Side F
自分ほど平凡で、代用のきく人間はいないと思ってた。僕の家庭は、もともと保守的というか。あんまり、目立つことを好む人はいない。とうさんもかあさんも、妹も弟も。
六歳のときから、数年間、ピアノは習ってた。だから、楽譜くらいは読めたけど。小学校の高学年に上がる頃には辞めてたな。
中学時代も、これといった想い出はないかな……。片想いしていた先輩と話す勇気すらなかった。友達も当たり障りなくて、誰かの「特別」になるなんてなかった。かけがえのないものなんて、なかったよ。
そんな僕が、高校に上がってしばらく、突然ロックバンドのドラマーを始めると言い出したんだ。それはもう、静かだった家庭の食卓は揺れたよ。ひと通り話を聞いて、声を上げたのは末っ子の弟の若葉だった。
「そんな奴ら、ただの不良だろ。にいちゃんを何か妙なことに巻きこむだけだ」
そういう人たちには見えないけど、と僕が言っても、兄弟の真ん中の妹である春芽も言った。
「にいさんをバカにするつもりはないけど。自分が本当にうまい演奏をやったと思うの? そんな簡単に『才能あるね』、『一緒にバンドやろうよ』になるの?」
否定できなくてうつむいてしまった。
そしたら、そんなふたりをたしなめたのは両親だった。僕自身がやりたいのかどうか、ふたりはそれを訊いてきた。僕は少し迷ったけど、みんなといると楽しいとは言った。そして、ドラムのことはまだよく分からない、ただ、メンバーとして必要とされるのは嬉しいと。
そうしたら、両親は顔を合わせて、困ったように咲い合ったんだ。
「双葉はおとなしい子だから、春芽と若葉の心配も分かるんだけど」
そんなかあさんに、とうさんも優しくうなずいた。
「あまりにも主張しないから、親としてはそっちのほうが心配だったんだ。その友達を信頼できるなら、やってみなさい」
若葉も春芽もぽかんとした。僕もびっくりした。そんな僕に、「忘れられないの」とかあさんが哀しそうに言った。
「双葉は、卒業文集の将来の夢、『使い捨てのサラリーマンにしかなれません』なんて書いたこともあったでしょう?」
確かに、書いた。小学校の文集だった。深い意味も嫌味も自嘲もなく、本気で書いたんだ。そんなこと。
やってみる、と言おうとした。でも、その前に若葉が食卓をたたいた。
「俺は認めない! どうしてもやるなら、俺かねえちゃんがつきそう。にいちゃんが騙されたりしたら、俺はそっちのほうが嫌だ」
春芽もうなずいた。「そろそろ兄離れしなさい」と両親はあきれた。そんな両親に、僕は改めて、「ドラムやってみる」と宣言した。春芽と若葉がすごい目で睨んできたな。
僕にドラムスをたたきこんでくれたのは、スタジオのオーナーで、僕に声をかけてきた碧海のおじさんのバンドのドラマーだった、光紅さんだった。何も知らない僕に基礎から教えて、体力作りまで指導してくれた。その向こうには、しっかり仏頂面の若葉か春芽もいた。心配性のご兄弟だね、と光紅さんもスタジオのスタッフさんも笑った。
「やった! もう夏陽のお粗末なギターの時代は終わった!」
僕の少しあとに、碧海がそう言って、瑞輝も見つけてきた。夏陽がいたら、殴られてたね。夏陽のこの頃、月琴さんにつきっきりで、ボイストレーニングされてたんだ。だから不在で、碧海は殴られずに済んだけど。
四人が揃ったら、Bazillusとしてライヴハウスで活動を始めた。春芽は、少しずつ僕が音楽をやることを認めてきてくれた。でも、若葉は頑固だったなあ。結局、認めてくれたんだけどね。説得してくれたのは、RAG BABYのヴォーカル兼ギターの希咲ちゃんだった。
RAG BABYとはよく対バンしてて、事情を知った希咲ちゃんが「あんたバカみたい」って若葉に喧嘩を吹っかけてね。そこから、ふたりは仲がいいんだか悪いんだかよく分からない、喧嘩ばっかりの仲になって。RAG BABYのメンバーの希雪くんと実和くんから謝られたり、僕が謝ったり。
ほんと、めちゃくちゃに喧嘩するんだ。口論なんてものじゃない。あ、でも、若葉が希咲ちゃんを殴ることはなかった。希咲ちゃんは若葉を引っぱたいてたけど。
でも、いつのまにかそういうのが恋になってたみたいだね。ふたりはつきあうようになった。けど、別れたり、戻ったりの繰り返し。理由は仕方のない喧嘩。ただ、浮気とかがあるふたりじゃなかったよ。何だかんだで、じゃれてただけだね。だから、そう、希咲ちゃんの今の旦那さんは若葉なんだ。
僕は、光紅さんのスタジオのスタッフだった女の子とつきあってたかな。あゆなさんっていって、僕の技術をいつも見守ってくれてた女の人だった。今でもいい友達だよ。うん、友達。現在は、別れてる。お互い、もっと幸せになれる人がそばにいるから、何の壁もないよ。
それから、月琴さんの訃報が流れた。あの頃の夏陽の歌は、あの頃しかない痛みがあった。今、あの頃の曲を力一杯歌えるのは、春芽のおかげだって夏陽は言ってくれる。
春芽が夏陽に恋をしたんだ。月琴さんのことで、夏陽は恋愛しないって自分を閉ざそうとしてた。それを止めて、誰かと──春芽とつきあうってことをして。夏陽と春芽は別れちゃうんだけどね。今の夏陽が栞さんとつきあっていて、痛々しかった当時の歌を幸せに歌えるのは、あのときの春芽のおかげだって夏陽は言うよ。
じゃあ何で振ったんだって兄は言いたいけどね、まあ春芽には今きちんと彼氏もいるし、許すよ。
RAG BABYがメジャーデビューした年だった。僕は、今の奥さんと再会した。そう、出逢ったんじゃない。再会した。中学時代、片想いしてた先輩がいたって言ったよね。その人が、今の僕の奥さんなんだ。未紗さんって呼んでる。
未紗さんは、当時は別の人と結婚してた。うん、だから実は、しばらく不倫だった時期がある。もちろん、未紗さんが幸せだったら、そんな関係は望まなかった。旦那さんがね、ちょっとひどい人で……それしか言えないけど。
未紗さんの息子の夏椰は、今は僕の息子なんだけど。夏椰も、おとうさんを憎んでた。たった三、四歳だったんだよ、当時。それが父親より、ほかの大人の男、つまり僕なんかに懐いて、「おかあさんと結婚して」なんて頼むんだ。ほんとに、つらい家庭だったんだと思う。
未紗さんは、親友の奈留さんに軽い気持ちで僕たちのライヴに誘われたんだって。自分たちの後輩がすごいらしい、なんて言って。
未紗さんは、とてもそんなもの行く気になれないって断ってたらしいけど、メンバーが僕だって聞いて来てくれたんだ。一応、委員が同じだったからね。でも、未紗さんが僕を憶えてるとは思わなかった。
ステージから未紗さんを見つけたのは僕だった。ライヴが終わったら、急いで声をかけにいったよ。その人だって確信もないのにね。そもそも学生の頃は、話しかける勇気もなかったはずなのに。それから、お茶をしたりするようになった。夏椰も連れてきてくれるようになった。
夏椰も今は音楽をやってるんだよ。残念ながら、ドラムスじゃないんだけど。夏陽の歌が、やっぱり、すごいから。ヴォーカルをやりたいみたい。
楽器も練習してるんだけど、それは将来、バンドを組んでヴォーカル一本ができるメンバーが揃うか分からないからだって。
夏陽がしごいてくれてるよ。きっと、昔、月琴さんに教わったみたいにね。
未紗さんが今も好きなんだ、この人を大切にしたい──そう思って、あゆなさんには全部正直に話した。謝った。何度も、「ごめん」って……あゆなさんは、怒って当然だったよ。泣いて当然だったよ。
なのに、咲って僕の頭を撫でて、「双葉くんの幸せが私の幸せ」とだけ言ってくれた。それで、しかもいまだに友達でいてくれてるんだ。あゆなさんのことは、人としてすごく尊敬してる。
それで、まあ、しばらく不倫期間があったわけだけど。旦那さんは、未紗さんと別れることを思ったよりあっさり承諾した。夏椰のことまで、簡単に親権を未紗さんに譲った。
もちろん、夏椰は引き取られるなんて冗談じゃなかったと思う。引き取るなんて言い出したら、それはそれで、念のためそういう存在がいるってことは伏せてたのに、僕も黙ってられなかったんじゃないかな。それでも、財産は渡さない、慰謝料も出さない、それがあっさり別れられた要因だったから。夏椰のこと、何だと思ってるんだろうって、顔も知らないその人が僕は許せないよ。
それから、半年経ったらすぐに僕と未紗さんと結婚した。夏椰も僕の息子になった。まだバイトで生計立てて、バンドやってる男だよ。またろくでもない男にって、未紗さんはご両親にしょっちゅう小言を言われてた。だから、Bazillusがメジャーに出て、今、こんなふうになれてるのを一番望んでたのは、意外と僕なのかもしれない。今はご両親は僕を認めてくれてるよ。
僕の両親も、今の僕をすごく喜んでくれてる。あの、春芽と若葉だって。僕はずっと、自分には取り柄がないと思ってた。つまらない人間にしかなれないと思ってた。そうなってもおかしくなかったよ。そうならないために努力することすらしてなかった。でも、高校時代、声をかけてくれた碧海を信じて、ドラムスを軆にたたきこんで。変われたんだ、と思う。今、僕は、誰も代われない、Bazillusのドラマーの双葉。
メンバーチェンジはないと思ってる。僕たちは、お互いの腕しか信じてない。もっとすごいバンドはもちろんいる、いくらでも。でも、Bazillusの音を作れるのは、僕たち四人だけだから。メンバーチェンジするくらいなら解散じゃないかな、僕たちは。
この『Bazillus Private Interview』は僕がラストなんだよね。この雑誌が発売されて、読んだら、たぶんみんな、お互いに知らなかった面を知ってびっくりするんだと思う。今から、そこからの発見が楽しみだな。
月並みだけど。ファンのみんな、いつも本当にありがとう。Bazillusは僕たちがいなきゃ始まらなかった。そして、ファンがいるからまだ終わってないんだ。これからも、いつまでも、“to be continued”のまま。僕たちを応援してね。ツアーで待ってるよ。
──Bazillus ds.双葉
さあ。
この音楽に感染しよう。
治療法?
解毒剤?
そんなものは──ない。