放課後、みんなの気紛れで何もないときもあるけど、たいていはあんなことをされて遅くなる。特に七生くんの前で泣くようになってから、帰宅する時刻がずるずると伸びていったけど、それを咎める人は家にはいない。
おかあさんは、あの人と仲良く過ごしているのかな。養父となったおじさん。おじさんは、私がいなくなって──
おとうさんとおかあさんが離婚したのは、私が小学四年生になった春だった。親権は争わなかった。おかあさんは、ネクタイを緩めるおとうさんに言った。
「あなたは仕事しかできないでしょう。実萌は私が引き取っていいですね?」
おとうさんは私を一瞥しただけで、「勝手にしろ」と言った。その声にまったく愛情がないことに、愛情を装う色すらないことに、血の気が引いた。
おとうさんは、私のこと好きじゃないんだ。幼いながらそれを悟ってしまい、愕然とした。
その直後、両親の離婚が成立して私はおかあさんと家を出ていった。おかあさんが身を寄せた先は、おじいちゃんとおばあちゃんのいる実家ではなく、知らない男の人がいる狭い部屋だった。そこからおかあさんは、けばけばしい化粧と洋服で夜には出かけるようになった。
おかあさんが作っていった夕食を、新しいおとうさんになったおじさんと一緒に、ふたりきりで食べる。おじさん、といっても、おかあさんより若そうだったから、おにいさんと呼ぶべきだったのかもしれないけど。
おじさんはいつも、テレビをおもしろくなさそうに眺めていて、私と口をきこうとはしない。私も特に何も話しかけず、「ごちそうさま」とだけ言って、食器をシンクに持っていく。そしてひとりでお風呂に入ると、寝室にこもって、眠くなるまで宿題の見直しをした。
でも、あの日は──
その日の夕食のメニューは、なぜかよく憶えている。じゃがいものコロッケ。キャベツの千切り。油揚げのお味噌汁。ひじきの煮つけ。白いごはん。玄米茶が湯気を立てる、冬の日だった。
「おかあさんさ」
キャベツおいしくない、と思いながらも残せずにちょっとずつ食べていると、不意におじさんが私に目を向けた。
「大変だよね、毎日」
おじさんを見た。おじさんは虚ろな目をしていて、いつも部屋にいるような気がする。
「おかあさんの仕事、知ってる?」
首を横に振った。「ふうん」とおじさんはにやにやして、ざくっとコロッケを音を立てて食べる。
「おかあさん、仕事が大変だからさ。あんまり、俺の相手してくんないんだよね」
おじさんは口を閉じずに食べて、ごはんも詰めこむ。私がそれを見ていると、おじさんは口の中のものを飲みこんだ。
「おかあさんのこと、好き?」
ちょっと考えそうになって、考えるまでもないだろうと思って、うなずく。
「じゃあ、おかあさんのこと手伝ってやってよ」
首をかたむけると、おじさんは箸を置いて卓袱台を食事が引っくり返らない程度の力で押しやった。ぽかんとしていたら、腕をつかまれておじさんのすぐそばに引きずられる。
「おかあさんが仕事に集中できるように」
おじさんは私の手のひらを自分の脚のあいだに持っていく。
「俺のことは、君が相手してよ」
眉を寄せて手を引こうとした。すると思いがけない力で手首をつかまれ、脚のあいだの何か硬いものに、手のひらをこすりつけられる。
「お手伝いだよ、これは」
私の手のひらでおじさんは脚のあいだをさすって、うなじに生温かい息を吐く。
「疲れたおかあさんに、少しでも休んでほしいでしょ」
首を横に振ることができない。だってそうしたら、働くおかあさんに休む時間を与えるつもりがないことになってしまう。
「だから、君が代わりになって」
どんどん硬くなっていく。それが何なのかは分かったけど、硬くなるのがなぜなのかは分からなかった。
おじさんの息が荒くなっていく。そのほてった息が耳にかかる。やがておじさんはジャージをずらし、下着もおろした。そして現れた赤く腫れたものに、私の視線はとまどった。
何。何それ。男の人のそこってそんなふうになるの。こんなものに触らせられていたの。
気持ち悪い──
「おかあさんみたいになれるように、教えてあげるから」
おじさんは私の頭を手のひらで包むと、「ほら」と顔をそれに近づけさせた。
やだ。汚い。
さすがにもがこうとすると、「お前で我慢してやるっつってんだよ」と突然おじさんの口調が低く暗転した。
「お前も、しつけたらあの女みたいにうまくなるんだろ」
唇にそれが触れて軆がこわばる。血管の脈打ちまで伝わってくる。
「あの女、俺が調教してやったのを商売にして客取りやがって」
頭を抑えつける力が強くなり、ちょっと濡れている先端に歯があたった。同時に吐き気でえづいてしまったら、おじさんは舌打ちして「歯当てんな」とか「舌使え」とか言って、私の口の中にそれをどんどん深く押しこんできた。
喉が詰まって、息ができなくても構わずに口の中いっぱいに頬張らせる。何度も吐きそうになって、口の中が胃液でぬるぬるして、おじさんは乱暴に腰を動かす。涙も涎も混ざった水音と、私のうめき声とおじさんの息遣いが部屋の中を反復する。
「あー、やべ、……お前いいわ。母親よりいい」
やだ。やだやだやだ。気持ち悪い。何これ。舌の上を毛がざらざらと動いている。吐きたい。
「くっそ……。おい、しっかりくわえてろよ」
ぐっとさらに喉をえぐられる。
「いくぞ、全部飲めよ……っ──」
途端、口の中にびちゃっと青臭いものがあふれた。吐き出さそうとしたら、「飲めっ」と頭を引きつけられて塞がった喉に目を剥いてしまう。
飲む。……飲んだら終わる。たぶん。
こく、こく、とゆっくり、キャベツよりまずいどろどろした液体を飲みこむ。
「よし……」
やっと口を解放された私は、涙目でおじさんを見上げた。
「はは、いい子だ。いいな、その目」
涙がぽろぽろとあふれてくる。おじさんはまだ硬さを残すそれを自分で少しさすりながら、私を抱きしめる。
「お前、生理ってもう始まってんのか?」
その質問が分からなくてただ狼狽えていると、おじさんは「そうか」と喉の奥で笑った。
「じゃあ生でいいな、いいか、入れるぞ」
入れる? 何を? まさかそれを? どこに入れるの?
おろおろしていると、おじさんは私のスカートをたくし上げた。驚いて硬直しているうちに、下着も脱がされてしまう。いや、とうわ言がもれたけど、おじさんの私の抱く腕は緩まない。
おじさんはにやにやと笑いを垂らしていて、体重をかけてきて私はたたみに押し倒される。無骨な指が脚のあいだにもぐりこんできて、嫌悪感に脚をばたつかせると、両膝をつかまれて白熱燈の真下で晒された。
「うわ、すっげえピンク……」
何? どうしてそんなところ見て笑うの。恥ずかしい。やめて。もう離して──
ぐいっと腰を引き寄せられ、おじさんのそれの先が脚のあいだに触れた。え、と身を硬くすると、「力抜け」とおじさんはそれを私に押しつけてくる。
入れるって。そんなところ、入るわけ──
瞬間、私は痛みに悲鳴を上げそうになった。おじさんの濡れた先端が、ずるっと割りこんできた。お腹を引き裂くように刺さってくる。
感覚を絶する、とんでもない痛みだった。いったいどこから侵入されているのかも分からなかったけど、おじさんのあれが私の体内を犯しているのは分かった。
涙がどっとあふれて、私はかぶりを振った。そんな私をおじさんは楽しげに嗤って、息を荒げながら軆の中で硬くなって、挙句それを出し入れするように腰を動かしはじめる。
圧迫感と引き裂ける激痛がお腹をかきまわす。助けてと声を上げる前に口を塞がれ、何度も何度も奥を突かれて、頭の中が恐怖と混乱で錯乱していく。
痛い。痛いよ。怖いよ。助けて。おかあさん。こんなの嫌だよ。早く助けて──
小学校を卒業した春休み、すべてを知ったおかあさんは真っ先に私を引っぱたいた。「何で早く言わなかったの!」と激しく怒鳴られた。
「あんたが早く言ってれば……っ。この人と再婚まで考えてたのに、台無しじゃないの!」
おじさんが何か言っていて、おかあさんはそれを振りはらっていた。そして、その足で私を婦人科に連れていった。妊娠はしていなかった。
おかあさんはおとうさんに連絡を取って、おとうさんは無表情に私の前に再び現れた。「行くぞ」と手を引かれて、私はおかあさんを振り返った。
おかあさんの苦々しい眼つきが瞳に焼きついた。おかあさんがそのあとどうしたのかは分からない。おじさんとは仲直りしたのか。それとも出ていってどこかに行ったのか。おとうさんは何も教えてくれなかったし、私も訊くに訊けなかった。
そして私は、昔住んでいたこの町で中学校に進学して──今度は、御笠くんや千冬さんといった同級生にイジメられている。
おとうさんは、私がおじさんにされていたことはたぶん知っている。たまに家ですれ違うと、汚いものを見る目をするときがある。
私はおじさんにつけられた自分の心の傷に茫然としていた。そんな私を、おとうさんは面倒臭いとか鬱陶しいとか思っている。私が戻ってきても、仕事のペースを緩めるどころかむしろ詰めていって、接する時間をなるべくはぶいている。
そんなおとうさんに、言えるはずがない。今度はイジメられているなんて。おかあさんはきっともう私を引き受けない。だとしたら、捨てられるか、施設のような場所か、おとうさん以上に厳めしい父方の祖父母の元か──
これ以上、堕ちたくない。ただそれを願うばかりで、七生くんにどう諭されても、私は大人に打ち明けることができない。
あまり私物のない部屋に入ると、椅子に腰掛けて膝にかばんを乗せた。宿題に使う教科書とノートをつくえに並べる。
今日も七生くんの前で泣いたなあ、と思って、そっとかばんのフロントポケットを開けて、たたんで入れているさくら色のタオルハンカチを取り出した。
これは、私のお守りだ。いつも私の涙をぬぐってきてくれた。今は七生くんがいて、取り出すことが減ったけれど、ひとりで泣くときはこれを握りしめる。
おとうさんとこの町に帰ってきて、私はしばらくきょろきょろしてばかりいた。たった数年離れただけでも、町並みは変わり、公園で遊んでいる子供たちも変わっていた。七生くんに助けられるようになってから、何だかあきらめもついていたけれど。
すみれ色のあの子は、どこに行ったのかな。
そう思って、風景にあの男の子を探してしまう。もしかして、あの子もこの町を離れたのかな。どうしても見つからない。
会っても、後ろめたいだけなのに。
あの約束は、ばらばらになってしまったから。
【第三話へ】