早穂の場合
従兄の柊ちゃんは、昔から私の憧れで、一番大好きな男の人だった。
お正月やお盆、柊ちゃんに会えると私はそのあとをいつも追いかけた。柊ちゃんはそんな私に絵本を読んでくれたりする。従姉の姉妹の桃子ちゃんと静香ちゃんに対するより、柊ちゃんが私には優しいのも嬉しかった。
柊ちゃんといるときには、私の中では誰も勝てない。「早穂、もう絵本はおとうさんが読んであげるから」とおとうさんが私を引き取ろうとしても、「おとうさんより柊ちゃんがいい」と柊ちゃんにくっつく幼い私は返す。おとうさんはがっくり肩を落としたあと、「柊ちゃんには勝てないなあ」なんて苦笑した。
「いとこはね、結婚ができるんだよ!」
桃子ちゃんと静香ちゃんにそんなことも吹きこまれて、柊ちゃんと結婚できちゃったらどうしようなんて妄想をするときもあった。だけど、中学二年生の夏、私はそれが絶対に叶わないことを知ってしまった。
柊ちゃんがほかの人と結婚してしまったとかではなく──いや、つきあっている人はいたのだけど、その人は、男の人だったのだ。柊ちゃんは同性愛者だった。だから、柊ちゃんがけして私を「対象」として見ないことを、息ができないぐらいにきつく知らされてしまった。
柊ちゃんが自分のことを告白した食卓は、しばし硬直したとはいえ、桃子ちゃんと静香ちゃんのおかあさんである伯母さんを初めとして、みんな柊ちゃんを温かく受け入れていた。私のおとうさんとおかあさんも、桃子ちゃんと静香ちゃんだって。翌朝の朝食のとき、おじいちゃんとおばあちゃんも柊ちゃんを励まし、みんな、柊ちゃんを理解していた。
私だけが、素直に柊ちゃんに咲えないまま、お盆はおかあさんの実家をあとにした。
柊ちゃん。男の人とつきあってる。……私にあんなに優しかったのに。
やっぱり、私なんかただの従妹だったんだな。そんな気持ちになる自分が、醜いこともどこかでは分かっていて、自己嫌悪も綯い混ぜになった憂鬱に憑りつかれてしまう。
お盆から私の元気がないことは、おとうさんもおかあさんもすぐに察して、「早穂は柊ちゃんが大好きだもんね」とおかあさんがなぐさめるように言った。
そう。柊ちゃんが大好き。だから、柊ちゃんが男の人を好きになるなんて、まだ信じられない。「でもね」とおかあさんは私の瞳を覗きこんで頭を撫でた。
「柊ちゃんは、自分の幸せに胸を張っていいと思うわ」
幸せ──。桃子ちゃんと静香ちゃんも言っていた。柊ちゃんが幸せならいいんだよね、と。
何で私はそう思うことができないのだろう。それが柊ちゃんの幸せだったら、認めてあげることが、柊ちゃんに対する一番の思いやりなのに。
柊ちゃんが私を見ることは、柊ちゃんにとってけして幸せなことではない。それどころか、苦痛かもしれない。なのに、私は自分が柊ちゃんの幸せの存在になれないのが悔しい。
夏休みが終わって二学期が始まっても、愁えてため息ばかりで、友達には心配された。でも、王子様みたいに話していた従兄のおにいちゃんがゲイだったなんて、もちろん友達には勝手に相談できない。
九月が終わり、十月になって、やっと残暑が緩やかに崩れはじめて、涼しい日もあるようになった。委員会活動が後期に切り替わって、私は緑化委員になった。仲良しの友達はどうしても放送委員がやりたいと言ってそちらを選び、私の委員のパートナーになるのは、話したこともない男の子だった。
柊ちゃんのことは好きだけど、男の子のことはあんまりよく分からない。柊ちゃんがカウントされないなら、初恋も経験していない。初めて後期の委員会の集会が行なわれたときも、口もきかずにその男の子と目的の教室に向かって気まずかった。
ついてないなあ。そんなふうに感じつつ、花壇の世話の当番などを決める話し合いに参加して、私は水曜日の朝には早めに登校して水やりと草むしりをすることになった。早起きは苦手じゃないけど、この人とふたりで作業するのかあ──そう思って隣の男の子をちらりとすると、その子も私を見ていて、視線がぶつかった途端に彼はうつむいてしまった。
名前が浮かんでこないので、その子の名札を見た。『羽崎』と書いてあった。羽崎くん、か。名前は名札にはないので、やはり分からない。ちょっと長めの前髪で目元を隠していて、軆つきもまだ男の人になりきっていなくて危うい。暗い、と言っては悪いけれど、あんまり活発そうな印象はなかった。
集会があったのが木曜日の六時間目で、水曜日の朝は一週間後だった。早めに学校に向かうと、羽崎くんはすでに登校して花壇の草むしりをしていた。まさかそこまで几帳面に行動すると思っていなかったので、私は「ごめんね、すぐバッグ置いてくる」と羽崎くんに声をかけて、急いで教室にスクールバッグを置きにいった。
でも、もう涼しくなってきた秋だから、雑草もそんなに勢いがあるわけでもない。私はその日、ほとんど草むしりをすることはなく、如雨露で水を撒いただけだった。
「ごめんね、遅く来たせいで」
私が謝ると、羽崎くんは首を横に振って「牧村さんに草むしりとかさせたくないから」と声変わりは済ました声で言った。その意味がよく分からなくて、「そ、そうなんだ」としか言えずに微妙に咲うと、羽崎くんはやっぱりうつむいた。
それから、毎週水曜日の朝は羽崎くんと花壇のお世話をした。初めは気まずいと思っていたけど、やがてお互い無言で作業していても緊張しない程度にはなった。「牧村さんは水をあげてて」と言って、草むしりはいつも羽崎くんがやってしまう。
私はその手が土に汚れているのを見て、まさか女の子の手を汚すわけにはいかないと思っているのだろうかと思い、いやそんなこまやかな気遣いをする男の子なんていないかと思い直す。でも、もしかしたら本当に気を遣ってくれているのかもしれないし、廊下の手洗い場で手をゆすいだ羽崎くんに、私はハンドタオルを渡すようになった。羽崎くんは躊躇いつつも受け取り、手を拭くと「ありがとう」とたたんで返す。そんなやりとりを重ねていたら、十一月になった。
その水曜日の朝も、羽崎くんは草むしりをして、私は如雨露で鮮やかに咲いたマリーゴールドやシクラメンに水をあげていた。よく晴れていても、風がだいぶ冷たくなった秋冷の朝だった。
一応、毎日緑化委員が世話をしているし、涼しくなって雑草もそれほど生えていなくて、羽崎くんはすぐ作業を終えてしまった。私はのんびり水を撒いていたから、「あ、先に教室帰ってていいよ」と慌てて言うしかなく、けれど羽崎くんはもうひとつ如雨露を持ってきて、水やりを手伝いはじめた。
「……花とか、好きなの?」
まじめすぎる気がして、普通に植物が好きなのかなあと私が不意に尋ねると、「えっ」と羽崎くんはびくりとした感じでこちらを見た。そこは校舎沿いの花壇で、窓から廊下は見えるけど、周りに人はいなかった。
「あ、何か──ちゃんとお世話してるから」
「………、親のガーデニングは手伝ってる」
「そう、なんだ。ガーデニングじゃないけど、おじいちゃんが家庭菜園やってるなあ」
「一緒に住んでるの?」
「ううん、田舎でね」
「……そっか」
羽崎くんは如雨露をかたむけ、朝陽がきらきら反射するシャワーを花に与える。ひんやりした秋風が、私のスカートの裾や羽崎くんの長い前髪を揺らす。会話が続かない、と思っていると、「牧村さんは」と羽崎くんが急に切り出した。
「俺と、こんな……地味な委員やってて、つまらないと思うけど」
「えっ?」
そんな顔してるかなと焦ったものの、羽崎くんは水やりの手を止めて、水滴がきらめく花たちを見つめる。
「俺は牧村さんと、毎週少しだけこんなふうに過ごせて、嬉しい」
羽崎くんの横顔を見る。ちょっと緊張にこわばった顔をしている。嬉しい、と言われて、同じ言葉を返すほどの感情は確かになかったので言葉に詰まると、羽崎くんは私を見た。
「好きだから」
「はっ?」
「牧村さんのこと、好き……というか、憧れだったから」
心臓がどきっと跳ね、途端に、頬の熱と共に心拍数が上がる。
え。え? 何? 羽崎くん──私のことが好き? まばたきもせずに羽崎くんを見つめてしまうと、羽崎くんはぎこちなくうつむいた。
「ごめん」
「えっ……」
「俺、暗いし。かっこよくもないし。目つき悪いし。釣り合わないって分かってるけど」
「あ、えと……」
「ごめん、言わないほうがよかったよね」
「そ、そんな……ことは、ないけど、……えっと」
「ごめん」
謝ったきり、羽崎くんは口をつぐんでしまった。無言で水やりが終わり、教室に戻る。
羽崎くんが手洗い場に寄らないので、あれ、と思ったら、どうやら如雨露を取りにいったときに手を洗ったみたいで、その指は汚れていなかった。タオル貸せなかった、とポケットに入れるのが習慣になっていたハンドタオルを、スカートの上から握りしめる。
どう、しよう。返事しなきゃ。来週の水曜日の朝? 何て返事するの? 羽崎くん、いい人だとは思う。気弱というか、ちょっと卑屈というか、でも優しい感じはある。不器用なのかな。嫌いじゃない。意識してこなかったけれど、毎週過ごして、そう感じるようにはなっている。だけど──
ひとりで考えるのは、どうしてもキャパオーバーだった。私は例の放送部でお昼のDJを謳歌している友達である千重ちゃんに、絶対に人に話さないのを約束してもらって、顛末を打ち明けた。
日曜日の駅前のファーストフードで話を聞いていた千重ちゃんは、告白してきた男子が羽崎くん、というところで飲んでいたストロベリーシェイクで噎せてしまった。「大丈夫?」と私があわあわと覗きこむと、「早穂ちゃん」と千重ちゃんはきっと私を見る。
「羽崎じゃなくていいでしょ」
「えっ」
「早穂ちゃんに憧れてる男子なんて、ほかにもたくさんいるんだよ」
「え、そんなのいな──」
「いるのっ! 何ならクラスだけじゃなくて先輩にも後輩にもいるのっ。早穂ちゃんは、うちの中学でトップクラスの美少女なんだから」
それは言い過ぎなのでは、と首をかしげると、「もう、自覚ないのかあっ」と千重ちゃんはシェイクを吸って飲みこむ。
「危ないなあ。だから羽崎にも引っかかるんだろうけどっ」
「引っかかるというか……」
「波原先輩」
「はい?」
「波原先輩、知ってるでしょ。うちの放送部の」
「ああ……何か、選曲とか人気の人?」
「選曲のセンスもいいけど、波原先輩自身もすっごく人気なんだよ。声優レベルのイケボとあの語り、最高でしょ」
「はあ」とぼんやりした答えをしたせいか、千重ちゃんはシェイクを置いて私の瞳を見据えた。
「早穂ちゃん」
「は、はい」
「無駄に悩ませたくなくて言わなかったけど、あたし、波原先輩に告ったんだよね」
「え、好きなの?」
「好きだった。好きな子がいるからごめんって言われたから、もうあきらめた」
「好きな子……」
「誰ですかって訊いても、一時間ぐらい教えてくれなかったけど、最後には吐いた。早穂ちゃんのことが好きだって」
「えっ──」
「大丈夫、怨んでない。むしろ早穂ちゃんなら納得だし、無理やり訊いたのもあたしだし」
「でも」
「波原先輩を応援までしないけど、とにかく、そんなみんな憧れる先輩も早穂ちゃんを狙ってるんだよ? もっといろんな男子を見てみなさい」
「……いろんな」
「早穂ちゃんも、今そういう努力をしようとはしてるんでしょ」
「え、何で」
「従兄のおにいちゃんの話が明らかに減ったもん。従兄はダメだよ、ほんと。いろいろめんどくさい」
「柊、ちゃん……」
「早穂ちゃん、何にも言わないけど、何かあったんでしょ。夏休みにおにいちゃんに会えるの楽しみにしてたのに、新学期になったらほとんど話さなくなったし」
私は顔を伏せ、千重ちゃんには隠せてなかったかあ、と情けなくなりながら「柊ちゃん、つきあってる人がいた」と半分だけ正直に言った。「そんなことだろうと」と千重ちゃんはナゲットに赤いソースをつけて口に放る。
「ま、従兄のおにいちゃんに熱上げなくなったのはよしだわ。だからって、羽崎ではなくてもいい。早穂ちゃんにはもっと選ぶ権利がある」
「羽崎くん、いい人だと思うけど……」
「それはおにいちゃんを離れて、すぐ接した奴の刷り込みだから。あんな……言っちゃ悪いけど、本人の申告通り、暗いと思うよ? 一緒にいたら滅入るよ?」
「そう、かなあ」
私が首をかしげるのを眺めて、千重ちゃんはふうっと息をつくと「分かった」とうなずいた。
「じゃあ、羽崎と過ごしてみなさい」
「えっ、つきあうの?」
「早穂ちゃん、意外と極端だよね。まず一日だけ。一日、デートして考えるの」
「デート……」
「水曜日の朝以外に、羽崎と過ごしたことある?」
「な、ないよ」
「じゃあ、そのとき以外の羽崎とも接してみないと。デートして、早穂ちゃんがやっぱり『羽崎くんいい人だな』って思うなら、つきあえばいい。それならあたしも文句言えない」
「一日で判断できるかな……?」
私のとまどいに、「それはね」と千重ちゃんは気持ちいいくらい分かりやすく答えてくれる。
「デートの最後に、また羽崎とデートしたいって思うかどうか」
「な、なるほど」
「全部雑誌に書いてあったこと言ってるけどね、あたし。とにかく、今すぐ羽崎とつきあうのは置いといて。つきあいはじめたあとに相性悪かったら最悪でしょ?」
「そっか。そうだよね」
「今度の水曜日には一度どっか出かけようって言うの。デートという言葉は使わないほうがいいかも。羽崎には刺激強そうな気がする」
こくこくとうなずき、本当はメモでも取りたかったけど、紙もペンもないので千重ちゃんのアドバイスを頭にたたきこむ。そして、冷めてしまったアップルパイを私がようやく食べはじめると、「羽崎ねえ」と千重ちゃんは頬杖をしてフライドポテトをつまむ。
「まあ、この早穂ちゃんに告ってきたとこは勇者かもね」
口の中で蕩ける甘い林檎を飲みこみ、「告白されたの初めてだよ」と私が言うと、「早穂ちゃんは、気軽に手出しできない美少女なの」と千重ちゃんは言い切る。美少女かは分からないけど、自分が箱入りに見えるのは何となく自覚した。
そんなわけで、次の水曜日はどきどきしながら登校した。つきあうと返事をするわけじゃないけれど、羽崎くんをデートに誘うのだ。デートという直接の単語は禁止だけど。
いいよって言ってもらえるかな。面倒だなって表情が見えちゃったらどうしよう。杞憂ばかり巡らせて、そわそわ通学路をたどっていると学校に到着していた。羽崎くんは相変わらず先に来て、校門から靴箱への道沿いにしゃがんで草むしりをしている。
私は一瞬足を止め、ふうっと深呼吸すると、「羽崎くん、おはよう」とその背中に声をかけた。羽崎くんはこちらを振り向き、「……あ、」と声をもらしてから、急いで「おはよう、牧村さん」と続ける。
そういえば、羽崎くんは自分のことを目つきが悪いと言っていたけど、その前髪で私は彼の目つきを知らない。私は羽崎くんのかたわらに歩み寄ると、隣にしゃがみこんだ。
「羽崎くん」
「う、うん」
「先週の──考えたんだけど」
「……うん」
「私、何というか……羽崎くんのことをよく知らないから」
「………、うん……」
「一度、お休みの日にゆっくり会ってもらうのは無理、かな」
「……えっ」
「羽崎くんの好きなところでいいから。あ、いきなりおうちとかは行けないけど。何というか、お茶するというか」
「い、いいの……?」
「いい……です、けど、え、羽崎くんはいいの?」
羽崎くんは私のほうを見て、「俺は」と口ごもりながら言う。
「牧村さんと休みに会えるとか、すごく嬉しいけど……無理、してない?」
「してないよっ。むしろ、ごめんね。まだ返事を決められなくて……」
「いや、ぜんぜん。考えて……くれるだけで嬉しい。ほんとに。ありがとう」
「まわりくどくて鬱陶しくない?」
「そんなことないよ。ちゃんと、俺なんかのことでも悩んでくれるの、牧村さんらしいと思う」
ほっとして私が咲うと、羽崎くんもほんのわずかに笑みをこぼした。私が思わず「初めて咲った」と言ってしまうと、「えっ」と羽崎くんは慌てたけれど、私がにこにこしているのを見て、恥ずかしそうに、また咲った。
十二月になって期末考査が終わると、あとは受験のことを言われはじめながらも、冬休みを待つだけになる。その頃の日曜日に、私は羽崎くんと会って植物園に行った。「今、スイセンとかカトレアが綺麗だから」と私服の羽崎くんは言って、「やっぱりお花好き?」とアイボリーのワンピースの私があの質問をまたすると、今度は羽崎くんは小さくうなずいた。
植物園には、冬の花がたくさん咲いているほかにも、温室で季節外れの植物も見れたりした。サザンカ、プリムラ、クリスマスローズ、羽崎くんが解説してくれる冬の花ももちろん綺麗だったけど、十二月ということで真っ赤なポインセチアが印象的だった。
「とうさんとかあさんが、自分たちのクリスマスはヒイラギだったのにってよく言ってる」と羽崎くんはヒイラギの前で立ち止まる。私はヒイラギの解説を覗きこみ、どきんとした。
ヒイラギって、そうだ、“柊”って書くんだ。私は儚げに白く咲くヒイラギを見つめて、柊ちゃんはクリスマスは彼氏さんと過ごすのかなと思う。
私が急に黙りこんでしまったせいか、「やっぱ、つまらないよね」と羽崎くんが申し訳なさそうに言って、私は周章してかぶりを振った。
「そんなことないよ。お花のこと詳しくないけど、そのぶん羽崎くんの説明が聞けて楽しいから」
「……でも」
「ほんとだよっ。春になったらまた来たいもん」
自然とそう言っていて、はっとした。また、来たい。もちろん嘘じゃない。ほんとに、普通に、そう思っていた。春は桜なのかな、なんて思うと、当たり前のようにまたここに来たいと思っていた。もちろん、羽崎くんと。
「……ま、また、連れてきてくれる? 春に」
急速に鼓動を感じながら私が言うと、羽崎くんもはにかみながら「うん」とうなずいた。ほのかな笑みを絡めあうと、私たちはヒイラギの前から歩き出した。
植物園のおみやげに、羽崎くんはガラス細工のポインセチアのブローチを買ってくれた。「一番見てたから」と言われて、「植木がたくさん置いてあるんだもん」と私は返しつつ、嬉しくて「ありがとう」と羽崎くんに微笑んだ。
ゆったり静かだった植物園を出て、地元に戻るために駅前に出ると、どこからかクリスマスソングが流れている。人が多くて、手とかつないだほうがいいのかなと思ったけど、勇気が出なかった。そのまま駅に到着して電車で町に帰る。夕暮れだったので羽崎くんとは駅で別れた。
また明日、学校で会うのだけど、普段の教室では羽崎くんとは接点がない。水曜日まで話せないのかと思うと何だか寂しくて、もらったおみやげの小さな箱を取り出して見つめた。箱を開くと、赤いガラスに金のビーズがあしらわれた、小さなポインセチアが咲いていた。
暗くなる前に家に帰りついた私は、自分の部屋でケータイを取り出し、羽崎くんと連絡先も交換しなかったことに気づいた。水曜日に訊いてみようかな。教えてくれるかな。そんなことを考えつつ、ベッドサイドに腰かけると、ケータイに入っている柊ちゃんの電話番号を表示させる。
何分か躊躇ったものの、思い切って通話ボタンを押してコールに耳を当てた。
『もしもし?』
思いのほか、すぐ柊ちゃんの声が聞こえてきた。「あ、」と私が思わず言葉に迷うと、『早穂? 何かあったのか?』と柊ちゃんはやや心配を綯い混ぜた声音で言う。
「柊……ちゃん」
『うん』
「………、あの、好きな人……」
『え?』
「す、好きな人の、話……聞きたいな……って」
『えっ──』
「柊ちゃんの、好きな人の話」
何秒か沈黙があり、『……聞いてくれるのか?』と柊ちゃんは窺うような声で言う。
「うん。夏はちゃんと聞けなかったから」
『もうすぐ正月だし、また会うぞ』
「今聞きたいのっ」
『はいはい。えー、そうだな……』
それから、柊ちゃんはつきあっている彼氏さんの話をしてくれた。中学の後輩で。向こうから手紙をくれた。でも告白したのは柊ちゃん。高校も同じところ。今彼氏さんは、在宅の仕事のためにPCのスキルを学んでいる。彼氏さんが大学を卒業したら、ふたりで暮らしていきたいから。彼氏さんが家事をできるよう、在宅を考えている──。柊ちゃんがあんまりいっぱい話してくれるから、私は何だか咲ってしまって、「もうこれ以上はお正月に聞くっ」とついに音を上げた。すると柊ちゃんも咲って、『早穂は?』と言った。
「え、私?」
『早穂も好きな奴とかいたりしないのか?』
「私……」
手元に置いているブローチの箱を見た。自然と笑みがこぼれ、「うん。いるかな」と答えていた。『そっかー』と柊ちゃんは参ったように言う。
『早穂にも好きな奴かあ。桃子に彼氏ができてたのにもびっくりしたけど』
「あのね、すごくいい人なの。優しいし、何か、咲うとかわいくて」
『はは。早穂がえらんだ奴だもんな。いい奴だと思うよ』
「でも、まだ告白してない……」
『そうなのか。向こうの気持ちとかは分かんない感じ?』
「……『好き』って言ってくれた」
『何だよ。じゃあ、早穂も「好き」って言うだけじゃん』
いいのかな、と言おうとしたけれど、何だか違う気がして、飲みこんだ。いいのかな、なんて──羽崎くんが暗いとかそういうのを気にしているみたいだ。私はそんなの気にならない。私の前では、ヒイラギの花みたいにささやかに咲ってくれる、そんな羽崎くんが好き。
「柊ちゃん」
『うん?』
「幸せになってね」
『おう。早穂もな』
「うん。ありがとう」
『……年末にはさ、かあさんのほうのじいちゃんとばあちゃんにも話そうかと思ってて』
「そうなんだ。頑張って」
『昔は考えられなかったけど。知られたら、じいちゃんたち死ぬだろとか思ってた』
「それ、失礼だよ」
『うん。失礼だった。今は──何か、信じられる。それはとうさんのほうのみんなが、分かってくれたからだから。ありがとな』
私は柊ちゃんの声にうなずきながら、水曜日まで待てないかもしれない、と思った。今まで通りじゃなきゃいけない、そんな必要はない。「今まで」なんて乗り越えて、前に進まなきゃ。私だって変わらなきゃ。
柊ちゃんが幸せになったことを、今、ようやく嬉しいと思える。それが彼女さんか、彼氏さんか、そんなことはどうだっていい。柊ちゃんが大好きな人なんだ。そんな人と、柊ちゃんは未来を描いて生きていっている。
祝福できる。男の人は女の人と。女の人は男の人と。そういう古い考え方が、危機にさらされて──今、しっかりぶち壊された。柊ちゃんが幸せなら、私はその相手が男の人であることなんか気にしない。
私も明日、羽崎くんに教室で話しかけよう。またデートしたいって思ったんだから、千重ちゃんも文句はないだろう。羽崎くんとなら、私は幸せになれる。
あとは私が「好き」って伝えるだけ。頑張ろう。そして新しい視界に踏み出す。私だって、柊ちゃんに負けないぐらいの幸せをつかむんだ。
FIN
