彼は、僕の軆を見下ろした。僕の突出した性器に、疲れ切った視線がそそぐ。
僕はシーツに横たわり、何も思わなかった。彼のことをバカだとかドジだとか嘲りもしなければ、男で悪かったなと高ぶりもしなかった。落胆した沼に申し訳ない気持ちはちらついた。義父の元に帰らずにすましてくれた、感謝のようなものがあったせいだ。
おそらく彼は、女の子じゃない僕はいらない。どうされるだろう。このまま捨てられるだろうか。殺して捨てるだろうか。そのへんにいたと嘘をついて、義父に返すだろうか──
結局、彼は何もしなかった。自分の顔も見た誘拐相手を放免するほど、彼は度胸のある人間ではなかった。
黙って僕に服を着せた。僕は彼を見つめた。彼は無視して明かりを消した。もう僕を抱きしめなかった。
彼が眠っていない気配はしていた。僕も眠れなかった。彼の背中をじっと見ていた。そこに立ちのぼっているのが、拒絶なのか困惑なのかは分からなかった。先に寝たのは僕で、自然に起床した朝まで神経は何も知覚しなかった。
翌朝、彼は食事をくれた。冷蔵庫から出されたぱさぱさのごはんや惣菜だったが、食べられたら良かった。
茶碗に盛られたごはんを銀のスプーンですくう僕を、彼は見つめていた。僕が顔を上げると目をそらす。昨日とは違った感じで彼の心が読めず、僕はきょとんとしてごはんを食べた。注意を向けないと、彼は僕を観察した。
ほかは何もしなかった。何も言わなかった。僕も無言だった。一日じゅうそうだった。雨戸は開けてもカーテンは閉めっぱなしの陰った部屋で、僕と彼はふたりきりだった。
昨夜、寝る前に床におろされたランドセルが目に入り、学校にも行かなくてすむんだなあと思った。
彼も識閾を彷徨っていた。どこにも行かず、僕の隣でぼうっとしたり、写真集を眺めたりしている。
学校を思ったとき、お仕事には行かないのかなと思った。のちに知った事実を言うと、彼は無職だった。その無気力加減でクビになったばかりだった。そのときの僕には、働かない大人からして思い設けなかったので、変なの、と首をかしげるばかりだった。
彼は、ときおり僕を見た。僕が見返しても彼は目を背けるので、僕はわざとうつむいたままでいた。だるい、雨の日みたいに単調な時間は、夜になって彼が再び僕に触れて初めて動いた。
僕は彼を見た。彼は目をそらさなかった。僕の髪を撫でた。経験のない撫で方に、僕はまばたきをした。
彼は膝にあった本をはらうと、そこに僕を乗せた。彼は僕を抱きしめ、僕は彼の胸に頬を押し当てた。彼の声は鼓動に混じって、肌を伝うように聞こえた。
「男だからって、助かると思うなよ」
彼に上目をした。意味が分からなかった。が、助かると思うな、という言いまわしが、逃げられると思うな、という感を含んでいたので怖くはならかった。
彼が意思の何であれ、僕に逃げる気はなかった。逃げたくなかった。ここにいることこそ、僕には逃げているということだった。
ここを放り出されたら、僕は学校でみんなにバカにされる。おばさんに痛めつけられる。おじさんに恥ずかしいのをされる。嫌だった。ここのほうがずっといい。ちっとも怯えない僕を、黒い沼はこわばりながら受け止めた。
そのあと、彼は玄関から部屋を出ていった。僕は持ち歩きできないぬいぐるみみたいに取り残された。床に座り、おとなしくしていた。彼に抱きしめられた感触が軆じゅうに残っている。
けれど、ひとりの時間が長引くほど、彼の体温が蒸発して寂しくなった。抱えた膝に顔を埋める。長い髪がさらさらとした。
帰ってきた彼は、スーパーのふくろを提げていた。そのふくろはやたらと大量だった。僕をここに隠すのを決めた彼は、なるべく部屋を出ないつもりだったのだ。
ジャムパンひとつの夕食後、僕は昨日彼が入っていったドアに手を引かれて連れていかれた。狭い洗面所だった。浴室にも面している。彼はひざまずいて僕の服を脱がせると、自分も服を脱いで浴室に僕を引っ張りこもうとした。
意味はともかく、はだか同士で何をするかは身を持って知っていた。邪推がぐるぐるして、眉が寄った。ここなら何もないと思ったのに、そういうことをされるのなら、同じではないか。
踟躇する僕を、彼は見下ろした。僕も彼を仰いだ。彼は口からも目からも何も発さず、僕を抱き上げてやっぱりタイルに連れこんでしまった。
だが、僕の不安をよそに、彼は何もしなかった。彼に何の気もないのを気取り、信じられてくると、僕は拍子抜けた。彼は僕の軆を洗ったけど、義父のあのクリームをなすりつけるような手つきではなく、普通にかゆみや垢を落とした。綺麗になった僕を半地下方式の湯船に浸からせると、彼は自分を洗った。
僕は彼を見ていた。服がないと、彼の軆はますますがりがりだった。昨日や今日の食事を想い、あんなのしか食べてないのかなと考えた。お湯の熱気とひとり用の浴室にふたりもいるので、石けんの匂いが立ちこめる室内は湯気にぼおっとしてきていた。
ふと、彼は僕を眺めてきた。僕は溺れないよう湯船にしがみつき、重なった左右の前膊に顎を埋めていた。泡のついた彼の手が触れてきた。濡れた髪を撫で、まだ曲線の肩の柔らかな肌をたどる。僕は逆らわずに湯船につかまっていた。
僕に触るうち、彼の脚のあいだの、義父も有していた毛にまみれたものに変化が現れた。太く伸びて反り返り、浮いた血管に赤黒く変色する。僕はそれを彼がどうするのか怖くなって、身を縮めた。
しかし、彼はそれを義父のようにはあつかわなかった。僕に触らせたり口に入れたり、肛門に押しこもうとはしなかった。物体の熱を受けたのは彼自身の手のひらで、僕はただ見ていた。
見ろとも強制されなかった。嫌なら水面でも見ていればよさそうだった。僕はその空気がむしろ不思議で、彼が握りしめるものが白く濁った液体を吐くのをみずから見届けた。彼はしおれたそれやタイルをざっと洗うと、僕と一緒に湯船に浸かった。
彼は僕を膝に乗せた。彼の胸に背中を預けると、尻の割れめに死んだ物体が当たった。変な感じだった。怖くはなかった。
彼は僕の頭に頬をあて、悩むようなため息をつく。僕は水中に揺らめく腹にまわった彼の手に目を落としていた。僕の長い髪が落とす雫が水面に波紋を描くのが減ったきた頃、僕と彼は風呂を上がった。
タオルで包んだ僕を、服を着た彼はそのまま部屋に連れていった。そして、僕は大きすぎる彼の服を着せられた。下着はなかった。彼はベッドサイドに腰かけた僕の髪を乾かし、自分の髪もそうした。僕は大きな服にもぞもぞとして、けれどその服には彼の匂いが強くしたので、悪いものではなかった。
そのあと僕と彼は、昨日のように寝た。彼は僕に背を向けずに抱きしめてきた。僕は彼の胸に睫毛を伏せた。よく眠れたけど、翌日起きると、彼の服を涙で濡らしてしまっていた。
義父の夢を見た。いつのことだったかは憶えていない。どんなことだったかははっきり憶えている。鮮烈な夢だった。
いつものように服を脱がされ、義父は僕の軆に触った。髪を梳いて乳首をつまみ、肌に手のひらや舌を這わす。義父の脚のあいだは大きくなって、ファスナーから取り出されたものに僕は手を置かされた。浮き上がったものがどくどくしていた。
「したいようにいじってごらん」
何もできなかった。僕がしたいのは、手を引いて服を着ることだった。僕が止まっていると、「触ってみるんだ」と義父は強く言った。
「こすって。そうしてくれないと、苦しいんだ」
苦しいと感じた義父が何に走るかが恐ろしく、言うことを聞くしかなかった。そろそろと手に意思を流し、指先で義父の脈打つ線をなぞった。義父は僕はついたことのないため息をついた。
そのあとは、ひどくなる一方だった。もっとこすれ、握って、しごいて、くわえて──。義父は僕を追いつめ、気づくと僕は義父の青臭いねばつきを口から垂れ流していた。とうに泣いていたが、いつ泣き出したのかは憶えていなかった。
義父は僕を優しくあつかい、ふとんに寝かせた。義父は僕の涙をなぐさめるようにぬぐった。はらいのけたくても虚ろなだるさに何もできなかった。義父の無神経な指が、僕の涙にべとべとになっていくだけだった。
それと同じ涙が、彼の服には水溜まりみたいに染み渡っている。彼は濡れた服を見下ろし、ぎこちなく触れた。怒りはしなかったものの、黒い沼はわずかに物言いたげに僕を映した。
僕は鼻をすすって小さく目をこすった。彼は無言でベッドをおりると、着替えた。
僕が落ち着いてきて、それを認めてから、彼は僕に触れた。彼が気にしてくれたのかは分からなくても、夢の残像の濃さに泣いているあいだに触れられたら、僕は否応なしにその手を義父のものと錯覚していただろう。
彼は僕の頭を不器用に撫でた。義父とは違う、本物の慰撫だった。僕は安心して彼の脇腹にもたれた。
今朝も食事はもらえた。お腹いっぱいには程遠い量でも、ないより良かった。できあいでもおいしく、嫌がらせの細工もない。今日はごはんもできあいで、僕はスプーンですくった。
うつむいていると、髪が頬をかすめて食べ物に触れかけ、仕方なく耳にかける。箸を使う彼は僕を見つめていた。おかずを取りながら首をかたむけて見返すと、やはり彼は視線を下げる。その反応には慣れてきていたので、気にせず僕は食べ物で口をもごもごさせた。
「何で」と彼は言った。量の少なさに噛みしめていた食べ物を飲みこみ、僕は彼に顔を上げた。
「何で、そんな格好をしてるんだ」
彼は僕から目をそらさなかった。僕は無言で沼の水面に映った。
「好きでやってるのか」
僕は眉を寄せ、かすかにかぶりを振った。耳を落ちた髪がさらさらといった。
「男に見えると思ってるのか」
それにもかぶりを振った。彼は考えこむように僕を見つめた。
僕は睫毛を伏せておかずをすくう。彼もそれ以上何も訊かず、食事に戻った。そんな彼に、今度は僕が彼を見つめた。彼は僕を無視した。
【第五話へ】