Koromo Tsukinoha Novels
言いながらお弁当のふたを開けると、スパニッシュオムレツやチキンのトマト煮、えんどう豆の炊きこみごはんのおにぎりが詰まっている。色彩と匂いに現金に笑顔になって、「いただきますっ」と箸を取る。アスパラの肉巻きをもぐもぐとしていると、「奏乃ってうまそうに食うよな」と悠斗は咲う。
「だって、おいしいもん」
「見習ってください」
「朝にこんなのちゃちゃっと作るとか無理。ね、みな」
「かなちゃんのお弁当、食べてみたい」
「ふたりしてプレッシャーやめて」
「全部冷凍食品でいいから、かなちゃんに『お弁当作ってきたよ』って渡されてみたい」
「いや、さすがにそれはできるけど」
「じゃあやってよー。ゆうちゃんも、かなちゃんに『はい、お弁当』ってされたいでしょ」
「全部冷食っていうのは……。おにぎりくらい握ってほしい」
「……努力します」
箸の先でスパニッシュオムレツをちぎって、口に入れる。やっぱりおいしい。これに勝てるとは思えない。こんなお弁当を作れる男子がそばにいて、本当に冷凍食品弁当を用意する勇気もない。
「ゆうちゃん、これおいしい」
チキンのトマト煮を口にした美凪が言って、「それ、前にむね肉でやってぱさぱさだったから」と悠斗も同じメニューのお弁当を開く。
「今回はもも肉でやったんだ。というか、唐揚げ用の奴」
「よく分かんないけど、おいしい」
そう言って、美凪はまずそれを食べ切ってしまい、「うん」とひとりうなずく。
「やっぱ、ゆうちゃんの料理はさすが!」
「はい、どうも」と悠斗はちょっと照れ混じりに咲う。私もそのトマト煮を食べてみて、柔らかな歯ごたえとトマトの酸味が悔しいくらいおいしいと思う。
「ゆうに修行入りしないと、お嫁に行けない」
ついつぶやくと、悠斗は噴き出して笑って、「かなちゃんがどっかお嫁に行っちゃうのはやだなー」と美凪はまじめな顔でふてくされた。
お弁当を片づけても、天気もいいし、予鈴までそこで三人で過ごした。その最中にも、「みなくーん」と声をかけてくる女子たちがいて、美凪は笑顔を返す。「『ゆうくーん』はいないね」と私が悠斗に言うと、「美凪の人気と並べるなよ」と悠斗はそっぽを向く。「ゆうちゃんはさ」と美凪はすぐ私たちの輪に戻ってきて、私の膝に身を乗り出す。
「元カノさんと何にもないの?」
「何で、あいつと何かあるんだよ」
「同じクラスになったんでしょ?」
「会話もないぞ」
「そんなもんなの? つきあったのに?」
「つきあったからだろ」
「ふうん……」
「よく分かんないね」と美凪は私を見て、「悠斗から振ったんだっけ?」と私は美凪の頭をぽんぽんとしながら、首をかしげる。
「まあな。告られて流されただけだったし」
「ゆうちゃんは好きじゃなかったの?」
「それがよく分かんないから別れたんだろ」
「向こうはゆうに未練とかないの?」
「知らねえよ。去年終わってることを掘り返すなよ、お前ら」
「同じクラスになったなら、気になっちゃうよねー」
「ねー」
美凪と私が声を合わせると、悠斗はあきれた息をつく。
そのとき、予鈴が響いた。周りがかったるそうに立ち上がる中、私たち三人も立ち上がって、「眠たいなー」と美凪は背伸びをして、「次、英語だ」と文系が苦手な悠斗もぼやく。私はそんなふたりの背中をドアへと押して、「あと二時間で終わるでしょ」とうながす。
ふたりは私を見て、「同じクラスだったらなあ」と同じことを言い、互いに顔を合わせる。私はそれに笑いながら、「放課後はまた一緒だよ」と美凪と悠斗の肩をたたいた。
美凪が妙に人気があるとか。悠斗には元カノがちらつくとか。何となく、バランスが微妙になるときもある。
だけど、やっぱり、私たちは三人で仲良くやっている。これからも、何だかんだでうまくやっていける。そう思っていた。
私は分かっていなかったのだろうか。それとも、分からないふりをしていたのだろうか。
いつまでも、そんな、白黒つけないグレーが続くなんて。
四月が終わって、冷たい春雷も通り抜け、満開の桜はあっという間に地面に散ってしまった。葉桜の初夏の匂いが、早くもちょっと空気を蒸して、陽射しがほのかな暖色から強い白光になっていく。
ゴールデンウイークにさしかかり、その日は学校もなく、だらだらとベッドで眠っていた。昼前になってやっと起きて、ルームウェアのまま一階に降りる。
「かなちゃん、おはよー」
踏みこんだリビングを見やると、ソファにいる美凪がこちらを向いていた。
「ん……おはよ。ゆうは?」
「今日は僕だけ」
「そうなんだ。どうしたの?」
「宿題が深刻に分かりません」
「国語? 英語?」
「五教科……」
どんよりと答えた美凪に笑ってしまう。理系は悠斗が得意で、文系は私が得意で、美凪は勉強は全滅だったりする。身軽だから、スポーツは得意だ。
「理系はゆうに訊いてよね」
「ん。かなちゃんが得意なの教えて」
「分かった。先にごはん食べてくるね」
「おばさんが高菜ピラフ作ってたよ。レンジであっためて食べなさいって」
「おかあさんいないの?」
「買い物だからすぐ戻ってくるって言ってた」
「そっか」とうなずいた私は、ダイニングのテーブルに、ラップのかかった高菜ピラフのお皿を見つける。表面に触れると、まだほんのり温かかったけど、一応レンジにかける。
そのあいだに、粉末を溶かしてわかめスープを作って、スプーンでかき混ぜていると、ベルが鳴る。ほかほかに香ばしくなった高菜ピラフをテーブルに移して、わかめスープをすすりながら食べる。
美凪はソファでテレビを見ていて、レースカーテン越しの陽光できらきらして見える。美少年だなあ、と改めて思っていると、美凪はこちらを向いてにっこりした。
「みなって、彼女作らないよね」
「ん? まあねー」
「初恋はしてるよね」
「してるよお」
「みなが告ったら、誰でも落ちるでしょ。その子とつきあわないの?」
「落ちるかなあ」
「落ちるよ」
「じゃあ、頑張ってみるね」
「うん」
「かなちゃんの初恋は?」
「………、分かんない。まだかも」
「もう高校生なのに」
「悪かったな」
「ふふ。かなちゃんらしいけどねー」
美凪はソファに膝を持ちあげて抱え、そこに頬を当てて咲う。
昔、美凪が好きなのか、悠斗が好きなのか、どっちなのかとよく訊かれた。どっちも好きだけど、どっちも恋愛じゃないとか答えていた。今でもその心持ちは変わらない感じだ。美凪も悠斗も大好きだけど、このふたりだけはありえない。
私は高菜ピラフとわかめスープを食べてしまうと、食器はシンクで水に浸けておき、美凪と共に部屋に戻った。
美凪は私のつくえに座って、持ってきていたかばんからノートを取り出す。そういえば、ルームウェアを着替えていない。まあ美凪だしいいか、とそのまま美凪の脇に立ってノートを覗きこんだ。
「漢文が完全に暗号なんだよー」
美凪は教科書も広げ、「暗号」と私は笑ってしまいながら、一問めからゆっくり解説していく。美凪は首をかしげ、かなり考えながら、自信なさげに答えを出していく。それが間違っていたら立ち止まって、合っていたら褒める。
宿題の五問を時間をかけて解答しおえると、美凪は疲れた様子でつくえに突っ伏した。「私は古文と英語の宿題も出てるけど」と訊いてみると、「僕も出てる」と美凪はのろのろと軆を起こして、かばんをあさる。
その宿題も美凪のペースで見ていって、終わる頃には昼下がりになっていた。
「もうやだー。勉強嫌いだよー」
教科書とノートを閉じた美凪は、ベッドに転がって私のまくらに顔を伏せた。私はベッドサイドに腰かけ、「頑張りました」と美凪の後頭部をくしゃくしゃと撫でる。
美凪はベッドに伏せっていたけど、ふと首を曲げてこちらを見上げてくる。
「ご褒美」
「ご褒美?」
「勉強、頑張ったから」
「ハグ?」
「うん」
美凪は起き上がり、ハグというか、私のことを抱きしめる。いつも華奢だと思っているけど、こうして密着すると、骨の感触が分かって、やっぱり男の子なんだなと思う。
「みなって、ゆうと勉強頑張ってもこうするの?」
美凪は首を横に振って、「かなちゃんだけだよ」と私のウェーヴのロングヘアを撫でる。
「ねえ、かなちゃん」
「ん?」
「かなちゃんは、ゆうちゃんが好き?」
「え、そりゃあね」
「ゆうちゃんに彼女ができたとき、寂しそうだったよね」
「だって、いつも三人だったもん」
「三人……」
「みなも寂しかったでしょ?」
「……ちょっと嬉しかった」
「え」
「ゆうちゃんに彼女ができたから、かなちゃんは僕を選ぶかもって」
「選ぶって──」
「僕は、いつでも選べるよ。ゆうちゃんより、かなちゃんを選べる」
「みな……」
「ずっと、我慢してたけど。もう無理だよ。苦しいよ」
美凪の胸から顔を上げ、もう一度、彼の名前を呼ぼうとした。でも、できなかった。美凪に口を塞がれて、さらにぎゅっと抱きしめられた。
え、と頭の中が焦げついて、その熱に混乱して、無意識に美凪を突き放そうとした。けれど、予想以上に力が敵わない。
美凪は私に口づけるまま、体重をかけてベッドに押し倒してくる。そしてやっと唇を離したけど、すぐに私の首筋に顔を埋めて舌を這わせ、耳元で切なくつぶやく。
「かなちゃんが好きだよ」
「み……な、」
「ずっと昔から、かなちゃんが好きだった」
美凪を見上げた。美凪は瞳を潤ませて私を見つめて、また口づけてくる。さっきより優しいキスで、なめらかに舌をすくい取られて、小さな水音が響く。
好き。好きって。
さすがに、いつもの「好き」ではないのは分かる。
「かなちゃんに、触っていい?」
「えっ、……さ、触るって」
「ずっと、かなちゃんに触りたかったんだ」
美凪のくるくると大きな瞳。いつもと変わらないのに、いつもと違って男の人に見える。
私が何とも答えられずにいると、美凪は私の頬に触れて、その手は服越しに軆を確かめて、ルームウェアの中に入りこんでくる。下着の上から胸に指が触れ、「かなちゃん柔らかい」と美凪は私の耳たぶを甘く咬みながら言う。
「かわいい。何で僕、我慢してたのかな」
「み、みな、……も、いい──」
「やだ。もっとかなちゃんが欲しい。ちゃんと欲しい」
ちゃんと。その意味を測りかねていると、美凪の手がスウェットの中に忍びこんできた。
え。ちょっと。ちょっと待ってよ。
思ったけど、口に出す前に美凪の指が下着の上から私をたどって、軆がすくんでしまう。
「かなちゃん。僕、絶対痛くしないから」
感覚も感情もぐちゃぐちゃに入り乱れて、半泣きで美凪を見る。美凪は首をかたむけて、私の上体をもう一方の腕で抱きしめる。
「痛かったら、やめるから」
「……みな、」
「今やめたら、後悔するんだ。だから、かなちゃんのことちょうだい」
言いながら、美凪の指が私の脚のあいだをたどって、探って、丁寧にこする。焦れったい浮遊感が腰にじわりと広がる。くすぐったいほどの、かゆみのような変な感じが爪先まで這う。快感が神経に染みこみ、そのうわずった感覚に流されないように、かすれた声で「だめ」と私は言った。
「かなちゃん──」
「だめ、こんな……こんなの、」
「何で? 気持ち良くない?」
「……ダメだよ、こんな、ゆうが知ったら、」
「やだ。今、ゆうちゃんの名前言わないで」
「でも」
「僕のほうがかなちゃんのこと好きだもん」
「みな……っ」
「僕のほうが、かなちゃんを幸せにできる」
【第三話へ】