午前中、店内で働いていると、誉のファンの子がたまに訪れて、「渡していいですか?」とチョコらしきプレゼントをさしだしていた。「んー、お店的に受け取るのアウトなんだよね、ごめんね」と意外と誉はきちんと断っていたけど、「でも、お店に来てくれたのは嬉しいから」とポケットから一粒チョコを取り出す。
「僕からチョコを渡すことで許してね」
ちょっとがっかりした顔をしていたファンの子も、それでぱあっと表情を明るくして「ありがとうございますっ」と受け取る。その一粒チョコが、本社支給のバレンタイン当日来店のプチギフトであることを、その子たちは知っているのか何なのか。
昼休憩になると、急いでたまに買い物をするスイーツショップに駆けこんだ。やっぱり、もうチョコは間に合わなかった。でも、あたし自身もよく食べておいしさを知っている、アメリカンクッキーの詰め合わせを手に入れた。
チョコのお返しなのだから、クッキーでもいいだろう。何より、三倍返しを免れることができる。ちなみに、誉用のギフトクッキーも買っておいた。よし、と満足すると、フードコートでお昼も食べてショップに戻った。
朝番と夜番が入れ替わる夕礼のあと、あたしは朝番の子に「みんなで食べて」とクッキーを渡しておいた。「もうホワイトデーですか」と受け取った子は笑いつつ、「ありがとうございます」と言ってくれたのでほっとする。
閉店まで働き、結果的にバックのテーブルにはチョコとクッキーがにぎやかに並んで、みんなで紅茶を淹れておしゃべりしながら食べることになった。「誉にもあるよー」とあたしがギフトクッキーを渡すと、「三倍、回避したね」と誉は苦笑しつつ受け取ってくれた。
二十二時をまわった頃、防犯ロックまで終わらせてモールを出ると、この寒空なのに恋人同士ばかりうろうろしていて舌打ちしてしまった。
そういえば、昌路とは特に「別れよう」というやりとりすらしていないけど、普通にチョコを渡す相手として候補に挙がらなかった。いいのだけど。こっちからは連絡しないし、ブロックしたからできないし。向こうから何か来ても分からないし。まさか会いに来てまで、いまさら話し合おうとされるわけもない。
終わったんだなあ、としんみりため息をついて、あたしは電車に揺られて帰宅した。
「ただいまー」
そんな声をかけながら家に上がろうとすると、見憶えはあるけど家族のものじゃない靴があった。覗いたリビングに両親はいたけど、碧人のすがたがない。「茉莉ちゃん来てるの?」とあたしが訊くと、「お昼から来てくれて、うちで碧人にチョコレートケーキ作ってたよ」とおかあさんが答える。やはり恋人同士は手作りなのか。
「まだ靴あったけど」
「翠子、さすがに今碧人の部屋に入るのはやめてあげなさい」
そう言うおとうさんは、ほんのりお酒の匂いがするチョコレートを食べている。
「さすがに察するよ。夕ごはん食べてないや、今夜何?」
「お鍋の具が冷蔵庫に残してあるから、小鍋出して食べなさい」
「あー、バレンタインの夜にひとり鍋かあ」
ぶつくさしながら、あたしはバッグやコートを自分の部屋に置きにいったあと、キッチンで夕食を用意する。用意といっても、準備された具材を水炊きするだけだけど。いい具合に煮込めてくると、焜炉から鍋敷きに移し、ゆずポン酢で黙々と食べはじめる。
白菜や焼き豆腐、えのきや白身といったシンプルな具だけど、冬に食べるお鍋はやっぱり格別でおいしい。湯気を口元からこぼしながら、さわやかなゆず風味を味わっていると、ふと玄関のほうで話し声がした。
「別に送らなくてもいいよ。もう遅いし」
「遅いから送るんだろうが。えー、マジ帰んの?」
「泊まったら、碧人、何かするでしょ」
「していいと思うけど」
「碧人は良くても、あたしが気まずい」
いいぞ、茉莉ちゃん、もっとやれ。
そして碧人は何なのだ、甘ったれるみたいな声を出して。
「ケーキうまかったよ」
「よくワンホールを一気に食べたよね」
「残したら翠子が食うからな」
「あたしは翠子さんにも食べてほしかったのに。あ、靴あるから帰ってきてるね」
「ほっとこうぜ」
「挨拶してくる」
思わずふっと笑ってしまっていると、「翠子さん、お邪魔してます」と茉莉ちゃんが顔を出してくれた。「ん、バレンタインおめでとう」と思わず誉の台詞を借りてしまうと、「ケーキ作ったんですけど、碧人に全部食べられちゃって」と茉莉ちゃんは申し訳なさそうにするから、本当に碧人にはもったいないいい子だなあと感じる。
「いいよ、今度碧人のデザートでも奪っとくから」
「そうですね、そうしてください」
「もう帰るとこ?」
「はい。碧人が家まで送ってくれるそうです」
「夜道危ないからそうしな。あと、寒いからあったかくね」
「ありがとうございます。また今度、ゆっくりお話してくださいね」
「うん。あたし、仕事で毎日遅くてごめんね」
「就職してから、翠子さんいそがしそうですもんね」
「まあねー」とあたしはいったん箸を置く。
「でも、同僚がおもしろいから何とかやれそう。あいつかあたしが異動になったら、そのあとは分かんないけどね」
「女の人ですか?」
「んー、あれはジェンダーレス男子って奴」
「え、素敵ですね」
「はは、うちのショップ来たら会えるよ。碧人に服でも買わせるときにおいで」
「了解です」
茉莉ちゃんが綺麗めの顔立ちを笑ませてうなずいたとき、「翠子がくだらないこと吹きこんでるのが聞こえるんだけど」と碧人の声がした。「こんなかわいい彼女がいたら、むしろ服とか買ってやりたいでしょ」とあたしが返すと、「翠子の店じゃなくていいじゃん」と碧人がひょいと顔を出す。
あたしと碧人がおなじみの言い合いを始めると、そのあいだに茉莉ちゃんは両親にも挨拶する。「今から帰って、ご両親に怒られない?」とおかあさんが心配すると、「あたしの両親も碧人のことは信頼してるので」と茉莉ちゃんは微笑み、「ありがたいなあ」とおとうさんはのんびりうなずいた。
「茉莉、さすがに零時まわって送り届けるのは、逆に心配させるから」
それでも碧人がそううながすと、茉莉ちゃんは「お邪魔しました」とあたしたちに会釈して帰っていった。
「茉莉ちゃん、ほんとに碧人なんかでいいのかなあ」
あたしは完食したお鍋をシンクで洗いながらつぶやき、「お似合いだからいいじゃないの」とおかあさんは嬉しそうに声をはずませる。「翠子はいないのか、そういう男の子は」とおとうさんに言われ、「今はいないなー」とあたしは肩をすくめた。食器洗いが終わると、シャワーを浴びて、寝支度を整えて、「おやすみー」とリビングに言い置いて部屋に入る。
帰ってきたときのまま、ベッドに放っていたコートを壁にかけ、バッグの中も整理する。スマホを充電につなぎ、そういやチョコもらったんだっけ、と誉にもらったチョコとバイトの子にもらったチョコを取り出した。
歯磨きしちゃったから明日食べよう。大学を卒業して以来、使っていないつくえにチョコを置き、そういえばと誉にもらったほうのショッパーを覗く。やっぱり封筒が入っている。手紙を添えるってきちんとしてるよなあなんて感心しつつ、取り出してみる。
藍色の封筒に、浅葱色の便箋が入っていた。開いてみると、さすがにびっしり言葉が綴られていることはなかったけど、『すいこ、いつもありがとう。これからもショップを盛り上げる戦友でいような! 大好き!!』と大きめの文字で書いてあった。あたしは思わず咲ってしまいつつ、「あたしも大好きだよ」とつぶやく。
彼氏とうまくいかなかったり。その後、いい男がすぐ見つかるわけでもなかったり。生意気な弟はちゃっかりリア充していたり。
あたしは恋愛に恵まれているほうではないと思うけど、いい友達はいるんだよなと思う。なかなか連絡は取っていなくても、学生時代の友達だって、きっと会えばすごく盛り上がって話せる子がいる。秀さんや、築さんだって、きっと仲良くなっていける。それって、恋愛と同じくらいに大切なことだ。
彼氏がいないのは確かにちょっと寂しい。寂しいけど、だからって毎日はつまらないわけじゃないし、意味がないわけでもない。何だかんだ言いつつ、この日常が好きだし、へこむことがあっても励ましてくれる友達がいる。だから、あたしは大丈夫だと思う。
まあそのうちいい男はつかまえてやるけどな、とひとりでにやりとしたりして、そんなあたしの日々は愛おしく、もうすぐ迎える春のように、温かい色彩に満ちているのだ。
FIN
