LUNA PAIN-1

 クラスのぼっち野郎で、いつも根暗にスマホをいじっている暁戸あきと昌司まさしに、突然「話がある」と教室で声をかけられた。
 クラスは違うけど、小学生のときから高校生になっても親友である宮間みやま世那せなと話していた俺は、暁戸を見て「何?」と半笑いで一応答える。暁戸は顔を伏せて、ちょっと挙動不審に俺と世那を見てから、「ふたりで話したいから」とか言ってくる。
「いや、ここでいいだろ」と俺が取り合わずに返すと、「聞いてやれよ」と世那が失笑しながら俺を小突いた。「だって、こいつ……」と俺は暁戸を見て、彼がうつむいて前髪で表情を隠しながらも唇を噛んでいるのに気づき、まさか泣くんじゃねえだろうなと思った。
 しょうがねえなあ、と息をついた俺は、席を立って暁戸を見下ろした。
「どこで話したいんだよ?」
 暁戸は肩を揺らし、「ついてきてくれたら」と言って、ドアのほうへ小股で歩き出す。「ちょっと行ってくるわ」と言う俺に、「刺されんなよー」と世那は応える。マジで暁戸はいきなり刺してきそうな感じなので、俺はまた笑ってしまいつつ、昼休みのにぎやかな教室を暁戸と共にあとにした。
 騒がしい廊下を抜けて暁戸が俺を連れてきたのは、理科室だった。鍵を持っていた暁戸に、「よく私用で借りれたな」とつい問いかけると、「乃木のぎ先生とは仲がいいから」と暁戸は理科教師の名前を出す。先公と個人的に仲がいいとか、ますますヒく。そんなことを思いつつ、俺は暁戸に続いて理科室に踏みこんだ。
 薬品などは準備室だから、そういうにおいはしなくても、理科室の空気はどこか無機質だ。
 実験台のついたテーブルが並び、梅雨明けの夏の日射しが窓から射しこんでいる。室内では熱気がこもり、屋外では蝉の声がうるさくなってきた。期末考査も終わり、もうすぐ夏休みが始まる。
「で、話って何だよ。ちゃっちゃと話せよな」
 教卓の前で向かい合い、俺はそう言ったのに、暁戸はうなずくばかりでなかなか口を開こうとしない。
 セットもされていない黒髪、ぶあつい眼鏡、眼つきは暗いし薄い唇は冷たい印象がある。体格もひょろりとして、生白い肌もあって男らしさがない。
 典型的なイジメられっこだな、とか思っていると、「は、羽多野はたのくん」と不意に暁戸がどもって俺の名前を呼んだ。
「ん?」
「あの、……その、僕は」
「はい」
「き、君のことが……好き、です」
「は?」
「つきあって……くれたら、嬉し──」
 暁戸が最後まで言う前に、噴き出してしまった。そしてこらえきれずにげらげら笑う俺に、暁戸は億面する。「何だよー」と俺は暁戸の肩をはたく。
「何かと思ったら、罰ゲームかよ。あー、びっくりした」
「えっ、あの──」
「誰の命令か知らないけど、悪趣味だなー。てか、何で俺なんだよ」
「ち……違っ、」
「え、これ一応振ったほうがゲーム的に必要? じゃあ、悪いけど冗談じゃねえわ」
 暁戸が俺を見て、でもその目を見る余裕もなく、俺は笑いを抑えきれない。ひとしきり笑ったあとには、暁戸はまた首を垂らして顔を隠していた。
「お前も災難なー。男に告らされるとか。ま、イジメなら乃木に相談すればいいんじゃね。じゃあ、俺は教室に戻るな」
 俺は軽く手を掲げ、身を返して理科室を出た。ドアを閉める前に一瞬見えた暁戸は、突っ立って肩を震わせていた。
 泣くほどなら初めから罰ゲーム無視しろっつうの、と俺は首をすくめると、ばたんとドアの隙間を閉じて教室に戻った。
 教室に戻ったときにちょうど予鈴が鳴り、世那が俺のクラスを出ていこうとしていた。「遅くなって悪い」とすれちがいながら謝ると、「話聞かせろよ」とにっとして世那は廊下の人波に紛れていった。
 なかなか不名誉な話なんですけどねえ、と思いつつ俺は席に着いて、次の授業の教科書を用意する。暁戸もすぐ戻ってくると思っていたのだが、奴は帰りのホームルームの前になってやっと戻ってきて、終礼するとそそくさと帰っていった。
 俺はいつも世那と靴箱で合流して、一緒に育った地元に電車に揺られて帰る。
 特に楽しいものがあるわけでもない郊外の町だから、俺と世那は、いつも近所の公園でだらだらとだべっていることが多い。雑草が整備されない狭い公園で、遊ぶ子供もいないので俺と世那の穴場だったりする。ちなみに、家だと親が勉強しろとうるさいのだ。
「暁戸は何だったんだよ?」
 それは世那に靴箱から訊かれていたけど、念のため誰にも訊かれないほうがいいかと、公園まで引っ張ってきた。本当は俺もしゃべりたくてたまらなかったので、公園のふたつのブランコに並んで腰かけると、暁戸の告白について全部話した。
 世那も暁戸の「好きです」のあたりから笑い出して、最後まで語ると「そりゃあ災難だったな」とまだおかしそうにしながら俺を励ました。
「やっぱあいつ、イジメられてたんだなー」
「誰だろうな。クラスの奴?」
「分かんね。ま、乃木がついてるなら大丈夫じゃね」
「乃木って何考えてるか分かんないとこあるのに、よく近づけたよなー」
「暁戸もそうとう何考えてるか分かんねえけどな」
「てかさ、智海ともみって告られたの初めてじゃね」
「ノーカンだし」
「せっかくのお初が男とはねえ」
「ノーカンだし」
 むくれる俺に、世那は悪戯っぽい表情でにやにやする。くせ毛の茶髪、色合い鮮やかな瞳、やんちゃに笑う口元。骨格はしっかり成長して、ガチムチほどに鍛えてはいなくてもしなやかな筋肉はついている。
「ま、暁戸とは距離取ったほうがいいかもな。お前を告るターゲットにした理由は謎だし」
「それな。俺、あいつに何かしたか?」
「話したことは?」
「ない。たぶん」
「ま、あいつが決めたんじゃなくて、イジメる奴が指定した可能性が高いけど」
「えー、怖いな。イジメはされたくないなあ」
「大丈夫だろ。告られて相手にしなかったし。動揺してたら、撮影とかされてたかもしれないし、危なかったぜ」
「考えなかった……。こわっ。マジで暁戸は避けるわ」
「気をつけろよ。何考えてるか分かんない奴、多いんだからな」
「んー」と答える頃には、太陽がかたむいて明るかった青空が夕暮れを映しかけていた。駅前で買ったペットボトルのスポーツドリンクを飲んで、ほてって渇いた軆を熱中症から守る。蝉がまだ騒々しく鳴いていて、膝の高さまで茂る雑草の草いきれがすごかった。
 緩やかに暗くなってきて、俺と世那はようやく立ち上がって、雑草を足で蹴りながら公園を出た。
 ここから家まで、俺も世那も五分ぐらいだ。別れ道でいつも通り「じゃあな」と言い交わすと、きっとまた親が勉強だの成績だのうるさいのにうんざりしながら、住宅街の中を歩いていった。
 俺と世那は、朝も揃って登校する。昨日別れた角で、約束するでもなく毎朝待ち合わせている。
 この日は俺が先に着いて、今日も暑そうだなあ、なんて白く輝く太陽に目を細めていた。しかし、世那がなかなか現れない。『もう待ってるぞ。』とメッセを飛ばすと、わりとすぐに既読はついた。何もメッセやスタンプは来ない。
 寝坊でもしたかな、と深く考えず、開襟シャツの下で汗が滲んでくるのも感じながら待っていた。すると、不意にバイブが発動して、俺はスマホを見る。
『ごめん、先に行ってて』
 世那から、一行だけメッセが来ていた。『何かあった?』と送ったが、既読のみでそれ以上は何も来なかった。
 寝坊、だろうか。本当に? 寝坊なら寝坊、病気なら病気だとひと言来るだろう。
 今までこんなことはなかったので、言い知れない胸騒ぎがよぎっても、世那の家に迎えに行っても、迷惑なことが本当に起きているのかもしれない。俺は仕方なくひとりで駅へと歩き出した。
 ぎゅうぎゅうの暑苦しい通勤通学ラッシュに揉まれつつ、何度かスマホを確認した。世那からは何も来ていない。もし、もしもだけど、身内が亡くなったとかなら、まあ俺に構っているヒマもないだろう。大丈夫かな、と心配しつつ、俺は高校最寄りで電車から吐き出され、ICカードで改札を通った。
 学校に到着してホームルームが始まるまで、クラスメイトに「おはよー」と声をかけられると応えつつ、スマホをちらちらとチェックしていた。世那休むのかなあ、とも思いはじめていると、「席に着けーっ」と言いながら担任の男教師が教室に入ってきた。俺は急いでスマホをスクールバッグにしまう。
 担任は出席を確認して、いつも通り当たり障りない話をしたあと、ホームルームをあっさりと終えた。一時間目は英語だっけな、と教科書を引っ張り出そうとしていると、「羽多野」を呼ばれて顔を上げる。あんまり親しくしゃべったりしない担任が、俺の席のかたわらにいる。「何すか」とまじろぐと、「ちょっと廊下に」と担任はドアをしめした。
 昨日から何なんだ。男に呼び出されても嬉しくないのだが。そう思ったものの、仮にも教師にそんなことは言えず、俺は席を立った。
「羽多野は、三組の宮間と親しかったな」
 ぴしゃりとドアを閉めてから、担任は唐突にそんなことを言ってきた。俺は首をかしげ、「世那っすか?」と確認する。
「そう、宮間世那だ。いいか、この話はまだ伏せておくように。実は、宮間が昨日から家に戻っていない」
「は……?」
「ひと晩じゅう帰ってこなくて、これまでそんなことはなかったそうでな。今朝、親御さんが捜索願いも出したそうだ」
「えっ……と、確かに今日は世那と登校しなかったけど。俺、朝に世那のメッセもらいましたよ」
「本当か。何か書いてあったか」
「待ち合わせに来ないなあと思ってたら、先に学校行ってくれって、それだけ。あ、でも、何かあったのかって送ったら既読はつきました」
「それは、警察の人に話したほうがいいな。何か気づくことはなかったか? たとえば、その──家を出たいとか、そういう」
「ないと思いますけど……え、事件とかそういう可能性は」
「親御さんはそれを心配されている。確かに、家に問題がないならその可能性も──」
 俺は最後まで聞かずに、ドアを開けた。「おい、」と担任に呼び止められたが無視して、ずんずんと席に歩み寄ってスクールバッグをひっつかんだ。「何だったー?」と近い席の奴に訊かれたら、「ちょっと早退するわ」とだけ俺は答えて教室を出る。
「おいっ、波多野──」
「俺も世那を探します」
「いや、心配するのは分かるが、」
「あいつの行くあてを一番知ってるのは俺だし」
「それは警察に話して、」
「もし話せないことで隠れてたらどうするんですか」
「しかし」
「とにかく、俺、早退するんで。あと、世那が見つかるまで休みます。失礼します」
 担任に肩をつかまれそうになって、それをするりとよけると、俺は廊下を駆け出していた。どこの教室もまだホームルーム中なのか、静まり返った明るい廊下に、ばたばたと足音が響く。

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