Koromo Tsukinoha Novels
「一緒に食べようね、かなちゃん」
「う、うん。どっかで、集まらなきゃね」
「奏乃のクラスでいいだろ」
「そだね。かなちゃんは、お昼休みになったら教室で待ってて」
「分かった。というか、私の教室で食べるの?」
「雨降り出してたら、講堂が開放されると思うぜ」
三人でいると喉がつっかえる半面、三人でいないと不安になる。美凪と、あるいは悠斗と、ふたりきりだとああいうことになって、その場にいないひとりを裏切っているみたいになる。だったら、私ひとりで過ごせばいいのだけど、地元はともかく、学校でそうしていると、美凪のファンの目つきが本格的に危なくなりつつある。
雨は三時間目の途中で降り出した。強い雨で、窓に打ちつけてくる音が、授業中のチョークが走るだけの静けさに響く。教室は電燈で照らされ、いつもと色感が違う。雨が降るまではやや蒸していたけど、いざ降り出すと空気がちょっとひんやりしてきた。
そのまま雨脚は強くなって、チャイムが鳴って、はたと時計を見ると、四時間目が終わっていた。
最近授業が頭に残ってないな、と期末考査を案じながら教科書を引き出しにしまって、教室で待つんだっけ、とお弁当をつくえに乗せたときだった。
「今日もみなくんたちと一緒?」
顔を上げると、同じ教室になっても、会話したことはないクラスメイトの女子たちが、私の席を取り囲んでいた。嫌な予感に肩をこわばらせると、「これはー」とひとりが私のお弁当を取り上げる。
「悠斗くんに作らせてるんでしょ? いいよねえ、お姫様で」
「幼稚園のガキみたいに、あのふたりにくっついてるよね、あんた」
「幼なじみなんて、そろそろ離れてもいい歳なんじゃない? 彼氏もできないよー?」
三人は高らかに笑い合って、私は唇を噛んでお弁当は取り返した。乱暴に私にお弁当をぶん捕られた子が、いらっと眉を動かして、私を覗きこんでくる。
「それとも、みなくんも悠斗くんも彼氏にしておきたいの?」
「ただの幼なじみじゃん。何であんたがみなくん独占すんだよ」
「そうだよ。あんたなんか、ぜんぜんみなくんに釣り合ってないし」
何? そんなの私に言わないでよ。
私だってはっきりしたい。ただ、ふたりとも彼氏にするとか独占したいとかは考えてない。釣り合わないことも分かっている。
「あんたのほうから、みなくんに言えばいいんだよ。彼氏欲しいから距離置きたいとかさあっ──」
「僕がかなちゃんの彼氏になるのに、何それ?」
割りこんだ声に、一瞬にして三人の表情が凍った。私も顔を上げ、まばたきをする。
「──と、言うと思うぞ。あいつは」
三人の向こうにいたのは、声真似の犯人らしき悠斗だった。
三人がとっさに言葉を失っているうちに、「奏乃、行くぞ」と悠斗は隙間から腕を伸ばして、私の手をつかむ。私は慌てて、がたっと席を立ち、お弁当も取り上げてそれについていく。
教室を振り返ろうとしたけど、そうしなくても苦い視線が伝わってきたから、やめておいた。
廊下に出ると、雨の日でも、講堂があるせいかお弁当を持って移動する生徒が行き交っている。
「奏乃」
「えっ」
「多いのか、ああいうの」
「……増えて、いくよね」
「はねつけたほうがいいぜ」
「そんな、えらそうな立場じゃないよ」
悠斗は少し階段をのぼって、五階と屋上のあいだの踊り場で立ち止まった。雨で屋上に行く人はいなくて、今日はここは薄暗く静かだ。そのぶん、面した大きな窓が濡れて雨音は近い。
「今日、元カノが初めて今のクラスで話しかけてきた」
「えっ」
「まだ好きだから、同じクラスなのがつらいとか」
「そう、なんだ」
「幼なじみの子が美凪とつきあいはじめたら、もう一度考えてほしいとか」
「……うん」
「やっぱ、俺は美凪に敵わないかな」
「………、」
「奏乃は美凪とつきあう? 俺が、」
悠斗がぐっと私を引き寄せて、腕の中に抱きこんでくる。その強さに脚がよろけて、思いのほか深く、悠斗の制服の胸に倒れこんでしまう。
「どんなに、こうやっても──」
顎をつかまれて唇を塞がれて、熱い舌が私の口の中を奪う。降りしきる雨音の中で、唾液の水音がしたたる。悠斗の鼓動と体温が私の軆に同化していく。いったん息継ぎで唇を離して、さらに深く求められたときだった。
突然、右肩を強く突き飛ばされた。はっと顔を向け、悠斗もその主を見る。
そこで、混乱と衝撃でぱっくり目を開いているのは、美凪だった。
「な……に、何、これ。何やってんの。何で……かなちゃんとゆうちゃんが」
「……美凪、」
「どうして、ゆうちゃん! かなちゃんは僕が、」
美凪に詰め寄られて、悠斗はきっと美凪に見せたことのない苦々しい顔つきを浮かべた。
「先に手出ししたのがお前だからって、あきらめられるかよっ」
「ゆうちゃん──」
「俺だって、ずっと奏乃が好きだったんだ。何でもお前のわがまま聞けるかよ。……応援なんか」
「な、に……じゃあ、かなちゃんはゆうちゃんとつきあってるの? そうなの、かなちゃん」
「つ、つきあっては……ない、よ」
「でも今、」
「……私も、分かんないよ。何で、ふたりとも、私のことが『好き』とか言うの? そんなの、……分かんないよ」
「分かんないって何⁉ かなちゃんが好きな人だよ、僕かゆうちゃんか、それだけじゃんっ」
「それか、どっちでもないかだ」
美凪は瞳を涙で揺るがしながら、悠斗は落ち着いた冷静な瞳で、私を見つめる。
分からない。ふたりとも好きだから、ふたりとも選べない。ということは、どちらでもないの?
「私……そんな、ふたりを較べるなんてできないよっ」
何とか叫んで、それでもいたたまれなくて、私は階段を駆け降りた。名前を呼ばれたけど、振り切ってざわめきの中に混ざった。
教室? 講堂? どこに行けばいいのか分からないまま、一階にたどり着いて、仕方なく廊下の突き当たりにずるりと座りこんで、非常口の緑色の看板を見上げながら昼食を取った。
今日のお弁当は、悠斗じゃなくて、おかあさんが作ったものだった。昨日の残り物多いな、とちょっと苦笑してしまって、それでも何とか食べ終わると、警戒しながら教室に戻った。
美凪のすがたも、悠斗のすがたもなかった。でも、それで避けられる相手ではないのが、幼なじみだ。すぐ私の家に押しかけるかは分からなくても、焦れったくなってきたらまた答えをうながしてくるだろう。
特に美凪は知らなかっただけにショックを受けていたし、早く安心したくて私の気持ちを知りたがると思う。私の気持ち。そんなのが分かっていたら、初めからこんなずるいことはしていない。
私は最低だ。こんなの、美凪と悠斗をもてあそんでいるのと同じだ。そんなつもりはないのに、ふたりとも大事にしたいだけなのに、どうしてうまくできないのだろう。
席に着いてお弁当をスクールバッグにしまって、時計を見ると予鈴が近かった。次は数学で、授業が何言ってるか分かんなくなってきてるんだよな、と引き出しから教科書を探す。でも、なぜか出てくるものに数学の教科書とノートが混ざっていない。昨日も数学の授業があって、宿題はなかったから、持ち帰って忘れたということはないはずだけど。
あれ、とつくえを覗きこんでいると、「かな」と肩をたたかれてびくっと顔を上げる。あの三人かと思ったのだけど、そうじゃなくて、たまに話す友達のふたりだった。
「あ、ごめん、今──」
「……ベランダ、と思う」
「え」
「何か、ないんでしょ。かながいないとき、つくえ勝手に見てて、窓からベランダに投げてた」
私はふたりを見つめ、何と言えばいいのか、とりあえず「ありがとう」とは言った。何がありがとうなのか、よく分からなかったけれど。止めてはくれなかったということだし。
席を立ち、教室の左手にある窓際を近づき、後方にあるドアを開けてベランダを覗いた。すると、狭いそこには雨が入りこみ、薄汚れた地面に確かにノートやペンが散らばっていた。
濡れるのは覚悟してベランダに踏み出し、べっちゃり濡れた数学だけではない教科書やノートに泣きそうになった。こんなの、ちょっとしたイジメじゃない。
でも、私はあの三人を責めていいのか分からない。ぐらぐらして、はっきりしなくて、美凪も悠斗も傷つけて。罰なのかもしれない。
ペンをひとつひとつ拾いあげて、濡れたホコリと砂でどろどろになったペンケースにしまう。そのうち予鈴が鳴って、私は急いで散らかった私物を拾うと教室に入った。
くすくすと嗤う声がして、みすぼらしさが恥ずかしくて頬が熱くなった。席に戻って、胸に抱えていた濡れたものをつくえに置いたところでチャイムが鳴り、先生が入ってくる。
「何だ、どうしたんだ、それ」
髪も制服も濡れていたから、当然先生が目に止めてきたけど、「大丈夫です」とだけ私は言って席に着いた。先生はまだ何か言おうとしたけれど、担任ではないからか、深入りの質問はせずに授業を始めた。
これから、こんな毎日になるのだろうか。私がはっきりしなかったばかりに、美凪が傷ついたと知ったら、嫌がらせはクラスメイトからどころではないだろう。
悠斗がかばってくれるなんて考えも、きっと甘すぎる。さすがにあきれて、話しかけてきた元カノとよりを戻したりするかもしれない。
どうしよう。何でこんなことになっていくのだろう。
私のクラスが一番に解散したのか、先に帰ったのか、放課後の靴箱には美凪も悠斗もいなかった。私は合わせる顔が分からなくて、そのまま靴を履き替えて学校をあとにした。
雨はやんでいたけど、晴れ間はなく、またいつ降り出すか分からない雲色だ。むっとした空気には、雨の匂いが立ちこめている。私は駅に急いで、久々にかばわれることのない電車に息苦しくなって、地元に帰ってきた。
こっちはちょっと小雨が降っていて、折り畳み傘と駆け足で家にたどりついた。お隣の美凪の家の玄関と、裏手の悠斗の家の屋根を見て、ため息をついて鍵を開けて家に入った。
シャワーで温まってルームウェアになってから、体操服に包んで持って帰ってきた、ベランダに放り出されたものを広げた。ちなみに、今日は引き出しは空にして帰ってきた。
まだ半年以上使う教科書がべこべこで、試験対策を書きこんできたノートの字も滲んでいる。何か、これ、地味だけど深刻に困る。
洗濯してしまう体操服で、できるだけ水分を吸い取っていく。ドライヤーをかけたら、余計ひどくなるようなことを聞いたことがある。じゃあどうしたらいいんだっけ、と思って、けれど、聞いたことがあるはずのいい方法が思い出せなくて、なぜかそんなことに涙があふれてくる。
答えが出せない、方法も分からない、そんな自分にいらついて、頬がどんどん濡れていく。
美凪が好き。
悠斗も好き。
何で、それがいけないことになっちゃったんだろう。
だって私たち、ずっと仲のいい幼なじみで、これからだってそうなんだって私は思ってたのに。何で、ふたりはこの関係を壊そうとするの? 周りまで、このままでいることを責めてくる。
私たち三人が、白でも黒でもない穏やかなグレーでいることは、そんなにもいけないことなの? 彼らに勝敗をつけないのはずるい? 一方を選ぶのが優しさ? そうしたら、こんなイジメみたいなことが始まるのも抑えられるの?
汚れたものを体操服でなるべくぬぐって綺麗にすると、つくえに並べて干して、体操服は洗濯機に放って乾燥までかけた。それから、部屋のベッドにぐったりしていた。
学校にいたときのまま、サイレントのスマホに着信がつく。悠斗から電話。美凪からメール。どちらも、出たり開いたりする勇気が出ない。ふとんをかぶって、目をつぶっていた。
頭がしくしく痛む。夜が更けていって、外の雨と共に涙がようやく途切れてきた。
喉をひくつかせながら、ゆっくり身を起こすと、真っ暗な部屋にスマホのランプが点滅している。手に取ると、やっぱり美凪からはメールで、悠斗からは電話だ。
私は細く息を吐いて、吸って、美凪にあの子たちのこと相談したってむしろ泥沼だよね、と思った。相談するなら悠斗だろう。何だか泣きすぎて思考回路がにぶくなって、ただ無性に寂しくて、私は悠斗のトークルームを画面に呼び出すとタップしていた。
『奏乃! お前、家だよな?』
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