水鏡に映して-13

彼の好きな人

 二年生のあいだ、あたしと紗琴は同じクラスで、楽しいながら穏やかに過ごせた。
 あのときつらかったと言った修学旅行も、今回は紗琴も楽しそうに参加していた。グループ分けは女子として数えられ、夜はあたしと一緒に特別に先生たちの部屋で寝かせてもらった。さすがに女風呂には入れない代わりに、ひとり時間をずらしてもらい、男子の中に放りこまれることはひかえられた。
 そして、紗琴が直接名前を出すことはなかったけど、すべての首謀者が佐内くんなのも生徒のあいだに浸透していった。佐内くんはいつのまにか学校をサボりがちになって、そのまま来ないのが増えた。
 三学期の学期末試験も終わった頃、紗琴は佐内くんの空席を見て、「初めて見たときのまま女の子だったら、優しくしてくれてた人なのかもしれない」とつぶやいた。そうかなあとか思ったけど、よく考えたら佐内くんは女の子の格好をした紗琴に一目惚れをしたようなものだったのだっけ。
 結局佐内くんの正体ははっきりさせられないまま、三学期が終わり、春休みを過ごして、あたしと紗琴は中学三年生に進級した。
 また同じクラスだったらと思ったけど、やはりそれは都合がよかった。一年生のときでも隣のクラスだったのに、あたしは一組、紗琴は六組、端と端に別れてしまった。もうあたしが目を光らせなくても、だいたいの人が紗琴を事情を知っていて、味方も多い中でわざわざ嫌がらせする人もいないとは思うけれど。
 受験生かあ、と思いながら、新しい三年一組の教室で担任になった先生の話を聞き流していた。三階の教室から、柔らかな青空が望める教室だった。
 話が終わって解散になると、二年から引き続き同じクラスの女の子で自然と集まって、紗琴とクラス一緒が良かったなんてみんなが言う。「今度、紗琴混ぜて遊びに行こう」とか言ってみんなに賛同されていると、「茉莉」といつもの声が聞こえて顔を上げた。
「紗琴」
 入口の所にいた紗琴に、あたしは笑顔になった。ちなみに、紗琴は制服はまだ男子制服を着ている。女子制服を着ていいと言われたそうなのだけど、「何か目立つし」と一年前より骨格とかが出てきた軆に紗琴は哀しそうに咲った。その声も声変わりがあって、目立って低くならなくても、ちょっと響きが高さを失った。
「おとうさんとおかあさんもいろいろ調べてくれてね、診断が出れば、女性ホルモンの注射を受けたり、手術もできるんだって。でも、そういう診断を出すジェンダークリニックが、このへんにはないみたいで。市内で探してもらってる」
 春休み、一緒に例のSNSを退会してから、やっぱりセクマイのところに登録したらと言ったら、紗琴はネットの出逢いに頼るより、家族三人で調べていって頑張ると言った。そして本や知り合いのツテ、もちろんネットも含めてあれこれ手探りする中で、そんなことを教えてくれた。
 ジェンダークリニックというのは、性同一性障害の人の性別変更や改名につながる、カウンセリングや心理検査などを行っているクリニックのことらしい。「そんなとこもあるんだね」と言うと、「早かったら半年くらいで診断出るし、遅いと二年以上もあるって」と紗琴はうつむいた。
「早く、女性ホルモンだけでも受けたいな。二年も経ったら、もっと軆が男になっちゃう……」
 外国ならもっと開放的に性転換できるのかもしれないけど、まだまだこの国では、異端あつかいされるのが実情だ。
 あたしもあたしなりに、ネット検索程度だけど調べてみたりする。そうしたら、国内では全摘出できないとかいう記事を読んでしまって、マジか、と男の子の性器なんてまじまじ見たことがないからよく分からなくても、全摘出じゃないと意味がないよなとそんな情報を紗琴に教えるのは躊躇ってしまう。
 もちろん、ネットにはこれって最新のデータなのかな、という疑問があるから、現在では変わってるのかもしれない。手術を受けられる年齢とかもありそうだよなあ、と予想以上に紗琴の挑戦には根深い現実があるようで、息をついてしまう。
 ──集まって話していたみんなに手を振り、あたしは紗琴と並んで廊下を歩いていく。紗琴は背もまた少し高くなった気がする。顔立ちは繊細で、相変わらず化粧が映えるのだけど。紗琴はあたしを見て、「新しいクラスでね」と首をかたむけた。
「ひと言だけの自己紹介をさせられたんだけど」
「え、もうやったんだ」
「元のクラス言うだけとか、簡単でいいからって。担任の先生はけっこうざっくりしてた」
「そっか。大丈夫だった?」
「うん。ただ、その──」
 言いよどむ紗琴に、あたしはまばたいて首をかしげる。
「何?」
「その、びっくりしたけど、見た感じもそうかなあって……」
「誰かいたの?」
「……うん」
「えっ。まさか、佐内くんじゃないよね」
「それは、大丈夫。その、暮村……くん、って男の子が」
 どきっと心臓が反応して、思わず表情が固まる。
「え……え、暮村くんが、いたの?」
「うん。たぶん。すごく綺麗な人で、一年のときの面影もあったから、そうだと思う」
「……そう、なんだ」
「ごめんね」と紗琴は申し訳なさそうに伏し目になる。
「茉莉は忘れたのかもしれないけど」
「忘れては、ないよ。あ、そういえばお礼言いたいって言ってて、結局チャンスがなくて何にも伝えてないね」
「ん。だから、今からでもお礼って言っていいのかな」
「いいと思うよ。話しかけられそう?」
「今は席が遠いから、分かんない。暮村くん、話してる人もいなかったし」
 ぼんやりとあの話がよみがえる。暮村くんは、友達を佐内くんに不登校にさせられた。それから、離れていかれるのが怖くて、誰とも仲良くせずにひとりでいてしまう──。
「紗琴、が」
「うん」
「紗琴が、話しかけたら、きっと暮村くんは嬉しいよ」
「そ、そうかな」
「優しい人だから、話しかけて大丈夫だと思う」
 一年生のとき、よく目が合うと思っていた。あたしのほうを見ていると思った。けれどきっと、暮村くんはあたしの隣を見ていたのだと察している。好きな人がいる、とも言っていた。紗琴はまだ躊躇っていて、「話してみなよ」とあたしは励ます。
「茉莉は、もう暮村くんと話したくない?」
「えっ。いや、あたしは──」
「いきなり話しかけて、お礼言ってもやっぱ変かもしれないし。茉莉が忠告もらったんでしょ」
「でも、あれは紗琴を想って言ったことだろうし」
「………、あんまり、そんな、話したくないよね。一応、その──失恋相手というか」
 気まずそうに口ごもりながら言った紗琴に、あたしは思わず噴き出す。
「いいよ、そこは気にしてない」
「……でも」
「うーん、じゃあ、あたしと一緒なら話しかけられそうってこと?」
「ん、うん」
「そっか。だったら、ちゃんと協力する」
「ほんと?」
「うん。短縮授業のあいだはゆっくり話せないよね。通常授業始まったら、お弁当持って紗琴のクラスに行くから。そのとき、暮村くんの様子見て話しかけよう」
「ありがとう。よかった、きちんとお礼言いたかったもん」
「そうだね。きっとあの集会も見てただろうし、何とかなったことは知ってると思うけど。切っかけは暮村くんだったって言わないとね」
 紗琴はうなずいて、ほっとした様子で笑みを噛む。そんな紗琴の優美な横顔を見て、でも、と疑問が湧く。
 暮村くんは紗琴が気になっていたとして、それは男の子としてなのだろうか。一年生のときから紗琴を見ていたのだから、女の子だとはそのときは知らなかったはずだ。男の子として恋をされているなら、紗琴は喜ばないだろう。
 ていうか暮村くんゲイだったんだな、とも思いながら、いったん靴箱で紗琴と別れて、靴を履いてまた合流すると、あたしたちはいつもの帰り道をたどった。

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