romancier obscur

Koromo Tsukinoha Novels

夜に羽音-3

 しかし、とうさんの意向をくみ取ったのかどうか、新学期になってクラス替えの先に向かうと、実鞠が同じ教室にいた。同じ教室というか、砂村さむらという名字も同じなので、前の席にいた。
 何でだよ、と席に着いて最悪な振り分けに怨みも覚えていると、「莉雪」と呼ばれて振り返る。そこには花蘭がいて、「ああ」と俺は頭をかきながら教室を改めて見渡す。
「同じクラス?」
「そうみたい。瑞海はいない」
「そっか。ま、花蘭が一緒なら気が楽だ」
「私もほっとした。それに、瑞海のことだから、ちょくちょく会いにくるでしょ」
「そうかなー。自分のクラスで、あいつはうまくやりそうだけど」
「瑞海は莉雪を気に入ってるから」
「はは。俺も瑞海はいい奴だと思ってるよ」
 俺が咲っていると、ちらりと一瞬実鞠が振り返ってきた。俺より花蘭がそれに目を止め、「転校生?」と実鞠に声をかける。実鞠ははたと今度はきちんと振り向き、花蘭に向かってうなずく。
「そうなんだ。見たことないと思った」
「同じクラス……だよね。よろしく」
「よろしく。私、木丘きおか花蘭からん
「あ、私は砂村実鞠」
「砂村? ──同じだね」
 花蘭は俺を見て、「例の三ヶ月遅れの妹」と俺はむすっと頬杖をつく。それで通じる程度には、花蘭には話をしている。実鞠もむっと俺を見ると、「どうせ同い年なのに、妹あつかいしないでよ」と言った。
「三ヶ月遅い時点で、お前のが下だろ」
「下とか上とか決めないで」
「見た目も中学生だし」
 俺と実鞠が言い合うのを花蘭は拍子抜けて眺めたあと、「うまくいってるんだ」なんて言うから「どこがだよっ」と俺は花蘭を見上げる。
「こいつ、再婚に反対しなかったんだぞ」
「あんた、ほんとそれしつこいんだけど」
「というか、ええと、実鞠さんって──その、莉雪と血はつながってるんだっけ?」
「違うよっ。ママと慧人おじさん──この人のおとうさんは、結婚した相手が亡くなってから仲良くなったんだから」
「昔からあのふたりは会ってたって言ってるだろ」
「だから、それは友達としてでしょ?」
「待って、何か外野にはややこしい」
「いいよ、花蘭にはあとで俺が説明する」
「この人の言うこと信じないで。自分勝手に解釈してるから」
 花蘭は俺と実鞠を見て、何やらあきれた感じで息をつく。そうしていると、担任になる教師が現れて、着席をうながした。
「あとでね」と花蘭は自分の席に駆けていき、その背中を見送った実鞠は、「彼女なの?」と俺に一瞥くれてくる。「少なくとも俺の味方だな」と釘を刺しておくと、実鞠は明らかにふてくされて正面に向き直った。
 俺の友達は渡さないぞ、とその背中を睨む。学校生活までこいつに侵蝕されてたまるものか。
 担任の新学期の説明も聞かずに、めらめらとそう思っていると、お開きの前にひとりずつ短い自己紹介をさせられた。みんな元のクラスくらいしか言わない中で、実鞠は転校生だと名乗ったので、少し注目されていた。
 解散になると、「転校生なんだねー」と何人かの女子が実鞠に近づいて話しかけていた。実鞠は俺に対するときとはまったく違うほがらかな声で、どこから来たのかとか彼氏はいないのかとか、テンプレの質問に答えている。
 別に転校生なんかめずらしくないだろ、と内心で毒づき、配布されたプリントをはさんだクリアファイルをかばんにしまっていると、「莉雪ー」と聞き慣れた声がした。後方のドアをかえりみると、瑞海がいる。「よお」と俺は席を立って、かばんを持って彼に歩み寄った。
「あ、花蘭もいるじゃん。俺だけ外れかよ」
「瑞海はたくましいからひとりでも生きれる」
「別にひとりじゃねえけど。中学の友達いたし」
「何だ。瑞海と花蘭の中学からの奴、多いよなー」
「学力レベルがちょうどこの高校なんだよな。場所近いし」
 瑞海がそんなことを言っていると、「やっぱり来た」と言いながら花蘭も輪に入ってきた。「『やっぱり』」と瑞海が首をかしげると、「瑞海は莉雪を訪ねてくると思って」と花蘭はくすりと笑う。
「俺はお邪魔ですか」
「そんなことはないけど」
「邪魔でも邪魔にしにくるけどな」
 瑞海はドアの柱に肩をもたせかけ、俺と花蘭のクラスをしげしげと眺めやってから、「何か」とふと顎をしゃくった。
「あの子、モテてんね」
 俺は瑞海の視線をたどり、するとそこには実鞠がいたので、眉を顰めてしまった。その俺の反応に花蘭は噴き出し、「何?」と瑞海はきょとんとしばたく。「あの子」と花蘭が言う。
「莉雪の妹なんだって」
「はっ? そんなん、この学校にいたっけ」
「女の連れ子だよ。ここに編入したんだと」
「女って──ああ、再婚の」
「そう」
「ふうん」と言う瑞海にも、花蘭同様、事情は説明している。実鞠をまじまじと観察した瑞海は、「へえ」と俺を見た。
「かわいいじゃん」
「ガキだろ」
「ロリと言ってやろう」
「性格悪いぞ」
「処女かなあ」
「処女だろ」
「口説いていい?」
「勧めないけど勝手にしろ」
「いいの? おにいちゃん」と花蘭がこまねいて俺を覗きこみ、「おにいちゃんってやめろ」と俺は顰めっ面になる。
「そんなに悪い子じゃなさそうだったけどね、私には」
「あいつ、俺の父親と自分の母親が不倫してたって事実すら認めないんだぞ。俺の母親と自分の父親が死んでからの仲とか思ってるし」
「実際どうなんだよ」
「違うに決まってんだろ」
「親のこと、実鞠さんはどこまで知ってるの?」
「知ってるというか、分かってねえんだけど。俺の父親のことは、自分の父親の親友として知ってたみたいだな」
「人間関係ややこしいな。紙に書いてくれ」
「単純にW不倫でしょ?」
「よく言った花蘭」
 そんなやりとりをしていると、実鞠が席を立ち、話しかけてきた連中と前方のドアへと向かいだした。
 実鞠はちらりと俺を見る。俺は露骨に目をそらす。その反応にむかっとした実鞠が視界の端に映り、奴は教室を出ていった。
 それを見守っていた瑞海と花蘭は、俺がいらいらと歯噛みしていると一緒に笑い出す。
「短いやりとりの中に凝縮されてたな」
「仲は良くないぞ」
「私には、むしろ構ってるように見えるけど」
「莉雪は嫌いな奴はスルーだろ」
「そうだよ。でもあいつ突っかかってくるから、いらつくんだよ」
「突っかかってくるってことは、あの子は莉雪と仲良くしたいんじゃねえの」
「知らねえよ」
「じゃあ俺、ほんとに口説くよ?」
「口説いて遊んで捨ててやれ」
「おにいちゃんの了解ゲット」
「おにいちゃんじゃねえ」
「私、知らないからね」
 俺は肩をすくめて、それぐらいされてちょうどいいだろ、と思った。実鞠なんか、一度、適当にあつかわれて傷つけばいい。俺が味わって育った、自分を見捨てる相手への嫌悪感を思い知れ。
 あいつは何も分かっていない。母親が裏切っていたことを間抜けなほど理解していない。全部、温室から眺めやがって。一度、風当たりを受けたらいいのだ。
 とうさんと結婚した志保里は、仕事を辞めて専業主婦になった。そのせいなのかどうか、かあさんの元にはついに帰ってこなかったとうさんが、やたら帰宅してくるようになった。
 やっぱりとうさんにとって、「帰る場所」は志保里だったのだろう。なのに、なぜ最初から志保里と結婚しなかったのか分からない。どうして悪戯にかあさんと結婚し、俺まで儲けたのだろう。どう考えても、かあさんと俺はいらなかったはずだ。志保里と結婚して実鞠だけ作れば、ゆがみは生まれなかったのに。
 ノイローゼになるのを強要されるような、頭の中をかきまぜられる状況だった。冷え切った家庭を俺に見せていたとうさんが、嬉しそうに毎晩帰ってくるのがうざい。夕食の席で、自分だけが浮いているのが分かる。
 俺だけ愛されていない。必要とされていない。こんなの、ひとりで過ごしているほうがマシだ。
 志保里が一瞬見せる勝ち誇った顔が嫌いだし、実鞠がとうさんに懐く神経も理解できない。
 俺だけ、この家庭が分からない。この家に雑音しか感じない。家じゅうを這いまわる害虫の羽音が、正気をすり減らしていく。
 俺のクラスの委員長は、聡明に見える外見のせいか、花蘭になった。それが決まった放課後、担任は実鞠と花蘭を引き合わせ、「分からないことがあったら、木丘に訊くように」といらない世話を焼いてきた。
 花蘭じゃなくても物好き連中いるじゃねえか、と思っても、担任はそれほど生徒を見ている感じではないようだ。俺が絶望してつくえに伏せっていると、「花蘭さんはおねえさんっぽいね」と実鞠が人懐っこく言って、「実鞠さんは妹みたい」とくすくすと花蘭が返すのが聞こえた。
 ダメだ花蘭盗られる、とぐったりしていると後頭部をつつかれ、首を曲げると瑞海がいた。教卓で花蘭と実鞠が話しているのを指さし、瑞海は怪訝そうに言う。
「実鞠ちゃんを口説くのは、俺なんだけど」
「……マジで口説くのか」
「口説くね」
「みんな実鞠のほうに行く……」
「女子みたいなことを」
「花蘭が事実持っていかれてるだろ」
「でも、花蘭が好きなのがお前なのは変わってないと思うよ」
「そうかな……」
「つきあってやれば?」
「彼女とか面倒なんだよ」
「出た絶食系。それなら、花蘭も実鞠ちゃんにくれてやれ」
「お前も実鞠口説きにいくじゃん」
「いきますね」
「何か俺、寂しくない?」
「俺が構いにいったら、花蘭は返してもらえるかもしれないぞ」
「よし、行け」
「今、豪快に俺を捨てに入ったな。まあいいけど──」
 瑞海は花蘭と実鞠を見やり、俺も視線だけ向けた。花蘭と実鞠もこちらを見ている。
 瑞海がひらひらと手を振ると、実鞠は小さく頭を下げた。猫かぶってる、と白々しく見ていると、「花蘭、俺のことも実鞠ちゃんに話してよー」とか言いながら瑞海はそちらに入っていった。
 俺はまた堅いつくえに額を伏せ、マジうぜえ、とがっくり肩の力を抜く。そのまま死んだみたいに、瑞海も実鞠と打ち解けていくのを無力に聞いていると、「莉雪」と呼ばれて俺は首を捻じった。
 花蘭が俺を見下ろしていて、いつのまにか教卓から抜けてきている。
「垢抜けてないから、ほんとに落とされるよ」
「……誰が?」
「実鞠さん」
「垢抜けてないですか」
「同性から見たら。本人に言わないでよね」
 俺は花蘭をもう一度見上げて、「やっぱ花蘭は友達だわ」とつぶやく。
「それ、喜んでいいのか分からない」
「喜んでくれ」
 花蘭は瑞海と実鞠を振り返り、俺もふたりを見やる。瑞海はノリがいいので、実鞠も気軽に相槌を打っている。あいつ俺には絶対ああいう顔しないよな、と思う。しなくていいし、されても突っぱねるが。
「ほんとにいいの?」
「何が」
「瑞海がたらしなのはよく知ってるでしょ」
「うん」
「遊んだら捨てるよ、瑞海は。そんなのに手出しさせていいの?」
「実鞠の勝手だろ」
「あの子は分かってないから、教えてあげるのはおにいちゃんじゃない?」
「おにいちゃんやめろ」
「ほんと妹って感じ、実鞠さん。すれてないなー」
「……そうか?」
「男はみんな、ああいうのを守りたくなると思ってた」
「どうなってもいいよ。知らね」
 花蘭は笑ってしゃがむと、俺の目の高さで「莉雪のそういうとこも好き」と言った。俺は花蘭の勝気な瞳を見つめ、「花蘭は俺の味方だと思ってる」と息を吐く。
「味方だよ。大丈夫、実鞠さんとは適当に距離取るから」
「……何か俺、女々しいな」
「私も、そんなに仲良くしたいわけじゃないし」
「そうなのか?」
「莉雪と義理の兄妹とか、癪に障るよ」
「兄妹じゃん。何もできないじゃん」
「義理の兄妹は結婚できるよ」
「そうなのか? まあ、それはありえないから安心しろ」
「瑞海が実鞠さんに本気になってくれたら、一番安心なんだけどね」
「それはどうだろうなー」
 瑞海の話に実鞠はおかしそうに笑って、すっかり気を許している様子だ。簡単に信じる奴だな、と思った。
 それは見る目がないのと同じだ。瑞海を悪く言うつもりはないが、瑞海に本気になる女はバカだと思う。実鞠が瑞海をどう感じているかは分からないけど、少なくとも俺に対するのとは違う。堕ちればいいのに、とやっと上体を起こし、頬杖をつきながら思った。

第四話へ

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