リリィズラブ-3

「彼女とかいないなら、連絡先知りたいな」
 翌朝、ルームサービスでフレンチトーストの朝食を一緒に食べながら、彼女がそう言った。私はスマホを手に取ったけど、とっさに電源を入れるのを怖いと思って躊躇った。彼から、両親から、どんな言葉が投げこまれていることか。
「今、充電切れてるから、ID教えといて」
 そう言うと、彼女は一瞬残念そうにしたけど、それでもベッドスタンドのメモ帳にIDを記して渡してくれた。
「じゃあね。ありがとっ」
 ホテルを出て駅まで一緒に歩くと、彼女は別の沿線の改札を抜け、私にそう言って手を振った。私は手を振り返し、彼女がホームにつながる階段に消えていく後ろすがたを見送る。
 時刻は午前六時半。これから、さすがにスマホをチェックして、最悪、彼が泊まりこんでいるかもしれない家に帰るのか。いらいらした感じはだいぶ落ち着いたけど、そのぶん憂鬱が押し寄せてくる。
 昨夜あんなに激しかったのもほとんどやつあたりだよなあとも思いながら、自分の最寄りがある沿線の改札に向かって歩き出し、スマホの電源を入れようとしたときだった。
「あっ、こないだのいい人」
 そんな声が聞こえ、何となく顔をあげた私はまばたきをした。前方から歩み寄ってくる女の人が、何だか見憶えがあって──彼女は私の前で立ち止まると、「えっと──そう、咲さん?」と私の名前を言い当てた。
「え、と……」
「ん、私のこと憶えてないです? 未桜ちゃんの恋人の」
「あっ」と言われて思い当った私は、一瞬考え、「莉愛さん」と言った。「そうです」と莉愛さんはうなずく。
「こんな時間にスーツって、職場このへんですか?」
「いや、ゆうべちょっと……まあ、女の子と」
「彼女できたんですか」
「彼女になりたいようなことは言われましたけど、どうなるか」
「ふうん。んー、確かに出勤前にしてはスーツ皺寄ってるかも」
 言いよどまないなあと思いつつ、「莉愛さんは何してるんですか」と私は首をかしげる。
「私は、この近くのネカフェが職場なんで」
「今から仕事」
「今上がりです」
「あ、じゃあ、これから未桜さんとことか」
「はい。未桜ちゃん、夕べは心ちゃんと飲んでたらしいですよ」
「えっ。あー、莉愛さん的に、いいんですかそういうの」
「ちょっとムカつきますね」
「はは……」と私が何とも言えずに笑ってしまうと、「でも」と莉愛さんは続ける。
「心ちゃんは咲さんいたしなーと思って。違うんですか?」
「こんなおばさんが、大学生に相手にされるわけないでしょう……」
「えー、気になってるなら年の差なんて気にしちゃダメですよ。私と未桜ちゃんだって、七歳差ですし」
「言われると、けっこう離れてますね」
「でしょう? ほかにも年の差カップルいっぱい知ってますよー。二十歳以上離れてるゲイカップルとか」
「二十歳はすごいですね」
「ね。でも、微笑ましいまでにらぶらぶなので、あのふたりは見てて癒やしなんですよ」
 莉愛さんはこないだより柔らかい印象でくすりとして、そっか、と思いながら私はスマホを見た。私から心ちゃんに連絡を入れるとか、そういうこともしていいのかな。おばさん必死すぎ、とか笑われないかな。
 とりあえず、手の中に持ったままだったスマホの電源を思い切って入れてみた。起動画面のあと、認証画面を指紋でパスして、画面を起こす。
 やっぱり、親からも彼からも着信が溜まっていた。メッセアプリで、彼からの『今日は帰るよ』というひと言が一番上に確認できて、それにはほっとする。それから、おかあさん、おとうさん──
 通知が来ている人の名前を見ていって、「んっ?」と思わず声をもらした。
「心ちゃんからメッセ来てる」
「なんだ、メッセとかしてるんじゃないですか」
「いや、これが初メッセですよ」
「えー。何て書いてます? 未桜ちゃんのこと?」
 私は心ちゃんのメッセをタップして、トークルームを開いた。
『えみさん、こんばんは。
 先週はありがとうございました。
 あの日、誕生日の前って言ってたので、今週末はお誕生日なのかなーと思って。
 よかったら、また会えたら嬉しいです。
 そのときにお祝いも言いますね。
 ちなみに今は未桜さんと飲んでて、莉愛さんのおのろけがすごいです。』
 私は思わず噴き出し、メッセを莉愛さんに見せた。莉愛さんは内容を確認すると、「未桜ちゃんかわいいなあ」と幸せそうなこらえきれない笑みを噛む。
「ってか、咲さん、心ちゃんに誘われてるじゃないですか」
「誘いですかね、これ」
「当たり前でしょう。『会えたら嬉しい』のどこが拒否反応です?」
「まあ、そですね」
「会ってあげたらいいですよ。つきあうかはそれからでもいいし。行きずりでやらせる女よりは、心ちゃんのほうが誠実ですよ」
 確かに、と私は心ちゃんのメッセを見つめた。そうしていると、莉愛さんもスマホを取り出して「お、未桜ちゃんから朝ごはんできてるおしらせ」とつぶやく。
「じゃあ私、行かないと」
「そうですね。ありがとうございます、心ちゃんのこと考えてみますね」
「うんっ。またそのうち、私たちも飲みましょ」
 莉愛さんはひらりと手を振ってすれちがっていった。私も歩き出しながら、心ちゃんへのメッセの文面を考える。
 ICカードで改札を抜け、ホームでしばし突っ立ったあと、まだ時間帯的に座席が空いている電車に乗った。最寄り駅に着くまでに、心ちゃんへの返信を入力して送信した。
『心ちゃん、メッセありがとう。
 すぐに返信できなくてごめんね。
 自分でも忘れてたけど、誕生日は明日です。
 今日は家で立てこむかもしれないけど、明日は何もないから、心ちゃんがよかったら、会ってお祝い言ってもらおうかな。
 もしOKだったら、待ち合わせの場所と時間決めよう。』
 電車を降りると、今日も強い日射しが青空を染め上げ、空気をじっとりと茹でていた。電車の中のクーラーと落差がひどい。一応ホテルでシャワーは浴びてきたけど、あっという間に汗が滲んでくる。
 気重な足取りで住宅街の中を歩き、小学生のときから住んでいる一軒家に帰宅すると、案の定おかあさんもおとうさんも怒り心頭していた。「昨日はどこに行ってたの!?」とおかあさんに怒鳴られ、「友達と飲んでただけだよ」と私は目も合わせずにヒールを脱ぐ。
「スマホぐらい見れるでしょ! 昨日はね、」
「あいつが来てたんでしょ、知ってるよ。何で元彼を家に入れるの、ちょっとその神経分かんないわ」
「元彼って、あなたねえ──」
「友達とか言って、男といたんじゃないだろうな」
 私はおとうさんを一瞥して、「女の子だよ」と苦々しく答えた。私はおとうさんと思春期あたりから仲が噛み合わず、すぐ相手に吹っ掛けては口論になる。
「男といたとか、そういう発想に持ってくのマジで気持ち悪い」
「結婚もせずに、いつまでふらふらしてる気だ? いつまでも家にいる気なら、」
「あー、じゃあ出ていきましょうか? それぐらいの資金は持ってるよ、私も」
「お前にひとり暮らしなんかできるわけないだろう!」
「そっちも言ってることふらふらしてんだけど」
 ぶたれたらぶたれたでいいと思って言ったけど、おとうさんは歯を食い縛っていた。私はため息をついて、「私はあの人とは結婚できないって、ちゃんと自分ひとりで判断したの」と口調をどうにかこらえる。
「私と結婚しても、彼だって不幸だと思ったし」
「どうして? あなたのこと、あんなに想ってくれてる男の人じゃない」
「私はそれに応えられる女じゃない。彼にはもっといい人がいるよ」
 家に上がると、階段へとつかつか進む。
 おかあさんがまだ私の名前を呼んでいるけど、もういいや。いい加減、先週から似たような喧嘩の繰り返しで疲れた。
 階段をのぼり、ばたんと大きな音を立て、部屋のドアを閉めて両親を断ち切る。
 感電するようないらだちがまた戻ってきていて、「あー、もうっ」とひとりごちてベッドに乱暴に腰かける。バッグをスマホから取り出し、充電につないでから本気で貯金の残高を確認する。余裕で三桁はあるから、家は出れると思う。しばらくは今の仕事を続けて、ひとり暮らしが安定したら、職場も変えてしまおうか。それぐらい辞さない覚悟は持って、私は結婚という道を断絶したのだ。
 シーツに横たわり、いらいらしているせいか昨夜の激しい行為が欲しくなって、朝まで過ごしたあの子の連絡先のメモもバッグからあさり出した。一応、つながっておこうか。でも、ただのいらついたときのはけ口にしちゃいそうだし、それは失礼かもしれない。
 それに、結婚してるって言ってた。だから、今の私の状況は理解してくれると思うけど、やはり結婚する道を選んだ彼女と、結婚しない道を選んだ私は、どこかでかけちがえる気がする。
 どうしようか唸っていると、不意にスマホの着信音が鳴った。不機嫌な目つきで画面を見たものの、『志井心さんからメッセージがあります。』という通知に、がばっと起き上がる。
『えみさん、おはようございます。
 お返事来てよかったです。
 お誕生日、明日なんですね!
 明日は昼間は少しいそがしいんですけど、夜なら会えます。
 よければお祝いさせてください。』
 え……と、ほんとに、こんな年上と会ってくれるのか。いそがしいのなら、無理はしなくていいと思う半面、先週の終電まで楽しかった雑談を想うと会いたい。
 柄にもなくどきどきしながら、『心ちゃんの都合いい時間に、トーコさんのお店で待ち合わせできる?』と思わず即レスしてしまった。でも、心ちゃんの既読もすぐについて、『二十一時くらいでいいですか?』と返事が来た。
「やった」と思わずつぶやき、『もちろん。いろんなお店のはしごはする?』と訊いておいた。すると、『明日はえみさんのお誕生日なので、あたしのためにうろうろするより、ゆっくり飲みましょう。』と返ってきた。
 その返事を読み、「あーっ」と謎に叫んで、ベッドをごろごろしてしまった。もう、何、この子。天使かもしれない。かわいい。明日、ハグくらいは許されるかな?
 すっかり機嫌のよくなった私は、ようやく化粧を落としてルームウェアに着替え、ひと休みすることにした。どうせ一階には降りたくない。寝て明日までやり過ごすしかない。食事は駅前で外食か、コンビニで買ってきたらいい。
 そんな感じで、両親と顔を突き合わせるのは避けて翌日夕方まで過ごし、私はシャワーを浴びて軽くめかしこむと、どこに行くのかと両親につかまって追及される前に家を出た。
 茜色の空が広がり、夕風が梳かしたセミロングをなびかせる。道草の香りがアスファルトの熱気と共に立ちのぼり、どこかの夕飯の匂いも混ざっていた。この時間帯のいつもの夏だ。でも、こんなにわくわくする誕生日は何年振りか分からない。

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