、そうじゃなかったら、弓弦に会ってもらえてたか分かん……ない」
まばたきをした弓弦に、「弓弦は」と僕は頬を染めながら言う。
「すごく、かっこいいし。男にも女にもモテるし。ストレートの男も、弓弦ならってなっちゃうし」
「俺はもう紗月しか無理だぜ」
「それでも、弓弦を好きになる人はなるもん」
僕がむくれて手元のPCのキーボードに目を落とすと、弓弦は噴き出して「大丈夫だよ」と言う。
「萌梨くんが紗月のライバルにならないのは、分かってんだし」
「……ん。けど、そういえば沙霧さんはゲイなんだよね」
「その人も、気になってる奴いるんだろ」
沙霧さんという名前や、その人にも気になるメル友がいることは、萌梨くんに聞いている。ちなみにそのメル友が近隣の町に住んでいるらしく、沙霧さんはその人とのオフも兼ねてこちらに来るのだそうだ。そこまで聞いていなかったら、僕は沙霧さんと弓弦が出逢うことについて、もやもや考えていたかもしれない。弓弦はカップを受け皿に置いて、「何かいいな」と咲う。
「紗月が独占欲出してくれてる」
「そ、それはあるよっ。弓弦は誰にも取られたくない」
弓弦は僕を見つめてから微笑み、「俺は紗月しかいらないから」と柔らかく言ってくれる。僕は弓弦に上目をする。弓弦は煙草の匂いが残る手を伸ばして僕の頬に触れ、「誰のところにも行かない」とささやく。僕は睫毛を伏せてうなずくと、「僕にも弓弦だけだよ」と頬を包む手に手を重ねた。
そんなふうに弓弦に甘えたり、芽留とわくわくしたり、萌梨くんと予定を相談したりしながらも、僕は時間と集中を抑えて小説を書いて過ごした。今回載せるのは四作品になる予定だ。レイアウトに収まる枚数を考えて書き進めていると、採用の手紙に「ありがとうございます」と返事が来たりもした。
無論、書くのが煮つまるときもある。それでも僕は無理にでも書く。休んだほうがリフレッシュになるということはあんまりない。むしろ入りこむ感覚が遠ざかって、さらに書けなくなってしまう。必死に視点をつかんで、僕の経験ではないのだけど、思い返すように書く。
そうしているうち、二作品を書き終わった。次に書く作品に入りこむ前にカレンダーを確かめたら、あっという間に、今週末には萌梨くんがやってくる週の半ばになっていると気づいた。
次に集中するのは、萌梨くんに会えたあとがいいだろう。僕はバックアップを取ってPCを閉じると、夜遅かったので、電気を消してベッドにもぐりこんだ。
十一月をひかえて、季節はやっと寒くなった。ふとんの中にいると体温が巡って、足元がほかほかと包まれるのが心地よくなった。静かで、弓弦の鼓動が聴こえないのがわずかに物足りない。けれど、シーツに弓弦の匂いがするから怖くはない。
もうすぐ萌梨くんに会えるんだ、とまくらにこめかみを当てる。今度は弓弦と一緒に会える。弓弦が僕を誰かに紹介することはあっても、僕が弓弦を人に紹介する機会はあんまりないから、余計嬉しいのかもしれない。
弓弦にも話した通り、萌梨くんなら取られるかもなんて妙な不安もない。もちろん、沙霧さんに対しても。
会えたらまたたくさん話そう。そんなことを思いながら、意識はうつらうつらと朧げになって、いつのまにか暗くなっていった。
【第九章へ】
