ガーリィボーイ【1】
高校のとき、好きだった奴が文化祭で女装をしていた。乗って楽しんでいるようではあったが、無論好きでやったわけでなく、女装メイド喫茶なんてものがクラスの出し物だったからだ。
自分が女の子にときめくことがないことは、すでに知っていた。でも、男を好きになったところで、打ち明けたりする勇気なんか出なくて。人並みに好きな人と親しくなってみたかったけど、想いを受け入れてもらう自信も、並んで歩いてもらう度胸もなかった。
男と男で手をつないで歩くのは、キスするのは、セックスは、やっぱりおかしいだろう。好奇と軽蔑の目で見られる。できない、絶対、そんなこと。人目が怖い。
でも、その文化祭でメイド役を逃れた裏方の野郎共は、メイド役になってしまった野郎共に、悪乗りでかなりセクハラをしていた。抱きつく、腕を組む、あろうことか頬にキスまで。
メイド役のほうも「やめろー」だの「ホモ共ー」だのとけっこう笑っている。男子校だったし、若干感覚が麻痺していたのかもしれない。
「メイドさん、写メとかっていいですか?」
客の女の子が言い出したことから、急遽、写真撮影が無料オプションになった。夕方になって客が引いたら、今度はクラスメイトたちが「雄姿を残す」とか言ってメイド役の写メをたくさん撮った。さりげなくそれに混じって、俺は片想いするクラスメイトの女装すがたを手に入れた。
夜、何枚か撮れたその写メを見ながら、当然のごとく、マスターベーションをした。
女の子。女の子のすがただけど。男なんだ。こいつは、俺が、同性だから触れてはならない、それでも好きな奴。
好き。好きだよ。くそっ。俺も騒ぎに混じって触ってしまえばよかった。この軆に触れる、もう二度と訪れないチャンスだったのに。
触りたい。欲しい。こいつとキスとかセックスとかしたい。せめて手をつないで、恋人として街を歩きたい。
一応女の子のすがたをしているのだし、もしかしてギリでセーフだったりしないか? 男が好きだけど、男と並ぶ勇気がないなら、女の格好をした男を好きになればいいんじゃないか?
そんな極論を抱きはじめながら、高校を卒業した。ケータイの中にいるあいつとの接点は、結局ろくになかった。大学時代は平凡に過ぎ去り、受かったときに感動するほど苦労することもなく、就職も決まった。
好きなのは音楽を聴きながら小説を読むことなのに、俺を採用したのはアパレルブランドの会社で、しかも営業に配属された。
「お前、入社面接で女の子の服を見るのが好きだって言ったんだろう。男なんて彼女や女房のウィンドウショッピングには飽き飽きするのになあ。女の子たちの彼氏目線で仕事してくれるよう、役員も期待してたぞ」
最悪じゃねえか。
新歓二次会のクラブで酔っぱらった上司に言われて、なぜこの会社に受かったのかよく分からなかった俺は、種明かしにうんざりしてしまった。
女の子の彼氏って。俺、ゲイだし。女の子の服を見るのは確かに好きだ。でも、着てほしいのはそれで街を歩けるほど、限りなく中性になった男なのだ。
「なあ、お前だからな、まだまだ新人だけど営業の穴場を教えてやろう」
役員に期待されるらしい俺に取り入りたいのか、それとも酔いすぎて気分がいいのか、その上司は談笑する周りに紛れてそんなことを言ってきた。
おろしたてのスーツの肩にかかる息が、かなり酒臭い。
「オカマだ」
「はっ?」
「こういう店の女も悪くない。でもやっぱり女は小賢しいな。逆に俺たちの財布を狙ってくる。それで飲みすぎて、カミさんに怒鳴られて、娘には嫌悪される……」
「はあ」
「その点、オカマはいいぞ。自分を女に見せるために金を惜しまない。それに、女としてあつかってやるだけで上機嫌になる。オカマの店のママでも味方につけておけ。いざってときは、うちのブランドの服なんて、そりゃあどっさり買ってくれる」
俺は引き攣った笑みを浮かべながらうなずきつつ、いきなりえぐい情報を仕込まれた気がした。
でも、分かる気もした。オカマ──もとい、ニューハーフの店か。女装、とは違う世界だ。ゲイとして惹かれるものはなかったけれど、営業にはもちろんノルマがある。俺は、生き残るために夜には歓楽街を歩くようになった。
ネットで調べて、口コミのあった店を思い切って訪ねたのを皮切りに、どんどん人脈を作っていった。初めの店に、この街のニューハーフのクラブやバーだけに目印をつけた地図がチラシみたいに置いてあったのも助かった。こういう街は蜘蛛の巣のようにつながっていて、一見さんお断りの店でも、他店のママにクチを利いてもらえば、俺でも踏みこめるようになっていった。
「篠木くんって、もしかして好きなのは男のほう?」
入社して三年目、二十五歳になった頃、中でも親しくなって実際俺を通して服を社からたくさんおろしてくれるクラブのママが、突然そう耳打ちしてきた。
仕事だと思って、歓楽街でも営業中の顔をしている俺だが、さすがにぎょっとした。するとママは笑って、「やっぱりそっかあ」と俺を肩をばしばしとたたいた。
「あたしたちにぜんぜん興奮してないし、でもすっごく女として接してくれるし。何かそんな気がしたわ」
「うわー……誰にも言わなかったのに。ママと俺の秘密ですよ」
「秘密にできてるかしら。気づいてる子が多そうだわ」
「マジですか」
「たまには息抜きに男の店に行きなさいよ。抜いてないでしょ?」
「う……」
「いい店、紹介しましょうか? ここは多いわよ、ゲイバーも」
スラックスの上で膝を握りしめた。
もしかして。もしかしてこの人になら、初めて打ち明けて話していいんじゃないか? ゲイであることはもう知られている。でも男を好きになるのが怖い。まるで逃げるように、女の子の格好をした男が対象になっている。
「ママ」
「うん」
「俺、男と歩くのが怖いんです」
「怖い」
「そんな勇気、俺にはない。だから、お……女の子の格好をした男が、いつのまにか好きなタイプになってて」
「それは、オカマではないわね」
「そう、です。でも、ゲイで女装してるってあるのかな。そんなの、都合い──」
「バッカねえ。たくさんいるわ。そういう店だってあるわよ」
「マジで!?」
がばっとうなだれていた顔を上げると、ママはにこにこして、「OK」と俺の頭に大きな手を置いた。
「今度同伴してくれたら、ここに来る前に、知り合いのいいお店に連れていってあげる」
「いいんですか」
「もちろん」
「じゃあ──お願い、します」
「同伴を忘れないようにね」
「分かってますよ」
「いつもよりいいもの食べさせてよ?」
「……ほんっと、そういうの女ですね」
ママは楽しそうに笑って、俺の頭をぽんぽんとして、でも不意にぐっと肩を抱いてきた。香水が至近距離で揺れる。
ママはまじめな声で、「誰にも言えなかったのはつらかったわね」と俺の耳元でつぶやいた。俺はママの化粧された顔を見つめた。急に視界が緩んだ。瞳からこぼれるのを感じた。そしてその水分が止まるまで、「よしよし」とママは俺のスーツの背中を力強くさすっていてくれた。
そして、ママに紹介してもらったその店に、俺が恋い焦がれることになる彼はいた。
初めてそのすがたを見たとき、ここまで理想的な中性がいるのかと思った。手術までしたニューハーフよりも、はるかに女の子にしか見えない。しかし目つきや仕草はぞんざいで、同時に確かに女の子ではないのだ。
その店のママに挨拶したり、ボックス席に案内されたりしながら、俺があんまり彼を目で追っているので、ホステスが外れた隙にママが苦笑しながらカウンターにいた彼に声をかけてくれた。「えー」と彼の開口一番は、面倒臭そうなちゃんと声変わりした声だった。
「俺、今日は客として飲みにきてんのにさー」
ピンクやホワイトのパステルカラーのふんわりした女の子の格好をしているのに、その口調って何なんだ。俺のストライクに蹴りこんでくる。
「職場に飲みにくるの? 仕事熱心の一種かしらね」
「どうせ家にいたって、親父もお袋も俺にいらついてっからなー」
言いながら、彼はカウンターのスツールを降りて、茶色のベロアシューズで歩み寄ってくる。
ちょうど戻ってきたホステスは、彼に目配せされて、「じゃあよろしく」と言うと別の席に行ってしまった。
「じゃあ、一緒に飲むだけ。お酌とかはしない。それでいい?」
「いいかしら、篠木くん」
「あ、はいっ。ぜんぜん、あの、……ありがとうございます」
「あら、もしかしてあたしはお邪魔かしら」
「いや、八重ママはお酌係として必要だよ」
「やだ、失礼ねえ。篠木くん、こちら𣜿ちゃんっていうの。かわいいでしょ?」
こくこくとしながら、彼が俺の隣に座るのを見つめる。彼は俺と目を合わせると、にっこりとした。脳で炭酸がはじける気がした。
「初めまして、𣜿です」
「𣜿……さん」
「確か、本名が譲なのよね?」
「うん、そお。で、歳は二十歳です」
「永遠の?」と笑ったママに、「リアルに二十歳だよ」と譲くんはちょっとむくれる。
「じゃあ、今度成人式なのかしら?」
「そうっすね。振袖着てえ」
「着ちゃいなさいよ」
「男に振袖レンタルしてくれんのかなあ。着つけも分かんないし」
「翠夜ちゃんがやってくれるんじゃないかしら」
翠夜さん、というのはこの店のママの名前、だった気がする。すでにこの子しか見えていなかったのでよく憶えていない。
「ママはしっかり着つけ代取りそうだしなー。あ、それで、篠木さんね。お歳は?」
「えっ。あ、えと──」
せっかく話題を振ってもらっても、あまりに心臓がどぎまぎしていて、ろれつがまわらない。それを汲み取ったママが、俺の年齢や仕事を紹介してくれた。
自分の水割りを飲みながら聞いていた譲くんだったが、俺が勤める会社のブランド名が出た瞬間、「マジで!?」と急に瞳を輝かせてグラスを置いた。
「わあっ、俺、そこのワンピースがすっごい好きでさ。レースのセンスがいいよね。でもサイズ合わないのも多くて。えーっ、篠木さん、サイズ展開してよー」
それは開発の奴に言わないと意味がないのだが、完全に舞い上がっていた俺は、とりあえずうなずいてしまった。「やったあ!」と譲くんはさっきよりも無邪気な笑顔を見せてくれる。
やばい。これはやばい。このままでは惚れてしまう。
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