Nudie Heart-1

 子供の頃、僕を「かわいい」ってよく言ってくれたのは大輝だいきおにいちゃんで、そんなおにいちゃんが僕は大好きだった。
「何で? 時なんか男じゃん!」と妹のくうはおにいちゃんに食ってかかり、「空はそういうとこかわいくねえし」とおにいちゃんはからからと笑う。空は僕をにらみつけ、「お前なんか、なよなよしてるだけなんだよ」と吐き捨ててその場を立ち去ろうとする。
 そうなって初めて、おにいちゃんは空をつかまえ、「嘘だよ、空もかわいいから」とその頭を撫でる。「いまさらうるさいよ」とか言いつつ、空はまんざらでもなさそうで──
 僕は空に言われた言葉に、心を突き刺されて呼吸を浅くしていた。大輝おにいちゃんは空とじゃれていて、そんな僕の様子には気づかない。僕が傷ついていることには、絶対に誰も気づかなかった。
 小学六年生のとき、大輝おにいちゃんが結婚することになり、初めてそんな女の人がいることを知った。大輝おにいちゃんはまだ大学生だったけど、彼女さんが妊娠したので結婚を心に決めたそうだ。
「えーっ、そんなのやだ!」と空はごねたけど、彼女さんのことになるとおにいちゃんは苦笑するばかりで、けして「じゃあ結婚はやめとくな」なんて気休めは口にしなかった。僕のためじゃなくていい、空のためでもいい。それでもいいから、僕はおにいちゃんがそう言ってくれるのを期待していた。
 しかし、おにいちゃんは彼女さんと赤ちゃんのところに行ってしまった。
 おにいちゃんの赤ちゃん。いいなあ。僕も欲しかったなあ。おにいちゃんに愛されて、身ごもって、いつまでも共に見守る命を生む。僕も……私、も──おにいちゃんと、結婚したかったなあ。
 そのとき、はっきり自覚した。ああ、僕は僕じゃない。「私」なんだ。前から、違和感はあったけど。赤ちゃんを生みたいと思って、その意識は明確になった。私は、私の心は、女だ。
 中学一年生の冬、お年玉で買ったメイクセットで化粧の勉強を始めた。こっそり女の子の服を着るようになった。それがばれているわけではなくとも、学校では「オカマ」とイジメられた。両親は「もうちょっと男らしくしよう」と言われた。空も相変わらず「ほんっと女々しいな」と毒づいてくる。
 窮屈な毎日から逃げ出すように、私は女の子のすがたになって街を歩いた。最初はどきどきした。知り合いに見られて変態とかうわさがたったらと恐怖もあった。でも、誰も僕が私であることに気づかなかった。それにほっとしつつ、同時に、誰ひとりとして「私」であることを認めてはくれないんだなとつらかった。
 高校受験をひかえた中三の冬、久賀くんに出逢った。それまで見かけたこともなかった後輩の男の子だったので、いきなり話しかけられたときは正直怖かったけど、久賀くんは初めて、僕は偽りで私というすがたがあることを見抜いて肯定してくれた。その後、女装しているところにまで鉢合わせて、実際見ると気持ち悪いとか思われてるんだろうなと泣きそうになっていると、久賀くんは私を「かわいい女の子」と言ってくれた。
 久賀くんが、私の中で急速に大きな存在になっていって、もしかして今度こそ報われる可能性さえあるんじゃないかと思った。だって、久賀くんはありのままの私を知ってくれている──
「俺は、先輩とこれ以上は仲良くなれません」
 だけど、やっぱりダメだった。気持ちを打ち明けたら、きっぱりそう言われてしまった。そして久賀くんが私に声をかけたのは、友達が私が気になると言っていたからとか、そんな理由だったのも分かった。
 その「友達」は女の子じゃなくて男の子だったけど、すでに久賀くんに惹かれていた私にはもう関係なかった。そもそも、男の子に男として愛されるのは、私の心に寄り添っていない。そのときは、そう思ったけれど……
「時さんっ。ごめんなさい、待たせちゃって」
 いつものファーストフードで、カフェラテを飲みながらスマホを見ていると、背後にそんな声がかかった。私は振り返り、そこにいた走ってきた様子の渚くんに、「ううん」と微笑む。
 渚くんは高校の制服も着替えていなくて、学校が終わって急いで来てくれたのが分かった。私は化粧もして、身に着けているのも白にすみれ色のノルディック模様が入ったワンピースだった。
「いつも待たせちゃって」
「いいよ、渚くんは受験生だし。今日はこのあと塾あるの?」
「ううん。ゆっくりできるよ」
「そっか。こっちこそごめんね、大変なときなのに会ってもらってて」
「いえっ。僕も時さんに会いたいから」
 私が渚くんをじっと見つめると、渚くんは見つめ返して照れ咲いをこぼす。
 ……最初は、確かにこの子がいい子であることは知っていると思って。あの久賀くんが私に紹介したかった男の子でもあると思って。そして、彼も私が「女の子」であることを知っていたから。
 邪慳にはしないでおこうという程度でしゃべっていたのだけど、私の悩みを一緒に解決しようとしたり、久賀くんのことを大切な親友として語ったり、私の瞳を瞳に映してはにかんだりする彼に、何だか私も優しい気持ちになるようになった。
 中学の卒業式、渚くんは「先輩が好きです」と告白してくれて、複雑な想いもだいぶ消化されていたから、私はうなずいた。その日から、渚くんは誰よりも何よりも私を大切にしてくれる彼氏になった。
 おかげで今の私は、久賀くんのことも彼氏の親友として見て、普通に話せるようになった。久賀くんに彼女ができても、心から「おめでとう」と言えた。「ありがとうございます」と久賀くんは照れながらも咲って、「あいつと仲良くなれたの、先輩のおかげだから、ほんとに感謝してます」と言った。私はうなずいて、「大切にしないと怒るからね」なんて言うこともできた。
「もしかして、紗琴さことさんの記事?」
 私が見ていたスマホの画面が目に入ったのか、正面の席に腰をおろす渚くんがそう問うてきた。私はこくんとして、「やっぱり、紗琴さんはすごいなって思ってた」とスマホは脇に置く。
「中学時代の話を読んでると、私なんか平和だったんだなあって」
「時さんは時さんで大変だったでしょ」
「でも、イジメっていっても、ほとんど陰口とかだったし」
「じゃなくて……というか、それもだけど、あと──奏のこととか」
 奏くん、というのは久賀くんの下の名前だ。私はくすりと咲って、「あれはいい想い出です」と言った。
「渚くん、私と会ってるばっかりだと、久賀くん寂しがらない?」
「うーん、ちょっと寂しそう」
 否定しないところに咲ってしまう。本当にこのふたりは仲がいい。小学校のときからの親友だという話は、渚くんに聞かせてもらった。
 渚くんの家庭のことも聞いた。現在のうまくいっているご両親とは、養子縁組の仲であること。それ以前は、ほとんど虐待である家庭で暮らしていたこと。その家庭から逃げ出すきっかけを作ってくれたのが久賀くん、そして久賀くんの親御さんたちであること。
 だから、久賀くんには友情以上に感謝の念が尽きないこと。
「久賀くんって、渚くんのこと大好きだよね」
「うん。僕も奏のこと好きだよ」
「私も、そういう友達がいつかできるといいなあ」
「紗琴さんは違うの?」
「紗琴さんには、茉莉まつりさんっていう最強の親友がいるから」
「はは。でも、紗琴さん、時さんのことも気にかけてくれてると思うよ。またお茶するんでしょ?」
「うん。今度一緒にランチしてくる」
「楽しんできてね」
 私はこくんとすると、渚くんは優しく微笑んでくれる。もともと穏やかな顔立ちの渚くんが、そういうふうに咲ってくれると、本当に優しくてどきどきする。うぬぼれかなって思うほど、私が愛おしいという想いが笑顔に表れていて、嬉しくて泣きそうになる。そして、渚くんを好きになってよかったと、改めて実感する。
 私はまだ、軆に何も手を入れていない。軆つきがあまりにも男らしく成長しないように、どうしたらいいのか分からず、ただ食が細くなっている。
 渚くんはそれを心配してくれているけれど、かといって「食べろ」とも言えないようで、ただ「時さんが二十歳になったら一緒にクリニック行こうね」と約束してくれている。年が明けて二十歳になったら、自分の意思で軆に手も入れられる。未成年のうちは、親の同意がないと手術などは受けられないことは、紗琴さんが教えてくれた。
 両親に話す勇気はない。空なんて、話を聞いたら「気持ち悪い」ぐらい言ってきそうだ。だから、私はなるべくそっと、家族とは離れて早く手術を受けたい。家族はずっと私に「男らしく」しか言わなかった。何も深く考えてくれなかった。だから、私も理解してもらおうと思わない。ほっといてくれたら、それでいい。
 初めて会ってもらったとき、私のそんな話を聞いた紗琴さんは哀しそうにして、「私は親に受け入れてもらって、楽になれましたけど」とまで言ってやや考え、「みんながそうじゃないですよね」と続けた。私と同い年の紗琴さんは、中学生のときに両親にすべて理解してもらい、高校生のときに手術を受けて女性の軆になった。
 若いうちに女性ホルモンの注射も受けていたから、今、紗琴さんはとても綺麗な女の人で、男として生まれたという過去があるなんて信じられない。でも、LGBTをテーマにしたWEB雑誌に載っている紗琴さんの書いた記事は、痛いぐらいに生々しくて、女の子なのに男として生まれてしまった苦しみがよく伝わってくる。
 紗琴さんの記事を読んで涙が止まらなかった日、そのWEB雑誌のフォームに勝手に紗琴さんへの手紙を送っていた。本人に読んでもらえるとは思っていなかったし、ましてやメールボックスに紗琴さんからコンタクトが来るなんて夢にも見なかった。
 メールのやりとりをしていて、居住地が比較的近いことが発覚すると、紗琴さんから『一度、お会いして話してみませんか?』と切り出してくれた。いいのかな、と不安だったけど、紗琴さんはライターさんとして身元ならはっきりしているわけだし、SNSで知り合ってオフするのとも違うのかなと思った。
 一応、渚くんには相談すると、「ひとりで行くのが怖いなら、つきそってもいいよ」と言ってもらった。紗琴さんにそれをメールで伝えてみると、『もちろん大丈夫です。』とOKしてくれて、『もし悪くなければ、私も彼氏を連れていっていいですか?』と添えてくれた。お互い信頼する男の人が付き添ってくれることにほっとできたので、私は紗琴さんに会ってみることにした。
 それが、ちょうど一年前くらいの晩秋だった。初めての街で、待ち合わせのカフェをちょっと迷ったあとに見つけた。渚くんに手を握ってもらいながら、店内に踏みこんで席を見まわす。まだお互いの顔は知らないし、お店の中にはカップルも散見されたので、どこに紗琴さんがいるのか、あるいはまだ来ていないのかも分からなかった。
『着きました。』とメールを送ると、すぐに「時さん?」と声がかかってはたと顔を上げる。そちらから、綺麗なロングヘアやピンクのモヘアセーターが愛らしい印象の女の人が歩み寄ってきていた。
「え、えと……紗琴さん、ですか」
 とても綺麗だったから、ほんとに元は男なのか信じられなくて、動揺しつつ尋ねると、「はい」と紗琴さんは柔らかく微笑んだ。
「初めまして。日向ひなた紗琴さことです」
「あっ、鮎見時です。今日はよろしくお願いします」
「すみません、急に会ってみませんかなんて」
「いえっ。嬉しかったです。私、その……同じような人って、会ったことなかったので」
「そうなんですね。あ、彼氏さんはもっと初めましてですね」
「はい、初めまして。永田渚です。僕は少し、紗琴さんのコラム読ませてもらってます」
「え、ありがとうございます。嬉しいです」
 紗琴さんは気恥ずかしそうにしたあと、まずはドリンクをテイクアウトするのを勧めてきた。私はホットチョコレート、渚くんはカフェモカにすると、紗琴さんの案内に続き、男の人が待っているテーブルに向かう。
 男の人は、私と渚くんを認めて頭を下げると、「暮村くれむら紫優しゆうです」と名乗った。穏やかで、落ち着いた雰囲気の男の人だった。

第二話へ

error: