ひのわくんと七生くんがひどい喧嘩をしたと、しばらく学校のうわさとして持ちきりだった。
ほとんどの人がイジメを知っていたから、七生くんがひのわくんに制裁したのだとささやいた。実際は、私とつきあうとひのわくんが言った途端、七生くんは当然のようにナイフを取り出したらしい。ただの喧嘩ならともかく、そんな事情があったから先生は経緯を必死に伏せ、ひのわくんが後ろ指に耐えるしかない結果となった。
七生くんが私に対してどういう態度を取るようになるか、それは私もひのわくんも案じていた。しかし七生くんは、昔のイジメや今回のナイフ所持で、学校側に拒絶されるかたちで不登校となり、転校していった。表向きでは、ひのわくんからご両親が七生くんを守ることにしたとか、家庭の事情みたいな説明だったけど。
そんな頃、千冬さんに呼び出された。ひのわくんに言ったほうがいいかな、と思ったけど、黙って呼び出された教室に行った。いきなり私を強く引っぱたいた千冬さんは、泣いていた。
「あんたが、あのハンカチの相手だからって何だよ」
私は頬を抑えながら千冬さんを見つめた。
「あたしはあきらめないからなっ」
千冬さんは私を突き飛ばして走り去っていった。
ハンカチ、と思ってそのあとクラスの教室で合流したひのわくんに訊くと、いつも大事に持っているから、何なのかとよく問い詰められていたそうだ。
「『あきらめない』って」と私が言うと、ひのわくんはあやふやに咲って、「たぶんあきらめるよ」と言った。
「そうかな」
「もう俺は、はっきりできるから」
ひのわくんを見つめる。ひのわくんは照れ咲って、私の手を取って教室を出た。生徒がざわめく廊下で手を握り返していると、「今日、部屋行っていい?」とひのわくんが耳元でささやいてくる。どきっとしても、私はこくんとして、恋人つなぎに絡むひのわくんの指に指で応える。
私の家は、相変わらずろくに寄りつく人がいなくて静まり返っている。でもそれは、こんなふうにふたりきりになるには、むしろ都合のいい環境だった。
荷物をおろして床に座りこむと、ひのわくんは私の頬に触れてくる。それだけでじわりと軆が溶けて瞳が潤む。間近のひのわくんの目が優しい。誰もいない家の中で、ひのわくんが私を抱き寄せる衣擦れも響く。
私もひのわくんの軆にしがみつく。ひのわくんは私の頭を撫でたあと、少し体重をかけて、私を床に押し倒した。
いつもここで既視感にすくんでしまって、でも、そうしたらひのわくんは強引なことはしない。ただ私の髪を梳いて、私を見つめる。見つめ返すけど、何だか少しずつ恥ずかしくなって、睫毛を伏せてしまう。
「ずっと、後悔してた」
ふとひのわくんがそんなことを言って、まぶたを上げる。
「ハンカチを渡すのって、別れっていう意味なんだよな」
「……あ、」
「逆にもう会わないって約束したみたいで」
ひのわくんは私の首筋に顔を伏せて、苦しそうに言う。
「二度と実萌には会えないんだって思ってた」
「ひのわくん──」
「でも、今、実萌がすごく近くにいる」
心臓が速く脈打つ。
ひのわくん。そうだ。あのひのわくんが、今、こんなに近くにいる。服越しに肌が重なるほど。
私はゆっくり、ひのわくんの背中に手をまわした。
「優しく……されたことが、ないの」
「……え」
「だから、その……痛く、しないなら」
ひのわくんが顔を上げて、少し情けないような表情で咲った。
「いいよ、無理すんな」
「……え、」
「俺は実萌に──女の子に一番しちゃいけないことをした。一生できなくていいって思ってる」
「………、私は……」
「うん」
「お、……教えて、ほしい。優しくされることを」
「えっ」
「みんな、私にひどいことしかしなかった。おとうさんも、おかあさんも、おじさんも、学校のみんなだって。でも、ひのわくんは違うでしょ?」
「……俺も、ひどくしたよ」
「だったら、なおさら、私に愛されるってことを教えてほしい」
ひのわくんは感情をこらえて私を見つめた。指が唇をなぞる。ふたりの吐息が震える。
「ほんとに、いいのか」
「うん」
「………、実萌を、良くしてからだったら」
「えっ」
「実萌が大丈夫だって確認してから」
どういうことかとまどっていると、ひのわくんは軆を起こして私のスカートの中に手をすべりこませた。おどおどしていると、下着の上からひのわくんの指が這う。
「……濡れてない」
「え、あ……」
「ほんとに、確認するからな」
「う、うん──」
ひのわくんは私の下着を引っ張って、脚のあいだをあらわにした。入れられるのかな、と硬くなっていると、突然そこに熱い湿り気が覆いかぶさった。びくんと軆が震え、見下ろすとひのわくんが私のそこに顔を埋めていた。
「ひ、ひのわく──ダメ、汚いよ」
「優しくするんだろ?」
「でも、」
「実萌が良くなったら、この先も……」
狼狽えているあいだにも、ひのわくんの舌が私の核を捕らえて転がす。感じたことのない感覚が頭まで走って、駆け抜けた感覚のあとが白くなる。
指先が入口をたどって、でも中には入ってこない。核は律動的に舌に刺激され、凪いでいた水面がゆっくり波打ち始めるように、言い様のない感覚がのぼっていく糸口が見えてくる。
腰が蕩けて、上擦った声がもれて、視界がかよわく天井をうつろう。
「実萌……かわいい」
少し口を離したひのわくんがつぶやいて、恥ずかしくて淫らな声だけでも抑えようとしてしまう。でも、「声聴かせて」と見つめられて、おそるおそる唇をほどくとまたひのわくんが私の核を優しく食んで、声がこぼれる。
「……気持ちいい?」
入口をなぞられて軆が痙攣して、ひのわくんがそう訊いてくる。私はうなずいた。
「中、濡れてるか確かめるぞ」
私がまたうなずいたのを見て、ひのわくんの指が入口から中への角度に添って指をさしこんでくる。自分がその指を締めつけるのが分かった。今までのような痛みや違和感はなく、潤った熱に快感に芯が通っていくような感じがした。
「濡れてる」とひのわくんは言って、私は頬がもっと熱くなるのを感じる。
「俺も、けっこうやばいかも」
「え」
「何か、……痛いぐらいだ」
ひのわくんがスラックスのファスナーを下ろすのが聞こえる。どきどきと胸が高鳴ってくる。
「入れたい……けど、ほんとに、いいのか」
「……うん」
「絶対、痛かったら言えよ。やめるから」
「うん」
「じゃあ、……ゆっくり」
「ひのわくん」
「ん」
「私のこと、好きって……言いながら、来て」
「実萌……が、好き、だ」
「ん」
「ずっと好きだった。昔から、実萌だけ好きだった。実萌以外の女はいらない」
入口にひのわくんが触れる。ぞくっとするほどの痺れが、指先まで電気のように走る。
「実萌が好きだ」
少し押しつけられたら、すぐにそのままひのわくんが溶けこんでくる。痛みも圧迫感もない。思いがけないほど、すべるようにひのわくんが体内をつらぬいて、軆はつながっていく。
「実萌……っ」
ひのわくんは私の胸に顔を伏せる。
「どう……しよう。好きだ。こんなに、好きなのに、俺は……っ。ごめん、実萌。ほんとに、ごめんな」
ぱたぱたと胸元の服が濡れていく。私はひのわくんの頭を抱いて、「これから」としどけなくなりそうな声で言う。
「こんなふうに、何回も、私に教えて」
「実萌……」
「優しく……して」
ひのわくんが奥まで届くのが分かった。痛む息苦しさはない。満ち足りている。足りなかったものが、体内に戻ってどくどくと動いている。呼吸が深くなって、ひのわくんをくっきり感じる。
「好きだ、実萌……っ」
ひのわくんが緩やかに腰を動かしはじめて、その振動が核に届いて、私はまた声をもらして目をつぶる。
「もっと声出して」
「ひ……のわ、くっ……」
「俺が、実萌をこんなふうに、何度も、するから。怖くなくなるまで。忘れられるまで」
「……うん、っ……」
「俺がそばにいる。守っていく」
「ひのわくん……っ、……好き、っ」
「俺も実萌が好きだよ、ずっと……こうしてたいぐらい、好きだ……っ」
ひのわくんの動きが、強く、深く、激しくなっていく。私の息も切れて、あふれる声が空中を彷徨っては熱になる。
この行為で、感じたことがない波が押し寄せてくる。ひのわくんの軆にぎゅっと抱きついて、ひのわくんも私を抱きしめて、つながったところはお互いをむさぼる水音を立ててひとつになる。
私もずっとこうしていたかった。終わりなんて来なければいい。こうしてひのわくんとつながっていたい。のぼりつめたい欲望が切ないほど、この瞬間に永遠を願ってしまう。
こんなに、幸せなことだなんて知らなかった。好きな人に抱かれたら、この行為は、こんなに温かいものだなんて……
それでも、張りつめていく糸は、不意にほとばしって全身に広がった。
耐えられない、かたちのない声が空を泳ぐ。絶命のような快感に絞られ、ひのわくんも私から自分を引き抜いて、自分の手の中に吐いた。脚のあいだから、つながっていた残骸がとろとろとしたたっていく。
フローリングの上で、そのまま愛し合ってしまった。ひのわくんはふとんを引っ張ってきて、私をその上に休ませた。私が甘えると、隣に横たわって腕枕をしてくれる。私はひのわくんの胸が温かくてほっとする。
「……強くなりたい」
ふとひのわくんがつぶやいて、私は顔を上げた。
「もう二度と、あんな弱い気持ちにはなりたくない」
「ひのわくんは、優しいよ?」
「優しいだけじゃ、きっとまた約束破るから」
「………、私も、ひのわくんからもう離れないように、強くならなきゃ」
「……うん」
「強くなって、ずっと一緒にいたいね」
ひのわくんは少し軆を起こして、手提げからタオルハンカチを取り出した。「実萌のは?」と訊かれて、かばんのフロントポケットに手を伸ばしてさくら色をすみれ色に並べる。
「意味、憶えてる?」
「私のは……純潔」
「俺のは、貞節だ」
「私は、ひのわくんだけだよ」
「俺も実萌しか考えられない」
「約束だよ」
「うん」
ひのわくんは私を覗きこんだ。私はそれを見つめ返した。額を合わせて微笑が絡み合って、唇がそっと重なる。
もう、ひのわくん以外のことはどうでもいい。ひのわくんがそばにいればいい。私の目の前も、隣も、軆の奥もひのわくんだけのもの。約束を守っていく。優しい操が心も軆も奪って、もうきっと、この人から私を引き離すことはない。
潔白のまま、幸せは契られた。私たちは、相手以外、許さない。許せない。この人だけと信じて、生きていく。
FIN