嘘をつくよりは【5】
それから、何度もその刑務所に行った。職員の人はいつも無機質に確認の電話をして、筧さんが面会謝絶を撤回していないのを冷淡に伝えてくる。亮吾さんに相談しようかと思ったけれど、私が連絡した途端、筧さんに会えた連絡かと期待されるのかと思うと、できなかった。
何だか、本当に私は筧さんに会ってもらえないのかもしれない。情けなくもあきらめてくると、手紙を書いて持っていくようになった。渡しておいてほしいと頼むと預かってくれるけど、本当に届いているのだろうか。受け取ってもらえているのだろうか。読んでもらえているのだろうか。
私は待ってるよ。筧さんのそばにいたいから、待ってる。だから、そこを出たら真っ先に私を迎えに来て。でも、手紙を置いていくようになっても筧さんは面会に応じなかったし、手紙で何か返事が来ることも、言伝さえなかった。
十九歳の春、私は高校を卒業してもなお、筧さんに会えずにいた。
大学に行く気力なんてなかった。派遣で短期バイトばかりやって、まじめに長く働くこともしなかった。筧さんに会えずに帰宅して、そのたび目がひりひりするほど泣いて、次第にその絶望感を味わうのが怖くなりはじめた。
少しずつ、食い下がっていく力もなくなっていく。適当に働いて、部屋にこもって、会話するのはきーちゃんだけで。やがて私は、会えなかった虚脱感が恐ろしくてたまらなくなって、筧さんに会いに行くのをやめてしまった。
それは待つのをやめるという意味はないつもりだったけど、筧さんにはそう取られるかなあと思って、それすら期待かと泣きたくなって、私は筧さんのかたくなな拒絶に負けてしまった。
きーちゃんは、バイトをクビになっていた。例の好きな人には彼氏がいて、一気にやる気を失くしたら「お客様の前でそんな顔する奴はいらない」と切られてしまったらしい。
でも、きーちゃんはあまり悲観せず、むしろ小説をはりきって書いていた。引きこもることはなく、好きなバンドのライヴに行ったりしていた。私もいい加減に生きているけど、きーちゃんもなかなか社会からこぼれ落ちて生きていた。
二十二歳の春、父親が定年退職してずっと家にいるようになった。母親はますます気が休まらない様子で、日中から父親になじられていた。
私は吐き気がしてきーちゃんの家に逃げ出した。そしたらきーちゃんがめずらしく朝なのに家を出たところで、「どこ行くの」と訊くと、「仕事」と返ってきた。
「え、きーちゃんいまさら働くの」
「いまさらって何だよ。ただのバイトだけどな」
「何の仕事?」
「酒場のホール」
「何、その底辺……」
「るせえな。仕方ないだろ、そこのオーナーにスカウトされたんだから」
「小説やめるの?」
「書くよ」
「小説家にはならないの?」
「お前、ほんとその質問よくするなー。なるよ、そのうち」
「なる。断言初めて聞いた」
「なれたらだけどな。それまでは今のバイトでごまかしとく」
「酒場って遠いの?」
「天鈴町だからふた駅だよ」
「天鈴町やばいじゃん」
「俺はライヴよく行ってて、慣れてるし」
「ふうん……。今度、行ってもいい?」
「いいよ。じゃ、澄音のケータイにマップのリンク送っとくから。とりあえず俺はもう行く」
「気をつけてね」
「ありがと。鍵はいつものとこだから、家が嫌だったら勝手に俺の部屋入っとけ」
「分かった」
ちなみにきーちゃんは、まだ私の両親のことを知らない。でも知らないからこそ、父親の定年で家庭は常に喧嘩状態と思っていて、心配してくれる。
私はきーちゃんの背中を見送って、きーちゃんの部屋で眠りなおそう、とありがたく家に入らせてもらった。
そして私は、きーちゃんの職場である〈まろん〉というダイニングバーに顔を出すようになった。オーナーは女の人で、栗香さんという綺麗な人だった。きーちゃんと仲がいいお客さんもいて、特にきーちゃんの小説の読者だという鎬樹さんという男の人と、私も親しくなった。
鎬樹さんが話しやすい人だったせいか、もしくは話してしまって吹っ切りたいのか、私は筧さんのことも聞いてもらった。鎬樹さんは普段はサラリーマンをしていて、女装バーで働く子に片想いをしているらしかった。女として好きなのかと思ったら、あくまで自分はゲイだから、男としてだと説かれた。そんな鎬樹さんと、シフトを上がったらきーちゃんも混ぜて、いつも週末は三人で取り留めなく話した。
あっという間に夏が巡ってきて、私は二十三歳になった。八月の半ば、お盆休みの鎬樹さんと〈まろん〉で夕方からお酒を飲んでいて、高校の同窓会に行ってしまったきーちゃんのことを話していた。
「俺は高校の同窓会は行きたくないな」
鎬樹さんは苦笑して、「何かあったんですか」と私は首をかたむける。
「高校には、当時好きだった奴がいるんだ。あんまり顔合わせたくない」
「そっか。きーちゃんは結局、元カノに誘われるまま同窓会行っちゃったのに」
「その元カノさん、見たことある?」
「その頃はちょうど家帰ってなかったですね」
「そうなんだ。希音くんが好きな人って何かイメージ湧かないな」
「きーちゃんはクールビューティが好きらしいですよ。いつか言ってた」
「へえ。俺はかわいい子が好きだから、その好み分かんないかも」
「私も綺麗めの人が好きですけど、優しい感じがいいなー」
「それって、筧さんみたいな」と鎬樹さんはくすりとして、私はばつが悪い顔になる。
「まあ、はい、そうですけど。あー、ダメだ。まだぜんぜん筧さんが理想の人」
「いいんじゃない? 俺も譲くんのこと引きずってるしね」
「でも、高校時代から好きな人は変わってるんですよね。私は、小学生からずっと筧さんだから、ほかの人とかほんと分からないや」
「最近、会いにいったりはしてないの?」
「してないです。何となく行かなくなって、四年くらいかなあ」
「四年もあれば、筧さんの気持ちもほぐれてる気がするけど」
「どうなんですかね。分かんないです」
「もう会いたくない?」
「会えるなら会いたいですよ、それは」
「じゃあ、素直になってみるのもいいんじゃないかな。俺も筧さんが澄音ちゃんを勘違いしてたとしたら、嫌だな」
「………、筧さんに、嘘はつきたくないとは思うんです」
「嘘」
「私、今までけっこう平気で嘘ついてきたし、嘘のほうが楽だとは今でも思うんですけど。筧さんにはほんとのこと話せて、それがすごく幸せだった」
「……うん」
「筧さんと一緒にいたい。って気持ちは、ごまかしたくない。でも、筧さんにはそれはもううざいのかなって怖くて。あなたのことは忘れましたって、嘘ついてるほうがいいのかなって」
「そんなことないよ。それは勘違いされたままじゃいけないと思う。ほんとのこと、伝えにいってみたら」
私は鎬樹さんを見て、鎬樹さんは笑みを作ってくれる。私はうつむいて、ほんとのこと、と反芻して思った。
本当のことを伝えて、いまさら伝えにいって、迷惑ではないだろうか。いや、もしかして、今だから受け入れてもらえるかもしれない。時間が私たちを引き合わせてくれるかもしれない。
筧さんだけには嘘はつきたくない。嘘をつくよりは、本当の気持ちを伝えたい。
あなたのことが今でも好き。
あなたのことがずっと好き。
その夜、終電はまだ大丈夫だとケータイで時刻を確認していると、きーちゃんが〈まろん〉にやってきた。店内に私と鎬樹さんを見つけると、「あー、もう、逃げてきた」とぶつぶつしながらテーブルに近寄ってくる。鎬樹さんと私は噴き出し、どうやらあんまり良い想いをしなかったのを察していると、そのきーちゃんに誰かついてくるのに気づいた。
「誰?」と鎬樹さんが訊き、「俺をあんなとこに引っ張り出した奴」ときーちゃんは艶やかなロングヘアのその女の人の腕を引っ張る。私と鎬樹さんは顔を合わせた。きーちゃんを同窓会に引っ張り出した、というと──
確かにクールビューティの女の人は、きーちゃんの隣に並ぶと「初めまして」と私たちに挨拶した。「冬乃だよ」ときーちゃんは鎬樹さんの隣に腰を下ろしながら面倒そうに言い、私と鎬樹さんは思わず色めいてしまった。
お盆が明けて、私は週末の土曜日まで悩んで過ごした。このままじゃ、ゆっくり〈まろん〉にも行けない。そう感じて、日曜日に思い切って家を出た。
財布に入れっぱなしの名刺を見直して、会えたら連絡はしよう、と思いながら電車に揺られて久しぶりの駅で降りた。初めて来たときのように胸の中がざわついて、口の中が乾く。自分の息遣いが耳障りに感じられ、胸を抑えてそれをこらえながら、私はその建物を見上げる。
怖い。でも、やっぱり嘘はつけない。震えそうな足元をしっかりさせると、私は中へと歩き出した。
「あー、その人は何年か前にお勤め終えていったねえ」
私がここに通っていた当時はいなかった気がする、なごやかな感じのおじいちゃんの職員さんは、私が筧さんの名前を出すと確認するまでもなくそう言った。「え」と言ったきり私が言葉を失うと、職員さんは「今までのことは捨てて、一からやり直したいって言って、ご家族とね」と目を細める。
「ここにいたにしては、ずいぶん物腰柔らかい青年だったからねえ。よく憶えているよ」
ふと、受付の背後にあった電話が鳴り出した。「ごめんねえ」と言った職員さんは、その電話のほうへ歩いていく。でも、私の頭の中にはそのベルが響いて、消えなくて、揺り返す鐘の音のようにがんがんした。
今までのことは捨てて。私のことも?
一からやり直したい。戻れる場所はあるのに?
ご家族と。何も分かってくれない人たちなんでしょ?
嘘だ。嘘ばっかり。何でそんな嘘だけ残して消えてしまうの!?
どうしてだろう、それを本音だと思って、私も彼を忘れてしまえれば楽なのに。絶対に嘘だと分かってしまう。だって、嘘じゃなかったら、私との出逢いもろとも幻だったことになる。そして、そんな予定調和、あるわけない。
あの人は確かに傷ついていた。私はそれを知っている。だから、彼が家族の前で嘘をついたとはっきり分かる。
嫌だよ。嘘なんかやめてよ。嘘をつくなんてひどいよ。せめて本当の言葉を残してよ。私を迎えに行く、なんて夢みたいな言葉じゃなくていい。
ただ、家に帰りたくないって、初めて逢ったときみたいに、その傷にだけは嘘をつかないで。嘘をつくよりは、本当の言葉で助けを求めてよ。
ねえ、じゃないと私、あなたに会いにいけない。こんなにあなたを愛しているのに、会いにいけないよ。
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