オーロラソース-3

 弓音は胸をあらわにして、白い乳房をつかまれてしゃぶられていた。現れた肩も丸く、覆いかぶさられてめくれたスカートの太腿もおいしそうに柔らかい。俺はとっさに鋭い嫉妬を覚えて、ドアを閉めると壁にもたれて息をついた。
 ……くそ。悔しい。何であいつがあんな軆を持ってるんだ。俺のほうが相応しいのに。俺のほうがあの柔らかい軆に相応しい。欲しい。あの軆が欲しい。俺もあのまろやかな軆が欲しい!
 そのまま家を出て、うろ憶えの時雨の家に行った。似たようなマンションの中で迷いそうになったけど、何とかたどりついて郵便受けで四階を確認し、エレベーターに乗った。『木山』という表札を確認してからドアフォンを押すと、ちょうど時雨が出た。
 俺はちょっと目を開いた。いつもぼさぼさの髪が梳かれて、いつになく身綺麗だった。
「あ、ごめん、……休みぐらいちゃんとしてないと、最近親がうるさくて」
「……っそ。彼女でも来てるのかと思った」
「そ、そんなのいない」
「あっそ」
「ほんとに、いないから」
「聞こえたよ。で、入っていいの?」
「あ、うん」
 時雨はドアを開き、俺は家に上がらせてもらった。「お友達?」と時雨の母親らしき人が顔を出し、「うん」と時雨はうなずく。俺は軽くその人に頭を下げて、「こっち」とドアを開けた時雨について部屋に入った。
 ベッド、つくえ、本棚やクローゼットが、あんまり広くない部屋に設置されている。俺はベッドに腰かけると、ベッドスタンドにケータイがあるのに気づいた。「持ってたっけ」と手に取ると、「高校生になってから」と時雨は躊躇いがちに俺の隣に座った。
「ふうん」と俺はすぐケータイを元に戻して、ふうっと息をついてから、「ねえ」と時雨の顔を覗きこんだ。時雨は緊張したように肩をこわばらせ、「な、何」とどもる。
「お前、金持ってる?」
「えっ」
「持ってるだけの金を貸してほしいんだけど」
「ど、どうして」
「俺、家出る」
「え……えっ?」
「ミネが男連れこみはじめた。限界」
「男って……」
「とりあえず、あの日の男だった」
「ほんとに、つきあいはじめたんだ」
「みたいだね。もう嫌なんだ。もともとあの家は嫌いだったけど」
「家を出て、どうするの」
「とりあえず働く。で、手術する」
「手術……」
「性転換。外国に行ってでもやってやる」
「そ、そんな──こと、しなくても、弓矢は女の子……だよ」
 俺は時雨を見た。時雨は何だか泣きそうな顔で俺を見つめている。
「俺のをしゃぶれなくなるのが困るの?」
「違う、……その、弓矢はそのままでも綺麗だよ」
 俺はちょっと咲って、「ただで貸せとは言わないから」と時雨の首に腕をまわす。
「弓矢」
「女の軆になったら、一番最初に時雨に会いにくる」
「……嘘だ」
「何で嘘?」
「戻ってこない、……俺のことなんか忘れる」
「そんなことないよ」
 俺は時雨に顔を近づけて、唇を食むように口づける。
「女になっても、時雨のことは離さない」
「そんな──」
「男でも女でも俺が好きなんだろうが」
「す、好きだけど」
「じゃあ、何にも変わらない」
 時雨の瞳は湿っていて、本当に泣き出しそうだ。俺は時雨にキスをして、すると時雨もすがるように俺を抱いてキスを返してきた。しばらく激しく口づけあって、涎が垂れるほどキスを繰り返して、時雨は俺の腰を引き寄せてベッドに押し倒してきた。
「……分かった」
 上になった時雨が、俺の瞳を瞳でつらぬく。
「お金、あげるから」
「あげなくても返すよ」
「返さなくていい。その代わり、ほんとに……会いにきて」
「約束する」
「絶対、俺を忘れないで」
「忘れない」
「いくら待たされても、俺はいつまでも弓矢が好きだよ」
 俺は時雨の頬に手を添えて、「かわいいね」とささやいた。時雨は俺の肩に顔を伏せて、ついに泣き出してしまった。
 俺はずっと時雨の頭を撫でていた。肩が濡れて、ひたひたとぬかるんでいく。
「時雨」
「……うん」
「ケータイの番号、教えてくれる?」
「えっ」
「あと、ここの住所のメモも」
「弓矢……」
「時雨とだけ、俺はつながってるから。ここを離れても、お前にだけは連絡する」
「ほんと?」
「代わりに、頼みがあるんだ」
「何でもする」
「知ってる」
「……連絡なんて、欲しいって言っても弓矢はしないかって」
「しないよ、時雨以外は誰にも」
「うん……」
「お前はいつまでも俺のものだ」
 時雨は何度もうなずいて、俺をぎゅっと抱きしめた。とはいえ、しばらくこの腕の中とはお別れだ。そう思うと、切ないような疼きが胸を刺した。
 時雨は無論働いているわけではなくとも、性格からして小遣いを浪費せず貯めこんでいるタイプだと思った。その予想は当たっていて、特に中学生になって俺を見つめるのが日課になってからは、ほとんど貯金していた。口座からおろしたそれは、三十万以上あった。俺の秘かな資金も合わせれば五十万近くになる。
 見送るとき、時雨はまた泣きそうになっていた。夕方が終わりかけて、あたりはほの暗くなりかけていた。その優しい闇に紛れて、もう一度俺は時雨にキスをした。
 時雨も俺をもう一度きつく抱きすくめた。「ほんとにまた会える?」と時雨は震える声で言って、「ここに帰ってくるよ」と俺も時雨を抱きすくめた。時雨はこくんとすると、静かに軆を離す。
 俺は時雨に少しだけ笑みを作ると、身を返して、すぐ毅然とした表情になり、家出のために家に戻った。
 弓音と男が両親と夕食を取っているあいだ、俺は必要最低限なものをまとめて、荷物よりも情報を仕入れた。俺もケータイは持っていたけど、親の名義のこんなものを持っていくわけにはいかない。どうにか連絡手段を手に入れるまでは、公衆電話から連絡すると時雨にも言っておいた。
 ケータイで調べた情報を、ノートに書き取っていった。どの土地のどんな街に行けばいいかとか、どうしたらツテをつかめるかとか、ぎりぎりまで調べると履歴をすべて削除した。
 やがて弓音が部屋に戻ってくると、シャワーをしっかり浴びて、食事も胃につめこんで、ふとんの中に隠しておいたリュックを抱いてベッドにもぐりこんだ。「もう寝るのー?」とか弓音がぶつぶつ言っていたけど、気にせず呼吸をなだめていく。
 明日、月曜日の朝、学校に行くふりをしてこの家とは離れる。
 戻ってきたとき、俺は私になってるんだ。そして、きっと弓音のような美しい軆を手に入れている。
 市内に出て、しばらくネカフェで改めて情報を手に入れ、まずは夜行バスでその街を離れることにした。女装バーやニューハーフクラブ、シーメールヘルスも見当たる街に踏みこんで、キャッチに捕まらないように人混みを縫い、ネットで目星をつけておいたいくつかの店に面接に向かった。未成年とか、家出してきたとか、事情まで話すと追い返すところもあったけれど、そんな中で「かわいいからいいじゃなーい」という従業員の声もあり、雇ってくれる店が見つかった。
 ママの名義で部屋もケータイも借りることができて、お姐さんに勧められて女ホルを始めた。ママやお姐さんだけでなく、客もいろんな情報をくれた。豊胸手術のこと、睾丸の去勢のこと、裏ルートを使ってペニスも切除できること──金を溜めて、少しずつ軆を作り変えていった。
 薬の副作用なのか、気分が悪くなったり、落ちこんだりすることもあった。まず取りかかった豊胸手術のあとは、胸を揉んでケアしなくてはならなかったけど、めちゃくちゃ痛くて泣いた。睾丸を取ると、もっと早く稼げるように仕事をヘルスに乗り換えた。そして、客のひとりがついに性転換手術を勧めてくれて、海外に飛んで手術を受けた。
 十六歳で家を出て、「女」として帰国したときには、二十歳になっていた。
 自分の名義でスマホを持って、時雨に連絡を入れた。結局、この四年間で何回かぐらいしか電話しなかった。手紙は「情報」のためにわりとやりとりしたけれど。電話に出た時雨に、「来週ぐらいにそっちに戻る」と伝えた。「ほんと?」と時雨は光が射したような声で言った。「だから」と念を押しておいた。
「あいつのこと、改めてよく洗っておいて」
 家族にカミングアウトするという表向きで、ママやお姐さん、客にも挨拶をして、夏、お世話になった街を出た。戻る場所でも、女ホルを打てる場所とかは聞いておいた。出ていったときと同じく、乗りこんだのは夜行バスだった。
 最寄りの駅の改札に、昔と違ってずいぶん髪型や服装が整っているけど、見憶えのある男がいた。その男はこちらを見て目を開き、とまどい気味に歩み寄ってきた。かつ、かつ、とヒールを響かせて「私」はその男の目の前に立った。
「時雨」
「……弓音さん、じゃないよね」
「似てる?」
「そっくりだよ」
「ひとつめの計画は達成だね」
「ゆみ──何て呼べばいいのかな」
「源氏名はユミだった」
「じゃあ、ユミ」
「うん」
「会いたかった」
「私も」
「ずっと、やっぱりもう会えないのかもしれないって、怖くて──」
 私は時雨に抱きついた。時雨も私を抱きしめた。時雨の軆つきは昔よりしっかりしていて、腕も肩もたくましい。私は柔らかく華奢になっていて、時雨の力で折れてしまいそうだ。
 それでも時雨は私を抱き、何度も「ユミ」と呼ぶ。その声音は昔のまま、臆病を孕んでいた。
 その夜は、時雨がひとり暮らしを始めていたアパートに向かった。そして、月明かりだけの部屋で、女になった軆を時雨に見せた。「彼女とか作った?」と訊くと、時雨は首を横に振り、「俺はユミだけだから」と壊れないようにするように私の軆に触れる。
 時雨に触れられながら、私も時雨の服を脱がせた。やっぱり、昔より筋肉も引き締まっている。軆の奥がじんと濡れて、脚のあいだから愛液が伝う。時雨はそっと私を床に倒して、私の湿った脚のあいだに、取り出した自分の先端をあてがった。
「入れていいの?」
 時雨は心配そうに訊いてきて、うなずいた私は「そこに入れるのは時雨が初めて」とささやいた。時雨は瞳を潤ませながら、大事に、丁重に、私の腰に腰を沈めた。時雨のものが奥まで届いて、濡れた痺れがぞくっと全身を駆け抜ける。
 気持ちいい。
 正直、作ったそこに愛液とか快感とか期待していなかったのだけど、確かに下半身が蕩けそうに感じてしまう。私は声を喘がせ、時雨にしがみついて体内を締めつけた。すると時雨もうめきをもらし、静かに腰を動かしはじめる。
 久しぶりの肌の感触、汗の匂い、柔らかな体温──私は何度も時雨の名前を呼んだ。時雨も私を奥深くまで求めて、探って、つらぬいて、やがていっぱいに射精した。奥ではじけたその熱に、私もびくんと反応し、その振動で絶頂が花開いた。荒い息遣いが部屋に名残って、そのまま、クーラーもつけない蒸し暑さの中で眠りについた。
 私がこの街を離れているあいだ、時雨には頼みごとを残していた。それは、弓音の偵察だった。家にまっすぐ帰るつもりなんてない。私は弓音という光を握りつぶしにきたのだ。時雨は私の友人としてあの家庭に踏みこむことさえしながら、ずっと弓音を監視していた。
 つきあった男、交遊関係、大学での生活、時雨は優秀な探偵になって私に情報を送り続けてくれた。写真も送ってくれて、おかげで現在の弓音の容姿を知ることができた。髪の長さも軆の線も、しっかり揃えることができた。
 両親の前ではともかく、弓音は私の失踪などほとんど気にしていないらしい。そして、今はかなり真剣につきあっている恋人がいる。

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