「えっと……彼氏さんですよね」
ふたりの正面に腰をおろしながら、私が確認すると、紫優さんはうなずいて「もう五年になります」と微笑む。
「たまにコラムにも登場されてますよね」
「ああ、まあ。恥ずかしいので、ぼかしてもらってますけど」
「でも、すごく渚くんに近いのかなって思ってました」
「近い?」と紗琴さんだけでなく渚くんもきょとんとするので、「あ、ええと」と私はやや口ごもる。
「渚くんも、その……私の違和感とか知らないのに、女の子として見てくれたから」
「そうなんですか」
紫優さんに目を向けられた渚くんは、「初めは、よく分からなかったんですけど」と渚くんは照れ咲いする。
「同性に惹かれたって感覚がなくて。でも、性別とか気にしないって思うわけでもなくて──じゃあ、時さんが女の子なのかなって。でも、確信があったわけじゃないんです」
「どうやって確信に変わったんですか?」
紗琴さんの質問に、私と渚くんは目を交わしてから、久賀くんのことを話した。「僕のこと大切にしてくれる親友なんです」と久賀くんの印象が悪くならないよう、渚くんは説明を続ける。
「あのときは、何でそんなことまでって思いましたけど。やっぱり、奏の行動がなかったら時さんとは他人のままだったと思いますし」
「私も、もう久賀くんのことは友達──というか、彼氏の親友って見れてますし、よかったと思ってます」
「そうなんですね。言葉だけじゃなくて、行動してくれる友達がいるって大切ですよね、分かります」
「あ、紗琴さんの親友さんも素敵だなって思います」
「茉莉?」
「はい。コラム読んでても、そのときの苦しんでる紗琴さんに伝えたいこととか、全部代わりに言ってくれる感じで」
「茉莉はほんとに自慢の親友です。昔から、誰よりも私のことを女の子だって信じてくれて」
その言葉に、私は紗琴さんを見つめてから、「何というか」と嫌味に聞こえないか不安に感じつつ言ってみる。
「紗琴さん、ほんとに女の人なのでびっくりしました」
「えっ」
「私は、その──何もしてないから。やっぱり、肩幅とか軆で気づいちゃう人もいるんだろうなあって思ってて」
「時さんは、私と同い年でしたっけ」
「はい」
「じゃあ、親御さんの同意がなければ、適合手術は二十歳からですね。その前に一年間は女性ホルモンの治療を受けるとか、いろいろあるんですけど」
「何も、してないです。保険証も勝手に持ち出せないから、クリニックとか行けなくて」
「ご家族にはお話してないんですか?」
「分かって、くれないと思うので。とりあえず、家族から離れることから始めないといけない感じです」
「そうですか。私は親に受け入れてもらって楽になれたましたけど──」
紗琴さんはそこまで言って首をかしげて考え、「みんながそうじゃないですよね」と言い直した。
「ガイドラインがけっこう変更されてるので、今は十八歳未満は、性同一性障害の診断をもらうまで、二年間カウンセリングを受ける必要もあるんですよね」
「そうなんですか。私は年が明けて十九歳です。でも──二十歳にならないといろいろ無理そうですね」
「戸籍変更も二十歳からですもんね。私も、戸籍はまだ変わってないんです」
「え、そうなんですか」と私がまばたくと、「まだ十九歳なので」と紗琴さんは曖昧に咲う。
「来年二十歳になったら、手続きしていきます」
「えと……変な話ですけど、手続きとかってお金かかりますよね」
「そう、ですね。手術もですけど、お金はかかりますね」
「……どうやったら、そんなに稼げるのか分からなくて。やっぱり、水商売とか……しなきゃいけないんでしょうか」
「仕事は水商売に限る必要はないと思いますよ。適合手術って慎重に診断や治療を重ねて受けられるものですから、そのあいだに貯金を始めておいたほうがいいとは思います」
「貯金……仕事っていっても、制服があるのかなあって。すみません、わがままなことばっかり」
「いえ、気持ち分かるので。面接で正直に事情を話すのも手だと思います。そこで偏見するような職場なら、どのみちつらくなるだけですし」
「それで受かる場合ってあるんですか?」
「ありますよ。私のコラムが載ってる雑誌に、たまに求人載せてるところとかもあります」
「そうなんですか。ちゃんと見てみます。紗琴さんのコラムばっかり読んじゃってて」
はにかんで咲うと、「ほかの人のエッセイ漫画とかもおもしろいですよ」と紗琴さんはにっこりしてくれる。
そのあとも、紗琴さんは気さくに私といろいろ話をしてくれて、そんな私たちを渚くんも紫優さんも見守ってくれた。あっという間に時間が過ぎて、外が短い日暮れにかたむいてくる。
お別れする前に、勇気を出して「またお茶してもらえますか」と紗琴さんに訊いたら、「今度はふたりで会いましょう」とうなずいてもらえて、連絡先の交換までしてもらえた。帰り道、「よかったね」と手をつなぐ渚くんが微笑んでくれて、私はこくんとして、紗琴さんがついていれば、この心身の違和感の解消に近づける気がした。
それから、月に一度くらいのペースで、紗琴さんとはお茶をしたりランチを一緒に食べたりさせてもらってしている。まだコラムには書いていないお話も聞かせてもらえたりして、貴重な時間だった。「お買い物とかもしてみましょうか」と言われて、紗琴さんとウィンドウショッピングをしたときもすごく楽しかった。
私は渚くん、紗琴さんは紫優さん、彼氏の話を楽しむ恋バナができるのも嬉しい。「来月に載る話なんですけど」と春頃にお茶したとき、紗琴さんが話してくれたことがある。
「紫優くんのご家族に、私のこと話したんです。昔は軆が女の子じゃなかったこと」
「えっ、そうなんですか」
「はい。やっぱり、赤ちゃんだけはどうしても生めないから。話しておきたいというのはあって」
「……赤ちゃん」
「優しいご両親だって分かってても、やっぱり怖くて。騙してたのかって言われるかもしれないとか」
「大丈夫……でした?」
「はい。びっくりしてましたけど、紫優くんも一緒に話してくれて、『もし紗琴のこと分からないなら、僕は彼女を支えたいから、家族より紗琴を選びます』って言ってくれて」
「紫優さん、かっこいい」
「ふふ、妹さんもそう言ってました。それで、『孫なんて私が生むからいいでしょ』なんて言ってくれて。ご両親も、『私たちも一緒に紗琴ちゃんを支えたい』って」
「よかった。紫優さん、妹さんいたんですね」
「紫陽ちゃんっていって、今度高校一年生かな」
「いいなあ。私の妹は高二なんですけど、私のこと一番分かってくれないと思います」
私は、少しだけ初恋の大輝おにいちゃんのことを話した。「今はその人がどうしてるとか」と問われて、私はかぶりを振り、「結婚してから、ぜんぜん町に帰ってこなくて」とうつむく。
「でも、いいんです。そっちのほうが、吹っ切れましたから」
「そうですか。初恋は、心に残りますもんね。私も、中学一年生のときが初恋でしたけど、やっぱり彼に彼女ができちゃって」
「そうなんですか」
「はい。今、どうしてるんでしょうね。何にも分からない」
「ちゃんと、今は渚くんが好きなんですけど。大輝おにいちゃんは、夢に出てくるときもあって」
「分かります。初めて好きになった人って特別ですもん。もう今は気持ちがなくなってたとしても」
「ですよね。私だけじゃなくてよかった」
ほっとしている私に紗琴さんは微笑み、「さっき、赤ちゃん生めないって紗琴さんが言って」と私は言葉を続ける。
「自覚したときを思い出しました」
「自覚」
「大輝おにいちゃんの赤ちゃん、欲しいって思ったんです。私も赤ちゃんを生みたいって。それで、私は女の子なんだって気づいたんです」
「……私も、紫優くんの赤ちゃん生めたら幸せだなあって、たまに思います」
憧れるように紗琴さんはつぶやき、「でも、贅沢ですよね」と哀しそうに笑んだ。「女の人だから自然だと思います」と私が言うと、紗琴さんはまばたきをしてから、「そうですね」と今度は物柔らかに咲った。
──外出したときは、ほとんど女の子の服を着るようになっていても、家ではそうじゃない。だから、いつも帰宅前にはコインロッカーに預けていた服を取り出し、駅のトイレで着替えて化粧も落として帰る。
一応、ばれていないと思う。両親は男らしくならない私に無関心になりつつあるし、妹の空も相変わらず「なよなよして気持ち悪い」とか言ってくる。家にいると急速に息苦しくなって、わけもなく泣きそうになるから、そんな私の暗い顔を見て家族はまたため息をつく。
せっかく渚くんとゆっくり過ごしてきたのに、と思いつつ、二階の自分の部屋に入ると、荷物をおろす。女の子の服は、家族がいないときに洗濯している。時刻は二十一時が近かった。お風呂、とぼんやり思い、この軆と向き合うその時間にひどく嫌悪感を覚える。
でも入らないわけにもいかないので、パジャマを抱えて部屋を出ると、ちょうど階段をのぼってきた空と鉢合わせた。う、と私がすくむと、それがまた気に障ったように空は舌打ちして、「うざ」と吐き捨て自分の部屋に入った。
もし──私が、兄ではなく姉として生まれていたら、少しは優しくしてもらえていたのだろうか。分からないけど、私のほうはそこまで空を嫌いになりきれないから、いちいち傷ついてしまう。
入浴前に、おかあさんに夕食は食べてきたと伝える。「時のぶんも作ってたのに」と返され、「ごめんね」と言うと、「ちゃんと食べないから筋肉もしっかりしないんだぞ」とおとうさんに言われて顔を伏せる。
「時、最近きちんと食べてないでしょう? 心配してるんだよ」
おかあさんも言って、私はかぼそく謝るしかできない。しばらくちくちく言われ、ようやく解放されて浴室に入ると大きな吐息がもれた。
言えない。言えないよ、こんな家族に。性同一性障害とか。だから性転換の手術を受けたいとか。つきあっているのも男の子とか。きっと、私の頭がおかしくなったと精神科に連れていかれる。
シャワーを浴びて、十月になってべたつく汗をかくこともなくなってきた肌をさっぱりさせ、浴槽には浸からずにお風呂を上がる。両親には声をかけずに二階の部屋に戻り、ウィッグのお手入れをした。
それからスマホを手に取り、渚くんに無事帰宅して落ち着いたところだとメッセを入れておく。すぐ既読がついて、『よかった。ゆっくり休んでね。また明日。』と返ってくる。明日もまた、あのファーストフードで会う約束はして別れた。たまには勉強教えるとかも必要なのかなあ、と受験生の渚くんのことを想いつつ、私はベッドに横たわった。短い髪からシャンプーの匂いがこぼれる。
今は、渚くんといるときが、一番息ができる。安心して私のままでいられるし、渚くんはそれを受け入れてくれる。家族の態度はつらい。だけど私は、渚くんがいるからラッキーなのだと思う。渚くんだけじゃない。紗琴さんも、久賀くんも──私が女であることを分かってくれる人がいる。そういう味方がいない人もいる。私は渚くんに見つけてもらえた。
渚くんは、中学生のときに委員が同じだった。私は三年生、渚くんは一年生。渚くんは引っ込み思案なところがあって、私も内向的ではあったから、少し気になって気配りするようにはしていた。
でも、まさかそれで好意を持ってもらえるなんて思っていなかったし、委員の任期が終了したら、私のほうは渚くんがその後どうしているかも考えなかった。渚くんは私を想って、私が卒業したら他人だと悩んでいて、久賀くんはそんな内気な渚くんだったから、ちょっとお節介をして私に声をかけたのだ。
そして、結果的に渚くんは私に想いを伝えてくれた。
「私、いつか手術しても、渚くんの赤ちゃんは生めないね」
いつだか私がぽつりとそう言うと、渚くんはちょっぴりびっくりした顔をしたあと、「僕は」と恥ずかしそうに言った。
「時さんをいつまでもひとりじめできるから、それでもいいよ」
頬に色をさした渚くんを見つめて、「うん」と私はうなずいた。渚くんがそう言ってくれるのなら、それでもいいと思えた。私も渚くんをずっとひとりじめしたい。誰にも取られたくない、渡したくない。
【第三話へ】
