まもなく判明したけれど、茶髪先輩は久賀奏という名前らしかった。奏先輩は一年生の教室の並びにまで来て、私を探し出しにきた。名前を訊かれて、仕方ないので私も暮村紫陽という名前だけは伝えた。
その名前を聞いた瞬間、奏先輩は驚いた顔をして、「え、待って」といきなりスマホを取り出した。会話の最中にスマホとかマジでダメ、とか思っていたら、「まさか、この記事書いてる人の知り合いじゃないよね?」とスマホをさしだされた。
記事。軆のことを打ち明けてくれたとき、LGBT系WEB雑誌でライターをしていることも話してくれた紗琴さんがよぎったので、一応見てみたら、やはり紗琴さんの名前が表示されていた。
私はまばたきをして、奏先輩を見上げる。
「先輩、ゲイなんですか?」
「いや、違うけど」
「でも、この雑誌──」
「俺の親友の彼女がね、この人の記事が好きで読んでるんだ」
「親友の彼女……って、こないだの彼女持ちの先輩の彼女ですか?」
「あ、そうそう。読んでるのは、まあ何かと事情があってね。俺もこの人の文章、読みやすくて好きだからチェックしてるんだー」
ちょっと嬉しくなってしまう。紗琴さんのことを褒められるのは、身内を褒められるのと同じだ。
「このライターさんの彼氏の名前、記事には出てこないけど、実は君と同じ名字なんだよね。あ、名前も似てるかも」
「……暮村紫優?」
「そう! え、やっぱ親戚とか」
「親戚というか……兄ですね」
「マジで!? あ、そうか。だから、渚が君のこと知り合いに似てるって言ったのか」
「あの先輩、おにいを知ってるんですか?」
奏先輩は私を見た。首をかしげると、「『おにい』ってかわいい」と言った。
「……兄の知り合いですか、あの人」
「おにいでいいよ。そう、一緒にお茶したこともあるはず」
「先輩も?」
「俺はライターさんとも彼氏さんとも何も知り合いじゃないけど。親友と彼女さんに、よく話聞いてるよ」
「そうなんですか。何か──すごい縁ですね」
「だよね! そっかー、あの彼氏さんかあ。おにいさん、かっこいいよね! ずっとライターさんのそばにいて」
この先輩は、油断ならない。それは頭で分かっていても、おにいを褒められると私はついつい笑顔になってしまう。
「ですよねっ。おにいはすごくかっこいいんです。紗琴さんを本気で愛してるのも分かるし、何か、そういうふうに人を愛することができるって素敵だなあと思うし」
そこまで言って、あ、と口をつぐむ。愛、とか軽々しく口にするものでもなかったかな。特に男の人は笑っちゃうかも。
そう思ったのだけど、思いのほか奏先輩はにこにこしていて「そうだよねー」とうなずく。
「俺も、すげー愛し合ってていいなあってふたりを知ってるから、分かるよ」
その答えが意外で、私は奏先輩を改めて見つめる。茶色の髪、色合いが豊かな瞳、微笑む口元にごつごつしすぎない輪郭。ぜんぜん意識していなかったけど、この人、わりとかっこいい顔立ちかもしれない。
「何?」
首をかたむけた奏先輩に私は首を横に振り、やや考えてから、「そのふたりのこと」と言ってみた。
「ん?」
「その愛しあってるふたりのことの話を聞かせてくれるなら、お茶くらいしてもいいですよ」
「え……えっ、マジ!?」
「はい。ちょっと興味あります」
「分かったっ。でも、本人に話していいか確認してからね。君に信用ないとかじゃなくて、本人たちの気持ちとかあるから」
「分かりました」と私がこくんとしたところで、予鈴が鳴った。「うわ、戻らないと」と奏先輩が焦った声で言った通り、ここから三年の教室の並びは遠い。
「じゃあまたねっ」と奏先輩は急いで去ってしまって、私も教室に戻ったけど、またねって連絡先とか分かんないなと気づいた。まあ、また遠慮なくあっちがこの教室に来るか。そう納得しておいて、私は五時間目の国語の教科書を取り出した。
案の定、奏先輩はまた私の教室を訪ねてきた。さっそく「今日お茶できる?」とにっこりされて、「私に話していいって言ってもらったんですか」と確認する。「もちろん」と奏先輩が言ったので、実際その話には興味があったので、その日の放課後に奏先輩とお茶することにした。
「連絡先訊いといていい?」と言われて、私はいったん席に戻ってスマホを持ってきた。「振る?」と楽しげにした奏先輩に、「QRコードでいいです」と私はコードを表示させてさしだす。「振りたかったなー」とか言いつつ、奏先輩はコードを読み取って私を登録した。すると私にも着信がついて、「かなで」という名前があったのでさっと登録する。
「すごい、好きな子の連絡先が入ってる」と奏先輩は感動していて、「奏先輩には『好きな子』がたくさんいそうですね」とため息をついてしまう。
「え、それは家族とか友達も含んで?」
「元カノとかいっぱいいそう」
「いないよ! 俺、彼女できたことないもん」
「別に嘘つかなくても……」
「いや、マジだって。兄貴はみんなモテるんだけどさー、俺はぱっとしないの。兄貴には、低身長だからとかガキっぽいからとか言われる……」
「ガキっぽいはともかく、背はありますよ」
「そうかなあ。兄貴どもはもっと高いよ」
「というか、先輩にもおにいさんいるんですか」
「三人いるよ。確かにみんなかっこいいのかな……でも正直、中身がね? 元たらしとか脳筋とか」
「たらしは良くないですね」
「今は本命とつきあえてるからやめたけど」
「もしかして、放課後聞かされるのはそのおにいさんの話ですか」
「いや、違うよ。聞きたい?」
「むしろ、それならあんまり興味ないかと」
「あのふたりはふたりで、愛し合ってるみたいだけどね。兄貴の恋愛事情とかよく知らないよね」
「じゃあ、友達とか……あ、もしかして親友の先輩の話ですか?」
奏先輩は変な顔をしたあと、「紫陽ちゃん、渚のことになるとちょっと嬉しそうだよね」とむくれる。
「嬉しい──というか、あの先輩は印象悪くないので」
「俺は印象悪いの?」
「初対面で『美少女』とか指さしてくる人は」
「『美少女』って嬉しくない?」
「先輩は『美少年』って言われたら嬉しいですか」
「あっ……女子に渚とのBLを妄想された過去がよぎった」
「それは特殊ですけど、言い方あるのは分かってください」
「そっかー。じゃあ、『かわいいね』? 『綺麗だよ』? うーん……」
「というか、まず指さすところですよね」
「あー、ごめん……。うわー、こういうとこで俺これまであんまりモテなかったのかなー。分かった、紫陽ちゃん、俺のダメなとこはどんどん言って。直していくから」
「………、ほんとに彼女いないんですか?」
「いないってば。彼女いたことあったら、もっとかっこよく口説いてるし」
「あ、納得しました」
「そ、そう……? そんなに俺、かっこ悪く口説いてる?」
「口説いてるつもりだったんだなあと思うくらいには」
さすがにどんよりした奏先輩の面持ちに、私はちょっと噴き出して、「先輩に口説かれてる自覚はしました」と言った。
「ただ、私は理想高いですよ。おにいを見て育ちましたからね」
「む。俺だってなかなかのお手本がいるんだぞ。あのふたりはマジでいい男だからね」
奏先輩がそう言ったとき、例によって予鈴が鳴った。「ああっ、また本鈴間に合わないっ」と焦った奏先輩は、「じゃあ、放課後ねっ」と手を振って駆け出していく。
落ち着かない人だなあ、と思ったあと、ふたりのいい男という言葉を反芻する。三人のおにいさんではなさそうだし、誰だろう。放課後にはその話も訊いてみるか、とひとりうなずき、私は席に戻った。
放課後、桐原さんと靴箱まで降りてから「また明日ね」と別れて、私は奏先輩を待った。『靴箱にいます。』というメッセも送っておく。帰宅する生徒でけっこう混み合う中、不意に『靴箱のどこ?』という奏先輩のメッセが着信して、『傘立てのところです。』と即で返す。すると、すぐに「紫陽ちゃん」と声がかかり、にこにこと奏先輩が現れた。「たまに行く茶店でいい?」と言われ、このあたりのお店はまだよく知らないので私はうなずいた。
そうして行き着いた喫茶店で、ロイヤルミルクティーをおごってもらいながら、奏先輩に『ふたりのおとうさん』のことを語ってもらった。
奏先輩のおとうさんは、現在同性パートナーと暮らしているのだそうだ。元は親友だったふたりは、今はとても良いカップルで、以前は奥さんだったふたりの女の人も理解している。その女の人の片方が奏先輩のおかあさんで、特におとうさんたちを支えてきたのだそうだ。
ふたりのいい男ってそういうことか、と訊くまでもなく納得しながら、奏先輩がそんなふたりに育てられたことに私の見る目も変わった。この人どこか子供っぽいけど、言い換えれば、純粋で無邪気なのかもしれない。「いいおとうさんたちですね」と私が微笑むと、奏先輩は私を見つめ、「ありがと」とにっこりしてカフェオレを飲んだ。
「偏見もあるんだけどね。昔はけっこう、あいつの親ホモかよとか言われて」
「そんなこと言う人いるんですか」
「いるよー。俺の前では言わない奴も、裏ではそう言ってた。悔しかったなあ」
「………、紗琴さんも──あ、私の話になっていいですか」
「うん。どうぞ」
「紗琴さんも、私たちにはこないだ打ち明けてくれたんです。軆が女じゃなかったこと」
「こないだなの?」
「はい。ライターさんやってるのも、そのとき知ったんですよね。だから、もし知らないままだったら──先輩の話がわけ分からなかったかも」
「マジか。それは危なかった」
「私が高校生になる前に話してくれたんです。おにいとのあいだに子供はできないから、その理由をきちんと話しておきたいって」
「……そっか。そうなるんだよね」
「はい。そのとき、紗琴さんすごく泣いてて、『女と思ってもらえない』とか、おにいとつきあうのも『迷惑かもしれない』って言ってて」
「……うん」
「私は紗琴さんがそんなこと言うのが哀しかった。何でそんなこと言うのって思った。紗琴さんは女の人だし、おにいとは結婚してくれなきゃ困るし──けど、私はまだそんなにいろいろ聞いてないけど、紗琴さんそれだけつらい目にいっぱいあってきたんですよね。たくさん、否定されてきたんだろうなって」
私はまろやかなロイヤルミルクティーを飲み、「私はそういう、否定する人が信じられないけど」とカップを受け皿に置く。
「いっぱいいるんでしょうね。だから、先輩のおとうさんのこと分かってくれない人も多いのかなって。何か突然、そう思いました」
「昔に較べたらって司くんと南くんも言うけど、今もいなくなったわけじゃない。何なんだろね、何であんなに愛し合ってることを『気持ち悪い』っていう人がいるんだろう」
奏先輩は頬杖でふてくされたように言う。心底、おとうさんたちを理解しない人たちが不満であるらしい。「私は素敵だと思いますよ」と私が言うと、奏先輩は瞳をぱっちりさせてこちらを見つめて、「へへ」と嬉しそうに咲った。
「今、紫陽ちゃんにもっと惚れたなあ」
「………、私も、先輩はちゃんとした人なんだなって思いました」
「えー、俺、ちゃんとしてない人だったの?」
「軽そうって言ったじゃないですか」
「俺、重いと思うけどなあ。渚のこととかすごい好きで、余計なことして喧嘩したことまである」
「余計なこと」
「まあ、いろいろね。そこは俺がバカだったの。反省してます」
「じゃあ──やっぱり、ちゃんとしてますね」
「してるでしょ?」
「はい。見直しました」
「やったっ。えっと──じゃあ、いきなりつきあおうとか言わないから、仲良くしてくれる?」
「友達ですか」
「友達かあ。まあ名称はそうなるかあ。うん、友達」
「分かりました。またお茶したりしましょう」
「わーいっ」なんて万歳したりするから、やっぱり子供っぽく見えるけど、すごく見つめたり考えたりしてる人なんだなと思った。面倒な人に目をつけられたと感じていたけど、わりあい有意義な出逢いだったのかもしれない。
【第三話へ】
