romancier obscur

Koromo Tsukinoha Novels

Monotone Stars-1

 較べられない。どちらかを切り捨てるなんてできない。
 そんな、大事な人がふたりがいる。どちらか選べなんて状況になったら、死んで逃げたほうがマシだ。
 選べる存在じゃない。ふたりとも、幼稚園のときから一緒に育ってきた、私の幼なじみだから。
「かなちゃん、朝だよーっ」
 深く熟睡していたところに、そんな声が割って入る。私はうめいて、無意識にふとんを頭にかぶった。
 ふとんの中は暗く、日向の匂いがして温かい。
 だけど、そのふとんを引っ張られ、また声が響いてくる。
「遅刻しちゃうよっ。七時十分だよ!」
 七時……。七時、十分──……
 はっと目を開いて、束ねているのにぼさぼさの髪でがばっと起き上がった。すると、同時に「かなちゃんっ」とすでに制服すがたの美凪みなぎが抱きついてくる。
 この春、私と同じく高校二年生になったのに、相変わらず男の子にしては華奢で、愛らしい童顔を持つ彼は、私の幼なじみのひとりだ。
 私は頭を揺すって何とか眠気を落とし、「みな」と美凪の頭に手を置く。
「あのさ、起こしてくれるのありがたいんだけど、そろそろ普通に部屋に入ってくるのは──」
「ダメ?」
 美凪は大きな瞳で私を見つめる。私は息をつき、美凪を抱きしめ返して、頭をぽんぽんとした。「えへへ」と美凪も私をぎゅっとして、やっと軆を離してくれる。
「ゆうは?」
「一階にいるよ」
「ん、じゃあ、すぐ着替えて降りる」
「二度寝しちゃダメだよ?」
「はいはい。ありがと、起こしてくれて」
「うんっ」
 美凪は花が咲くような笑顔を見せてから、開けっ放しだったドアから部屋を出ていった。
 ぱたん、とドアが閉まるのを見送って、一度ため息をつく。
 ベッドを降りて、カーテンを開けて、春の朝陽を部屋に呼びこむ。鳥がさえずって、今日もいい天気だ。
 壁の時計を振り返り、ベッドスタンドのスマホを手にする。七時にセットしたはずのアラームは、ぜんぜん聞こえなかった。しかし、充電が完了したスマホのスヌーズは、きちんと止めてある。憶えてない、といつものことながら自分の睡眠欲にあきれ、ルームウェアを脱ぐ。
 それから、紺と白のブレザーの制服すがたになる。慣れてきたナチュラルメイクをして、ひとつに縛っていたウェーヴのロングをおろし、櫛を通して軽めにセットする。荷物を確かめたスクールバッグを手にしたら、一階に降りた。
 ばたばた駆け降りたので、その足音だけで「ごはんできてるから早くしなさいっ」と洗濯を始めているおかあさんの声がする。「はあいっ」と答えて、ダイニングに抜けるためリビングに踏みこむ。
 そこには美凪と、もうひとりの幼なじみである悠斗ゆうとがソファに腰かけていた。
奏乃かなの、おはよう」
「おはよ、ゆう」
「今日も慌ただしいな」
 苦笑する悠斗に「悪かったな」と憎まれ口を返し、私はダイニングに用意された食事の前に座る。正面の食事は空っぽで、とっくにおとうさんは出勤したようだ。
 七時に合わせて焼かれるトーストは冷めているけど、そのままマーガリンを塗ってかじりつく。スクランブルエッグ、レタスとトマトのサラダ、厚切りのベーコン。胃に詰めこみながら、朝の芸能ニュースを見ている美凪と悠斗を見る。
 悠斗も同い年の幼なじみだけど、美凪に較べ、肩幅や軆の線は男の子として成長している。瞳は穏やかで、茶髪の美凪と違って黒髪のまま、まじめな印象だ。美凪のことは、私よりもそんな悠斗のほうがけっこう甘やかす。
 私と、美凪と、悠斗。幼い頃から、この住宅街の同じ番地で育った。
 昔はほかにもこの番地に親しい子がいたけど、わりと引っ越してしまうもので、私たちがいまだにこの番地に残り、同じ高校にも通っている。
「いってきますっ」
 私が朝食を終えると、時間に焦りながら、三人で家を出る。幼かった私たちのようにランドセルを背負ったり、中学のセーラー服や学ランを着た子とすれちがう。
 私のせいでふたりを遅刻させたら申し訳ないのだけど、実際置いていかれたら、すごく寂しいだろう。だったら早く起きろ私、とひそかに反省して、四月の青空の下、駅前に出てICカードで改札を抜ける。
 風を起こしてホームにすべりこんでくる電車は満員だ。学生はもちろん、サラリーマンやOLでいっぱいで、しかもこの駅は住宅地の最寄り駅だから、ここから乗りこむ人も多い。駅員さんが何とか乗客を押しこみ、『中にお進みください!』と毎朝アナウンスがかかる。
 でも、私がそれほどぐちゃぐちゃにならないのは、美凪と悠斗のふたりがかばってくれるからだ。電車が揺れて、足元がよろめきそうになると、いつも「つかまって」と美凪と悠斗が同時に言う。私は困ってしまって、「大丈夫」と何とかひとりで体勢を立て直す。
 一度乗り換えをして、高校の最寄りに着き、五分くらい歩けば三人で進んだ共学の高校だ。
 学校沿いの道には桜があふれていて、アスファルトを染めるようにひらひらと花びらが降っている。朝の挨拶や笑い声が飛び交い、まだ少しひんやりした朝の風に、鮮やかな花壇の匂いが混じる。
「みなくん、おはよーっ」
 しょっちゅう女子に声をかけられる美凪は、「おはよーっ」とにこにこと笑顔を返している。
「美凪はモテるよなー」
「ゆうちゃんだって、去年彼女いたじゃん」
「あれは……」
 言いかけた悠斗は、私を一瞥して、「押し切られただけだし」とすぐよそを向いて言った。
「僕は、かなちゃんとゆうちゃんがいるなら、彼女とかいらないや」
 美凪は私を見てにっこりして、いつまでそんなお子様なこと言ってんのかな、と肩をすくめてしまう。
 そんなやりとりをしていると、すぐ正門に到着する。靴箱で靴を履き替えると、さすがにクラスはばらばらなので、「またね」と私たちは解散する。
 五階の教室にエレベーターで向かって、別に誰に言うでもなく「おはよー」とドアを開けると、「おはよー」と適当に返ってくる。席に着いて、スクールバッグからノートを取り出していると、「今日もお姫様登校だったねえ」とクラスメイトの女友達がつついてくる。
「お姫様って」
「王子ふたり侍らせてんじゃん」
「あのふたり、王子なの?」
「肝心のお姫様は、鈍感か」
「みなくんと悠斗くんは、どっちもレベル高いよお」
「……ん、まあふたりはモテるね。昔から」
「でも、ふたりとも、かなしか見てないよねー」
「あんた、ほんと怨まれてるからね。気をつけなよ?」
 ノートをしまって、何だかなあ、とバッグをつくえのフックにかける。
 美凪のファンに怨まれているのは、知っている。美凪もそれを知っていて、「何かあれば絶対言ってね」と言ってくれるけど、言ったら泥沼だから言わない。
 代わりに話を聞いてくれるのは悠斗だ。「美凪に『やめろ』って言ってもらうのも、女同士だと怖そうだしな」と悠斗は理解して、何でも愚痴らせてくれる。
 でも、そんな悠斗に彼女がいたときは、さすがに時間を割いてもらうのは申し訳なくて、ひとりで抱えていた。
 去年の夏休みだっただろうか。「ゆうちゃん、デートだって」と美凪はふくれっ面で私の部屋に来て、シーツの上をごろごろして、ベッドサイドに腰かける私の服を引っ張ってきた。
「かなちゃん、元気ないね」
「え、あ──そうかな」
「ゆうちゃんに彼女できたから?」
「それは違うけど」
「そお? ゆうちゃんは彼女と結婚しても、僕はかなちゃんといるからね」
「結婚って」
「いつかはするでしょ?」
 美凪を見て、「うん」と私はくぐもった声で答えた。
 悠斗だけじゃない。美凪も。私も。いつかは誰かと結ばれて、三人で過ごしている時間はばらばらになる。
 結局悠斗は、秋の終わりに彼女と別れて、また三人の時間が紡がれるようになった。でも、いつかは終わるんだよなあ、と思うと贅沢だけど寂しい。
 このままでいられたらいいのに。昔からのまま、三人でいたい。女の子に告白される美凪を見ていて思う。また彼女を作るか分からない悠斗を見ていても思う。私は、彼氏ができるより、美凪と悠斗といたい。
 両天秤とか、陰口をたたかれているのは知っているけど、ふたりとも大事な存在なのだ。また愚痴を聞いてくれるようになった悠斗に、そんなことを話すと、「美凪はああだし、俺も彼女はとうぶんいらないから、一緒にいられるよ」と言われた。
「奏乃に彼氏ができるって線はないのか? 好きな奴は?」
「いたらこんな悩まないし」
「あの美凪がそばにいながらなあ」
「近すぎて考えられない」
「美凪にはそれが、がっつかれるよりいいのかもな。まあ、美凪も俺も、奏乃のそばにいるよ」
「いてもらっていいのかな」
「いさせてくださいな」
 そのとぼけた口調に、私はちょっと噴き出した。
 それが冬休みの話で、三学期はのんびりまた三人で過ごして、春になった。美凪は相変わらずモテているし、悠斗は元カノさんと同じクラスになったらしい。ほんとにこのままでいられるのかな、とはやっぱり不安は感じている。
「かなちゃん!」
 二時間目が終わったところで、教室の入口から元気な声がした。見ると、美凪が手を振っている。私は席を立って、美凪に駆け寄ると、「どうしたの」と首をかしげた。美凪はくるくるした瞳で、にこっと咲う。
「かなちゃんの顔見にきたー」
 思わず鼻白んでも、かわいい奴、と背伸びして美凪の頭をぽんぽんとする。美凪は無邪気に「へへ」と笑んで、私に撫でられた頭に触る。
 このクラスの美凪ファンの視線が痛いけど、遠慮したら美凪に心配をかける。友達でもない女の子に睨まれても、美凪にそうやって咲ってもらっているほうが大事だ。
 でも、美凪は本当にモテるのに。私より何倍もかわいい子が彼に夢中だと、うわさをいくつも聞く。私に構って、それらをふいにしていていいのかな。
 かなちゃんのそばにいる、と言ったから、それを律儀に守っているのだろうか。だとしたら、彼女作ってもいいんだよ、と私は言えばいいのに。言えない私はずるい。
 四時間目まで授業を受けると、お昼休みだ。いつも、出入り自由の屋上庭園に三人で集まる。
 今日もお弁当を持って屋上に向かうと、すでに生徒たちが散らばっていた。その中から「奏乃」と悠斗の声がして、同時に肩をたたかれ、振り返るとやはり悠斗だった。
「もう来てたんだ。みなは?」
「まだみたいだな。今日の弁当、作ってきてやったのに」
「えー、みなにだけ?」
 悠斗の料理が好きな私がむくれると、「それ、今朝、俺がおばさんに渡した」と悠斗は私が抱えるお弁当を指さす。
「えっ、ほんと? やったあ」
 喜んで包みを抱きしめると、悠斗は笑いを噛む。
「奏乃は料理、進歩したのか?」
「う、それは訊かなくていいよ」
「いまだに目玉焼きを作れないのは、なかなかの才能かと」
「だってあれ、たまごをフライパンに落とすの怖くない? 油、飛ぶでしょ?」
「ボウルに割っといて、流せばいいだけだけどな。とりあえず、場所確保しとくぞ」
 悠斗は私の頭をぽんとして歩き出し、私はスカートを涼しい風にひるがえしてついていく。
 どこのベンチでも、もう生徒がお弁当を広げて咲っている。でも、フェンス沿いの花壇はわりと空いていたから、その一角に腰かけて美凪を待つことにした。
 花壇に植えられているのはつつじで、まだ花は咲いていない。
「みな、また女子かなー」
「たぶんな。じゃなきゃ、チャイムと共に奏乃のところに来るだろ」
「はは。三時間目の前にも来た」
「美凪は、ほんと奏乃が大好きだよな」
「あの子は、ゆうのことも大好きだよ」
「知ってる」
 咲っていると、「あ、みなくんだ!」という女の子たちのざわめく声がした。
 女の子の声ににこにこと手を振りながら、あたりを見まわす美凪を見つけて、「美凪、こっち!」と悠斗が呼ぶ。美凪はこちらを向き、「お腹空いたあ!」と駆け寄ってくる。
「遅かったね」
 私の隣に座った美凪に言うと、「クラスの人に、大事な話があるって言われて話してた」と美凪は私の膝越しに悠斗からお弁当を受け取る。
「女子?」
「男子ー」
「あれ、じゃあほんとに何か大事な話か?」
 悠斗に問われ、美凪は首をかたむけて「『一年のときから好きだった』って言われた」とお弁当を開く。ふわりといい匂いがして、私もお弁当の包みをほどく。悠斗は少し考て、「まあ分からんでもない」とつぶやいた。
「みな、それにどう答えたの?」
「『そっかー』って」
「何でそこ、気が抜けてんだよ」
「つきあうの?」
「え、僕は男とはつきあわないよ?」
「それ、ちゃんと言ったんだろうな」
「えっ、好きって……あ、そういう意味だったの?」
「気づこうよ」
「僕の一番はかなちゃんとゆうちゃんだけどーって言っちゃった」
「そいつ、俺のこと誤解しないだろうな」
「私も入ってたなら大丈夫じゃない?」

第二話へ

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