男の子が分からない
秋葉くんに彼女ができたのは、文化祭が終わったすぐあとの、十一月の頃のことだった。
ほかのクラスの女の子で、文化祭での委員が同じになり、飾りつけを協力していたことで親しくなったらしい。それから秋葉くんは、休み時間はその子のクラスに行ってしまうことが増えた。秋葉くんの背中を見送って、あたしと顔を合わせた紗琴は、あやふやに咲って「こんなものだよね」とつぶやいた。
あたしに想いを寄せられていても気まずかったものの、とっとと彼女を作ってしまうと、男とはそんなのものかと思ってしまう。いや、暮村くんが好きなあたしとしてはともかく、紗琴の想いが完全に断たれてしまったことが心配だった。
かといって、秋葉くんに事情を話し、告白するのも紗琴には大変なことだろう。紗琴の恋はいよいよ行き止まりになってしまったのだ。
チャイムが鳴って、「次も来るね」と残して紗琴がこくんとするのを見届けると、隣の教室に帰った。窓際の席に着いて、数学の教科書を取り出して、先生が来ると起立、礼、着席をする。
窓の向こうでは青空が高く澄んでいた。今年もなかなか暑さが引かなかったけど、十月の中間考査あたりから、やっと涼しくなってきた。
みんなようやく冬服を着始め、先生の声以外静かになった教室の中は、暗色に染まっている。視線を滑らせた先の暮村くんも、黒い学ランになっている。
あたしと暮村くんには、何の接点もなかった。視線が合うのも、心なしか減ってきた気がする。
あたしから話しかけていいのかな、と思っても、こっち見てたよね、なんてもちろん言えない。もともと、視線を投げかけてきていたのは暮村くんのほうだった。話しかけてくれていいのに、と思っても、そんな受け身で動きそうな恋じゃない。このまま見てるだけの片想いで終わるのかなあ、とぼんやりと失恋の気配も感じはじめていた。
急に寒くなった十一月の半ばの放課後のことだった。秋葉くんに彼女を紹介されたと落ちこむ紗琴と別れたあたしは、駅前のスーパーでお菓子をたくさん買った。飲み物は、紗琴はミルクティーでいいだろう。あたしは少し迷ってからコーラにした。エコバッグにつめこんだそれを提げ、紗琴の家を訪ねた。
家族は帰宅していないのか、ドアを開けたのは紗琴だった。案じていた通り、まぶたがちょっと腫れている。
「茉莉──」
あたしはタータンチェックのエコバッグをさしだした。
「やけ食いしよう」
「え」
「たくさんお菓子買ってきた。だから、とりあえず食べよう」
「え、えと……」
「紗琴と食べたいの。ダメ?」
「いい、けど。どうして。何かあったの?」
「んー、まあいろいろ。上がっていい?」
うなずいた紗琴に、あたしは家に上がりこむ。紗琴は玄関の鍵をかけ、少しうつむいて目をこすった。あたしはそれを見つめ、「泣いてた?」と覗きこむ。
「……うん」
「そっか」
紗琴の部屋へと歩いて、ドアはあたしが開ける。紗琴は自嘲気味に嗤った。
「もう、失恋はずいぶん前にしてるのにね。こうなって、さらにショック受けてるなんてバカだよね」
「まだ、秋葉くんが好き?」
「分かんなくなってきた。何かだんだん、彼女ができたことより、彼女ができたら放っておかれてるのが哀しくて。悔しくて」
紗琴の部屋には夕暮れが透けていた。鏡には布がかかり、女の子の服や化粧品はクローゼットの奥に隠してある。
「そう思う自分が醜いなあって思う」
「そう? あたしでもきっとそう思うけどな。それに、秋葉くんの場合は、紗琴よりあたしのそばにいたくなかったのかもしれないよ」
「そんなこと」
「だって、振ったんだし」
「………、茉莉は悪くないんだよ。ごめんね」
「ううん。よし、じゃあ何食べようか」
フローリングに座りこんだあたしたちは、床にお菓子を広げる。アーモンドチョコ、ポテトチップス、バタークッキーにサラダせん──
「全部食べてたら太りそう」
「いいの。あたしも今、食べたかったから」
「茉莉も何かあったの?」
香ばしいうすしお味のサラダせんをぱりっとかじって、あたしはうやむやにうなずいた。
「ダメかなあって最近思うんだ」
「ダメって」
「頑張るって言ったのにごめんね。でも、どう行動すればいいのか分かんない」
「……暮村、くん?」
「うん。このままクラス替えとかでフェードアウトして、失恋かもしれない」
「目は合うんでしょ」
「減ってきたかな。なくなってはない」
「話聞いた感じでは、茉莉のこと気になってるみたいだけど」
「あたしもそう思って話してたからなー。でも、何か、思い上がってたかも」
「話しかける切っかけがあればいいのにね。席替えとか」
「うん──。はあ、お互いうまくいかないね」
「そうだね」と紗琴はうなずいて、「だから、一緒にやけ食い?」とあたしを見てくすりと咲った。あたしは口の中をもぐもぐとして、飲みこんで首をすくめる。
「ひとりで食べても虚しいしね」
「そっか。うん、そうだよね」
「ごめんね、つきあわせて」
「ううん。ひとりだと泣いてるだけだからよかった。チョコもらっていい?」
「もちろん。ミルクティーも買ってきたから」
「ほんと? ありがとう」
そう言う紗琴は、包装を開いた箱からアーモンドチョコをひと粒頬張る。お菓子を食べて、おいしいものを飲んで、何を考えているのか分からない男の子のことを話す。そうしているうちに、何だか沈み気味になっていた気持ちも持ち上がって、咲えるようになってきた。こういう時間の過ごし方が気持ちをなぐさめてくれるのは、女の子の特権だなあと思った。
その週末、あたしは女の子のすがたになった紗琴と街まで出かけた。相変わらず紗琴はナンパされるととまどい、あたしが助けていた。
服だけではなく、いろんなお店を見てまわった。いい香りが立ちこめる石けんのお店。和風の小物が集まった凛としたお店。タトゥーシールやアクセサリーがきらきらしたお店。ロリータのお店なんかもあって、紗琴は熱心に服や靴、バッグを見ていた。
「紗琴、甘ロリやってみればいいのに」
「そこまでお金がないよ。けっこう高いんだから」
「そうなの?」
「ワンピースだけで三万円したりするよ」
「マジか。でも、紗琴のロリータ見てみたい」
「茉莉もゴシックパンクとかしないの?」
「んー、そこまで本格的にパンクじゃなくていいかも」
そんなことを話しながら、電車に乗って地元に戻る頃には、すっかりあたりは暗く冷えこんでいた。
夜道はあたしより紗琴のほうが危ない。団地までふたりで急ぎ、紗琴は地上から家に明かりがついていないことを確認すると、「じゃあまたね」とあたしに微笑んで棟に入っていった。
それを見送ったあたしも自分の家に帰宅し、急に隣に話相手がいなくなった反動にしばらくベッドでぼんやりしたあと、着替えるついでにシャワーを浴びた。
月曜日になると、いつも通り紗琴と一緒に登校した。かったるそうな制服の集団に挨拶が飛び交う中、体温をさらう風に冬の匂いも感じていた。
そんなとき突然、「おい、聖園茉莉」とどこからかフルネームで呼ばれた。ぜんぜん知らない声にきょろきょろすると、制服の中から金髪を伸ばしっぱなしにした、ひとりの男子が背後に現れてくる。
誰、と思って一瞬紗琴と顔を合わせると、彼は紗琴を一瞥してから、またあたしに目を戻した。
「聖園で合ってる?」
「え、まあ。はい」
「けっこう前から気になってたんだけど。あんたがたまに連れまわしてる女って、何者だ?」
「はっ?」
突然の話題に面食らうと、彼はその反応が焦れったそうに腰に手を当てた。
「あの、お嬢様っぽい女。学校にはいないよな。校外の奴? 高校生? 小学生ではないだろ」
たたみかける質問に、あたしはまた紗琴を見た。紗琴ももちろん思い当たった様子で、少しおろおろした表情を見せる。あたしはさりげなく紗琴をかばって、その男子を見上げた。
「あ、あの子がどうかした?」
「いや、かわいいから女にしたいんだけど」
ぽかんと彼を見た。
何。何をいきなり言い出すのだ、こいつは。照れる様子もなく涼しい顔をしている。
隣の紗琴は固まっている。
「いや、たぶんあの子はあなたとか──」
「あんたの意見とかいらねえ」
脱色の髪をかきあげて眇目で言われ、思わず詰まる。
「俺は一年二組の佐内。あの女に、俺のこと話しといてくれよ」
「何であたしが、」
「あんたと一緒にいるとこしか見たことねえからだろ。じゃ、よろしく」
言い捨てた佐内くんは、ずかずかとあたしの脇を通り過ぎていった。一年にしてはがっしりした肩幅や広い背中、高い身長を見つめる。
「茉莉」と心細そうに名前を呼ばれて、はっとして紗琴を見る。
「あの、女の子って……」
「……だよ、ね」
暗に肯定すると、紗琴は複雑そうにうつむいた。
あの金髪。あの眼つき。不良そのものの男が、なぜ可憐なタイプの紗琴に目をつけるのか。もっとビッチな奴いるだろ、と思っても、大昔からのパターンのような気もする。
「どう……する?」
「ど、どうって」
「気づいてはなかったけど」
「………、あんまり、茉莉以外にばれたくない。まだ」
「そっ、か」
「何か……怖い、し」
「あの人が?」
「あの人も。……ばれるのも」
紗琴は手提げの持ち手をぎゅっと握る。「じゃあ」とあたしは努めて明るい声で言った。
「あたしが何とかごまかすから。大丈夫。気にしないで」
「ご、ごめんね、何か」
「いいの。そうだよね、あんな奴よく知らないんだし」
「話したら、いい人なのかもしれないけど」
「そうかな。何か感じ悪かったよ」
話しながら流れに合わせて歩いていると、校門が見えてくる。
すると、毎朝校門付近に何人か立っている先生たちのひとりが、問題の佐内くんを捕まえて何か言っていた。紗琴も気づいたようで、その様子を見守る。少し何か言われた佐内くんは、いらついたように首を振って、事もなげに先生を振りほどいて校舎に向かっていった。
あたしと紗琴は目を交わした。何か面倒な奴が出てきたね、という所感が通じ合った。
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