オーロラソース-2

「キス」
 俺がそう言って顔を上げると、時雨は優しく俺に口づけて、それを掻き破るように俺は時雨の舌に舌を伸ばす。熱い。唾液が流れこんでくる。時雨も俺の激しさに応えながら、ぎこちなく軆をまさぐってくる。
 服の中に手をさしこみ、肌をさすって骨をなぞり、乳首をこする。俺は時雨にしがみついて喘ぐのをこらえ、ゆっくり腰を時雨の腰にすりつける。時雨はキスをちぎると、ひざまずいて俺のものをあらわにした。硬くなりかけているそれを時雨は口に含み、強く反り返らせていく。俺は時雨の髪を撫で、甘いため息をもらして腰を揺する。
 気持ちいい。でも、女の軆だったらもっと気持ちいいのかな。女の快感のほうが鋭敏というのは本当なのだろうか。女の軆で抱かれたい。軆。それは弓音は持っていて、俺は持っていない、絶対的な差だ。俺も、心のままに軆も女だったら──
 びくんと軆が脈打って、俺は射精した。どくん、どくん、とこぼれる精液を時雨はあまさず飲んでしまう。それから俺を見上げてくる。俺は手を伸ばし、時雨の口元の白い液体を指でぬぐった。自然に時雨はその指についたものも舐め取る。
 そして、俺のものに唇を寄せて片づける。時雨を特別に想っているつもりはない。でも、こいつがほかの人間にそうやって服従したらと考えたら、むしゃくしゃする。片づいてもちょっと芯が残っている俺に頬ずりをして、時雨は床に膝をついて自慰を始めた。俺はそれを見下ろし、ただ時雨の頭を愛撫していた。
 三年生に進級すると、時雨とクラスが離れたけれど、放課後の密会は変わらなかった。弓音は進学校に進むようだったが、俺は時雨と同じ一般偏差値の高校を目指した。季節が流れて受験本番が近づくほど、中には言動がおかしくなる奴もいる。俺は実力からいってそんなに無理のない高校だったので、ノイローゼになったりはしなかった。勉強をしていて、分からなくてつまずくことはない。時雨も無理をしている様子はなく、放課後の俺との時間を削ることもなかった。
 弓音は大きく期待された高校を選んだだけに、いらいらと勉強していた。頭に糖分を補給するために飴を舐めはじめても、三分もせずにがりがりと噛み砕いている。
 俺は二段ベッドの下に腰かけて、つくえに向かって眉を顰める弓音の横顔を眺め、顔を伏せてから嗤った。たまに弓音はそれに気づいて、俺にノートを投げつけたりしてきた。
「何だよ」と嗤笑を抑えてノートを拾うと、「低レベルの高校に行くだけじゃん」と弓音は俺を睨みつけてきた。
「勉強しなくていいのは、私が目指す高校とはレベルが違うから。ミヤが頭いいってわけじゃないんだから」
「何にも言ってないだろ」
「嗤ってたじゃない」
「ミネのことだから、もっと優雅なのかと思ったら、普通に一生懸命だから」
「るさいなっ。ミヤは行けないような高校なんだよ。バカにしないで」
 俺は舌打ちして、ノートを床に投げ返すとベッドに仰向けになった。
 高校なんて、そもそも俺は行きたくもない。働いて、金を溜めて、軆を手術で女のものに正したい。十八になって高校を卒業したら、こんな家は出ていくつもりだ。
 とにかく金を溜めて、ルートを見つけて性転換手術をする。女として男に抱かれたい。そのときは、もう別に時雨じゃなくてもいい。
 時雨と今ああいう関係にあるのは、あいつが俺の軆を男として見ているわけではないからだ。単に俺を気持ちよくしたいと思って奉仕している。俺が男でも女でもいいと言った時雨は、ホモとして俺をおいしくしゃぶっているわけではないだろう。
 まあ、だから時雨は、俺が女の軆になっても変わらず尽くしたいと言ってくる可能性はあるけれど。一度ぐらいは、抱かせてやったほうがいいのだろうか。でも女の軆になれたら、時雨とのぐずぐずした関係に燻るより、女として恋愛をしたい気もする。
 三月、滑り止めにも一応合格していた中で、時雨と同じ志望校に受かった。時雨と一緒に結果を見にいったが、時雨も合格していた。時雨は嬉しいようなほっとしたような表情で張り出しを見つめ、「時雨」と俺が声をかけるとはっとこちらを見て、「よかった」と薄く白む息と一緒に言った。うなずいた俺は、その高校にすぐ行かなくなってしまうとは、このときは思っていなかった。
 高校生になって、弓音は例の進学校に受かっていそがしそうにしていた。俺の高校は春先はのんびりしたものだったが、弓音の高校はいきなり体育祭があるらしい。相変わらず周囲を淑やかな笑顔で騙して信頼を得て、実行委員も任されたりしている。
 しかし弓音はそれにいらついて、「何でこんな労働しなきゃいけないんだよ」と部屋ではあぐらをかいて体育祭の資料を床に散らかす。「それ言えばいいのに」と俺が興味もなく適当に言うと、「私は人の頼みを断れる人間じゃないの」の弓音はよく分からない主張をして、額を抑えながら資料に目を通していた。
「弓矢、これ部屋に持っていっておいて」
 弓音の帰りが遅い日、一階でテレビを見るのに飽きて二階に上がろうとすると、かあさんに捕まった。さしだされたのは洗濯物で、俺だけでなく弓音のぶんも重なっている。
「ミネの服なんか、どこしまうか分からないけど」
「ベッドに置いててあげればいいでしょ」
「でも、ミネのベッド二段目──」
「それくらいしてあげなさい。友達と一緒の高校に進めた弓矢と違って、弓音は一から頑張ってるんだから」
 俺は内心舌打ちすると、「分かったよ」と洗濯物を受け取った。「よろしくね」とかあさんは両親の服がある和室に入っていき、俺は息をつきながら部屋に向かう。
 誰もいない部屋に明かりをつけ、まず自分の服をクローゼットの半分の衣装ケースにしまった。残った弓音の服は、つくえの上でいいだろう。ぽんとそこに乗せた拍子に、服と服のあいだから紫の布切れがこぼれおちた。
 ん、と拾い上げるとショーツだった。なめらかな光沢がある生地で、あいつこんなの穿いてんのかと思った。しかしそれを眺めていると、いいなあ、というもどかしさがふつふつとしてきた。俺もこういう下着を身につけてみたい。こんな下着が吸いつくように似合う軆になりたい。
 穿いてみたいな、と思ったときだ。がちゃっとドアの開く音がした。はっと振り返ると無論弓音で、弓音を俺を見て怪訝そうにしたものの、すぐ俺の手の中に自分の下着があることに気づく。
「何してんのっ」と弓音は頬を染めて駆け寄ってくると、下着を奪う。俺は表情を動かさず、「下着だけは色気あるんだな」と言ってベッドに寝転がった。
「最っ低……何で!? 何でミヤが私の下着触ってるの。気持ち悪いっ」
「かあさんに頼まれたから、かあさんに文句言って」
「こういうことたまにやってんの!?」
「やるわけないだろ」
「絶対やめてよね、私の服にも触らないで」
「はいはい。かあさんにもそれ言っといて」
「何なの、最悪……もっかい洗濯……捨てようかな」
 ぶつぶつ言っている弓音を無視して、確かに弓音が留守のときに、こっそりその服で女装することはできるんだなと気づいた。今度試してみるか、としれっと思いつつ、怒りに任せて荷物を床に下ろし、まだ何か言っている弓音にうんざりした。
 弓音の高校の体育祭は短期間で怒涛のうちに終わり、俺の高校も含め、すぐ五月末の中間考査がやってきた。弓音はまた飴を噛みながら勉強し、同じ空間で勉強できそうにないので、俺は時雨と地元の図書館で勉強した。
 図書館のトイレとか、帰り道の公園とかで、俺は時雨に舐めさせた。時雨またうまくなったな、とか思いながら、俺はうわずった声をこらえて爆ぜる。
 その日は街燈以外は暗い公園だった。「見たいから自分でやって」と俺が言うと、時雨はごそごそと自分のものを取り出してしごきはじめる。俺は身を乗り出して時雨の耳を甘く噛んで、腫れあがるものには触れないように、でもぎりぎりに時雨の手首に指を這わせる。時雨は唇を噛んで声をこらえ、びくびくと動くものをこする。
 俺が耳たぶを舐めて、そのまま首筋を舌でたどり、鎖骨に歯を立てた瞬間、時雨はうめいて空中にぴゅっと精液を飛ばした。「いっぱい出たね」と俺が笑うと、時雨は俺を見て急に抱きしめてくる。
「時雨──」
「好き。弓矢が好き」
「うん。知ってる」
「好きだ。すごく、好きだよ」
 俺はため息をついて、時雨の髪を撫でた。
 そのときだった。
「じゃあ私の家、もうすぐそこなので」
 時雨の軆が動いたけど、俺は抱きついてそのままの体勢でいさせた。
 そして、時雨の肩越しにそうっと公園の入口あたりを見ると、制服すがたの弓音が男と一緒に立っていた。こちらには気づいていない。
「先輩に勉強教えてもらえて助かりました。ひとりだとテンパっちゃって」
「弓音ちゃんでもテンパるんだ」
「それはもちろん。実行委員とかも、どうしようって感じだったんですよ」
「堂々として見えたけどなー」
「それは、先輩が支えてくれたので」
「弓音ちゃん──」
「おまけに、体育祭終わったのに、勉強とかちゃんと見てもらえるなんて、私、」
 言い終わる前に、男が弓音に手を伸ばして腕の中に抱きこんだ。
 俺は時雨の胸に隠れて、じっとそれを見守っている。時雨も、聞こえてくる話し声で察しているようだ。俺を抱きしめて盾になってくれている。
「先輩、」と弓音が俺に向けることはない甘い声で困ったように言って、すると男はさらに弓音を抱きしめる。
「……先輩、彼女いるって話してたのに」
「いる、けど。何か、我慢できない」
「二股はダメですよ。彼女さんが可哀想──」
「じゃあ別れる」
「先輩、」
「弓音ちゃん、俺じゃダメかな?」
「……でも」
「弓音ちゃんがいいんだ」
「私……も、先輩のこと……」
 弓音が顔を上げると、薄暗い月影の中で、ふたりは口づけを交わした。俺は時雨の制服をぎゅっとつかんだ。
 男はやっと弓音と軆を離して、「別れるって伝える」と言った。
「それから、俺とつきあって」
「分かりました」
「ごめんね、いきなり。でも、初めて見たときからずっと想ってたんだ」
「……私も、先輩にそう思ってほしくて甘えてたから」
 男は弓音にもう一度軽いキスをすると、「じゃあまた明日」とその場を去っていった。残った弓音の、勝ち誇った笑みが雲が途切れてうっすら見えた。そう、俺はその笑みが何よりも嫌いなのだ。
 弓音が家の方角に歩き出していなくなると、俺は時雨と軆を離した。時雨は前開きのファスナーをやっと正して、俺を窺う。俺は顔を伏せ、「今日は帰る」とだけ言うと、時雨の顔も見ずに家に向かった。
 神経が毛羽立っている俺も、ちょっと夢見ているような弓音も中間考査が終わった週末、弓音が男を家に連れてきた。あの日の「先輩」だと俺はすぐ分かった。「彼氏」ではなく「中間テストの勉強を見てくれた先輩」と弓音に紹介されたせいか、とうさんもかあさんもわりと男を歓迎していた。
 はにかんで咲う弓音と男を無関心に一瞥した俺は、ダイニングで寝坊してひとり遅く食べていた朝食のシリアルに向かい合った。ふたりが二階に行ってしまうと、そのあいだ俺はどうするんだよ、ととうもろこしの味を噛む。洗い物の続きをするためにダイニングを通ったかあさんが、「弓矢には彼女とかいないのー?」とか軽く言ってくる。「興味ない」と俺は皿を空にすると、シンクの前のかあさんに渡した。
「和室にいる」と言っておいて廊下に出た俺は、足音に気づかれないよう、二階に上がった。弓音との部屋の前で、ゆっくり深呼吸すると、そうっとドアノブをおろして部屋の中を覗ける隙間を作る。
「あ、……先輩、っ」
 抑えられた弓音の声は、艶っぽく濡れていた。男の息遣いと肌を吸う音が聞こえる。もう少し、一センチくらい隙間を開くと、床の上で重なり合っている弓音と男がいた。

第三話へ

error: