そんな感じで、私と奏先輩のお友達関係が始まった。奏先輩は真っ先に私のことを親友の渚先輩に報告したようで、私は私でおにいに奏先輩のことを話し、渚先輩のことを訊いてみた。
「渚くんと知り合いになったの?」とびっくりしたおにいは、やはり渚先輩とその彼女さんのことを知っていた。その彼女さんと紗琴さんは、今もよく一緒にお茶するほど仲がいいのだそうだ。「その彼女さんはどんな人なのかなー」と興味を持っていると、「紫陽なら仲良くなれるよ」とおにいは言ってくれた。
そこで私は、渚先輩と彼女さんとお茶してもらうのは無理かと奏先輩に訊いてみた。奏先輩はまた変な顔をして、「渚はあきらめよう?」と言った。「あきらめる前に、そういう期待はないです」と私は斬って、「紗琴さんと仲良しな人なら、彼女さんに会ってみたくて」と素直に述べる。すると「あー、そっちかあ」と奏先輩はうなずき、「その人は大学生だから、会うなら休日になるよ」と言ってきた。
「同級生じゃないんですか」
「大学二年生だよ」
「おにいたちと同い年なんですね」
「あ、そうなの? それは知らないけど、俺と渚には中学のときの先輩なんだよね」
「渚先輩が年上彼女ってちょっと意外です」
「そっかな。まあ、彼女さんはすごくいい人だし、会ってくれると思うけど、紫陽ちゃん、休日に俺たちに会ってくれるの?」
「みんな年上なのは緊張しますけど、邪魔じゃなければ」
「邪魔なんかないよ。よっし、じゃあ四人で会ってみますか」
そんなわけで、五月末の中間考査が終わってから奏先輩がセッティングしてくれて、六月になって間もない週末に四人で会うことになった。渚先輩と彼女さんは先にカフェで席を取り、奏先輩は私を駅まで迎えにきてくれた。
「私服かわいい!」と言われたのは嬉しかったけど、「スマホで写真撮っていい?」と言われたのには「先輩そういうとこですよ」と言っておいた。「残したい……」と奏先輩はしゅんとしていたけど、いたって普通の私服のところをこんな駅ナカで撮られるのは視線が痛い。
「もっとお洒落してるときならいいですよ」と言うと、「それってどういうとき?」と返され、考えてから「浴衣とか」と言うと「浴衣!」と奏先輩は目をきらきらさせた。
「それって、いつか俺と浴衣で夏祭りデートしてくれるってこと?」
「先輩が私を落とせるかどうかです」
「落とす! とりあえず落とすと宣言はしておく! 策はないけど!」
私は咲って、おもしろい人だと思う。「いいなあ、浴衣」と奏先輩が浸っているので、「渚先輩たち、待ってるんじゃないですか」と私は奏先輩の服を引っ張る。「あ、そっか」と目を覚ました奏先輩は、「行きますか」と歩き出し、手はつながないのかと一瞬思って、慌ててそんな期待みたいなことは頭から消した。
たどりついたカフェで、少し顔を合わせるのが久々な渚先輩と、初対面の彼女さんが待っていた。彼女さんは緩いウェーヴのセミロングに綺麗めな化粧を施し、白のカットソーと紺のロンスカが大人っぽい人だった。
「紫優さんの面影あるでしょ」と渚先輩に言われて、彼女さんはこくりとしてから私に微笑む。美人だ、と思っていると、渚先輩が彼女さんの隣に移ったので、私と奏先輩はその正面に座る。
テイクアウトしてきたドリンクを置いて、「あ、えっと」と私は向かいにきた彼女さんに頭を下げた。
「初めまして。暮村紫陽です」
「鮎見時です。初めまして」
「会ってみたいとかわがまま言っちゃってすみません」
「いえ、紫優さんの妹さんなら私も安心なので」
「紗琴さんと仲良しなんですよね。私も紗琴さん大好きだから、仲良くしてもらえたら嬉しいです」
「はい。えー、と……紫陽ちゃんは、私のこと、聞いてる感じですか?」
「えっ」
私がきょとんとすると、渚先輩が奏先輩を見て、「鮎見先輩が自分で話すか決めることだし」と奏先輩は肩をすくめる。「確かにそうかも」と渚先輩は時さんを見て、時さんはうなずいた。それから、私を見つめてくる。
「紫陽ちゃんには話しておきますね」
「……はい」
「私は、まだ、紗琴さんみたいに何かしてるわけではないんですけど。何というか、女……の、軆ではない、女です」
「えっ……」
「わ、分かったかもしれないですけど。声とか肩とか」
「ぜんぜんっ──てことは、時さんも紗琴さんと同じ……でいいんですか?」
「そうなります」
私はしばたいて時さんを見て、「びっくりした」と素直につぶやく。
「普通に、大人の女の人だなって思いました」
「そんな、ぜんぜん大人じゃないです。紗琴さんみたいに行動することもできてなくて」
「あっ、そっか。紗琴さんの記事の読者さんなのも、重なるからなんですね」
「そうです。紗琴さんはほんとに憧れです」
「分かります! 私も、紗琴さんがおにいの彼女なの、すっごい自慢ですもん。いつかおねえちゃんになるんだなあって楽しみです」
「そっか、紗琴さんと紫優さんが結婚したらそうなりますね」
「おにいの彼女って、最初はちょっとショックだったんですけど。紗琴さんなら納得するしかないです」
「紗琴さんに、少しお話聞きました。性別のこと打ち明けたとき、妹さんが分かってくれて、ご両親も理解してくれたのが嬉しかったって」
「そうなんですか。だって、うちはみんな、おにいと紗琴さんが別れるほうが嫌ですもん」
「優しいご家族ですね。うらやましいです」
私と時さんがあっという間に打ち解けて話を始め、奏先輩と渚先輩はしばしそれを見守っていた。そして、私たちが盛り上がるのを邪魔せず、「そういや中間どうだった?」とそのうち先輩たちで話しはじめる。
私と時さんはお互いのこと、紗琴さんやおにいのことをひとしきり話し、「何かいっぱい話しちゃって」と時さんははにかみ、「私も時さんと話してるの楽しいです」と私も微笑んだ。
それから会話が四人になって、私と奏先輩がつきあっていないことに時さんは驚いていた。「お似合いだと思います」と時さんに言われて、「そうですよね!?」と奏先輩は身を乗り出し、「奏先輩、ところどころ子供っぽいからなあ」と私がぼやくと、「紫優さんがおにいさんなら、落ち着いた人に憧れるかもね」と渚先輩が咲う。「落ち着きかあ……」と奏先輩はこまねいて考えこみ、「奏は今のままでも大切にしてくれると思うから」と渚先輩はおっとりと私に微笑する。
「よかったら、真剣に考えてあげてね」
私は首をかたむけてから、隣の奏先輩を見る。奏先輩も私を見る。悪い人じゃないのはもう知っているけれど、つきあうってなると──いや、誰かとつきあうなんて私だって経験がない。どういう瞬間で、みんな「この人とつきあおう」と思うのだろう。
「……何か」
「うん?」
「よく考えたら、先輩って受験生ですよね」
「え、まあね。わりと勉強はしてるよ?」
「してなかったら怒りますけど。どういうとこに進むとか、決めてるんですか」
「外国語専攻。めっちゃ留学したい」
「えっ、日本離れるんですか」
「だねー。将来的には海外で暮らしたいな。どことは決めてないけど。通訳とか翻訳とか、やるならそのへんの仕事」
思いがけない将来の夢に、そうなんだ、となぜか胸の中に小さな穴が空いた気がした。
奏先輩、いつか日本からいなくなっちゃうのか。何か、煩わしいくらいに私に構ってきて、そんなふうにずっと近くにいる気になっていた。でも、そういうわけではないのだ。
四人でたっぷり夕方までおしゃべりして、私たちはやっと腰を上げた。駅までは四人一緒だけど、渚先輩と時さんは手をつないで並行し、その後ろを私は奏先輩と並んで歩く。
梅雨入り前のはっきりしない夕射しが、駅前の街並みをほんのり染めている。風はだいぶ蒸して、夏の匂いを帯びはじめていた。
「先輩」
「んー?」
「来年には、もしかして日本にいないですか?」
「どうかな。大学は国内にすると思うけど」
「でも、留学って外国ですよね」
「そりゃあね。どこ行こうかなあ。英語は何とかなりそうだから、むしろ英語圏じゃないとこで冒険するのもいいなあ」
「そしたら」
「ん?」
「夏祭りは、今年行っておかないと、もう行けないじゃないですか」
奏先輩は私を見た。
……何で私、泣きそうな声でこんなこと言ってるんだろう。でも、何だか急に、奏先輩には私なんかすごくちっぽけなんじゃないかと感じたのだ。
奏先輩は首をかしげてから、「うん、そうだね」と言った。何だかその言い方は冷たい気がして何か言おうとすると、その前に奏先輩は私ににっとしてみせた。
「だから、今年の夏までには紫陽ちゃんを落とさないとね」
私は奏先輩の瞳を見つめた。「って、もう六月だから三ヵ月もないねえ。頑張ろっ」とか言って奏先輩はガッツポーズをしている。私はうつむき、ちらりと、この人をつかまえておかなくてはならないのは私のほうなのではないかと思った。
やがて梅雨に入り、じめじめと憂鬱な日々が続いた。低気圧のせいかちょっと頭痛がするから、おかあさんの偏頭痛の薬を分けてもらっていた日曜日、雨なのでデートをおうちに切り替えたおにいが紗琴さんを連れてきた。
私も両親も紗琴さんを歓迎するから、紗琴さんは気を遣って、おにいと部屋でふたりになる前にリビングで少し話をしてくれる。
「こないだ、時さんが紫陽ちゃんのこと話してくれたよ」
おにいからタオルを受け取りながら、紗琴さんが私にそう言ってくれて、「すごく綺麗な人でした!」と私も嬉しく返す。
「縁って分からないね。渚くんの親友さんと、紫陽ちゃんが仲良くなるなんて」
「な、仲いいんですかね」
「彼氏候補なんでしょ?」
「えっ? いやっ、それは──」
はっきり否定できずに詰まってしまうと、「紫陽にもそんな男の子がいるのか」とおとうさんが目を丸くして、「紫陽ももう高校生だものねえ」とおかあさんはにこにこする。
「先輩が勝手に頑張ってるだけだよ。私は……そんな」
「先輩か。紫陽は年上だろうなあと思ったぞ」
「子供の頃は、紫優から離れなかったものね」
「違うもんっ。先輩、そんな年上って感じしないしっ。私はもっとおにいみたいな……」
言いながら、勝手に奏先輩の顔が浮かんでくるものだから、私は真っ赤になった顔をおおってしまう。
「ほんとに違うの?」
自分の髪や肩の水気もタオルで拭きながらおにいが言って、私はうめいて、当たり前だよ、と言おうとした──けど、何だか声にならない。だって、ちょっと、奏先輩が外国に行ってしまうことが心に引っかかっているから。
「紫陽ちゃん──」
紗琴さんが少し申し訳なさそうな声で言いかけたから、それは私のほうも申し訳なくて、「先輩は」とそれをさえぎった。
「私のこと、ほんとに好きなのかなって……というか、ほんとに好きだと思うけど、それより大事かもしれないことがあって」
「大事なこと」とおにいが首をかしげ、私は顔をおおっていた両手をおろすとため息をつく。
「それのために、私のことなんか、たぶん置いていっちゃうから」
おにいと紗琴さん、おとうさんとおかあさんも顔を見合わせる。沈黙があったのち、不意におにいが私の頭にぽんと手を置いた。
「置いていかれるって思うなら、紫陽はその人を追いかけないといけないね」
私ははっとおにいを見上げた。おにいは優しく微笑んで、「置いていかれたくないから、悩むんだよ」と言った。
置いていかれたくない。私は、奏先輩に置いていかれたくない。それは──私は、あの人のそばにいたいということ?
「……でも」
「うん?」
「私、英語話せるかなあ」
きょとんとしたおにいたちに、私はちょっとだけ奏先輩の夢とか将来のことを話してみる。そして、「ついていけると思う?」と弱気にこぼすと、みんな笑って「紫陽ならできるし、不安なら協力するよ」とおにいは答えた。「しっかりした男の子じゃないか」「早く連れてきて会わせてね」とおとうさんとおかあさんも言ってくれる。
私はそんな家族を見たあと、紗琴さんを向いて「もし、将来おにいが海外転勤とかなったら……」と答えは承知しながらも訊いてみる。紗琴さんはにっこりして、「ついていくよ」とはっきり言った。その優しいまなざしを見つめ返し、私はこくんとすると「そうですよね」とつぶやいた。
七月に入って梅雨が明けた直後、期末考査が行なわれた。それが何とか終わり、夏休みが来るのを待つだけになると、私は休み時間の教室で奏先輩にメッセを送った。
あれこれ理由をつけようかと迷ったものの、『今日の放課後、お茶できますか?』という率直でシンプルなものにする。『できますよ!』となぜか敬語で奏先輩の返信が来て、ここからどう打ち返すか考え、『じゃあ、お茶してください。』と素直にお願いしてみる。『おっけ! じゃ、また靴箱の傘立てで待ち合わせ。』と来たので、私は了解のスタンプを送って、ふうっと息をついた。
放課後までそわそわしてしまい、桐原さんには何かあるのか心配されてしまった。「大丈夫だよー」と咲っておきつつ、本当は心臓が破れそうに落ち着かなかった。
だって、奏先輩を私から夏祭りに誘うのだ。
一応、おにいと紗琴さんが協力してくれて、一緒に行こうと誘われたからという言い訳は用意してある。たぶん、断られないとは思う、けど──分からない。急に積極的になるのは変かなとか気にしてしまう。私から追いかけたら、一気に醒めるとか、奏先輩はそんな人ではないとは思うけど。
終業すると、私は桐原さんに謝って、ひとりで靴箱に急いだ。すると、今日はすでに傘立てのところに奏先輩のすがたがあった。人混みをよけて駆け寄り、「先輩」と声をかけると、奏先輩はいじっていたスマホから顔を上げ、「紫陽ちゃん」とにこっとする。
「すみません、待ちましたか」
「んーん、そんなに。てか暑いー」
「もうすぐ夏休みですもんね」
「だよねー。で、何かあったの?」
「えっ。何でですか」
「俺から意味もなく紫陽ちゃんを誘うのはあるけど、紫陽ちゃんからはないでしょ」
「………、まあ、話はあります」
「そっ。うん、じゃあ行こうか」
私たちはそれぞれの靴箱で靴を履き替え、並んで学校をあとにした。蝉の声があちこちで反響している。
【第四話へ】
