romancier obscur

Koromo Tsukinoha Novels

夜に羽音-4

 花蘭が世話役なのもあるし、瑞海が「おいでー」とか誘うのもあるし、帰りに駅まで四人で歩くことが増えてきた。それはまだいいとして、瑞海と花蘭とは駅で方向が逆になる。つまり、駅から家まで俺は実鞠とふたりきりになる。
 それにうんざりして、「先帰る」と言ってみても、「実鞠ちゃんを痴漢から守りなさい」とか瑞海に言いつけられる。それに対して「こんなガキ、誰も痴漢しないだろ」と言うと、実鞠はかちんと来て、「遭わないわけないじゃないっ」とやり返す。そう言われると、いよいよ放置して逃げることができなくなる。
 俺はため息混じりに、「嘘でも『平気だから』って言えよ」とこぼし、「男は痴漢に遭わないから、怖いのも分かんないよ」と実鞠は電車で俺を盾として利用する。男は痴漢に遭わないということはないと思うが、まあ俺は遭ったことがないので実際分からない。実鞠を扉側にして俺はそれを守るのが、いつのまにか帰路の日課にもなっていった。
「瑞海くんって──」
 四月が終わりかけ、連休が近くなってきた。夜はひんやりした風が抜けるが、昼間はすでに空気が蒸されはじめている。
 駅と学校をつなぐ並木道の桜も、目を刺すような新緑の葉桜になった。そこを今日も四人で抜けてきて、例によって電車で実鞠とふたりになる。守る体勢がけっこう暑苦しいなとか考えていると、不意に実鞠が口を開いた。
「ん?」
「瑞海くん」
「瑞海?」
「親友だよね」
「まあな」
「でも、莉雪と違うよね」
「何だよ、それ」
「瑞海くんは、莉雪と違って優しい。明るいし」
「はいはい、俺は冷たくて暗いですね」
「そんな、陰険みたいには言ってないけど」
「言っていいよ、別に」
 実鞠が俺を前髪越しに見上げてくる。ツインテールが走る電車に合わせて揺れている。俺はそれを見下ろし、「瑞海が優しくて何だよ」と目を眇める。
「何ってことは、ないけど」
「あっそ」
「やっぱ、モテるのかな」
「モテるよ」
「そっか。……そうだね」
 実鞠をもう一度見下ろす。今度は実鞠は睫毛を伏せている。その睫毛の自然な曲線を眺め、つけまじゃねえよなあ、と思う。
 何だろう。確かに、かわいいのかもしれない。でも、俺にはすごくかわいくない。あんな問題がなければ、俺も実鞠を守りたいなんて思えていたのだろうか。
 連休に入り、五月の頭の切れ間に、瑞海はいたって健全な笑顔で実鞠を「今度、遊びに行こうよ」と誘っていた。瑞海の場合、それは本当に遊びなのだけど、ここで勘違いする女もいる。実鞠もそうだったのかは分からなくも、「うん」とわりと素直にうなずいて、照れたような笑みがちらついていた気がした。
 瑞海の指す「遊び」をこいつは分かっているのだろうか。夕食の席で、「連休の後半、一日だけ友達と遊びに行っていい?」と実鞠が言うと、とうさんも志保里も「もちろん」と実鞠が学校になじんでいることを喜んでいた。
 俺は相変わらず無言で、俺は知らねえ、と全体的に甘くて好きになれない志保里の味つけの料理を食べた。そして五月四日、「いってきますっ」と実鞠は笑顔で出かけていった。
 俺は自分のベッドに寝転がり、昨日近所の古本屋で買ってきた全巻セットの漫画のページをめくっていた。明日の夕方までに最終巻を読み終わったら、すぐ売りにいく。電子書籍が本当は一番なのだけど、携帯代は親とまとめられて自腹にならないから気分が悪い。こういう古本も、小遣いで買っているといえばそうだけど。
 夏休みはバイトするかと考えつつ、部屋に引きこもって漫画を読んでいた。とうさんと志保里も、俺なんか出てこないほうがいいだろう。食事もひとり時間をずらして食べたりして、いつしか部屋が暗くなって、文字が見取りにくくなっていることに気づいた。
 時刻は二十時が近づいていた。実鞠が帰ってきた物音はしない。明日も休みとはいえ、いきなり朝帰りはしないと思うが──いや、瑞海なら分からないか。
 別にいいか、と明かりをつけてベッドに腰かけ、漫画の続きを読もうとしたときだった。つくえで充電につないでいるスマホが鳴った。俺は開きかけていた漫画をまくらに置いて、つくえに歩み寄ってスマホを手にして眉を寄せた。
『瑞海』──
 瑞海? 実鞠とデート中だよな。実鞠を泊めていいか、確認でもするのか。
 そんなん俺にされてもなあ、と思いつつ『通話』をタップして「もしもし」と電話に出た。すると、『あ、もしもし』と瑞海の声が耳元に届く。
『邪魔じゃなかった?』
「引きこもって漫画三昧ですが」
『はは、そっか。今からさー、家出れる?』
「何でだよ。嫌だよ」
『いいじゃん、来てよ』
「つうか、実鞠と一緒なんじゃねえの」
『うん、隣にいる』
「ホテル行っとけ。泊まるなら何とか言っとくし──」
『いや、無理だわ』
「は?」
『実鞠ちゃんが、お前に電話しろっつったんだもん』
「意味がよく分からん」
『いや、そろそろホテル行くかなあって連れこもうとしたら、激しく拒絶されまして。今も泣いてまして』
「………、」
『何か……これはとてもめんどいパターンなので、実鞠ちゃん引き取りに来て』
「ひとりで帰らせれば」
『道が分かんねえって』
「お前送れよ」
『ついてこないでと』
「めんどくせえな」
『俺もそう思う。だから、おにいちゃん迎えに来て』
「俺じゃなくて、親が迎えに──」
『俺、殺されるじゃん!』
「……まあ、そだな」
『頼むよ。俺、泣いてる女って嫌い』
「泣いてる本人の前で言うなよ」
『やらせない女ほど、どうでもいいものはない』
「花蘭に頼むのはダメなのか?」
『実鞠ちゃんは、お前に電話しろって言うし。とにかく来てくれよ』
「めんどい……」
『俺もめんどい……』
 どんよりした瑞海の口調にため息をつくと、仕方ねえなあ、と俺はふたりがいる場所をメモした。
 使う電車は通学に使う線と一緒だが、かなり先までのぼる。しかも、その駅から歓楽街とホテル街をつなぐ橋まで行かなくてはならない。
 何で俺なんか指名するかなあ、と思いつつ、スマホや財布を持つと、とうさんたちには何も言わずに家を出た。
 夜風がするりと頬や腕を撫でていく。すっかり外は暗くて、並ぶマンションの窓が光をこぼしていた。エレベーターで一階に降りて、アスファルトに出ると、昼間に焼かれた道草の匂いが残っている。この時間帯になるとあたりは静かで、駅に急ぐ足音が空に響く。
 実鞠やっぱ分かってなかったんだな、とぼんやり思った。瑞海と「遊ぶ」のはそういうことだと。転校生で瑞海をよく知らないのもあるだろうが、察するぐらいできなかったものか。
 拒絶して泣き出すって、確かにそうとう面倒だ。女はいざというとき、どう反応するか分からないから、俺も厄介で彼女を持ちたくないのだ。分かってるよな、ということを、女は何にも分かってない。
 三十分ぐらい電車に揺られて街に出ると、あんまりこのへん知らないんだよなあ、とスマホのマップ機能を頼りに橋を探した。川が通っているから橋はいくつか架かっているが、たぶん一番行き来がある広い橋だろう。
 どうにかその橋にたどりつき、向こう岸がいかがわしいネオンになっていくのを見やってから、俺は人混みをよけつつ瑞海に電話をかけた。
『もしもし』
「着いた。駅側にいる」
『了解。すぐ行く』
 俺は通話を切り、ホストやキャバのキャッチを横目に瑞海と実鞠のすがたを探した。ネオンが降ってくるとはいえ、暗いし、人も騒がしく混雑している。見つかるかな、と目を凝らしていると、不意に肩をたたかれた。
 もちろん瑞海だと思って、息をついて振り返ると、そこには知らない女の子がいた。「えっ」とか思わず間抜けな声をもらすと、「ひとりですか?」とその子はしれっと逆ナンらしきことを言ってくる。
「え、いや──待ち合わせ。待ち合わせです」
「どのくらい待ってるんですか?」
「わりと、今来たというか」
「来るのって友達? 彼女?」
 何か食いつくな、と焦っていたとき、とん、と背中に体温が触れた。「え」とどきっとすると、柔らかい軆がぎゅっとしがみついてくる。首を捻って振り返ると、肩の向こうにツインテールが見えた。
「実鞠?」
 俺がそう声をかけると、実鞠はいっそう俺の背中にしがみついた。肩胛骨のあたりが湿るのが分かった。
「こーんな甘ったれの彼女がいる奴より、俺にしない?」
 さらにそんな声が聞こえ、頭を小突かれて、見ると瑞海だった。俺に食いついていた女の子は、おもしろくなさそうにしていた表情をまた輝かせ、瑞海を見る。
「この子、君の彼女じゃないの?」
「この子は、こいつしか見えてないのー」
「瑞海、俺は──」
 俺が言葉を続けようとすると、瑞海は「そういうことにして逃げろ」と素早くささやいた。俺は女の子を見て、もう会うこともない子だしな、と無理に否定せず、俺のTシャツを握る実鞠の手に手を重ねた。
「行くぞ」と言うと、実鞠は小さくこくりとする。そして瑞海と女の子が盛り上がりはじめるその場から、手を引いて実鞠を連れ出した。
 駅前に戻ると、目についたファミレスに入って、案内されたテーブルで実鞠と向かい合った。「頼んでいいから」とメニューをさしだすと、実鞠は赤く濡れた目をやっと上げて、俺を見た。俺は頬杖をつき、「おごったからって何もいらねえし」と自分もメニューをめくる。実鞠は鼻をすすって、頬の涙をはらった。
「分かってたの?」
「え」
「瑞海くんが、そういう目的だって」
「まあな。でも、俺が言っても信じなかっただろ」
 実鞠はうつむき、唇を噛んで嗚咽を抑えこむ。
「遊ぶって言われて、そうだと思ったから」
「瑞海には、実際『遊び』だからな」
「つきあいたいわけじゃないって」
「つきあってもすぐ捨てられてただろ」
「………、優しいと思ったのに」
「男なんてそんなもんだよ。で、どれにするんだよ」
「莉雪は」
「ん?」
「莉雪、は……来てくれないかと思った」
「お前の頼みなら来なかったけど、瑞海に頼まれたからな」
「……うん」
「ま、あんまり簡単に人を信用すんなよ。瑞海のこと悪く言うつもりはないけど、親しくないのに優しい奴には、裏がある場合もあるんだ」
 実鞠は俺を見つめ、それからこくんとした。それから「これ」とグラタンを指さし、俺もペペロンチーノに決めて、ボタンで店員を呼んで注文した。
 ドリンクバーは勝手につけておく。「好きなの取ってこいよ」と俺に言われると、実鞠は「ありがと」とぎこちなく言って、ドリンクを取りにいった。
 俺はスマホを取り出し、着信していた瑞海のメッセを開く。
『おこぼれちゃんとホテル』
 ちょっと笑ってしまい、『ゴム忘れんな』とは忠告してスマホを伏せた。実鞠はぶどうジュースと戻ってきて、俺もオレンジジュースのサイダー割りを作って席に戻る。
「莉雪」
 ゆっくりまたたいて睫毛を乾かしながら、ぶどうジュースを飲んでいた実鞠が、ふとこちらに顔を向けてくる。
「んー?」
「莉雪は、私に優しくないね」
「悪かったな」
「けど、それは嘘はついてないってことなのかな」
「お前から騙し取るもんがねえんだよ」
「そっか」と実鞠はうなずき、「じゃあ」と言葉をつなぐ。
「これからも、私に優しくしないでくれる?」
 俺は思わず噴き出し、「変な台詞」と言ってストローに口をつける。「変かな」と実鞠は首をかしげたのち、「でもね」と言葉をつなぐ。
「莉雪のこと、信じてもいいかなって思ったの」
「簡単に人信じるなって言っただろ」
「だけど、莉雪はいつも電車で守ってくれるし。今日も助けてくれたし」
「無理に懐かなくていいよ」
「莉雪も無理に私を好きにならなくていい。けど、私が莉雪を信じるのは勝手でしょ?」
「はいはい。勝手にしろ」
 実鞠が涙を晴らして笑みになったとき、料理がやってきた。実鞠は嬉しそうにスプーンを手にして、グラタンをすくう。ふわりとチーズの匂いが湯気からただよう。
 俺は実鞠に嘘をついていないけど、実鞠は実鞠で俺に素直なのかもしれない。ペペロンチーノの鷹の爪を味わいながらそう思い、それなら親はともかく実鞠は嫌悪しなくていいのかな、とフォークにパスタを巻きつけた。

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