仰いだ天は相変わらず晴れていて、その寂れた通りには人影もない。
そわそわしているせいで、時間の進みが遅く感じられた。そろそろだと思うのだけど。僕は不安になりそうに高鳴る心臓を持て余し、たぶん彼が出てくる左のほうにちらちらと顔を向ける。
彼に会うのは、ほぼ四年ぶりだ。引き裂かれたあの日以来、僕は彼と顔すら合わせていない。裁判のときも、「この子の心を考えろ」と義父が勝手なことを言い張り、それがまかりとおってしまった。
この四年間、その義父によってひどい日々だった。僕はあのまま、家に帰らされたのだ。そして悪夢に逆戻りした。
彼は僕の心を尊重し、僕が家でされていることは吹聴しなかった。自分といたら僕は救われていたなんて、妄想にしか取ってもらえないと考えたのだろう。
それでも少し家庭内に外気が入ったのは事実なのに、結局どの大人も僕を助けてくれなかった。
彼を失くしたあと、しばらく病院に通って精神療法を受けた。何も言わなかった。彼を失ったのに加え、さっそく義父に手出しされたのがショックで、もう何もかもが嫌だった。どうせ、義父が隣につきそっていた。いつのまにか通院はなくなり、その頃には僕の髪はまたこうして女の子のように伸びていた。
義父の行為は、もはや陵辱だった。四年間は、途方もなく長かった。彼は死刑でも終身刑でもなく、そのうち釈放されるのは約束されていた。だけど、その日は永遠を介したように遠く、ずっと出口の光が見えなかった。
家庭では義父に犯され、義母に虐げられ、学校では穢れたものあつかいで、僕が生き延びられたのは彼とのあの数日間があったからだ。不条理な刑期を終えれば彼に会える。このかじかんだ心は温められる。
死ぬまで凍りっぱなしではない希望が、僕のぎりぎりの支えだった。暗闇に押しつぶされそうになりながらも、いずれ光が見えてくるのを信じ、四年間、僕はさまざまな汚辱に崩壊していく中、命だけは守り抜いてきた。
僕は彼に、命をかけて会いたい。しかし、彼もそうかは分からない。刑務所内は快適とは言えなかっただろう。戻りたくなくて、僕を拒絶するかもしれない。怨んでいるかもしれない。そうであれば、おとなしく消えよう。ただし、支えがある心強さを知ったあとで、支えもなくあの辱めの生活を送るのはつらすぎる。家には帰らず、自殺しよう。
この日を待ち侘びていた。調べまくり、彼に会えるのが今日ここだと知った。今、僕は生死の境目にいる。義父の檻に堕ちて死ぬか、彼の檻に救われて生きていくか。氷結か融解か、僕は氷点に立っている。
また、空を仰ぎ見たときだ。左のほうで門が開くような音がした。はっとした僕は、高い壁に預けていた体重を足に戻してその場にたたずむ。
彼だろうか。分からない。別の人かもしれない。そわついていると、影になったところからひとりの男の人が出てくる。
考えないわけでもなかった。誰かが彼に付き添っていたりしないか。そうであれば、僕は近寄れない。そのときはひと目見て、会いにいくのは後延ばしにしようと思っていた。でも、彼はそんなに家族に思われていないし、弁護士や監視が付き添うほどあれはそこまで特異な事件ではなかった。杞憂だった。
出てきた人は、うつむきながらこちらに歩いてくる。誰もついてこない。僕は居心地悪く身動ぎすると、近づいてくるその人に勇気を絞り出して声をかけた。
「おにいさん」
その人は、はたと立ち止まった。距離は二メートルもなかった。顔をあげたその人は、紛れもなく彼だった。
髪は短くされ、顔つきにはやや年季が入っていたが、あの黒い沼の瞳は同じだった。彼も僕が誰なのかすぐ分かった様子で、茫然と立ちすくんだ。僕はからからの喉に唾を飲みこみ、彼を見つめて、ぎこちなく瞳をやわらげた。
彼にどう思われたか、読めなかった。困らせているか、疎まれているか、それか──。彼の沼に、僕の柔らかくなった瞳が映る。沼はそれを拒まずに沈めて、わずかな裂けめから、透明な光を射しこませた。
僕は髪をたなびかせて彼に抱きついた。そして、その胸に頬を当てた。「ごめんね」と無意識にこぼれる。
「これからは、おにいさんといるよ」
彼は僕を見下ろし、ついで、ぎゅっと抱きしめた。熱を伝わせる、あの抱きしめ方だ。新しい服のにおいがした。でも神経を研ぎ澄ませば、あの匂いがした。
彼は僕の長い髪に触れ、「これを切らないと」と言う。僕は自然と微笑みながら、彼に幼くしがみつく。
四年ぶん成長し、僕の軆はあの頃より彼の腕が窮屈になっていた。それでも、そこは心地よかった。
守られるように温かい。さらされて傷つき、凍りつくのはもう嫌だ。僕はここに閉じこもる。
ここは誰もが定義した心を傷つける場所ではない。むしろ残酷なのは、そうして定義する人たちだ。
今度こそ、僕はこの檻に身を閉ざす。そして彼の熱を受け、凍てついた心は、癒されながら溶けていく。
FIN