知られる秘密
クリスマスイヴは、紗琴と過ごした。どこかに出かけたかったけど、佐内くんがどこで見かけていて声をかけてくるか分からない。紗琴がすっかりそれに萎縮してしまって、結局一緒にあたしの家にいた。
紗琴の両親は、明日が休みだそうで、明日はあたしが紗琴の家で過ごす予定だ。おかげで毎年、ケーキは二種類食べられる。
二学期のあいだは、佐内くんがちょくちょく話しかけてきた。「興味ないって言ってたよ」とあたしが言っても、直接話すまで納得する気はないらしい。
紗琴も気にして、「あの格好して話したほうがいいのかな」と言うようになってきた。あたしは首を横に振る。たぶん、紗琴は怯えてしまってつけこまれるだろう。もちろん「紗琴が話したいなら」とは添えて、それを言うと紗琴は首をかしげる。「茉莉に迷惑かけたくない」とぽつりと言った紗琴に、「あたしは平気だから」と紗琴の肩をとんとんとした。
困ったようにうつむく紗琴は、身長があたしよりちょっと高くなってきていた。
ケーキやチキンを食べたあたしと紗琴は、そのままこたつで眠りそうだったけど、大学生のあたしの兄貴がひとり暮らしのアパートから帰ってきて、テーブルはまたにぎやかになった。
「相変わらず、さーちゃんはマツよりかわいいなあ」と柚季兄は紗琴の頭を撫で、「マツってやめてくんない」とあたしは柚季兄を睨む。紗琴は柚季兄に照れ咲いして、「ありがとう、ゆずにいちゃん」とはにかむ。
そのうち、おとうさんとおかあさんが柚季兄に構いはじめたので、あたしと紗琴はもこもこのマフラーやフリースジャケットで防寒し、「雪降らないかなあ」とか言いながらベランダに出た。
暖房がぬくぬくする家の中との温度差にびっくりする。雪は降っていないけど、濃紺の空にくっきり月が輝いている。向かいの棟の部屋には明かりがいくつも灯っていた。空気は引き締まって冷えていて、軆の感覚は痛み、やがて動かないほど痺れていく。ゆらりと流れる息は白く、テレビの音やにぎわう話し声がどこからかもれていた。
「寒いね」とつぶやくと、「うん」と紗琴は手すりを前膊を預けて顎を埋める。
「今日はごめんね」
隣で天を仰いだあたしに、紗琴はふとそう言った。
「え、何が」
「出かけたかったよね。なのに、何か、佐内くんが怖いとか言って」
「ああ。いいよ。どっちみち街出たってカップルばっかりだし」
「……うん」
「それに、どんな格好してても紗琴は紗琴。一緒に過ごせたからそれでいいよ」
「そっか。ん、ありがと」
背後の明かりがあっても、望む景色はさほど明るくない。闇に鮮明な月を見つめた紗琴は、「秋葉くんは彼女といるのかな」と小さな声で言った。
「どうだろ」
「いるよね、きっと。終業式話したけど、うまくいってるみたいだったし」
「まだ、好き?」
「クラス変わるまでは、たぶん。忘れたくても、視界に入ってくるんだもん」
「そっか。あたしも暮村くんのことすっきりしてないな」
「クラス変わる前に、ほんと、何もしないの?」
「どうしようかな、って感じ。伝えるだけしてみたほうがいいのかな、とも思う」
「そっちのほうがきっといいよ。変に引きずるより」
「どうやって話しかけようかな。それが分かんない」
「おはようって言うみたいには、無理?」
「『おはよう』って言ったこともないよ」
「……同じクラスっていっても、遠い人は遠いもんね」
「あんまり群れてる人ではないからさ。まあ、確かに挨拶するみたいに話しかければいいのかなあ」
ため息が白く現れては消える。紗琴は少し考えてから、「佐内くんはすごいよね」と急に言った。
「え、あれの何が」
「気になったらしっかり行動してるわけでしょ」
「あたし経由っていうのはどうなんだろ」
「ほんとはいつも隣にいる奴だって、知らないだけでしょ。もし知ってたら、きちんとこっちに話しかけてたんじゃないかな」
「そうかなあ」
「そんなに悪い人じゃないのかも。怖いけど」
佐内くんのことを思い返した。あんまりいい印象はないのだけど、できる範囲で動いて、気になる子に近づこうとしているのは確かだ。あんなのがやっていることが、あたしはぐずぐずできていないのだと思うと、何だか悔しい気もする。
「クラス変わる前には、何かしようかな」
「ほんと?」
「バレンタインとかあるよね。今まで気にしたことなかったけど。むしろバカにしてたけど」
「そっか。バレンタインっていい切っかけじゃない?」
「かなあ。はあ、チョコレートか」
「作るの手伝うよ?」
「えっ、いや、手作りは重いでしょ」
「そうかな」
「恋人でしょ、手作りは。話したこともないのに、いきなり手作りのもの渡されて嬉しいかな」
「………、確かに、ちょっと警戒するかもしれない」
「でしょ。せめて知り合いじゃないと、手作りはたぶんヒカれる」
「バレンタインまでに、ちょっとでも近づいておくっていうのは?」
「ひと月しかないのに。って、何か暮村くんのことになるとネガだな、あたし。あー、佐内くんはほんとすごいのかもね。いきなりあたしに話しかけてきたもんね」
「うん」
「クラスメイトにビビってるあたしって、やっぱダメだなー」
「伝えられるなら、伝えたほうがいいと思うよ」
「んー、分かってるけど」
「ちゃんとした女の子だったら、伝えたかったなあ。秋葉くん」
あたしは紗琴を見た。紗琴もあたしを見て、切なく微笑んだ。
そうだよな、と思った。紗琴は伝える勇気をいくら持っても、きっと足止めを食らう。友達だからじゃない。彼女がいるからじゃない。対象として、見てもらえることはきっとないから──。
「クラス替えまで、前向きに考えておく」
あたしがそう言うと、紗琴はもう一度笑顔になってうなずいた。
さすがに寒くなってきたので、家に入ってこたつにもぐりこむ。柚季兄が紗琴をかわいがるので、「紗琴、泊まっていったら」と言うと、「そうしようかなあ」と紗琴はスマホを取り出した。
そしてメッセでおばさんに許可をもらうと、紗琴はあたしの家族と一緒にクリスマスを迎えて、翌日はほぼ同じ感じで、今度はあたしが紗琴の家で過ごした。
宿題を片づけたり大掃除をしたりしているうちに、大晦日が来た。毎年あたしと紗琴は、年が明けて日づけが変わった頃に、近所の神社に初詣に行く。外はかなり寒くて、ふたりとも帽子もマフラーも手ぶくろもしっかり身につけた。
向かう神社はそんなに大きな神社ではないのだけど、このあたりでひとつの神社だから毎年参拝者が多くて、すごい行列ができる。車でやってくる人もいて、警備員の人が新年から働いて整備している。
あたしと紗琴はざわめく歩行者の道を歩いて、鳥居から神社内に入った。ベビーカステラの甘い香りやたこ焼きの香ばしいソースの匂いがただよい、それ以外にもたくさん出店が並んで、新年の夜を明るくにぎやかにしている。行列をどんどん最後尾までさかのぼり、やっと並ぶと真っ白な息をついた。
「お賽銭のとこまでかなり待ちそう」
「寒いなー。手ぶくろしてても指もう動かない」
「帰り、何か食べる?」
「うん。柚季兄に大判焼き頼まれてるし」
「大判焼きのカスタードおいしいよね」
「あたしは白餡も好きだなー。でも、このいか焼きとかたこ焼きとかの匂いもやばい」
「たこ焼きにしようかな。数買えば、おとうさんたちのおみやげになるし」
「ここまで来る途中に、いちご飴とりんご飴もあったよ。迷う」
「お参り終わったら、見てまわろうね」
「うん。でも、これかなり待つね、ほんと」
ふたりで行列を背伸びして眺めやり、鳥居も見えない位置まで来ていることに、毎年のことながらため息が出る。
周りはカップルや友達連れが多くて、時間帯のせいか家族は少ない。スマホはメッセより話している人のほうを見かける。
紗琴はスマホを見て、「少し来てる」とつぶやいた。あたしのスマホにも着信がいくつかあった。でも指がちぎれ落ちそうに感覚がないので、いじるのはやめておく。
ゆっくり、じりじり、列が前に進んでいく。みんな深夜のテンションで、歓声が上がったり、笑ったり、英語だったり、いろんな声がする。
澄み切った空気が、冷たく軆に浸透していく。
ポケットに用意した五円玉を握って、何お願いしようかなあ、とまだまだ本殿は遠いのに思っていたときだった。
「あ、てめえ、聖園っ」
ヨーヨー掬いの出店の前で、いきなりばしっと右肩をはたかれた。驚いてそちらを見たあたしは、思わず目を開く。そこで黒いオーバーを着こんで立っていたのは、佐内くんだった。
「え、あ──き、来てたの」
「弟がフランクフルトがどうこううるさくてついてきた」
見ると、佐内くんの隣では小学校中学年くらいの男の子が、ケチャップとマスタードのかかったフランクフルトに食らいついている。その子も、髪はすでに黒くなくて茶色だ。
「何か、意外だな」
「は? 何が」
「佐内くんが、弟の面倒見るとか」
「連れてったら親が小遣いよこすっつーから」
「何だ、お金か」
肩をすくめたとき、佐内くんの弟が頬張っていたものをごくんと飲みこんで、「にいちゃん」と佐内くんのオーバーを引っ張った。
「あ? 何だよ」
「すげー美人」
「は? こんなの別に普通だろ」
「違う、そっちの人」
佐内くんの弟はあたしの背後を覗きこみ、あ、とあたしは紗琴を見た。紗琴はあたしの陰に隠れようとしていた。が、弟に指さされて怪訝そうに首を伸ばした佐内くんは、紗琴がそこにいることに気づいてしまった。もちろん、「あっ」とあたしの腕をつかむ。
「ちょっ、あんた──」
「無理だからっ」
やばい。どのみち、今気づかれるのはやばい。紗琴は今、男の子の格好をしている。でも、私服だから女の子にも見えてしまう。ここを見られたらややこしい。
「無理って何だよ、話させ──」
「無理なの、この子、ほんと人見知りだし。佐内くんとかないから」
「てめえが決めてんじゃねえよ。退けよ」
「そういう強引なところやめてくれないと退けない」
「なあ、あんた! 俺のこと、この女に聞いてるよな?」
「だーかーらっ」
佐内くんは邪魔なあたしを引っ張って、紗琴の隠れる場所を奪った。ヨーヨー掬いの暖色の照明が当たって、紗琴はびくんとすくむ。「あー」と佐内くんの弟がフランクフルトを噛みちぎりながら言った。
「違った。男だった」
佐内くんは弟を見た。それから紗琴を見て、最後にあたしを見た。
最悪、と思った。紗琴は黙りこんでうつむき、今にも泣きそうになる。
佐内くんの力が緩んだので、あたしはその手をはらって紗琴をかばった。佐内くんはもう一度紗琴をよく見て、「マジか?」とあたしを見た。
「そいつ、いつもお前にくっついてる彼氏じゃん」
「彼氏じゃないよ」
「何で──。いや、でも、あの一緒に歩いてた美少女だよな? はあ? どうなってんだ」
「あのね、そこはもう深く考えずに、」
「その人、オカマ?」
佐内くんの混乱に反して、弟のほうが妙に冷静に訊いてきた。紗琴があたしの手をつかむ。佐内くんは弟を見下ろし、眉をひそめて紗琴を見た。
何か言う、と思った。構えた。
列の前後の人がちらちらあたしたちを盗み見ている。
だが、佐内くんは何も言わなかった。ふうっと息をついて、「帰るぞ」と弟をうながした。弟は何度もあたしたちを振り返ってきたけど、佐内くんは絶対かえりみなかった。
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