僕らの恋はうまくいかない-21

首輪で縛って【2】

「俺のまかないだけど、あげるよ」
 僕はクラブサンドを見つめた。レタス、分厚いハム、チーズが少しはみだしている。
「い……いいんです、か」
「ゴミ荒らすのやめてくれるなら」
「………、ここのパンの耳おいしいから」
「じゃあ、パンの耳あったら残しておくから。ふくろ破って漁るのはやめて」
 僕はその人の黒い瞳を見つめてから、クラブサンドを受け取ってラップをちぎってそれにかぶりついた。味が新鮮でおいしかった。「おいしい」と僕が鼻をすすって言うと、その人はうなずいて咲ってくれた。それが、同い年くらいと思ったけど、五歳も年上だった希音さんだった。
 それから、希音さんはパンの耳が廃棄に出ると、お皿の上に残しておいてくれるようになった。僕はそれを目当てに〈まろん〉の裏に通った。
 僕は希音さんに、本名の「和美かずみ」でなく、「なごみ」という“和美”の別読みである売りのときの名前を名乗った。希音さんも、その名前は本名でなくペンネームなのだそうだ。「ペンネーム」と僕が首をかしげると、「小説書くから」と希音さんはちょっと照れながら言った。「作家さんなんですか」とまばたきをすると、「まだぜんぜん、プロとかではないよ」と慌てた様子で希音さんはつけくわえる。
 小説。それでもすごい。僕なんか、行き当たりで売りをして、ほとんど家に帰れず食いつないで、何のために生きているのかも分からないのに。それを言うと、希音さんは「俺はただの平和ボケだよ」と肩をすくめた。
 希音さんが僕にパンの耳を残して与えてくれていることを、オーナーさんはよく思っていないみたいだった。希音さんが僕と話してくれていると、オーナーの綺麗な女の人は、顔を出して希音さんを引っ張っていってしまった。
 僕のせいで希音さんが怒られているのだろうか。そう思うと話相手になってもらうほど申し訳なくなって、僕はまた売りの回数を増やしてなるべく自分で食べるように努めた。それでも、うまく客がつかまらなかったりして空腹で胃がきしむと、〈まろん〉の裏を覗いてしまう。パンの耳があると、僕はそれを大事に食べた。
「あ、なごみくん」
 蝉の声は消え入っても、まだ残暑が厳しい頃、その夜は〈まろん〉の裏にパンの耳がなかった。軆がひどく汗まみれだから、食事かコインシャワーか迷ったので、ここに何かあればと思ったのだけど。客捕まえたらモーテルのシャワー浴びれるかな、とも考えていたとき、突然、希音さんの声がしてはっと顔を上げる。
「あ……、」
「今日何にもないや。ごめん」
「い、いえ。すみません」
「お腹空いてる?」
「………、ちょっと、稼げばいいから」
 希音さんの目に心配が灯る。
「あんまり、売りとかしないほうが。病気とか、正直何も分かんないんでしょ」
「別に、死んでもいいし。生きてても、……迷惑だから」
「オーナーもさ、廃棄とか食べられてるから機嫌悪いけど、なごみくんが客として来たらきっといい人だって分かるよ」
「僕、とか。何か、汚いし」
「そんなことないよ。今度から、腹減ったら店の中入ってきてみなよ。金がないなら、俺おごるし」
「えっ、でも」
「ただ、代わりにさ」
「は、はい」
「なごみくんのことを、いつか話して聞かせてよ」
「僕の、こと……?」
「話すのつらいと思うけど、俺はなごみくんがどうやって生きてきたか、どんな想いをしてきたか興味あるんだ」
「どう、して」
「んー、まあ、小説に生かせそうだから」
 僕は希音さんを見つめて、「僕の人生なんか」とうつむいたけど、「なごみくんはすごく頑張って生きてるよ」と希音さんは言った。頑張って、生きている。頑張って……。息苦しさがこみあげ、視界がじわりと滲む。
 殴られて。蹴られて。迷惑だと、死ねと言われて、僕なんか生きてる価値がないのに、ずうずうしく生きているのだと思っていた。
 違うのか。僕はそんな中で、頑張って生きているのだろうか。
「まあ、このまま廃棄食ってたら、ほんとにオーナーが切れるかもしれないしさ。今度は、表から入ってきてみなよ。いいんだよ、堂々と入ってきて。俺の友達なんだしね」
「友達……」
「そう。友達」
 希音さんは微笑んでくれて、僕はいよいよ泣き出してしまう。希音さんは僕の肩をたたいてくれていた。
 それから数日後、僕は勇気を出して〈まろん〉に表から入ってみた。希音さんがいなかったらと思ったけど、さいわいホールの中にすがたがあった。ほっとして力が抜けたところを抱き止められて、テーブルに通された。
 僕はいつぶりか知れない温かい食事を取った。まろやかな香りのホワイトシチューを持ってきてくれた希音さんは、「何かつらいことがあって、あったかい飯が食いたくなったらいつでもおいで」と言ってくれた。
 それでもやっぱり、食事を全部おごってもらうのは申し訳ないから、僕は売りはやめなかった。それを希音さんに返すと、複雑そうな顔をされたけど、「大丈夫ですから」と無理やり受け取ってもらった。
 家には、なるべく寄りつかなかった。金を持って帰ると、全部借金に当てるためにむしりとられてしまうのだ。それでも、部屋を借りたりする余裕も知識もなかったから、着替えを取りに行かざるをえなかったりもしたけれど。
 どんどん空気が冷たくなって、風に身がすくむようになる。雨が少しぱらつく日もあったけど、そんなにひどい秋雨もないまま、冬が始まった。
 急に寒くなって震えがひどくて、昨日は上着を取りに家に帰ってしまった。もう働きすらしていない様子の父に、案の定持ち金は剥ぎ取られ、僕はパーカーとジップアップをつかむとすぐ飛び出してきた。
 また誰か捕まえないとなあ、と夜の街に出て、路地裏から目が出逢う男を探していた。人混みが騒がしくなってネオンが降りそそいで、着こんだジップアップの合わせをつかんで、いったん目を伏せ、冷えこみに白い息をうっすら吐いていたときだった。
「いくら?」
 慌てて顔を上げた。涼しげな顔立ちの男が目の前で立ち止まっていて、首をかしげていた。別に僕みたいなのを買わなくてもよさそうな綺麗な人だったから、ぽかんとしてしまった。すると、その人は僕の肩に手を置いて、顔を覗きこんでくる。
「早くあったまったほうがいいんじゃね? 唇が変な色」
 そっと唇に触れられてどきっとして、よく分からないままうなずいてしまっていた。するとその人はにっこりして、僕の肩を抱いて歩き出した。慌ててその歩調に合わせる。その人が僕のことをけっこう抱き寄せるから、僕はその人にくっついて歩いた。
「名前は?」
「……なごみ」
「癒し系なんだ」
「そういうわけじゃないけど」
「でもかわいいよ」
「あ、ありがとう」
「俺は頼斗らいと。俺の家でいい?」
「うん。どこでも」
 家なんて言っても、どこかのアパートの一室だろう。そう思っていたら、頼斗さんは僕を電車に乗せて、知らない駅にまで連れていった。
 しかもそこからタクシーに乗ったので、帰り道に不安になりながら窓の外を見ていると、タクシーは大きな家や屋敷が多い住宅街の中に入っていく。さすがに怖くなってきて、「帰りが分からないよ」と言うと、「また送るから」と言ってもらえた。本当かどうか怪しくても、そう言われたら一応ほっとするしかない。
 やがて到着したのは、見上げる黒い門のある館だった。タクシーが行ってしまって、僕がおろおろしていると、頼斗さんは僕の手を握った。頼斗さんの焦げ茶に染められた髪がさらさらとなびく。それを見上げていると、頼斗さんは暗証番号を入力して門を開け、僕の手を優しく引っ張った。
 手入れされた庭の中の小道を歩いて、今度はカードキーで玄関を開ける。「入って」と言われ、おずおずと踏みこむと大理石の城垣町の豪華な玄関があって、茫然とたたずんでしまう。
「ら……いと、さん」
「呼び捨てでいいって」
「………、お、お金持ちなの?」
「親がな」
「頼斗、は、何してるの」
「俺は親父に何かあったとき、社長を継げばいいだけなんだってさ。だから、今は何にもしてない」
「今いくつ?」
「二十四」
「いきなり社長さんになるの? 仕事分かるの?」
「どうせ、今だってお飾りの社長だからな」
 僕との手をほどいて、頼斗は社長の息子とは思えないぼろぼろのスニーカーを脱いで、「ほら」と僕を続かせた。僕は慌ててうなずいて靴を脱ぎ、ふかふかのドアマットに上がる。
 中に人の気配はあるけど、さすがに出迎えとかまではないようだ。玄関の正面にカーペットの敷かれた広い階段があって、僕たちはそれをのぼっていく。
 二階にはドアがたくさんあった。その中のひとつのドアを頼斗は鍵をまわして開けて、ドアを閉めると明かりもつけずに僕を抱きしめてきた。
「すごい細いな。ちゃんと食べてる?」
「……たまに」
「あとで飯も食わせてやるよ」
 頼斗が顔を覗きこんできて、それを見つめ返すと、唇が唇を食む。舌を伸ばすと濡れた柔らかな熱が絡み合う。頼斗は僕の首に手を添えて上を向かせ、さらに舌をさしこんでくる。敏感な上顎をたどられてびくんと震えてしまい、頼斗はちょっと笑って、右手にあった広いベッドに僕を腰かけさせた。
 そして、キスをするまま僕の隣に腰かけて肩を抱き寄せ、僕の服の中にひやりとした手をさしこんで肌をさする。僕も頼斗の脚のあいだに触れて、そのかたちをこするように指先でたどる。
 頼斗は唇をちぎると、僕の上半身の服を脱がせてシーツに押し倒した。何だか、こういう綺麗というか清潔な場所で抱かれるのは、初めてかもしれない。
 レースカーテンだけの窓から月が射しこんでいて、頼斗は僕の軆の痣に目をとめても、何も訊かずに耳から首筋に舌を絡めた。水音が生々しく響く。同時に乳首を刺激されて、声がもれてしまう。自分の脚のあいだも苦しくなってくるのが分かった。その硬くなってくるふくらみに、頼斗は自分のそれをこすりつけてくる。僕は唇を噛んで頼斗の首にしがみついて、その腰の動きに自分の腰を揺らした。頼斗の息遣いが荒くなって、ふと上体を起こして自分の上半身も脱いでしまう。
 綺麗な筋肉が作られた軆で、その軆を再び重ねて素肌の熱をひとつに溶かす。そして僕のジーンズのジッパーを下ろして、先走って湿った下着の上からつかんでくる。僕は頼斗の軆に抱きついて、頼りない声をもらした。
「なごみ」
「……ん、」
「一緒に舐める?」
「ん、うん」
 頼斗は起き上がって、僕の隣に逆向きで横になった。目の前に頼斗の股間が来て、ちょっと臆しながらもジーンズのジッパーをおろして頼斗のものを取り出す。

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