romancier obscur

Koromo Tsukinoha Novels

START OVER-1

 夢の中でくらい、報われる恋愛できてもいいでしょ。
 そう思うけど、私は夢の中でさえ「好きだよ」という台詞を言ってもらえない。昔っからそうだ。愛されていることが軆に沁みこむような「好き」を、夢だろうと現実だろうと、言ってもらえたことがない。
 目が覚めて、朝陽とさえずりが射し込む中、天井を見つめている。
 なのに、今日、初めて夢の中で──そう、あくまで夢なのだけど、「お前が好きなんだよ」って怒ったみたいな拗ねたみたいな顔で、男の子にそう言われた。
 いや、どこのガキだよ。
 眉を寄せたけど、心当たりはぜんぜん浮かばない。まあ、夢だし、おおかた想像の産物か。でも、あれは確実に小学生だったぞ。私はショタコンじゃないぞ。何にも嬉しくない!
 いや……もう、気にしない。気にしないのよ私、と起き上がろうとして、充電しっぱなしのまくらもとのスマホに気づいた。やば、また過充電かも。
 そう気にしつつ、スマホを手に取ると何となく画面を起こす。何も来てない。
 ……来るわけないか。せめて私が夢の中で「好きだよ」って言ってほしいのは、彼なんだけどな。「好き」どころか、ただの挨拶さえ来ない。片想いなのは分かってたけど、と息をつくと、まずは顔を洗おうとベッドを降りた。
 梅雨が明けて夏が来て、このあいだ三十一歳になった。いまだに恋がうまくいったことがない。「好き」って言ってもダメだし。「好き」って言われてもピンと来ないし。相思相愛って、どうやったらありえるのか分からない。
 ふわっとした感じでつきあった人はいても、ふわっとした感じで自然消滅する。いつのまにか、相手がほかの女とつきあってたりとか。そいつに一応私のことはどうなったのか尋ねると、「真幸まさちとは別れたと思ってた」と言われた。私もそんな気はしていたので、「そっかあ」で引き下がった。そんな薄っぺらい恋愛ばかりして、情熱的に誰かと恋に落ちたことはない。
 時刻確認のため、テレビのワイドショーをつけっぱなしにしておいて、ひとり暮らしの部屋をばたばたする。
 肩までの髪をとかして、編み込んでアップに。朝ごはんは六枚切りトースト二枚とカフェオレ。今日もスーツを着て、ああもう太ったかなあとウエストのホックで感じて。
 鏡の前で化粧を整えていると、テレビで芸能人の電撃入籍が流れた。私も、三十路前には結婚できているような、根拠のない感覚はあったんだけどな。
 そんなことを思いつつ、ルージュの色をティッシュで軽く抑えると、スマホを投げこんだバッグをつかんで、テレビもクーラーも消して出勤する。
 蝉の雑な合唱が反響している。空は雲すら見当たらない晴天で、白光する太陽は容赦なく肌もアスファルトも焼く。少しも風はない。車道沿いに出ると、街路樹の根元の雑草が草の匂いを立ちのぼらせ、じっとり汗も滲んでくる。「暑い……」と無意識に口癖になる言葉をこぼしつつ、駅までヒールを高く響かせる。
 電車はもちろん満員電車で、スマホからイヤホンでロックを聴くことで耐える。よろけないことには気をつけながら、乗り換え駅に着くのを待ち、開いた扉から吐き出されるように電車を降りる。放射線状に人が行き交う駅構内を抜け、目的のホームから会社の最寄り駅までの電車に乗る。再び、満員電車の中にいる不快感は音楽でシャットアウトする。
 会社最寄りに到着するのがいつもきっかり八時半。改札を抜け、会社まで五分歩いて、九時前までにはオフィスに到着する。
 朝礼は九時からなので、それまでは水分補給をしたり、スマホをマナーにしておいたり、みんなそれぞれだ。まず涼んでいる私はたいてい、「先輩、おはようございますー!」と同じくらいに出社してくる後輩の武上たけがみ実留香みるかにつかまる。
「おはよ。今日ちょっと遅いじゃない」
「昨日、彼氏とお泊まりしてたのでー」
 私が無言を選んだことで察してほしいのに、武上はあれこれとのろけはじめる。
 武上は今年で入社二年目だ。去年は私が世話役を任されていたので、いまだに懐かれている。
「先輩は、まだ彼氏見つからないんですか?」
「うっさいわ」
「いくつでしたっけ」
「三十一」
「あ、あたしの彼氏とタメなんですねー」
 私は武上のカールした髪のポニテやマスカラやグロスが派手めの化粧を眺め、ギャルが好きな男なんだろうなあと思う。
「武上、その男と結婚するの?」
「考えてますよー」
「ふうん」
「先輩も、彼氏は無理でも、結婚は頑張らないとですねー」
 どういう理屈か、ちょっと分からない。彼氏が無理なら、結婚はもっと無理じゃない?
 九時が近づいて、武上はひらひらと自分のデスクに向かい、マウントうぜえなと私は頭が痛くなった。
 昼休みと三時のおやつ以外、十七時までPC前に拘束される。課長のチェックも通り、今日のノルマは終了、と私はマナーにしていたスマホを引き出しから取り出す。
 着信がいくつかあった。通知バーからチェックすると、大学時代からの友人である和泉いずみ糸依いよりから飲みの誘いが来ている。武上のことでも愚痴らせてもらうか、と私はOKの返事を送信して、「お疲れ様でーす」とさっさとオフィスをあとにした。
 糸依は同じオフィス街の中でも、ひときわ目立つビルに入る外資系の会社で社長秘書をやっている。たぶん、バリキャリって奴だと思う。実際、恋愛や遊びはほとんど無し、ひたすら稼いではいるのだけど──
 待ち合わせ場所は、打ち合わせなくても、オフィス街に隣接する歓楽街にある鉄板料理のお店だ。時間は特に決めない。先に来たほうが個室を取って、勝手に食べはじめておく。
 今日は私が先だったので、店員さんにいつも通り糸依も来ることを伝えておき、生レモンのチューハイとたこのガーリック炒めをいただく。糸依が来たら肉を食べようと思いつつ、スマホをいじりながら絡みつくにんにくが幸せなたこを口に運んでいると、「真幸、遅くなってごめん」と十八時過ぎに糸依が現れた。
 艶やかなロングストレートの髪、凛としたメイクと上品な色合いのスーツ、体型もほっそりとして特に脚が長い。
 当然のようにモテる女だけど、こいつは寄ってくる男にいっさいなびかない。
「いいよ、私は夜はたいていヒマだし」
「そっかそっか。いやー、ちょっと頼みあってさ」
「何かあった?」
筑紫つくしくんが今度映画出るんだけど、物販に購入制限あるの! だから、一緒に観にいって真幸に保存用ぶんを買ってほしい。金は私が出す」
「またかよ……」
「いいじゃない、親友の生きがいを助けてよ」
「いいけどさ。ほんと好きだよね……」
「違う、愛してるの!」
 筑紫、というのは藤堂とうどう筑紫つくし(つくし)というタレントのことだ。昔はAQUARIUMというアイドルグループのひとりだった。
 AQUARIUMは「美少年を観賞する」というコンセプトのグループだったため、全員同い年だったメンバーが「少年ではなくなる」二十歳のときに解散した。それがずいぶん昔のことなのだけど、糸依はAQUARIUM時代から筑紫の追っかけをしている。
 そして仕事で稼ぎまくっては、ほぼそっくりお布施にしている感じだ。まあ要するに、この女、どんなにクールビューティーでも真のすがたはヲタクなのだった。
「私もさ、ちょっと愚痴りたい」
 正面に腰をおろした糸依がメニューを開くと、私はチューハイをごくんとして切り出す。
「何?」
「たまに話すじゃん。後輩の」
「武上さん?」
「そう。あいつのマウントがマジでうざい」
「あー」
「のろけなど聞きたくない……」
「声が死んだ」
「嫌味になってる自覚がなさそうなのも鬱陶しい」
「恋愛中の奴には、恋バナは世間話だろうからなあ」
「私、糸依まで恋バナ始めたら生きていけない」
「筑紫くんの話、しちゃいけないの?」
「筑紫はセーフ」
「真幸も推しを作ればいいんだよ」
「推しって……」
「生きるの楽しくなるよ」
「糸依は楽しそうだもんねえ」
「私、同担拒否だから、筑紫くん以外を推してね」
「いや……まあ、うん」
 ドータンって何だろと思っていると、「肉頼まないの?」と糸依は尋ねてきて、「糸依来てからと思って」と私もメニューを開く。
「ハラミステーキはまた半分こしようか」
「だねー。塩からあげも食べたい」
 そんな相談をして、店員さんを呼び出してあれこれ注文する。料理が来るまで私はまだ武上のことを愚痴っていたけど、おいしそうな匂いをたっぷり立てながらステーキやからあげが運ばれてくると、それどころではなくなった。
「やばー、お肉柔らかい」
 私がお肉とごはんを頬張っていると、糸依は店員さんが「こちらもどうぞ」と置いていったチラシを手にする。
「今、ピザフェアやってるんだって。追加する?」
「マジか。食べよう」
「おすすめはトマトとモッツァレラチーズらしい」
「キノコのアンチョビガーリックおいしそう」
「えー、二枚頼む?」
「Sサイズとかないのかな」
「二枚頼む気だな。サイズは書いてないね。ま、どっちも頼みますか」
 そんなわけでピザまで追加注文すると、糸依はオレンジの皮が入ったスクリュードライバーを飲みながら、「でも実際のとこ、」とたこのガーリック炒めを爪楊枝でつつく。
「真幸のそういう話って、最近聞かないよね」
「そういう話」
「好きとか好かれたとか」
「うーん、好きな人はいるというか、いたというか」
「そうなの?」と糸依は爪楊枝に刺したたこを食べる。
「連絡先は交換したけど、そこまでだった」
「連絡先交換ぐらい、穏便に受け流すために私はやるけど」
「くっ。やっぱ、そういう感覚だったのかな」
「相手から何か来る?」
「来ない」
「こっちが何か送っても?」
「最長ラリーは三往復」
「あきらめなさい」
「はい」
「ちなみに、筑紫くんの公式アカウントは秒で返信くれるよ」
「自動返信でしょ」
「そういう夢のないことは考えない」
 真顔で言い切った糸依は、塩からあげを口に放る。こいつの安定のヲタっぷり、何だかんだで落ち着く。
 そう思っていると、「お待たせしましたー!」と香ばしい焼き立てピザが運ばれてきて、私も糸依も一気に「おいしそー!」と盛り上がった。
 糸依とたっぷり飲み食いを楽しんだあと、体重なんか知るか、とコンビニでダブルシュークリームと焼きプリンを買って帰宅した。
 誰もいないけど「ただいまー」と声をかけて部屋に上がると、スイーツはひとまず冷蔵庫で冷やし、シャワーを浴びたりルームウェアに着替えたりする。ひと通り済ましてリラックスモードになると、冷えたスイーツをいただきながら、スマホをチェックする。
『真幸に同窓会のはがき届いてたけど、渡せる機会ありそう?』
 隣町に暮らす実家のおかあさんから、そんなメッセが入っていた。
 同窓会。私はクリームをこぼさないように慎重にシュークリームを食べながら、『中学の? 高校?』と訊いてみる。わりとすぐ既読がついて、『小学校みたいだよ』と返ってきた。
 小学校って。今もつながりがある人、ひとりもいない。だから私自身にメッセやメールでなく、実家にはがきが行ったのかもしれないけど。
 会いたい人、いるかなあ。というか、あの頃の友人もみんな結婚やら出産やら育児やらやってるんだろうな。最悪だ。そんな話にまみれるのが分かっていて参加はしたくない……。
『不参加でいい気がする』
 そう送信してシュークリームを大きく頬張ると、『せっかくの機会なのに』とおかあさんはなぜか粘ってくる。
『機会って、何の機会?』
『残り物同士の出逢いとかあるかもしれないじゃない』
 母親じゃなかったら一週間くらいブロックしてる、これ。
『残り物って言い方はどうかと』
『三十過ぎたんだから残り物でしょ』
 いや、母親であってもブロック案件かもしれない。
『とりあえず、参加するにして返事出しておくからね』
『そこは私の意思でしょ、行かないよ』
『行っておきなさい。何が切っかけか分からないから』
 おかあさん、たまにこういう堅いとこあるんだよなあ。いまどき、未婚アラサーなんてめずらしくないのに。
『そもそも、私にはがき渡せるかって話でしょ。取りにいくから』
『おかあさんが出しておくから大丈夫です。とにかく参加しておきなさい』
 うざっ。
 このおかあさんをどう説き伏せるか頭を抱えたとき、メッセ着信がついた。連投で何を言われるかと思ったら、通知に表示された名前に目を開く。連絡先交換しただけで、ぜんぜん連絡くれなかったあの人。
 シュークリームを一気に口に詰めこんで飲みこむと、深呼吸して、その人のメッセを開いた。
『連絡できてなくてごめん!
 実は彼女ができて、いそがしくて──』
 あー、もう‼
 最後まで読まなかった。それどころか、思わずスマホを床に投げそうになったものの、分割払いがまだ残っているのでこらえる。おかあさんのトークルームに戻ると、ぶれた心臓をなだめ、『同窓会っていつなの?』としれっと訊いてみた。
『九月予定としかまだ書いてないよ』
『じゃあ、日時と場所分かったら早めに連絡はしてよね。おかあさんがしつこいから行くだけだからね』
『何でもいいですよ。じゃあ、いい人見つけてきなさいね』
 同窓会って、合コンではないと思うのだけど。まあいいか。一気に、私もそんなノリになった。
 出逢えるものなら、出逢ってやろうじゃない。確かにタメならいろいろつきあいやすいかもしれない。彼女できたとか送ってきた彼は、トークルームを削除しておいた。そのうちブロックもしてしまおう。たぶんそれに気づかれもしないし。
 みんな、彼氏とか彼女とか作って、幸せになっていく。糸依のような奴もいるのは知っていても、私はやっぱり推しより彼氏がいい。
 同窓会は狩りだと思って参加してやる。私だって幸せになりたい。好きな人に好きだって言われたい、夢よりも現実で。その想いぐらい、報われたっていいじゃない!

第二話へ

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