恋が咲く日-4

 ベッドサイドに腰をおろして、スマホを見つめて、そういや美由くんが大学のある街に帰るのっていつだろうと思った。すでに九月だから、大学はそろそろ始まるだろう。
 見送り、とか、させてもらえるかな。それこそご家族がいたら私は邪魔か。かといって、時間を作って会ってもらえるかも分からない。脚をじたばたさせて迷ったものの、結局、美由くんに帰省が終わるのはいつなのかを問うメッセを送ってしまった。
 間隔早かったな、せめて明日にすべきだったかな、とやや後悔していると、既読がついて、しかも意外にも即レスが来たので、どきんとしてしまう。
『来週の月曜日に夜行バスで戻るよ。
 八月末からこっちでゆっくりできたし。』
 来週の月曜日。今日は週末の金曜日。週明けは──連勤三日目!
 いや待て、夜行バスって書いてある。バイトは朝シフトだから、夜なら見送れる? ああ、どうしよう。ご家族に見送ってもらうよな。そしたら、言いたいこともどうせ言えない。というか、連勤明けのへとへとの顔で会っても──
 ううん、ごちゃごちゃ考えてもすっきりしない。見送りってご家族がしますか、と送ろうとした。が、ここで私が短文ラリー苦手の理由のひとつが出た。全部入力する前に、誤タップで送信!
「ああっ」と声を上げたときには、『見送りって』だけを送ってしまった。やば、と思っている間に既読もついて、さらにパニックになる。このパニックも短文ラリーが苦手な理由。早く続きを、と入力しようとしても、指が震えるからマジで短文ラリー嫌い!
「えと、えと、」とつぶやいていると、美由くんから返信がついてしまった。
『見送りはないよ。
 夜はみんな自分の時間があるから。』
 ないの!? 寂しくない!? と本気で思ったので、誤送信の補足よりそっちを送ってしまった。
『そんなに寂しくないよ。』
 そ、そうか。そんなもんなのか。けれど、ということは見送りに行けば美由くんとふたりで話せる?
 迷惑、ではないかな。帰る前にひとりで出歩きたいとかあったりしたら。いや、美由くんなら静かに出発時刻まで本読んでそうだな。
『私、見送りに行ってもいいですか?』
 深呼吸して、えいっとその一行を送信した。既読が浮かぶ。しーんとした部屋の静けさが耳に障る。どきどきしている。息遣いをきゅっと唇を噛んでこらえたとき、着信音が鳴った。
『構わないけど、出発が二十二時とかだよ?
 帰り道、大丈夫?』
 それは大丈夫です! バイト、大学のあるとき夜シフトに入ったら、帰宅は二十三時なので!
 それを送ると、美由くんの返信がつく。何か、このリアルに会話してる感じ、ちょっと悪くないかも。
『じゃあ、戻る前に少しだけ会う?』
 やっ……たあ! 文面、見間違いじゃないよな。美由くんも誰かと間違えてないよな。
 見送りさせてもらえる! ふたりで会える!
『会わせてください!』と送ると、美由くんはバスターミナルがある駅を教えてくれて、その駅構内にカフェでもあればそこに入ろうとも言ってくれた。待ち合わせの時刻は、私のバイト上がりである十七時から余裕をもって、十九時。十九時でも、二十二時までなら三時間ある。
 私は胸がふくらむのを感じつつ、『じゃあ、来週に!』と送ってスタンプも送信した。『ありがとう。またね。』と美由くんは返してくれて、スタンプが続かないのはたぶん持ってないのかなと想像がつくのが、美由くんらしいなと思った。
 土日は相変わらずばたばたとバイトがいそがしかった。特に日曜日は残業して、最終回が盛り上がりを見せている夏アニメ、そして期待されている秋アニメの原作やコミカライズのPOPも作ったりした。
 月曜日は週末ほど多忙ではなく、定時であがることができた。一度帰宅するのは手間なので、職場の更衣室で持ってきた服に着替えて化粧も直す。それから、「お疲れ様でした!」といつになく元気よく退勤して、私はそのまま美由くんが教えてくれた駅まで向かった。
 美由くんからは、南口のチェーンのカフェにいるというメッセが届いている。デートみたいかもしれない、とか思って勝手にまたどきどきする。桜さんにいいんだよって言われたからって、急激に恋愛脳になったな私。
 リュクももちろん大切だし、こないだオンリーショップでお迎えしたグッズも、拝んでは愛でているけれど。身近なリアルの存在に恋をしていると思うと、心臓とか神経とか脳内とか、生きている実感がすごい。
 しかし私、しばらく会えない美由くんに会って、どうするつもりなのだろう。まさか告白するのか。いや、好きな人について訊くくらいに留めるべきか。美由くん、本当は私よりその人に見送りとかしてほしいだろうな。そう思うと少し気持ちがすくんだけど、振りはらって到着した目的の駅で電車を降りた。
 南口、と口の中でつぶやき、案内板を見上げながらまずは中央改札に出た。そこから、南口の文字をたどって、帰宅ラッシュの人混みを抜けていく。私も知っているカフェのマークが左右どちらにもなかなか見つからなくて焦ったものの、窓際の席が夜景に面しているところにそのカフェを発見した。
 ほっとしてそのカフェに入ると、けっこう広い店内を見まわす。そして、奥のほうに本を読んでいる美由くんのすがたを発見したので、私はフルーツスムージーをテイクアウトしてその席に向かった。
「美由くん」
 私が声をかけると、美由くんは本から顔を上げ、「咲坂さん」と物柔らかに微笑んでくれた。艶々した黒髪や眼鏡の奥の穏やかな瞳、文庫本の上の武骨すぎない手を見て、何かやっぱこの人レベル高いなと思った。私とか不釣り合いだよなあと感じつつも、正面の空席にお邪魔させてもらう。美由くんはアイスカフェラテが飲みかけだった。
「バイトだったのに、来てくれてありがとう」
 美由くんが言って、私は首を横に振る。振ったあとに、言葉をつけなくては、と気づいて「ぜんぜん、えと、平気です」とか言った。
「先週は、強引にお昼にも誘ってごめんね」
「いえっ。その、みなさん優しかったので」
「そっか。今は食べなくていい? 食べるならおごるよ」
「あ、大丈夫です。でも暑いので、これ飲みますね」
 そう言って私はフルーツスムージーをストローで飲む。微粒子の氷が入っていて、からからの喉にありがたい。ごくごく飲んでいたけど、美由くんが見つめてきているのに気づくと、一気飲みは恥ずかしいなといったん息をついた。
「あ、……えと」
「うん?」
「また、しばらく向こうなんですよね」
「そうだね。年末年始はこっち帰らずに勉強だと思う」
「弁護士、なるの大変なんですね。美由くんなら、もっとあっさりなれる気がしてました」
「はは。留年してないだけ、順調なんだよ」
「そうなんですか。すごいなあ……」
 私がほうけるように言うと、美由くんは咲って本を隣のバッグにしまい、カフェラテを手元に引き寄せる。
「南と司のためなんだ」
「えっ」
「僕が弁護士を目指す理由」
「南さん。えーと、司さんっていうのは」
「南のパートナーの」
「あ、例の方ですね。お名前は知りませんでした」
「うん。僕……昔から、よく『ホモに育てられてる』って、イジメを受けることが多かったんだ」
「えっ……」
「そう言われて、強く言い返せない自分が嫌いだった。奏とかは、『ふざけるな』とか言えるんだよね。でも僕は──何でそんなことを言われるのか分からなくて、泣くだけだった」
「……そう、なんですか」
「でも、南と司がどれだけ愛し合ってるかは知ってるから、それが僕の誇りだったし。『ろくなものになれない』って言われたんで、しっかりした大人になって、南と司が正しいことを証明しようって思ったんだ」
「それで、弁護士」
「うん。日本はまだ同性婚までは認められてないからね。合法化する活動にも参加したいし、今できるだけの同性パートナーを持つ人の権利を守りたいなって思ってる」
「……すごい、ですね」
「子供の頃は、南と司のために闘えなかったから。これからは、ふたりのためにも頑張りたい」
 美由くんは照れ咲いを見せると、カフェラテを少し飲む。そして、「高校のときは」と話を継ぐ。
「もう、そういうイジメはなかったけど。咲坂さんはつらい想いしてると思って、何か……そのまま、こんなふうに友達になってもらって。正義感とかじゃなくてごめんね。自分がダブったところが大きかったんだ」
「そんな、ぜんぜんいいんですよっ。というか、むしろ納得です」
「そっか。今は、嫌がらせとか大丈夫?」
「はいっ。職場みんなヲタなんで。大学は、まあ……友達いませんが、どうせ卒業ですし」
「そう。何かあれば、相談してね」
「弁護士のたまごさんにそう言ってもらえるのは心強いです」
 美由くんは微笑して、ストローに口をつける。私はそれを見つめて、自分もスムージーを飲んで、「あの」とこわごわと口を開く。
「美由くんは、その……こっちを離れて、前話してた人に、あ、会えてる……の、でしょうか」
「え?」
「ええと、何というか……高校のとき、好きな人がいるって」
「あ──」
「いや、すみませんっ。その人に好きな人がいるのも聞いてるのに。何かえぐるみたいですね。すみません……」
 しゅんとした私に美由くんは笑いを噛み、「会ったよ」と言った。どくんと鼓動がざわめく。
 ……会った、のか。
「『好き』っていうのも伝えたんだけど」と美由くんの言葉が続いて、今度は頭をがつんと殴られた気がした。
「伝わらなかったみたい」
「えっ……え、『好き』って言ったのに?」
「うん」
「何……その人、鈍感なんですか?」
「どうなのかな」
「………、それでも、その人が好きですか」
「まあ、そうかな」
「そう……ですか」
 私はうつむいた。
 ダメだ、と思った。ダメ。ほんとダメ。私とかダメだし、美由くんに期待するのもダメだし、今泣くのだって──
 そう思ったのに、視界が緩んで、今にもこぼれそうになった。「その人、変わらずに好きな人が好きみたいだったし」と美由くんは言った。
「お弁当でよく食べてたカニクリームコロッケも、おいしそうに食べてたな」
 ……え?
 えっ……
 えええ?
 顔を上げた。拍子に涙が落ちてしまい、美由くんはそれに気づいて驚いた顔になる。しかし私自身は自分が泣いていることに気づかず、「えっ?」と声にも出してしまう。
「待っ……えっ? ちょっ、それって──」
「咲坂さん、」
「それ、って。……いや、『好き』って──あ、言われた。言われた! えっ、あれはそんな、そういう意味とは思わなくてっ。あれ? 私には好きな人とか……まさかリュクですか? いや好きですけど!」
「あ、あの、泣いてるけど……迷惑だっ──」
「迷惑じゃないですよっ。あっ、何か失恋したのかなあって思って、泣きそうだったのが、そのまま……」
「失恋、って」
「私、……私も、美由くんが好きなのでっ。そんなに好きな人がいるなら、あきらめないとって……って私、自分に嫉妬してたんですか? うわ、バカじゃないですか」
 混乱する頭の中をそのまま口にしている私に、美由くんはぽかんとしていたけど、不意にくすっと噴き出して「やっと伝わった」と笑みを見せた。その笑顔は、初めて見るぐらい嬉しそうな笑顔で、私の胸はきゅっとときめく。
「『彼』には勝てないと覚悟してたんだけどな」
「……それ、ほんとにリュクですか?」
「もちろん」
「………、同じくらい好きです」
「はは、そっか」
「リュクと同じくらい、美由くんが好きです」
「僕も咲坂さんがずっと好きだったよ」
 自然なぐらいに優しくそう言われて、私は結局ぼろぼろと泣き出してしまう。化粧が落ちちゃうから泣くなと思っても、涙が止まらない。
 だって、美由くんが、好きな人が、私のこと好きって言ってくれた。
『花が咲くことを、微笑むっていうじゃない?
 彼女は、あの笑顔で私に花を植えたの。』
 桜さんが、そうブログに書いていたことがある。好きな人について、最後に触れていた記事。花を彼女に贈ることはもうできない。でも、ほかの人に贈る可能性を今なら考えられる。だから、そのときが来たら咲ってねと。
 この記事を最後に、桜さんはブログで二度と好きな人について触れなかった。
 私は、この咲いた花を美由くんに贈ることができるんだ。受け取ってもらえる──ううん、もう受け取ってもらったんだ。私の心に咲いた、恋という花。私はそれを好きな人に渡せた。
 花なんか枯れるとか。散るとか。そういうことも言われるけど、今、そんなことはどうだっていい。
 鮮やかに咲いたこと。
 きっと、それが一番大切だ。
「美由くん」
「うん?」
「ありがとう」
 涙で視界はぐちゃぐちゃだけど、私の言葉に美由くんが咲ってくれたのは見取れた。
 ああ、もう。ほんとに私でいいのかな。もったいないよな。そんなことも考えてしまうけど、こんなに私を認めてくれる男の子、きっとほかにはいない。
 つかまえておかなきゃ。離れないように、つながっていたい。
 そう思って、私は何とか泣きっ面を引っこめて、美由くんに向かって微笑む。花が咲くみたいに微笑む。
 恋が咲いて、その香りが甘くて、心も軆も蕩けるように感じながら、めいっぱい幸せに微笑むんだ。

 FIN

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