水平線まで揺られて-9

もし救えるのなら

 萌梨くんが来るのは十月二十三日の土曜日で、始発と終電で日帰りするとのことだった。萌梨くんと沙霧さんが到着する駅は、芽留がここに来る途中に降りる駅で、「僕が〈POOL〉まで案内するよ」と芽留が言ってくれた。
 僕と弓弦は早くから〈POOL〉におもむいて、朝食もそこで取った。僕はサンドイッチ、弓弦はバタートースト。今は向かい合って席に着いているけど、萌梨くんたちが来たら弓弦が僕の隣に移動する。
「いきなり芽留がいて、友人くんはビビるだろうな」と弓弦は言って、確かにと僕はちょっと笑ってしまった。
「あ、ちゃんとふたりともいる。紗月くん、弓弦くん。一緒に来たよー」
 芽留のそんな声が店内に入ってきたのは、午前十時前くらいだった。二杯めのミルクティーを飲み終わりそうだった僕は、ぱっと振り返って、入口で手を振る芽留の後ろからついてくる人を見守る。
 ひとりはもちろん萌梨くんで、「萌梨くん」と僕は思わず笑顔になる。萌梨くんも「紗月くん」と笑顔になって、その後ろからもうひとり背の高い男の人が入ってくる。しっかりした肩幅や筋骨をしているけれど、さらさらの髪や瞳の色合いは聖樹さんに似ているから、すぐその弟さんの沙霧さんだと分かった。
 弓弦は僕の隣に来て、その弓弦を見た萌梨くんと沙霧さんは顔を合わせる。そんなふたりに、「弓弦くんって初めて見るとビビりますよねー」と芽留がからからと笑う。
「俺は仕事しかいかがわしくないぜ」
「ルックスが完璧すぎて怖いの」
「そう言われてもなあ」
「萌梨くん、その人が聖樹さんの弟さん?」
「あ、うん。お昼からはメル友に会いにいっちゃうけど」
「そうなんだ。あ、弓弦──この席に、座ってもらっていい?」
「どうぞ」
「じゃあ、えと……あ、ひとり席足りないね」
「僕は沙霧さんとカウンターにいるよ。えっと、どこまで話しましたっけ?」
「あ、初めて書いた脚本を、天海監督にこき下ろされたところまで」
「そうっ、もうほんとパパって気に入ったものしか映画にしないんですよー。一緒に修正してくれるとかなしですよ」
 そんなことを話しながら、芽留と沙霧さんはカウンターのスツールに並んで腰かける。「じゃあ、僕はこっちに失礼しますね」と萌梨くんは僕と弓弦の正面に座り、改めて僕たちを見た。
「すごい」
「え」
「望海くんと佑悟ゆうごさんのモデル」
 僕と弓弦はきょとんとしてから、照れ笑いをこぼしてしまう。望海と佑悟は、『ハンドメイド』の主人公と相手役の名前だ。
「紗月くん、弓弦さんのことすごくかっこいいって言ってたもんね」
「言ってくれてたのか?」と弓弦は僕を見て、僕は頬を熱くしながら「ほんとだもん」と言う。弓弦は咲って僕の頭を撫でると、「恵麻が世話になってるみたいで」と萌梨くんを向く。
「いえっ、ぜんぜん。僕がお世話してもらってるくらいです」
「元気にやってますか?」
「はい。施設は十八で出たそうなんですけど、今でもたまに顔を出してて、子供たちに慕われてます」
「よかった。俺は荒れてたところしか知らないから、あんまり想像つかないんですけど」
「今度は恵麻さんと一緒に来ますね。恵麻さん、弓弦さんにすごく感謝してるって言ってました。なのに、すみません、沙霧を優先しちゃって」
「いや、気にしないでください」
「沙霧さんはメル友に会うなら、帰りは別?」
「夕方に合流する。ここを発つのは十八時くらいだと思うから」
「そっか。沙霧さんはばたばただね」
「うん。迷子になるのが一番心配って言ってる」
「メル友って、気になってるってこと相手はゲイ?」
「そう。その人とも、『ハンドメイド』が切っかけで親しくなったみたい」
「芽留の映画、活躍してるな」
 弓弦がそう笑ってコーヒーを飲んだとき、「どうぞ」とミキさんが萌梨くんにお冷やを持ってきた。「あ、どうも」と萌梨くんは頭を下げ、「萌梨くん何か飲む?」と僕は訊いてみる。
「あ、えーと。何があるんだろ」
 僕はメニューを萌梨くんに渡す。そしてミルクティーのお代わりを頼んでいるあいだに、ドリンクのページに目を通した萌梨くんは、「じゃあ紅茶をホットで」をミキさんを見上げた。「かしこまりました」とミキさんは新しい伝票に注文を書きつけ、にっこりしてからカウンター内に戻っていく。
「恵麻さんとは、具体的にどういうことをしていくの?」
 僕の質問に萌梨くんはやや考えてから、「ひとりじゃないってことを伝えられるようなところにしたい、って恵麻さんは言ってる」とゆっくり言葉を選ぶ。
「ひとりじゃない」
「つらいことがあった人は、ひとりぼっちになりやすいから。そういう人を受け入れて、ほかのメンバーと分かち合えるところにしたいって。まだ事務所とかも何もない段階だけど」
「会社とか立ち上げていくんですか?」
 弓弦が訊くと、「そこまで発展するかはまだ分からなくても」と萌梨くんは首をかたむける。
「いずれ、仕事にしたいとは思ってます」
「仕事」
「そう思うのは、紗月くんのおかげなんです」と萌梨くんは弓弦にはにかんで咲う。
「僕、今は高校行ってますけど、その先がずっと見えなくて。自分が将来何やってるか分からなくて、少し怖かったんです。でも、紗月くんが小説書いてるの知って、やりたいことをやってるってすごいなって……だから僕も頑張ろうって決められたんです。そのときに、ちょうど恵麻さんのこと知って、手伝いたいなって感じて」
「え、いや、僕はそんなすごくないよ」
「紗月のやってることは、わりと紗月しかできないぜ」
 弓弦はくすくす笑ってから、「頑張ってください」と萌梨くんに言う。
「仕事になったらシビアな面も出てくると思いますけど、やりたいと思ったことなら。恵麻もいるし」
「はい」と萌梨くんがうなずくのを見て、「そういえば」と僕は考えていたことを訊いてみることにする。
「そこって、行く宛てがない人も保護してくれるようにところになりそう?」
「え、いや──保護とかは児童相談所がすることだから。でも、未成年なら施設に連絡を入れることはできるよ。どうして?」
 僕は〔こもりうた〕のファイルを取り出し、「これが僕の書いてる小説なんだけど」と広げて萌梨くんに差し出す。
「読んでいいの?」
「うん。あげることはできなくても」
 萌梨くんはファイルを受け取って、ぱらぱらとめくってから最初のページに戻り、第一号に目を通しはじめる。「読んでいったら分かるんだけど」と僕は萌梨くんの文字をたどる視線を見つめる。
「実体験だから、全部が必ずいい終わり方じゃない。中には、まだ逃げてて怯えてる人もいる」
 萌梨くんは僕に目を上げる。萌梨くんも、隣の弓弦も、それで僕の言いたいことは察したようだ。
「この街では、そういう人に手を差し伸べることまではできないから。あんまり心配な人は、萌梨くんに伝えて、代わりに通報とかしてもらったりできるかな」
「いや、紗月、それはさすがにグレーかも」
「この街の外なら、それが普通だよ」
「そうかもしれないけど──」
「恵麻さんだって逃げたいって言って外に出て、今落ち着いて生活できてるんでしょ。この街に逃げてきても、救われない人だっているよ」
 弓弦は唸って考えこみ、「受け入れ先の紹介とかはできる段階じゃないけど」と萌梨くんが口を開く。
「通報ならできると思う。ただ、そしたら家に連絡が行くかもしれない」
「……あ、そっか。家が原因の人もいるよね」
「うん。でも──どうなんだろ、僕たちが話を聞いて、考慮して連絡をさしとめられるようになれたら一番だよね」
「『もう死ぬから最後に自分のことを遺してください』って人もいるんだ。そういう人のことを、書いて載せたら終わりにするのはさすがに苦しい」
 萌梨くんは考えてから、「恵麻さんに相談してみる」と言ってくれた。僕はほっと微笑んでから、「何かするのは僕じゃないから」とまだむずかしい顔の弓弦に言う。
「それでも、ダメかな」
「いや。そうだな。この街で面倒まで見てたらキリがないけど。外ならこの街の感覚と違うし。ただ、外でちゃんと預かってくれるかが心配なだけ」
「恵麻さんは助かったんでしょ」
「ん、まあ。ただ、通報を頼むことは切り札で、切羽つまってる奴以外には公開しないほうがいいと思う」
「それは、もちろん。──いきなり大変なお願いしてごめんね」
 僕がそう言うと、萌梨くんは首を横に振って「できることなら僕もしたいから」と言ってくれた。

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