Koromo Tsukinoha Novels
「だから、それははたから見ると、犯罪でしかないわけなの」
「いいじゃん、犯罪で」
「よくないわ。捕まるの私だよ」
「お腹空いたもん。何か食べなきゃ帰らない」
「じゃあ、そのためのお金もあげるから、適当にひとりで──」
「俺、ひとりでファミレスとかファーストフード行けないの」
「何で?」
「絶対におっさんが『いくら?』って声かけてくるから」
妙に説得力があった。私はため息をつき、「つきあうの、食事だけだからね」とそればかりは折れることにした。
私がこの子をここまで呼び出したのは、間違いない。ここでこの子に何かあったら、私の責任になる。改札を抜けていくところまで見守らなくては。家の前まで送り届けることも辞さない。
そんなことをめらめら思う私をよそに、「よっしゃ!」と刹那はガッツポーズすると、「ハンバーガーみっつくらい食べたいっ」とぐいっと私の腕を引っ張った。
「ハンバーガー、一気にみっつ食べれるの?」
「ひとつしか食べたことないからー」
「普通ひとつなんじゃないの?」
「いいじゃん、ゆっくり食えるんだからみっつくらい」
「はあ……」
もういいや、流されておこう。とにかく穏便に切り上げることだ。あれこれ言って、問題にしたくない。
駅のそばのバーガーショップに入り、刹那は本当に三種類のハンバーガーを注文した挙句、ポテトやナゲット、ストロベリーシェイクもしっかりつけて注文した。
私はホットコーヒーだけにしようとしたのだけど、「一音も何か食べようよ。一緒に食べたい」と刹那が口を出してきて、スタッフさん絶対怪しんでるよな、と思いつつ、笑顔の店員にアップルパイを注文した。
盛りだくさんのトレイを受け取り、「俺、喫煙席平気だよ」と刹那は言ったけど、「私が嫌だ」とこちらの主張で禁煙席に落ち着いた。
「わーっ、肉だ。肉ってパワーだよね」
そんなことを言いながら、刹那は大きく口を開き、もぐもぐとハンバーガーを頬張る。私はそれを眺め、ちびちびとSサイズのコーヒーを飲む。
「刹那って、あんま歳変わらないぐらいに思ってた」
「そう? まあ、そう思ってもらわないと、会ってもらえないしね」
「………、オフとかよくやってるの?」
「そこそこ」
「危ないからやめときなさい」
「危ないのは知ってるよ」
「じゃあ、」
「でも、お金ないんだもん」
「……売りとかやってんじゃないだろうね」
刹那はぱっちりした瞳で私を見て、「俺、売れると思う?」とにやりとした。私は息をついて、「自覚してるでしょ」と言うと、「まあね」と刹那はころころ笑った。
「買ってくれる人を、拒絶はしないよ」
「私は買わないから」
「一音はスタンガン渡したいと思っただけだし、買ってくれなくても許してあげる」
私は少し考えたあと、「スタンガンは持っときなよ」とまじめな顔で言った。
「え、でも──」
「私には売りとか理解できないけど、刹那が生活に必要でやってるなら、どうこう言わない。ただ、いざというとき、身を守るものは持っておきなさい」
「……でも」
「何」
「一音がまた襲われるのも嫌だよ……」
私はまばたきをしたあと、「大人ナメんなよ」と刹那のナゲットをひとつ奪う。
「自分で買えるわ、それぐらい。あと、襲われてはない。声かけられただけで──怪しすぎるナンパだったのかもしれないし」
「ほんとに大丈夫?」
「大丈夫だよ。……心配してくれたのはありがとうね」
刹那は私を上目遣いで見たあと、「じゃあ、スタンガンは持って帰るよ」と納得してくれた。私がうなずくと、「でも、それじゃあ、ここに来た意味ないし」と刹那はにっとする。
「今日はデートってことで!」
「はっ? いや、だから、それは犯罪──」
「いいじゃんっ。もし声かけられたら、親戚のおねえさんって言う」
「見え見えの嘘なんですけど」
「このあとどこ行く? このへん何かある?」
「食事しかつきあわないって言ったでしょ」
「えー、じゃあここで夜まで粘る?」
それこそ、この子が補導される気がして、私は仕方なく「映画でもどこでも行くから」とまた折れることになった。「映画デートいいねえ」と刹那はスマホを取り出して、上映中の映画を検索しはじめる。「少し電車乗れば、植物園兼ねた公園とかあるけど」と言うと、「それはつまんなさそう」とあっさり刹那は斬った。
あのゆったりした空間の良さが分かんないのは、やっぱり子供だなあと感じつつ、私はアップルパイの包みを開いた。シナモンが香って、熱に気をつけながらかじると、煮つめられた甘い林檎が口に広がる。
たらふく食べた刹那は、第二期までテレビ放映されて、その続きとなっている劇場版を観にいくと決めた。「それ、私も追ってたなー」と言うと、「前につぶやいてたね」と刹那はにこにこと隣を歩く。
一応、エスコートしているつもりなのだろうか。そう思うと少し微笑ましい。
ビル内の映画館に到着すると、物販をあれこれ見て刹那は盛り上がっていたから、彼本人もその作品が好きではあるようだった。
待ち時間がかなりあったので、私たちはポップコーンとドリンクを買って、スペースのソファに腰をおろした。「お腹いっぱいだー」と言いつつ、刹那はポップコーンを口に放り投げる。
周りから見たら、私と刹那は何なのだろう。ちゃんと親戚に見えているだろうか。
平日ってのがまた怪しいよなあとそわそわしするのを抑え、さっきはコーヒーだったのでミルクティーを飲む。ちなみに刹那はコーラをえらんでいた。
私たちが入れる上映時刻になる頃には、ポップコーンもなくなりかけて、ドリンクは飲み干してしまっていた。私はもう飲まなくてよかったけど、刹那はコーンポタージュを買っていた。この歳の男の子の食欲ってすごかった気がする、とか思いながらお金をはらうのは私だ。
映画はとてもよかったし、しかもラストに三期制作決定の特報も流れたので、思わず刹那と喜んでしまった。パンフレットは自分のぶんと、刹那のぶんを買って渡しておいた。嬉しそうな刹那とビルを出ると、すっかりイルミネーションがきらめく夜が始まっていた。
「さすがに帰らないといけないでしょ」
マフラー持ってこればよかった、と思いつつ、私が白い息と切り出すと、刹那はこちらを見上げて「帰りたくないなあ」と色仕掛けの女子みたいなことを言う。
「親も心配するでしょ」
「……親なんか、いないようなもんだよ」
「スタンガンとか買ってくれてるじゃない」
「これは自分で通販で買った。変な客はほんとにいるし」
刹那を見下ろす。夜風にさらさらの黒髪が揺れている。
「客って」
「売りの客だよ」
すげなく言うので、何だか口ごもってしまうと、「売るしかないんだもん」と刹那は強がるように続けた。
「そうしないと生活できない」
「………、」
「大人は働けるからいいよね。子供は雇ってもらえないから、軆しかないんだ」
「刹那──」
「いつかね、逃げたいんだ」
「逃げる……って、家から?」
刹那は何も言わず、ただ痛みをはらんだ笑みを浮かべた。その笑みは、小学六年生の少年のものではなかった。
「俺、女の人ともするからさ。下手じゃないと思う」
「え」
「一音なら、今夜そばにいてくれるなら、お金抜きでしてあげる」
「……いや、」
「だから、ホテル行こ?」
潤んだような刹那の瞳に、私は「そういうことはしてあげられない」とゆっくり言った。
「みんな平気で俺を買うよ?」
「『みんな』がどうしてそうできるのか分からないけど、私は刹那とそんなのは考えられない」
「何で? 何してもいいんだよ?」
「何もしない。刹那は──何か、年齢差はすごいけど、やっぱ友達だし」
「友達……」
「いつも私に『おかえり』って言ってくれるよね。それに、じゅうぶん癒やしてもらってるんだよ」
「……あんなの、」
「いつかこうやってオフして、自分を買わせるつもりだけだったとしても、嬉しかった」
刹那はうつむいて、バッグのベルトをきゅっと握った。私は少し考え、「よく分からないけど、刹那が生活に困ってて」と言葉をつなぐ。
「お金目当てで、今日会いに来て──私のお金がないと生きていけないくらいなら、お金だけあげる。何も売らなくていい」
「一音……」
「ただ、お金渡すのは一回。会うのはこれっきりだよ」
「……じゃあ」
「うん」
「お金もらわなかったら、また会ってくれるの?」
「それは──」
「また会いたいよ」
「それは、何というか──刹那が二十歳超えてから、」
「二十歳まで生きてるか分かんない」
刹那の横顔を見る。
理由は訊けなかったけど、なぜか、あながち嘘ではないと感じ取れた。病気とか、そういうのではなくて、刹那の中から生きていく気力がその頃にはなくなっているような。
「一音がもう会ってくれないのは、寂しいよ」
「刹那……」
「……寂しいのに、一音はそれがどうでもいいんだね」
そういう意味じゃない、と言おうとした。けれど、いつしか昼に落ち合った駅の北口に到着していて、刹那は私の隣をすっと離れると、溶けるように雑踏にもぐりこんでしまった。
刹那、と呼び止めようとしても、喧騒が私の声なんかつぶしてしまう。寂しい──って、言われても、私にできることなんてないし、これでよかったのかもしれないけど。何だか、胸に空洞が吹き抜ける。
しばらくたたずんでしまったものの、刹那が戻ってくる様子はない。私はため息をついて、改札を抜けると部屋に帰ることにした。
混んで座れない快速に揺られながら、SNSを見たけど刹那のツイは流れてこない。
もしかして、適当な誰かに買ってもらってから帰るのだろうか。だとしたら、何もしない時間だけだとしても、私が買ったほうがマシだった?
『ちゃんと帰るんだよ。刹那の話はいつでも聞くから』
そんなDMを送っておいたけど、既読はつかない。私のせいで、今夜刹那がどこかの大人にいいようにされるのなら、息苦しくて快速を降りて、あの北口に向かって刹那を探し出したい想いに駆られた。
家まで送り届けるほうが正解だったな。そんなことを思いながら、外の暗闇でガラスに映る自分を見つめる。
帰宅してふとんを引っ張り出し、ぼふっと倒れこんで、またSNSを見ると、やっと刹那が『帰宅中』というひと言をつぶやいていた。DMにも既読だけついている。リプを送りたくなったけど、私に返信する気分ではないだろうといいねだけしておいた。
ごろんと仰向けになって、まさか児童とデートするとは、と思った。
いや、デートと言うより、おごったり買ってあげたり、すでに買春に抵触していたのでは。だって来るのが小学生とは思わんだろ、そもそも小学生はSNS未解禁だろ、と唸る。
その夜は結局、刹那とやりとりしなかった。
翌日の私は出勤で、店長にもスタッフにも心配されて、おととい変な男に声をかけられたことを思い出した。「警察には言った?」と問われ、「まだ言ってなくて」と返すと、「パトロールしてくれるから言ったほうがいいよ」と店長は強く言う。
でも、刹那は言っていた。警察は頼りにならないと。それは、警察をはじめ、周りの大人が刹那を保護してくれないことも指している。そう、私も刹那に何もできなかった──しなかった大人のひとりだ。
そう思われたのだと思う、会った日を境に、刹那の『おかえり』のリプは来なくなった。
こちらからフォローも外すのが優しさなのだろうか。それとも、刹那が去るのを待つほうが優しいのだろうか。DMもあの日のまま止まっている。こっちから外すのは、やっぱり当てつけみたいで大人げないか。絡みがなければ、刹那のほうが離れていく。私は黙ってそれを待とう。
二月は、春に入る前に寒気を出し切るみたいに寒さがひときわ厳しかった。雪がちらつく日もあり、私はマフラーも手ぶくろもつけて出勤する。
あの夜以降、帰りに変な男が声をかけてくるということもなかった。二十二時過ぎに仕事を上がったその日も、また雪が降り出しそうな空気に身震いして、裏口からモールを出る。
駅の改札近くは少し明かりが残っていても、ほとんど暗い。早く帰ってあったかいもの食べよ、と急ぎ足になりかけたときだ。
【第三話へ】