男が何かと「いそがしい」と言い出したら、もう覚悟しておかなくてはならないのだ。そんなことは分かっている。よく分かっていても、ほんとにいそがしいだけかも、なんて思ってしまう自分がマジでうざったい。
仮にいそがしかったとしても、あたしがほんとに好きだったら、メッセを返す五分間くらい作れるはずだ。何であたし、五分でもなく、五時間でもなく、五日間でさえなく、五ヶ月も待ってしまったのだろう。
昌路のメッセが減ってきたのは一年くらい前だ。お互い、大学卒業や就職活動で確かにばたばたしていた。本当に典型的な話になるけど、一年半前、つきあいはじめた頃は、毎日少しずつラリーするくらい連絡があったのだ。
それが一日置きになり、三日置きになり、一週間置きになった頃から「あれ、あたし、放置されてない?」とは感じはじめた。いや、でも束縛女と思われるのも嫌だし、一週間くらい放っておかれるほうが、あたしも自分の時間があって気楽か。そう思って、何とか気持ちをぶつけるのはこらえた。
しかし、そのまま気づけば、一ヵ月昌路から連絡が来なかった。「一ヵ月だと……?」とスマホを手に、実際に口にも出してしまった。
そこで、あたしは切れたのだ。一ヵ月も連絡ないね、きっともう来ないんだよね、新しい彼女でもできたならお幸せに、とメンヘラだか皮肉だかよく分からない爆弾を昌路に投げつけた。しかもこのときの時刻、午前二時。明らかに正気じゃなかった。
昌路から十分でレスが来た。どうせ嫌味返しだろうと、読まずに削除しようとしたけど、一応目を通した。
そこにあったのは、平謝りだった。もともとメッセが苦手なんだ。友達にも怒られるくらい返事が遅くて。まだこれからもつきあっていきたいよ。しかし、思えばこのときから、あの言葉があった。
『今仕事始めたばっかでいそがしいから、返信できないときがあったらごめんな。』
昌路はこのとき、入社三ヵ月目くらいだった。いそがしいのは嘘ではないよな、なんて思ってしまった。
おおいにあたしがバカだった。理解したような返信を送って、『これからもつきあってくれるなら』と関係を続行してしまった。このとき、何が何でも切ればよかったし、何なら昌路は残酷に『じゃあさよなら』って言ってくれていたほうがよほど優しかった。
月に一度くらいになったメッセは、数ヵ月後、ついに一ヵ月以上も音沙汰がないようになった。
そういえばあたしたちって、きちんとデートしたことすら大学時代の数回じゃない? 社会人になってからは顔も見てなくない? ネット恋愛じゃないぞ。ふざけんなよ。
昌路から連絡がなくなって五ヶ月が経過した。クリスマスイヴの予定を訊くメッセにも返事はなく、『あけましておめでとう』にはもう既読もつかなかった。
「翠子……あんたね、それとっくに振られてる案件だよ」
アパレルショップである職場の新年会、酒をあおるあたしの話を聞いていた同期で同僚の誉は、途中から顔を引き攣らせていたけど最後まで聞いてくれて、気の毒そうに宣告した。どんっとビールジョッキを置いたあたしは、「知ってるよ!」と誉をぎっと睨む。
「あたしがバカでしたよ! こんな典型的な女がいるのかって、我ながらビビるわ」
「僕もそう思う。純粋を通り越して間抜けだわ」
「うるさいなっ。だって……好きだから、信じられるあいだは信じようって……はあ」
「翠子はさばさばした恋愛をうまくいかせてそうなのにねえ」
「どうせあたしは、恋愛に関してはじめじめだよ」
「いい男紹介したいけど、僕の男友達ってゲイも多いからなあ」
あたしは誉を眺めた。髪はショートカットだし、しなやかではありつつやっぱり男性の軆つきだけど、メイクをしたりスカートを穿いたりする。
そんな誉は、いわゆるジェンダーレスというのだろうか。身につけたいものを自由に身につけ、男とか女とかこだわらない。自分に対しても、相手に対しても、性別は強要したくないのだそうだ。
「もっと会う時間を作ってもらうべきだったかもしれないね」
誉は広い掘りごたつの中で、タイツの脚を組み替える。
「いや、会う前にメッセが通じないんだけど」
「メッセで完結する話しかしてないんでしょ。会って話そうって思わせないと」
「どう言ったら会ってくれるわけ」
「『顔が見たい』でも『エッチしたい』でも何でも」
「振り幅すごいな!? えー、それを断られたら振られたってことじゃない」
「そうだよ、振られたってことだよ。よく分かってスマートでしょ。はい、翠子も次の恋にトライ」
「会って……くれなくなった頃から、あたしはじわじわと振られてたようなもんなの?」
「そうだね」
「じゃあさっ、あのとき! 深夜二時にメンヘラ爆発させたとき、何で優しいこと言ったの」
「そりゃ、自分のせいで自殺されたくはないでしょ」
「じさ……」
「で、死ぬかもしれないぐらい重いんだなって警戒されたんだよ」
「何で誉は男のことがそんなに分かるの……」
「んー、翠子の気持ちも分かるよ。すごく分かる。地雷すぎるから、僕はそういう行動を選択しないけどね」
地雷。あたしははあっと息をついて、バッグのスマホを手にした。
昌路の着信なんかない。
「いっそ、ブロックしたほうがいいと思う?」
「都合のいいとき呼び出される女にまで下がりたくなかったらね」
「……そうだよね」
言いながらあたしはスマホに指をすべらせる。
もしかして、今日こそ連絡があるかも、なんて──そう思って五ヶ月。いい加減、疲れた。
ブロックしているのは、むしろ昌路のほうかも。そうだ、きっと去年の終わりに登録の整理でもして、あたしのことは切ったんだ。だから『あけまして』には既読さえない。
あたしは唇を噛むと、昌路をブロックして、ブロックリストから消して、さらにトーク履歴も削除した。そして誉を向いて、「やったわ、あたし」と言った。「やったね、翠子」と誉はあたしの肩をたたいて励ます。
「よし、今夜は新年会終わっても、僕がつきあってあげる」
「酒を飲もう!」
「酒だー!」
わあっと盛り上がるあたしと誉だったけど、実際のところ、席には新年会なんて楽しくなさそうなバイトが多い。「あそこだけテンション高いねー」「そろそろお開きじゃないの?」という冷めた会話も聞こえるけど、気にするものか。あたしは今夜、酒を浴びて失恋を流し落とす!
新年会が終わっても誉と居酒屋をはしごして、終電も無視して飲みまくった。社会人って、こういうとき世知辛い所持金という縛りがなくてありがたい。カードで支払える店もある。
結局、朝五時まで誉とふらふらしていた。しかし、「僕、今日オフだけど翠子は大丈夫?」とふと訊かれて、ゆっくり考えたあたしは「やばい、出勤だわ」とつぶやいた。しかも、これでも社員スタッフなので、朝九時には出勤しておかないと。
「あー、何かごめんねえ」と言ったべろべろの誉には手を振り、あたしはやや冷静になって帰宅することにした。せめていったん帰宅する余裕があるときに気づいてマシだった、うん。
似たようなマンションの中のひとつの三階で、あたしは実家暮らしをしている。冷え切った一月の蒼い早朝、空気とぶつかった息は白く染まる。鼻をすすってコートを深く着込み、吐きそうでまずいなと思いながら、こつこつと静けさに靴音を残していく。
今日は土曜日で、ショップが入ったモールも混み合うだろう。酒臭い店員なんて文句が来かねない。今日はなるべくバックで仕事しておかなきゃと算段しつつ、家のドアの前に到着して鍵を取り出した。
「ただいまー」
そう声をかけながら家に上がったけど、土曜日の朝なんてまだみんな寝ている。今、吐くもの吐いたほうがいいかな。いや、それより二日酔いの薬か。まあまずお風呂だよね、ということで着替えを部屋で選び、熱いシャワーを浴びた。
あたしは煙草は吸わないけど、居酒屋は分煙なんてされていないから、くせ毛の髪にはあの臭いが染みこんでいる。それをシャンプーとコンディショナーで落とし、肌にフローラルソープの香りもまとうと、服を着てキッチンでお茶を飲んだ。ついでに二日酔いの薬もキメておいた。
リビングのソファに寄りかかり、長い髪にドライヤーを当てていると、「あら、翠子もう起きてたの」とふと声がかかった。振り返ると、パジャマすがたのおかあさんがあくびをしている。説明がいろいろ面倒なので、「起きてたー」とあたしは答えておく。
「今日も仕事?」
「うん」
「サービス業は大変よねえ」
「おかあさんもスーパーのレジじゃん」
「おかあさんは、土日は休みって分かってもらえてるから」
「あたしも、オフは週三回あるからホワイトなほうだと思うけど」
「そう? あんまり無理しないようにね」
「んー、ありがと」
そう言うとあたしはドライヤーを再開させて、もさっと多い髪に指通りさせながら乾かす。そうしていると、本日は休みであるおとうさん、そして弟の碧人も起床してきた。
碧人はあたしとよく似たくせのある髪質をぼさぼさにしている。いつもぐだぐだ寝坊しているのに、なぜか今日はまだ七時を過ぎたくらいだ。
「あたしが起こす前に出てくるなんてえらいじゃない」
あたしがそう言うと、「今日デートだからなー」と碧人はくそ生意気な返事をよこしたので舌打ちしてしまった。デートならちゃんと起きるとか、ろくでもない男に引っかかる姉に対して嫌味か、こいつ。
「翠子は盛大な朝帰りだったな」
「社会人はいろいろあんのよ」
「何だ、翠子は朝帰りしたのか」
比較的のんびりしているおとうさんが、特に驚くこともなくソファでタブレットを起動する。うちは新聞を取っていない代わりに、そのタブレットを何かと共有する。
「翠子の彼氏の話は、ずいぶん聞かんなあ。碧人は茉莉ちゃんと長いよな」
「胃袋をつかまれて四年半だぜ」
「茉莉ちゃんはいい子だけどさー、いい子だから『何で碧人?』ってあるよね」
「碧人には碧人の魅力があるんだろう。翠子にもそういう男の子ができれば分かるさ」
「分かるさ」
ドヤ顔でおとうさんの言葉に続く碧人を睨み、あたしの魅力を分かってくれる人ねえ、と反芻する。
そういえば、翠子のどこが好きだよって、言われたことないかも。昌路だけじゃなく、それ以前の彼氏にも。むしろ、さっぱりしてるんじゃなくてがさつだよな、とか良くないところは言われた……。
「あー、男もうやだわ」
「翠子は女に走ってもいいんじゃね」
「っさいな。てか、あんたマジでお姉様って呼ばないと、殴るよ?」
「今度成人式の弟に、執拗にそれを要求するのもいかがなものかと」
「むしろ、成人式迎えるのに、姉を呼び捨てにする無神経が分からないわ」
「『おねえちゃん』とか呼ばれたいなら、翠子ショタコン説出てくるな」
「殺すぞ」
「もう、そのへんにしなさい。翠子は出勤なんでしょう? 早く支度しないと」
おかあさんが、深い香りのコーヒーを淹れたおとうさんのマグを持って割りこんでくる。「あ、ほんとだ。やばい」と髪は乾いたあたしは、碧人なんか放って自分の部屋に飛びこんだ。
服はもう出勤用にしていたからこれでいいけど、メイクはしなくちゃ。鏡を覗きこんで、二日酔いの疲れを隠し、表情が華やかになるように化粧する。
もっさりしている髪を、何とかスタイリングするのにいつも時間がかかる。どうにか跳ねまわる毛先をなだめると、バッグに忘れ物がないかどうか──
スマホの充電忘れてた! 仕方なく携帯充電器とつないで、それで荷物は揃ったのでコートを持って、バッグを肩にかけると部屋を出る。
「あら、朝ごはんはいいの?」
「ちょっと食べてる時間ないや」
本当は食べる気がしないのだけどそう言っておく。歯磨きやら何やらはしておくと、「いってきますっ」と叫んで家を飛び出した。
【第二話へ】
