砂糖づけの人形-2

 息をついて睫毛を伏せた佳月くんに、「ありがとう」と私が言うと、香月くんは首を横に振ってぎゅっとかばんの持ち手を握った。
「あの、私のこと、結菜でいいよ」
「え」
「結菜さんって、同い年なのに変な感じだし」
「……そ、っか」
 そんなことを話しながら、律樹の少しあとを並んで歩いていると、いつもの曲がり角で「りっちゃん!」と織衣が手を振ってきた。「おう」と応えた律樹に駆け寄った織衣は、「結菜は?」と言ってから後方にいる私と佳月くんに気づく。
「結菜、その子──」
「……親戚の」
「あ、家出てきたんだっ」
「うん、まあ」
「で、何で、りっちゃんは機嫌悪いの?」
「悪くねえし」
「結菜の隣、取られてるから?」
「そんなんじゃねえよ」
「だよね。そっか、やっと学校来るようになったんだー」
 明るい笑顔を向けられて、佳月くんはそれが直視できないのか私を見る。「この子は織衣っていって、律樹の彼女」と私が説明すると、佳月くんはぎこちなく織衣を向いて「どうも」と言った。
 織衣は佳月くんを見つめてから、「美少年」と律樹に耳打ちし、「結菜に似てる」と律樹は肩をすくめた。
「ま、ぼさぼさ頭で台無しだけどな」
「ふうん。女子、騒ぎそうだなあ」
「そこは結菜が守るんだろ」
「あたしたちも助けたほうがよくない?」
「佳月くんが結菜じゃなきゃ怖いんだろ、どうせ」
 織衣は「何かあったの?」と私に訊いてくる。私は首をかしげておいて、うつむいている佳月くんの横顔を一瞥する。
 別に、律樹と仲良くしなくてもいいとは思うけど。険悪にもならなくていいんだけどな。同世代の同性との距離感が、佳月くんにはむずかしいのかもしれない。
 制服すがたが周りに増えてきて、学校沿いの道に入ると桜の花びらがひらひらと降ってきた。それを佳月くんはめずらしそうに見上げ、「桜」と小さくつぶやく。「見たことなかった?」と訊くと、「近くで見るのは初めて」と返ってくる。佳月くんは家庭でつらいことがあった。けれど、桜をそばで見たことがないのなら、学校にも行っていなかったのだろうか。
 律樹と織衣とは廊下で別れて、私に心持ち隠れながら、佳月くんは教室に踏みこんだ。クラスメイトは、普段は私がやってきても気にもしない。しかし、今日は透けるような白い肌に黒い学ランが映える美しい佳月くんが一緒で、その登場に教室がざわめいた。
「えっ、誰? 転校生?」
「ずっと来てなかった奴?」
 そんなことを口々に、あっという間にクラスメイトが集まってくる。佳月くんは、おろおろと私を見た。「この子、まだこの町に慣れてないから」と私は佳月くんの腕を引いて、人だかりから助ける。
「少しずつ、話しかけてあげて」
 そう言って、私は佳月くんを彼の席に連れていく。「何だよー」と不服そうに立ち止まる子もいれば、それでもわらわらついてくる子もいる。
「どこに住んでたの?」とか「彼女いるの?」と特に女子が質問で攻めてくる。佳月くんはそれにどもりそうになりながら答えて、でもそんな反応も「かわいー」と言われている。ルックスがいいのは得だな、と無意識に思ったものの、そんなことないか、と私は小さく息をついた。
「佳月くん、私、あの席だから」
 私がそう言うと、佳月くんはこちらを振り向いて、不安そうにうなずく。そばにいたほうがいいかな、と言おうと思ったけど、その前に佳月くんは女子に囲まれてしまった。こういうときの女子を、はねのける強さもない私は、佳月くんは心配だったけど自分の席に向かった。
 律樹はああ言っていたものの、佳月くんと私がそんなに面影が重なるかは分からない。それでも、確かに私は、昔はこんな幽霊みたいに陰気な容姿ではなかった。「かわいいね」とよく言われるほうだった。
 でも、かわいいのはいいことばかりではなかった。とにかく同性からひがまれた。決定的だったのは、小学五年生のとき、女子のボス的存在の子の好きな男の子が好きなのは私だとうわさが流れたときだ。
 始まったのは、陰湿なイジメだった。つくえの引き出しに濡れ雑巾を放りこまれる。体育の時間に盗まれた服に穴を空けられる。教科書の手が触れる位置にカミソリの刃を仕掛けられる。陰口も、中傷も、無視も、全部あった。
 でも、不登校なんて勇気も出なくて、「かわいくなくなる」こと以外でどうしたらいいのか分からなかった。ブスだったらこんなことには巻きこまれない。そう思って、私は前髪で顔を隠し、髪をぼさぼさに伸ばして、いまだにその手段で自分を守っている。
 佳月くんが登校してきたのを見て、担任はほっとした笑みを見せ、ホームルームのあと話しかけていた。佳月くんはびくつきながらも何とか相槌を打っていて、担任は私にも「ありがとう」と言うと、教室を出ていった。
 佳月くんは、隣の席や前の席の子にまだ話しかけられていて、もう何も言わず、ただ首をかしげたりかぶりを振ったりしている。あんまり気疲れさせないであげてほしいなあと思っても、わざわざ火種を吹っかけにもいけない。
 一時間目が終わると、次は音楽で移動教室だった。みんな教室を出ていくのを見ていた佳月くんに声をかけに行くと、はっとこちらを見上げて、私だと認めると安堵した息を吐く。
「大丈夫? 次、音楽室だけど、保健室行っても」
「う、ううん。大丈夫。えと、音楽室……」
「教科書とノートと筆記用具持っていくの。持ってきた?」
「たぶん」と佳月くんはかばんをつくえに引っ張り上げて、中を覗く。そして音楽の教科書と五線ノート、ペンケースを取り出して席を立つ。
「みんなに、いろいろ訊かれてつらくない?」
 一緒に教室を出て、音楽室のある三階に向かう階段で私が訊くと、佳月くんは「ちょっとびっくりした」と新品の上履きに視線を下げる。「ここ、田舎だから」と私は苦笑いする。
「転校生とか滅多にいないし、めずらしいんだと思う」
「そっか」
「嫌なことがあったら、担任でも親でもいいし、言えば何とかしてくれるよ」
「………、結菜、は」
「私」
「相談、とかしていい?」
「相談」
「ちゃんとしゃべれるの、結菜だけだから」
「あっ──うん、私に言っても、まあ、伝えておく」
「ごめんね」
「ううん。自分の中に溜めなくていいからね」
 佳月くんがこくんとしていると、音楽室に到着したので、「ここだよ」とドアを横にすべらせて音楽室に入る。移動してきたクラスメイトが、ピアノに集まったり黒板に落書きしたりしている。
「席は自由だよ」と言うと、佳月くんは無言で私についてきて、「隣?」と確認すると、「ダメ、かな」と佳月くんがしゅんとしたので、慌てて「大丈夫だよ」と並んで椅子に座った。
 佳月くんのことは、心配だけど。彼を独占しているとか彼女気取りだとか、女子たちに思われるのもほんとは怖い。親戚だからという理由は、どこまで通用するのだろう。
 事情があるからとは言えない。そしたら、探ってくる無神経な人もいる。学校では無視するなんてことはできなくても、こみいった話はなるべく放課後に、家で聞くようにしたいなと思った。
 けれど、佳月くんが頼ってくれるのは不愉快ではない。もう誰も私に近づかない。律樹が構ってきて、だから織衣も話しかけてくるくらい。それで平気だと思っていた。けれど、隣に慕ってくれる人がいるのはやっぱり嬉しい。
 しばらくしたら、佳月くんも教室になじんで、私なんか離れるのかもしれなくても。今はまだ、私の後ろに隠れようとする子犬のようだから、私が佳月くんを守ってあげよう。
 私と両親とごはんを食べるようになって、学校にも行くようになって、佳月くんはぜんぜん咲わなかったけど、環境の変化には慣れてきているようだった。
 まだクラスメイトや先生たちとの距離感とかはつかめていないようでも、必死に合わせようとはしている。そういうのを私は席から見守っていて、ちょっとつらそうだなと感じ取ると、佳月くんを保健室に連れていった。保健の先生は、担任から少し事情を聞いていたらしく、こころよく佳月くんをひと休みさせてくれた。そこで落ち着いた佳月くんは、自分のペースで教室に戻ってくる。
 そういうことがあったから、自然と佳月くんは軆に病気があって、療養で田舎町に引っ越してきたのだということになっていった。そっちのほうがみんなが納得するし、特に否定もせず、カレンダーは一枚めくれて五月になった。
 連休はどこにも行かず、私は佳月くんと海辺の道を散歩したくらいだった。空の青と海の青が溶け合って、水平線がはっきり分からない。もうすでに日射しが大気を焼き、道草の匂いが潮風に乗って立ちのぼってくる。
 今日の朝、少し佳月くんの顔色が悪かったので心配すると、「夕べ、いろいろ思い出して」と佳月くんは震えそうな声で答えた。学校に行ってるほうが気が紛れるのかなと思ったけど、もう少し休みなので、こうして散歩に出た。
 風に佳月くんのなめらかな髪がなびいて、気だるいまぶたで伏せがちの睫毛に光の粒が踊る。
 ふと、佳月くんが私の手をつかんだのでどきっとしたけど、何も言わずに握り返す。
「結菜は……」
「うん」
「おじさんとおばさんに、聞いてるの?」
「えっ」
「僕が、親に……されてた、こと」
「え……と、何をされてたかまでは、聞いてない」
「……そっか」
 青空からざあっと風が舞いこんでくる。佳月くんは私の手を握りしめ、「ごめんね」とつぶやいた。
「え、何で」
「こんなふうに、触っちゃいけないんだよね」
「あ、……変な意味じゃないのは分かってるから」
「僕が触ったら、汚いでしょ?」
「そんなことは、ないけど」
「……汚いんだ。ごめん。でも、結菜とこうしてると落ち着く」
「落ち着くなら、いつでもこうしていいよ。いつでも、というか。学校では恥ずかしいかもしれないけど。家では気にしないで」
「……ん。ありがとう」
 それからまだ歩いて、通りかかった駄菓子屋でアイスキャンディを買って食べた。私はオレンジ、佳月くんはグレープ。それから、私たちは道を引き返した。
 連休で町に残っている人は少なかったから、クラスメイトに鉢合わせて手をつないでいるところを見られることもなかった。風が前髪を揺らすので、いつも以上にうつむいてしまう。「結菜の顔ってよく見たことない」と佳月くんがつぶやくと、「ブスだから見なくていいよ」と私は自嘲で嗤った。
「──結菜ー、今日って数学ある?」
 連休が明けた学校、三時間目が終わってノートや教科書を閉じていると、ざわめく休み時間の教室に織衣がやってきて、声をかけてきた。「二時間目に終わった」と答えると、「教科書忘れてから貸してっ」と織衣がつくえに飛びついてくる。
「宿題やったまま、家に忘れてきちゃって」
「宿題は持ってきたの?」
「五時間目だから、適当な紙に答えだけ急いで書いとく」
「はあ。まあ、別にいいよ」
「やったっ。クラス違う友達いると助かるー」
 友達、と思いながら、数学の教科書を取り出していると、「佳月くん、女子に絡まれてるけど」と織衣がつくえに軽く腰を預けて言う。私も佳月くんの席を見て、「佳月くん、綺麗だから」と教科書を取り出す。
「平気なの?」
「平気って」
「佳月くんに彼女できていいの?」
「……佳月くん、まだそういうゆとりはないかと」
「そうかなあ。うちのクラスの佐山さやまさんとかも『いいなあ』って話してるよ」
 佐山さん。確か織衣のクラスのけっこうかわいい子だな、と思って、「佳月くんが選ぶことだから」と私は数学の教科書を織衣にさしだす。「ふうん」と織衣はつまらなさそうに肩をすくめ、「借りてくわ」と教科書を受け取ると教室を出ていった。
 佳月くんの席を一瞥する。女子ふたりににこにこと話しかけられて、佳月くんはややヒイている。
 助けたほうがいいのかな。いや、出しゃばってるかな。佳月くんは困ってるよな。でもあの子たち、きっと嫌な顔してくる。
 どうしようと悩んでいるうちにチャイムが鳴って、「またねー」と女子ふたりは佳月くんを解放してしまった。疲れたような伏し目になっている佳月くんに、勇気が出なかった自分が少し情けなくなる。
 四時間目が終わったらお弁当だから、私も声をかけやすいし、佳月くんから来ることもある。そのとき平気だったか訊こうと思っていると、先生がやってきて、日直の「起立」の声にみんな席を立ち上がった。
 お昼、おかあさんが作った同じお弁当を食べながら、さっきのふたりのことを尋ねると、「今度の日曜日に会いたいって言われて」と佳月くんは当惑を混ぜながら答えた。「会うの?」と問うと佳月くんは首を横に振り、「でも、じゃあ今度って言われたから、また話しかけられるのかもしれない」と憂鬱そうにうつむく。

第三話へ

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