romancier obscur

Koromo Tsukinoha Novels

START OVER-2

 そんなわけで向かった同窓会、小学校のときの六年三組のメンバーが集まるものらしかった。
 きっかけは、当時のクラスメイトだったふたりが結婚することになり、担任の先生が仲人をしたことなのだそうだ。退職間近の先生が、ほかの生徒たちにも会えるならと言っていたので、結婚式を無事終えたふたりが幹事となり、同窓会が開かれるに至った。
 九月下旬の週末、ホテルの会場を貸し切っての立食形式。会費もそれなりでうめいていたら、そこは言い出したおかあさんが援助してくれた。ドレスコードもあるのかなあと一応フォーマルなネイビーのワンピースを新調して、ネックレスやイヤリングはおかあさんのものを借りておく。
 まだまだ残暑だけど、開始は十九時なので、部屋を出たときには少し風が抜けていた。
 電車で市街地に出て、スマホのマップを頼りに十八時半過ぎにホテルに到着する。少し迷っても、駅から五分くらいだった。二次会や三次会を見越した飲み屋街もそばにある街だ。
 案内に書かれている通りに七階までエレベーターでのぼると、同窓会の文字がある受付が見えたので、歩み寄ってみる。
「あ、城嶋きじまじゃん」
 受付の男の人のほうが私の名字を言い当てて、「まっちだー!」と隣の女の人も表情を華やがせる。マサチがつづまって、まっち。小学生のときには、確かにそう呼ばれていた。
「もしかして、結婚した花宮はなみやとなっちゃん?」
 ふたりの前で立ち止まって訊いてみると、「そうそう!」と記憶の中よりふっくらしたなっちゃんが嬉しそうにうなずく。
「わあ、来てくれて嬉しいよ!」
「もう十分前だね。遅かったかな」
「ぜんぜんっ。遠方から来るんで、もっと遅くなる人もいるよ」
金岡かなおかとか、海外から来てくれるんだぜ」
「……え、何か虫ばっか捕まえて、変な名前つけて飼ってたあいつ?」
「そう。でも、金岡すごいんだよねー」
「虫の貴重な産卵シーンとか動画に撮るんで、生物学のほうでは有名になってるらしいぜ」
「相変わらずではあるわけね……」と虫好きだけど、けして根暗ではなく、女子に虫かごを近づけて笑っていた金岡を思い出す。
「まっちは今どう? 誰も今のまっちを知ってる人いないから、来ないかもって思ってた」
「普通に事務系で働いてるだけ。結婚はしてない」
「恋人はいるのか?」
「いねえよ、悪かったな」
「みんなまだ三十になったとこだし、めずらしくないよー」
「だよね。あ、でもふたりはおめでとうね。一応、お祝いのお菓子持ってきたから、あとでもらって」
「ありがとう! じゃあ、ここに名前だけ書いて、中で料理とかどんどん食べてて」
「はあい」と私は記帳に名前を書くと、扉を開いて会場に踏みこんだ。長いテーブルがいくつも並び、そこにビュッフェが勢揃いしている。
 すでに来ているすがたもあり、小六で仲が良かったといえば誰だったかなあと思い返していると、「まっちじゃん!」とまた声がかかった。振り返ると、どことなく見憶えのある顔があって、「わー、久しぶり!」と思わず駆け寄ってしまう。
 そんな旧友との再会はけっこう楽しくて、思わずすぐ連絡先交換になってしまった。名字が変わっている子もいたし、アイコンが赤ちゃんの寝顔になっている子もいた。
 でも、意外と現状を語ってくる子より、懐かしい想い出話をする子が多い。わりといいもんじゃん、と現金に思いながら料理を取り分けて、みんなでもぐもぐとしていると、さらに元級友たちが集まってきた。
「おっ、古村こむらじゃね? 遅かったなー」
 どこからかそんな声がして、ん、とシーフードのトマトパスタをフォークに巻きつけていた私は振り返る。
 あ、と唐突に思った。あいつ。幼い頃、「お前が好きなの城嶋だろー」とか揶揄われていた男子。黒髪。少し鋭利な眼つき。細身で小柄。面影も間違いない。
 古村こむら健太けんた
 そして、思い出した。こないだ夢で、怒ったみたいに拗ねたみたいに、私に「好きなんだよ」と言ったガキ──
 いや、でも、あいつ私にそんなふうに告ったか? たぶん、何も言われてない。揶揄われてるのを見て、「私が好きなのか」と当時は思ったけど、それをどう思うわけでもなく、完全に忘れていたのに──
 ちょっと気まずいな、と視線が合う前に目をそらしたけど、会話は聞こえてくる。
「久しぶり。だいぶ集まってるな」
「意外と集まるもんだよなー」
「お、古村指輪してんじゃん。結婚したのか?」
「まだだけど、しようかなって子はいる」
 お前もかよ、ともれそうになった舌打ちを、口にフォークを突っ込んでこらえる。
「古村は結婚かー」とその会話が聞こえたらしい子がつぶやく。
「あいつ、まっちのことかなり好きだったよねえ」
「はっ?」と飲みこもうとしたパスタで咳きこみそうになると、「だよねー」とほかの子もうなずく。
「あれは見てて分かったわ」
「……私、古村と接点あった?」
「ないのに、古村はまっちをよく見てたり、たまに突っかかったりしてたし」
「記憶にないんだけど……」
「まっち、明らかに鈍感だったよね」
「修学旅行のとき、あたしとまっち、同じ班だったじゃない? で、男子のほうには古村がいてさ」
「それは憶えてる」
「グループにひとつ、インスタントカメラ支給されたでしょ。それで、古村ってまっちの写真撮っててさー」
「あー、それで『城嶋好きなんだろ』って揶揄われてたよね。でも、古村ってちゃっかり撮ったまっちの写真はゲットしてたよ」
「不本意な写真を撮られたのは何か憶えてるかも……え、私、あれすごく嫌だったんだけど」
「どうでもいい女子の写真は撮らないでしょ」
 静かにパスタを食べて、「まあ、そんなあいつもどっかの女と結婚するわけで」と言う。すると、「ほんとにねー」とみんなしみじみとうなずき、話題はそれていったので秘かにほっとした。
 やがて、予定通りの出席者が揃い、幹事の新婚ふたりが挨拶して、控室にいたという担任の先生も現れた。歓声や拍手をあげたりしながら同窓会は進行して、制限時間のぎりぎり二時間まで盛り上がった。
 もちろん二次会に移動となり、中には子供を旦那に預けているとか明日は休日出勤だとかで帰る人もいたけど、だいたいの人が参加した。その後、三次会となるとさすがに人は減ってきたけど、私は二次会で入れたお酒の勢いもあってまだそこにいた。そういや男を狩ろうと思ってたっけ、と気づいても、そういう雰囲気になる人はいない。
 まあ楽しいからいっか、とお酒でふわふわ流していたら、「終電近いなー」という誰かの声がして、零時になる前に同窓会はお開きになった。
「まっち、ひとりで帰れる?」
 かなりお酒の入った私に、幹事のなっちゃんが声をかけてくれる。「何ならそのへんで寝てくから」と私が言うと、「それは危ないからやめて」となっちゃんはあたりを見まわす。
「大丈夫だよー、なっちゃん。私を襲うバカはいないから」
「何言ってんのっ。えー、誰か、まっちと同じ方向に帰る人いないかなあ」
「──城嶋って実家なの?」
「え? あー、今はひとり暮らしとか言ってたけど、実家でもいいからこれは送ってあげないと」
「じゃあ、俺が送っていくよ」
「え、でも──」
「別に何もしないし。ほら城嶋、帰るぞ」
「ええー、もう終わりなの?」
「終わりだよ。何だよ、完全に酔ってんなこいつ……」
 肩を担がれて、「じゃあな」という声に「ありがとう、古村」というなっちゃんの返事が聞こえた気がした。
 私は軆を支えられながら、何とかふらふら歩きつつも意識はほとんどなくて──不意に、アルコールの熱が冷めたかのように冷たい風を感じて、はっと目を覚ますと、何だか硬いところに横たわっていた。
「え……あれ?」
 起き上がろうとすると、ずきりと頭の中を針が射貫く。
 眉を寄せつつ、何とか身を起こすと、私が寝ていたのはベンチだった。どこだろうとあたりを見まわすと、公園だ。何か見憶えある──そう、実家最寄り駅のそばの公園だ。
「あ、起きた」
 なぜ私はここに、と混乱する頭の上にそんな声がして、はっとそちらを見上げる。
 ベンチのかたわらにスーツを着た男がいる。誰、と一瞬びくついたものの、白い街燈でその顔が窺えた瞬間、どきりと息を飲んだ。
 あいつじゃん。古村健太じゃん。
「な……何っ? 何で、」
「何でって、酔いつぶれたお前を、終電でここまで連れてきたんだろうが」
「酔い……つぶれ、あっ、同窓会は?」
「とっくに終わってんぞ。今、午前一時半」
「うわっ、そんなに飲んだかなあ。記憶ない……」
 額を押さえてうめいていると、古村は仕方なさそうに息をついて、街燈のそばにある自販機で何か買った。
 水を買ってくれ、と言うためにバッグから財布を取り出そうとすると、「ん」と古村はミネラルウォーターをさしだしてくる。「……おう」と答えて、おとなしく受け取った私は、キャップをはずして透き通った味で頭を整理する。
 なるほど。同窓会は終わったのか。まあ、だいたい連絡先は交換したしな。
 というか、何だこの状況は。こいつも、嫁にしたい女がいるなら、私が目覚めた時点で「じゃあな」とか言って去ってくれよ。何を水とか買ってくれるんだ。何を返せば──
 百円か、と気づいて、もう一度財布を取り出そうとすると、古村は隣に腰かけてきて、「お前さあ」とか口をきいてくる。
「寝顔変わんねえな」
「はっ?」
「寝顔」
「見たの? いや待て、見せたことあるか⁉」
「遠足のとき」
「は? 遠足? 修旅じゃないのかよ」
「修旅が何だよ」
「……気にしないで」
「まあ、修旅も……お前のこと写真に撮ったりしたな」
「したよね⁉ あれ、めちゃくちゃ嫌だったんだけど」
「言われたから知ってる」
「言ったっけ?」
 古村は私に横目にして、「お前の中では、俺はそんなもんだよなあ」とかぼやく。私が露骨にいぶかった顔をすると、古村はなぜかちょっと哀しそうに咲ってから、「小五になって、クラス替えしたばっかの春の遠足」と言った。
「はい?」
「その帰りのバスで、俺の隣の奴が気分悪くなってさ。席変わったお前が俺の隣に来て」
「………、」
「お前、俺とぜんぜん口きかないし、挙句は不貞寝に入るし」
 そんな、ことも──あったかもしれない。今、思い出したレベルだけど。
「あのとき、お前の寝顔見てさ……ずっと、卒業しても、気になってたんだよなー」
 卒業しても引きずってたのかよ。とは言わず、「でも、古村は結婚するんじゃん」と私は言った。
「あれ、知ってんの?」
「会話が聞こえた」
「そっか。まだプロポーズもしてないんだけど、あいつだろうなーって奴はいる」
「それはお幸せに」
 私の言葉に皮肉を感じたのか、古村は今度はちょっと嬉しそうに咲う。何で嬉しそうなんだよ、と言いたくても言えずにいると、「あの頃の話だけど」と古村は悪戯っぽい瞳で私を見た。
「ジンクスとかおまじないとか、やたら流行ったときあったじゃん」
「あー、おまじないの本はよく貸し借りしてたなあ」
「女子だけでやってるようで、男子もやってたの知ってる?」
「やってたの?」
「やってた。好きな子とつきあえますようにとか」
「マジか」と私が噴き出してしまうと、「俺もやったんだよなあ」と古村は遠い目になる。
「城嶋が俺を好きになりますように、とか」
 私は古村の横顔を見たものの、何も言わない。
「とにかく意識してほしかったんだろうなあ。今思えば、バカだったよな」
 古村は苦笑いしたあと、「懐かしいなあ」としんみりとつぶやく。
「じゃあ……古村ってさ」
「ん?」
「私が初恋?」
「うん」
「……そっか。まあ、光栄かも」
「はは」
 そのまま沈黙になると、秋の虫の声がりーんりーんと響き渡っていることに気づいた。
 虫といえば、金岡来てたね。何となくそう言おうとしたら、「あのさ」と古村がそれにかぶせるように唐突に言った。
「キスしていい?」
 私はぐるんと古村へと首をまわし、「はっ?」と変な声を出した。何だかおもろしい反応の私に反して、古村は真剣にこちらを見つめてくる。
「え……と」と私は視線を無理やりにそらす。
「いや……え、何で?」
「忘れたいから」
「忘れてるでしょ、とっくに」
「そんなことないよ。初恋ってそんなもんだ」
 古村の鋭い目がマジだから、私は心の中の「ええー……」という声すら口にできない。
 初恋ってそんなもん? そうなの? 私の初恋は中学だけど、あのとき片想いしていた人なんて、顔も声も思い出せない。名前もあやふやだ。それは、古村の想いとは深さが違うからなの?
 忘れたい。まあ、こちらとしても、忘れてもらわないとめんどくさいし──
「別に……いいけど……」
 言いながら、たぶんいいんだよな、と胸のうちで確認する。
 キスくらい、減るものでもない。私は子供でもない。
 古村は私の答えを聞くと、顔を覗きこむようにして、それから唇を重ねてきた。
 それだけかと思ったら、舌が入ってきたから肩がこわばりそうになった。でも、これを嫌だと言ったら、私がガキすぎることになるのか。
 古村の舌は、私の舌をほぐすように絡みつき、その蕩けるような舌のまわし方に、思わず軆が震えそうになる。何なんだよ。こいつ、キスうまいな。
 ……ああ、それくらい大人になったんだな。こんなキスができるぐらい、いろんな女と──
 古村は柔らかくキスをちぎると、私をぎゅっと抱きしめた。私すごく酒臭いのに、と思っていると、「ありがとう」と古村は私にささやく。私は少し間をおいて、「うん」とだけ答えた。キスで体温が潤んで、軆がじんわり熱かった。
 その夜は実家に泊まって、翌朝、「どうだった?」とおかあさんに訊かれた。私は、見事に女友達の連絡先しか増えていないスマホを見せた。見るからにがっかりされたので、「まあここから紹介とかあるかもしれないし」と言っておくと、「そうよね、いい人見つけてもらいなさい」とおかあさんは気を取り直す。
「まあ、無理に嫁に行かんでもなあ」とおとうさんが言うと、「そしたら孫の顔が見れないんですよ」とおかあさんがぴしっと反撃し、おとうさんもそれは寂しいのか口ごもってしまった。
 昼前にそんな実家を出て、駅まで歩いた。古村はまだこの町に住んでるんだな、とぼんやり思う。いつすれちがうか分からないのは、ちょっと気まずいな。
 向こうは、キスをしてさっぱりなのかもしれないけれど、こちらは意識してしまうじゃない。古村が嫁になる女と歩いてるところなんか見たら、なぜかショックを受けてしまいそうだ。別にあいつが好きだったわけでも、好きになったわけでもないのに。
 キスなんて減るものじゃない。そう思ったけど、私の心、少しすり減ったのでは……? ひとりで「あー、もうっ」といらついて、いまさら唇を手の甲でこすってしまう。
 ほだされちゃったなあ、と正直悔しく思いながらも、まあとうぶん実家に寄りつかなきゃいいか、と思った。どうせおかあさんがうるさいし、それでいい。
 そうそう、それだけだ。そして気持ちが落ち着けば、古村が女連れだろうが子連れだろうが何だろうが、私には関係ない。

第三話へ

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