いつのまにか、サトは何事もなかったように、SNSで日常をつぶやくようになっていた。私は絡みにいけないし、いいねすら押すことができない。
ただ、こちらも当たり障りないことをつぶやく。ああ、何か無駄に演じてるみたいで、SNSって疲れるなあ。そんなことを感じていた日、四月から五月にかけた連休にオフ会を開催するツイが流れてきた。
そういえば、ずいぶん行ってなかった。そんなふうに思っていいねして、盛り上がるリプ欄も見ていると、これに行ったら気晴らしになるかななんて気紛れに思いはじめた。
『私も行くかも』
思い切ってそんなリプを飛ばすと、思いがけないくらいいいねが返ってきて、『おお、ヒナちゃんおいでよー!』とか『ぜんぜん来ないから心配してた!!』とか、そんなリプまで飛んできた。私はちょっと面食らってしまったものの、やっぱり嬉しくて、『行くから落ち着いてくださいw』とか答えていた。
このやりとりを見たサトが、オフ会、来たりしないかな。そう思っていたけれど、連休中は旦那が家にいるだろうし、やはり私のことは避けているのだろうから、来るわけがなかった。
それでも、竜史くんに頭をくしゃくしゃにされたり、水帆さんとハグしたり、ほかの常連さんとも話しているうちに気分は明るくなってきた。来てよかった、と相変わらずカシスオレンジを飲んでいると、「陽香さんですよね」とふと声をかけられて私は顔を上げる。
そこにはショートボブが幼い感じの女の子がいて、誰だっけ、と思わずとまどう。そんな私に、「あ、いきなりすみません」と言いつつ、彼女は私の隣に座った。
「あたし、美聖って名前で、今年くらいからこのオフに参加してるんですけど」
「あー……そうなんですか。私があんまり来なくなってからかな」
「一度だけ、あたしからは見たことがありますけど。そのときは、すごく仲良くしてる人がいたから」
「……そっか。はは、もうあの子とはあんまり絡んでないですけどね」
「そうなんですか? まあ、そっちの人はあんまり話聞かなかったんですけど、陽香さんのことはみんなよく話してました」
「えー、悪口ですかー?」
私がわざとらしい苦笑を見せると、「いえっ、まさか」と彼女は慌てたように否定する。
「何か来ないねー、寂しいねーって」
「ありがたい話です。えと、ミキヨ……さん? ごめんなさい、フォローしてないかも」
「あたしも、していいのかなーって迷ってて」
「ぜんぜんフォローしてください。返しますんで」
「やった! 今いいですか?」
「うん。あと、陽香って名乗りつつ、ほとんどヒナって呼ばれてるんで、それでいいですよ」
「ヒナさんですね。えーっと──よし、フォローしましたっ」
同時に通知が来たので、私はそこから美聖さんをフォローした。「聖なる美しさ」とその文字に思わず言ってしまうと、「中二病のときから名乗ってるんで」と美聖さんはころころ咲った。
「今おいくつなんですか?」
「二十歳です!」
「うわ、若っか……ダメですよ、こんなおばさんのそばにいたら。何かうつりますよ」
「えー、うつっていいじゃないですか。大人の女性良きです」
「そんないいもんでもないですけどね。大学生ですか?」
「はいっ」と元気よく美聖さん、というか、美聖ちゃんは答える。
若いパワーあるわ、と感じつつも、けっこう美聖ちゃんからぐいぐい話しかけてくるので私も応じていた。そんなふうに話しているうちに、まもなくオフ会はお開きになったものの、別れたすぐあとに美聖ちゃんから『今日はありがとうございました!』から始まるDMが届く。
元気だなあ、とやっぱり思いつつ返信すると、それに返信がつき、それ以降、美聖ちゃんとのDMでのやりとりが始まった。
よく話題になるのは大学生活のことだったけど、そういう話を聞いていると、懐かしいなあなんて感じる。私もまだちゃんと恋愛とかしていた頃か。
大学生っていうと、年上の男に引っかかり、いいようにされていたときだと思う。あれが私の初めての本気の恋だったけど、彼にとっては都合のいい遊びだった。
私から美聖ちゃんに、そういうプライベートを切り出すことは少なかったけれど。
『美聖ちゃんは彼氏いるの?』
訊かれる前に訊く。そんな感覚でそのへんを尋ねてみると、『いないんですけど、周りがうるさく言う奴ならいます。』と返ってきた。『どゆこと?w』と突っ込んでしまうと、高校時代から仲良くしている男の子がいて、周りが早くつきあえとうるさいらしい。
『そういうの鬱陶しいねえ。』と私が述べると、『そうなんです! あいつは友達だから、そういうのはないって言ってるんですけど。』と私がやっと共感した相手だったのか、美聖ちゃんはそんな本音も打ち明けてくる。
初夏、すでに日射しはじりじり地上を焦がし、じっとり汗をかくほど蒸し暑い日が増えてきた。軽い疲労感のある仕事帰り、私はいつものあのCDショップに行った。
もちろん、サトと待ち合わせなんかしていない。ひとりで気ままに気になるアルバムをあさり、気分転換に、一万円ぐらい飛ばしてCDを何枚も買った。
ひとりだろうけど、またライヴにも行きたいな──そんなことも思いつつ、ショッパーを提げて駅へと歩いていると、「あれ、もしかしてヒナさん?」と呼ばれた気がした。
ネオンが始まりかけた街並みをきょろきょろすると、せわしなく人が行き来する歩道の前方から、バッグを斜めがけにしたショートボブの女の子が駆け寄ってきている。
私がまじろいでいると、目の前で足を止めた美聖ちゃんは、「お仕事帰りですか?」と屈託なく問うてきた。
「あ、……うん。CD買ってた」
「えっ、CD買うんですか? あたし、配信も買わないですよ。サブスクでいろいろ聴く感じ」
「はは……今の子はそうだよね。美聖ちゃんはこのへんに用事?」
「大学の最寄りがそこの駅なんで」
「そうなんだ。じゃあ、大学終わったとこ?」
「はい」とにこっとした美聖ちゃんに、ええと、と私は考える。
これは、お茶くらいおごってあげたほうがいい流れなのかな。そんなことを考えても、言い出すのを躊躇っていると「おい」という声がして美聖ちゃんははたと振り返る。
「田端。新刊あった?」
「うん。てか、店の前から動くなよ」
「ごめんごめん。知り合い見つけちゃって」
田端、と呼ばれたのは切り揃えた黒い髪、眼鏡をかけ、服装はちょっとルーズな男の子で、地味というよりむしろクールな印象でモテそうな雰囲気だった。
「こいつが話してた男友達です」と美聖ちゃんが耳打ちしてきて、「へえ……」と私が眺めると、田端くんはややおもしろくなさそうに眉を寄せた。
「えらく年上に見えるけど、お前とどういう知り合い?」
「オフ会で仲良くなったの」
「……オフ会って。そういうのは危ないからやめとけって言ってるだろ」
「いまどきそんなこと言ってる、田端の時代遅れのほうが危ないよ」
「っせえな。この人も、お前みたいなガキの相手は疲れるだろ」
「えっ、そうですか? ヒナさん、あたしとDMとかしてるの疲れます?」
「え、と──いや、……別に」
「ほらっ。田端にはこういう世界は分かんないの! 口出しすんな!」
胸を張る美聖ちゃんに、田端くんはあきれかえったため息をつく。
その様子を見ていると、美聖ちゃんは確かに田端くんに興味はないこと、そして田端くんは少なくとも美聖ちゃんを案じていることは察せた。というか、たぶん彼は美聖ちゃんが好きなんだろうな、とほぼ確実なことも分かった。
美聖ちゃんは私を振り向き、「ヒナさん、よかったらこのあと──」と言いかけた。私はそれをさえぎるように、「持ち帰りの仕事あるから帰るね」と笑みを作る。
そう言われると、美聖ちゃんも私をもう誘えなかったらしく、黙った。「じゃあまた」と私は美聖ちゃんの肩に手を置いてすれちがい、田端くんともすれちがった──一瞬、眼鏡の奥から鋭い眼つきが刺さってくる。
別に、心配なんてしなくていいのに。美聖ちゃんとはどうせ何もない。だって私は、まだ、サトのこと──
六月のオフ会にも、サトは現れなかった。SNSでも、このオフ会メンバーとは絡まないようにしているように見える。
私もさすがに、一方的な、何気ないふりを装ったメッセを送るのはやめてしまった。
SNSもいつかリムーブ、あるいはブロックされる気がしている。それくらいなら私のほうから、と思うけれど、完全に立ち消えるのがやはり怖くて、『里音』のツイがTLにあるのは苦しいのに、ミュートもできずにいた。
美聖ちゃんとのやりとりは続いていて、六月のオフ会でも再会した。無邪気に懐いてくれるのは嬉しくても、美聖ちゃんでサトの不在が埋まることはなかった。「オフ会参加してて、あの子に怒られない?」なんて私が咲うと、美聖ちゃんはきょとんとしたのち、「あー、田端ですか」と首をかたむける。
「まあ、うるさいですけどねー」
「美聖ちゃんを心配してるんだろうね」
「子供あつかいで過保護なんですよ。タメだっつうの」
そう言ってふくれる美聖ちゃんは、二十歳にしてジントニックとか飲んでいる。
「そういえば、あいつ、ヒナさんには気をつけろとか言うんですよ? 失礼じゃないですか?」
「『気をつけろ』?」
「んー……あいつも、その、女同士とか……そういうのがあるのは知ってるし」
私は苦笑いして、「それは大丈夫だよ」とカシスオレンジを飲んだ。ヒナはいつもそれだね、とサトが言っていたこの味が、飲むと切ないのにやめられない。
美聖ちゃんはそんな私の横顔をじいっと見つめてきて、ふと「ほんとに?」とふと声をひそめた。
「え」
「大丈夫って、あたしは──ダメなんですか?」
美聖ちゃんを見た。美聖ちゃんの大きな黒い瞳に私が映りこむ。
「え……と、どういう意味?」
「あたし、ヒナさんのこと初めて見たときから気になってて」
「はっ? いや、……え?」
「ヒナさんのこと、好きですよ」
ぽかんとしてしまう。ついで、前触れのない急激な距離の詰め方にビビって、しどろもどろに「けど、そんなのあの子が」とか口走ってしまう。
「あの子?」
「あの男の子」
「田端ですか?」
「そう」
「だから、あいつとは何もないって言ってるじゃないですか」
「こないだ、けっこう仲良さそうに見えたけど」
「仲はいいですよ。でも、ただの友達です」
いや、田端くんのほうは、きっと美聖ちゃんのことが好きだと感じた。それなら私は奪いたくないし、そもそも──
「私……は、ちょっと、美聖ちゃんと恋愛っていうのは考えてないかな」
それはちゃんと言っておくと、美聖ちゃんは一瞬にして眉をゆがめて、泣きそうな面持ちになった。
「何でですか?」
何で、って……理由、言っていいのかな。
いや、理由なんてある? 私にとって、美聖ちゃんは恋愛対象としては違うだけだ。
嫌いじゃない。いい子だと思う。でも……
「あたしのこと、嫌いですか?」
「嫌い、ではないよ」
「女だから?」
「ううん」
「……そうですよね。だって、ヒナさんはあの人とあんなに仲良かったし」
どきっとして、カシスオレンジのグラスを握る。美聖ちゃんは私を見つめた。
「あの人を、忘れられないんですか?」
私は表情をこわばらせて、うつむいた。
それは──違う、けど。違うけど……
サトに感じたような「つながりたい」という想いが、美聖ちゃんには本当に湧き起らないのだ。友達でいい、というか。
別に、サトを失って懲りたわけではない。もともと私はこういう人間だった。そう、私は誰とも恋にならないのだ。
うまく説明できず、口ごもったまま黙りこんでしまうと、「分かりました」と急に美聖ちゃんは私の隣から立ち上がった。そして、「何の話ですかー?」とか言いながら、切り替えるように笑顔になって盛り上がっているほうに混ざっていく。
そういう、器用なところも、やっぱり違うんだと感じる。楽しそうなみんなの中になじめず、私とだけ内緒話のように話してくれるサトが、私は好きだった。
サトのこと、本当に、やっとの想いで好きになったんだ。でも、もうサトは私の隣で咲ってくれない。そう思うと、涙があふれそうになって、必死に唇を噛みしめてこらえる。
誰とも話したくなくて、そのあとはカウンターでスマホを見ていた。無意識に指がSNSも開く。そうしたら、ちょうどサトのツイが流れていた。空リプのようだった。私は知らない人の名前が含まれたツイ。もうサトは違う世界を作って、そこで咲っていることが察せた。
もやもやする。私には話しかけないのは、やっぱりいそがしいからとかじゃない。はっきり避けているのだ。だから、こんなふうにほかの人には屈託なく話しかけている。
すごく愛していたのに。そして、きっとすごく愛されていたのに。おしまいなんて、こんなもの。
この先、またサトのように想える人が、できることもあるのかもしれない。それは分からない。でも、やっぱり私は結婚しないし、パートナーも作らないかな。恋はしないかな。誰かを好きになるときは、好きになるのだろうけど、最後はうまくいかない。結ばれるなんてない。
七月、ちょうど一年前にサトに出逢ったオフ会には、美聖ちゃんも来なかった。とりとめなく続けていたDMも止まり、顔を合わせたら気まずいなあと思っていたから、どこかでほっとした。
そして私は、竜史くんや水帆さんといった常連組と笑って、初めて参加した人と気安く仲良くなった。だけど、この人たちもいずれはあっさり離れていくのを私は知っている。
サトの連絡先は非表示にして、SNSはついにこちらからリムーブした。そうしたら、その日のうちにリムーブが返ってきた。
自分から切ったくせに、きつく喉が詰まった。これでほんとに途絶えた。もう絶対に戻れない。そんな想いが迫ったけど、つながったまま、TLでサトが誰かと仲良くなっているのを見せられるほうがつらかった。
旦那とは、うまくいってるのかな。最後に会ったのは、サトをずるいと思った夜だった。最後に送った一方的なメッセは、『返事はまた会えたときに聞かせて。』だった気がする。サトはそれに既読さえつけなかった。
サトが今の交遊を持っているように、私もそれなりにつながっているSNSの友人がいる。その中に、美聖ちゃんのように私に好意を寄せてくれる人が現れることも、あるのかもしれない。でも、やっぱり、私はそういう人の気持ちに応えられない。
恋はしない。
もうしたくない。
私は誰とも恋にならない。
この人とはずっと一緒にいられる。この人は自分を分かってくれる。この人となら共に人生を歩んでいける。そんな安心感、私は信じられない。そんなに強くいられない。
だから私は、今も咲っている。いつかさよならする人ばかりと、いつまでも仲良くしているみたいに、さも楽しそうに咲っている。
FIN