romancier obscur

Koromo Tsukinoha Novels

Monotone Stars-3

 美凪の瞳を、潤みで揺れる瞳で見つめる。美凪は再び私に口づけて、言葉は封じた。心臓が跳ね返るように脈打つ。美凪の指は焦れったく彷徨っていて、それがもどかしくなるほどに、私の芯には熱が灯ってしまう。
 ダメだ。本当に、これ以上はダメ。流されてしまう。
 私はちぎりとるように顔を背け、美凪の肩を押し返した。「かなちゃん、」と言いかけた美凪を、「無理だから」と熱っぽい息遣いのまま何とかさえぎる。
「こういうの……ほんと、ダメだから」
「……何で。僕だから?」
「それは……」
「ゆうちゃんとならいいの?」
「ゆうとも無理だよっ。みなとゆうは、そんな、……こういうのじゃないよ」
「………、」
「ふたりとも、好きだけど……好きだからこういうのは」
 美凪は強い力で私を引き寄せ、抱きしめる。もがこうとしても、また力が敵わない。
「僕は、かなちゃんが好きだよ。かなちゃんがそうじゃなくても、好きだから」
「っ……」
「ゆうちゃんだけには、負けたくないと思ってる」
 私は黙りこんで、唇を噛みしめた。美凪は、それ以上のことはしなかった。すごく哀しそうだけど、何もしなくて──ただ、私の長い髪を撫でていた。
 どうしよう、と私は熱の名残る頭で思った。何がどうしようなのか分からないけど。悠斗にも相談できない。だって、もし悠斗がこれを知ったら──
 美凪は、夕方頃にやっと私の軆を放した。たぶん無理をして、いつものような笑顔を作り、「大好きだよ」と残して部屋を出ていく。私はひとりでベッドに倒れこみ、ぼんやり、橙々色の空中を見ていた。
 これから、美凪にどう接したらいいのだろう。そう思っても、何もつかめない。ベッドスタンドに置きっぱなしのスマホを手にする。着信のないそれを、無駄にスワイプしたりする。しかし結局、画面は悠斗のトークルームに行き着いてしまった。
 隠すことではないような、絶対隠さなければならないような。悩んで、うめいて、まくらに顔を伏せたりしていたけど、最後には悠斗との通話をタップしていた。
『よう。どうした?』
 いつも通りの悠斗の声と口調に、なぜか胸が締めつけられて息が詰まった。どう言えばいいのだろう。何を言えばいいのだろう。息を吸って口火を切ろうとしても、言葉を声に出す勇気が出ない。
 ふと悠斗が噴き出して、え、と狼狽える。
『無言電話になってるぞ』
「あ、……あー、うん」
『どうかしたのか?』
 悠斗に隠しごとなんてしたくない。それに、誰かに相談するなら悠斗しかいない。
「あ……あの」
『うん』
「……みな、が」
『美凪?』
 そう、美凪が私を押し倒したの。好きって言ったの。そんなの──ほんとに、悠斗に言っていいの?
「今日、宿題教えた……けど。理系は、ゆうが……教えてあげて」
『そうなのか? たまには自力でやらせないとダメだぞ』
「だっ……て、分かんないって言うし」
『奏乃は美凪に甘いよなー』
「……ゆうほどじゃないよ」
『はは。まあな』
 もし、美凪の気持ちを知っても、悠斗はそれを応援するのかな。意外と、そんなもんかな。だったら、私が思いつめてることなんて悟られないほうが──
『ん、何か兄貴が呼んでる。ごめん、行かないと』
「あ……うん」
『奏乃』
「うん?」
『何か分かんないけど、あんまり抱えこむなよ』
 あ、と思って口を開けそうになったときには、電話は切れていた。私はスマホを握りしめて、絞り出すような涙を落とした。
 分からない。どうしよう。悠斗にも、美凪にも、次会うときの顔が分からない。
 次の日も休みだった。私は服くらい着替えても、のろのろとベッドで寝返りを打っていた。
 暖かい窓の向こうで、今年のゴールデンウイークの空はよく晴れている。三人でどこか行こう、なんて約束があってもおかしくなかったけど、さいわいそんな話はない。
 それでも、学校が再開したらまた三人で登校して、お昼を食べて、下校して。
 美凪がまた想いを訴え、求めてくることはあるのだろうか。実際のところ、触れられたことに嫌悪はなかった。むしろちょっと気持ちよくなっていたから、余計に自分が分からない。どうしよう、と仰向けになって、明るい天井を見たときだった。
 ノックが聞こえた。私はドアを一瞥して、美凪なら勝手に入ってくるから違うよね、と内心確認して「何?」と声を返した。一瞬沈黙があって、「俺だけど」と悠斗の声がした。
 え、と思わず緊張してシーツを握ったものの、いまさら寝たふりはできない。「入っていいよ」とスカートの皺をはらいながら応えると、ドアが静かに開いた。
「ごめん、いきなり」
 悠斗は部屋に入ると、まず謝った。私はあやふやに咲って「みなはもっといきなりだから、大丈夫だよ」と言う。「そっか」と悠斗はドアを後ろ手に閉めて、ベッドに歩み寄ってくる。
「俺は、奏乃の部屋って久しぶりだな」
「そ、そうかな?」
「美凪の部屋は、普通に行ってるのにな。何でだろ」
「私も、ふたりの部屋って高校生になってから行ってない」
「一応、奏乃も女の子だからな」
「『一応』って」
「危ないだろ、男の部屋なんて」
 どきっとして口をつぐみ、顔を伏せてしまう。ウェーヴの髪が流れて表情を隠してくれる。ぎし、と音がして目だけ上げると、悠斗はこちらには背を向け、ベッドサイドに腰かけていた。
「美凪だって……男なんだよ。警戒しろよ」
「………、」
「昨日、夜に美凪が部屋に来てさ。勉強かと思ったら、……何なんだよ」
 まぶたをぎゅっと閉じてしまう。そのときの雰囲気までは分からないけれど、美凪が悠斗に話したことは察せた。
「……とりあえず、その……最後までではないんだな」
「あ、当たり前だよ」
「でも、キスはしたって」
 私はうつむく。悠斗が苦々しく感じているのが、空気をぴりぴりさせる。
「本当、なのか?」
「……うん」
 悠斗はため息をついて、首を垂らした。私も何と言えばいいのか分からず、何とか薄くまぶたを開いても視線は彷徨う。
「奏乃は、美凪が好きなのか?」
「好き、というか──」
「というか?」
「……好き、だけど。そうじゃないから、抵抗したし」
「無理やりだったのか?」
「そ、そうじゃなくても、私には、みなは──ゆうも、違うし。そんな……恋愛みたいなことは」
「でも俺、喧嘩売られたけど。絶対負けないって」
「それは……」
「どっちかは勝たせるんだろ」
「勝ちか負けかみたいな、そういう言い方はっ──」
 しないで、と言う前に、悠斗がこちらを振り返って、私の腕をつかんだ。
「ゆう──」
 ぐいっと引っ張られて体勢が崩れ、そのまま悠斗の胸に倒れこんだ。え、と一瞬こわばった隙に抱きすくめられて、しっかりした男の子の腕や肩にどぎまぎする。
「俺……だって、奏乃が」
「ゆ、ゆう、」
「何だよ、俺のことは拒否るのかよ。それってやっぱり、美凪のほうがいいってことじゃん」
「そ、じゃないけど、……私、」
「俺だって、奏乃がずっと好きだったんだ。奏乃のことだけは美凪に譲りたくない」
 悠斗まで何言ってるの。
 混乱が重なっているうちに、悠斗はベッドに上がって、私をシーツに押し倒した。すぐ唇に唇を重ねて、舌を絡めながら服の上から私の軆をたどっていく。悠斗のキスは意外と乱暴で、舌は深くまで求めてくる。息もできないほど貪られて、私は悠斗の服をつかんで何とかそのキスを受け止める。
 やっと唇をちぎった悠斗は、息を切らす私を至近距離で見つめて、キスとは違う優しい指を私の頬に添えた。
「俺は……あんまり、優しくないって言われるけど」
「……え、」
「俺がたまに適当に女子食ってることなんか知らないだろ」
「そ、そうなの?」
「美凪みたいに、一途に我慢できるかよ」
「………、」
「いつも、奏乃のこと考えながら、ほかの子を抱いてた」
「……それは、ひどいね」
「奏乃には、優しくするよ。だから──」
「何っ……も、もうっ、みなもゆうも、何ですぐ──」
「すぐ襲うよ。ただでさえ、ずっと我慢してきたんだ」
「どうして──」
「美凪にいつ出し抜かれるか、子供の頃から緊張してきたよ。だから、今回やられたと思ってる。焦ってる」
「ゆう、」
「でも、俺は美凪に負けない。奏乃が好きだよ。昔から、俺の一番は奏乃だ」
 私は、泣きそうな顔で悠斗を見上げた。悠斗はそれに構わずキスしようとしたけど、唇が触れ合いかけた直前で、ひたと止まる。至近距離で視線が絡まる。悠斗はため息をつくと、重なりかけた唇をそらして、私をぎゅっと抱きしめた。
「好きだよ、奏乃……」
 痛々しいほどに、切ない声だった。私はまた、何も言えなかった。ただ、どくどくと速い悠斗の鼓動を聴いていた。
 ──悠斗は、私に告白したことは美凪に言わなかった。
 ゴールデンウイークが終わり、また三人で学校に向かう。ふたりにはさまれて歩きながら、どちらの顔も見れない。そしたら美凪は、私は腕をつかんで、「かなちゃん」と大きな瞳で覗きこんでくる。私がそれに狼狽えていると、悠斗は笑いを噛んで私の頭を小突いてくる。
 何というか、結局、ただ贅沢なことになっているのだけど。何で私なのかな、と混乱する。すごくかわいいわけでも、すごくスタイルがいいわけでも、すごく性格美人なわけでもない。
 美凪はたくさんの女の子にモテている。悠斗は彼女がいたし、適当につまんでもいるらしい。私以上の女の子なんてたくさん見ているはずなのに、何でいまさら、私が好きだなんて気持ちを持ち出すのだろう。
 美凪も悠斗も、もちろん想いを打ち明けたのをなかったことにはしなかった。美凪は私に甘えて、後ろから抱きついてきたり腕を取ってきたり、「かなちゃんが好き」とよくくっついてくる。悠斗はそれを見つめて、その視線に私が狼狽すると、美凪には気づかれない程度に意地悪く笑う。そしてふたりきりになってから、悠斗は私に触れて、あの貪欲なキスで立てなくなりそうにさせる。
「今日の放課後、俺、クラス委員の集まりあって一緒に帰れないから」
 中間考査が過ぎ去って、生徒の制服はほとんど夏服になって、五月が終わろうとしていた。
 暑いけど、晴れていれば屋上庭園で取る昼食でも、やっぱり私は美凪と悠斗にはさまれている。相変わらず悠斗の作ったお弁当を開いていた私と美凪に、悠斗はそう言いながら、自分もお弁当のふたを取った。
「そういえば、ゆうちゃん、クラス委員だったっけ」
「まあな。立候補じゃなくて、推薦だけど」
「すごいよねえ。僕、そういうお仕事って無理」
 今日のお弁当は、ナポリタンのパスタと具だくさんのパエリアが半分ずつ入っている。添えられているのも、きちんとフォークとスプーンだ。ぬるくなってきた風が抜けると、シーフードの匂いがふわりとただよう。
「じゃあ、かなちゃん、今日はふたりで帰ろうね」
「えっ? あ──うん」
「僕がかなちゃん迎えに行くから、教室で待ってて」
「分かった」
 美凪はフォークにパスタを巻きつけ、口に運んで「おいしい」と笑顔になる。私はあさりとえびの混ざったごはんを食べて、うん、と思う。困らせてくるけど、悠斗の料理が、美凪の言う通り、おいしいのは変わらない。「ちゃんとピーマンも食えよー」とナポリタンに入ったピーマンをしめしながら、悠斗はくすくす咲う。
 そんなわけで、その日は美凪とふたりで帰ることになった。放課後になって、ふたりか、とつくえに伏せって迎えに行くと言っていた美凪を待つ。三人でいるのもそうとう気まずいけど、ふたりだとたぶん何かあるから緊張する。
 窓からの強い日射しに目を細める。電車とかで男の子がついているのは、痴漢対策にもなって助かる。だけど、同じ学校の子に見られたらまずい。美凪は遠慮しなくなっているから、たまに女子からすごい視線を感じる。あれ怖いんだよな、とまたつくえに伏せりなおして、目を閉じる。
 私が、はっきりすればいいのだ。分かっている。白か黒か、どっちにも星をつけない私が悪い。
 美凪か。
 悠斗か。
 どちらでもない、とか濁して、美凪と悠斗に喧嘩はしてほしくない。自分のせいで喧嘩とか、うぬぼれた考えで嫌になるけれど。
 もしくは、喧嘩なんかせず、ふたりして私を責めるだろうか。それでふたりともに嫌われてしまうのは、怖い。嫌われたくないなら、答えを早く出さないと。

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