romancier obscur

Koromo Tsukinoha Novels

ゆらいでひらいて-2

「それは……よくないだろ。友達の彼氏だよな?」
「ん、まあ……」
「それは、俺はあんまりいいと思わないけど」
「好きになったもんはしょうがないだろ。何、由麻って友達の彼氏が好きなのか」
「こ、告ったりはしてないよっ。邪魔したいとも思わないし。友達には幸せになってほしいし」
「そう思うなら、俺は気持ち殺したほうがいいと思うけど」
「何で? 告白だけしてみればいいじゃん」
 鷺乃と緋咲の意見が真っ二つで、私は唸って、床に上体を折ってしまう。
「ふたりの意見がばらばらじゃ困るよー」
「俺なら告るけどな」
 緋咲がそう言い、私と鷺乃は緋咲を見る。緋咲は眼鏡の奥で余裕を持って笑った。それを「そんなの」と鷺乃が抑える。
「迷惑だろ、彼氏からしたって。彼女の友達とかさ」
「鷺乃の意見って、自分のことだろ?」
「は?」と鷺乃が眉を寄せ、緋咲は続ける。
「自分が“彼氏”だったら、迷惑だと思うんだろ」
「何──」
「それでも、俺なら告るよ」
 鷺乃は緋咲を見つめてから、なぜか私を一瞥した。私が首をかしげると、緋咲は「だから言うけど」とベッドサイドを立ち上がって、こちらに歩み寄ってきた。
「俺は由麻が好きだよ」
「……え?」
「ずっと、好きだった」
 ぽかんと緋咲を見上げると、そのまま、緋咲が腰をかがめて私にキスをした。
 え、と目を開いて固まってしまう。同時に、「おいっ」と鷺乃が駆け寄ってきて、緋咲の肩をつかんだ。緋咲は鷺乃を振り返り、「鷺乃は悠長なんだよ」とにっこりした。
「俺が味方だと思ってたか?」
 私は鷺乃を見た。鷺乃の白い頬が紅潮して、「俺だって、」と言いかけても、それ以上は言葉にしない。
 私がまばたきして見つめていると、舌打ちした鷺乃は、部屋を出ていってしまった。緋咲が噴き出したので、私は緋咲を見て、ついでキスを思い出して、「えっ」といまさら声を上げる。
「え、ちょ、緋咲──」
「ずっとさ、鷺乃に相談されてたんだ」
「へっ?」
「由麻が好きなんだけどどうしようって」
「は⁉」
「けっこう、昔からだなあ。小学生くらいのときから」
「そ……それなのに、鷺乃の目の前で私にこんな、」
「だって、俺も由麻好きだし」
「そんな、」
「鷺乃ってさ、俺も由麻が好きなんだけどって言う隙を、地味に与えないんだよなあ。だから、早く知っておいてもらいたかった」
 私は緋咲を見つめた。緋咲はまたにっこりしてから、私の耳元に口を寄せた。
「好きだよ、由麻」
 その声が、聞いたことのない切なさを帯びていて、どぎまぎと視線が彷徨ってしまう。緋咲は私の頭をくしゃっと撫でると、「友達の彼氏なんか、忘れられただろ?」と不敵に笑った。
「もう遅いから」
 緋咲はそう言い置くと、部屋をあとにしていった。残された私は、「えー……」とつぶやいて、緋咲に触れられた髪に触って、落ち着けずに泣きそうになってしまう。
 好きって。緋咲が? 鷺乃も? 昔からわがままばっかり押しつけてきた私が?
 何で?
 理解できない疑問があふれてきて、頭がそっちに溺れてしまって、確かに、広海の彼氏とかは押し流されてしまった。
 ずいぶんそのまま動けなかった。ようやく電気を消して、よろよろとベッドでふとんに包まれる。でも、眠れない。心臓が深くまで脈打って、頬がほてっている。
 緋咲とキスしてしまった。鷺乃の気持ちも知ってしまった。
 でも、私はふたりを恋愛対象として見たこともなかった。じゃあ、ふたりとは距離を置く? 当たり前にそばにいてくれたふたりを? それは寂しい、なんて贅沢なのかな。
 どうしたらいい? 家族が就寝するのを聞き届け、静まり返る夜遅くになっても、意識ははっきり冴えていた。私はゆっくり身を起こすと、深呼吸した。
 喉が渇いてひりひりする。そう感じたので、ベッドを降りて、足取りに気をつけながら一階に降りた。
 もちろん真っ暗で、静かで、誰もいない。手探りに明かりをつけながらキッチンにたどりつき、冷蔵庫に作り置きしている玄米茶を自分のマグカップにそそいで、一気飲みした。
「はあ」と声に出して息をつき、軽くめまいがしている額を抑える。
 せめて、知らないほうがよかった。そしたら、変わらずに接することができた。
 マグカップにおかわりをそそぎ、それをすすりながら、リビングからサンデッキに出た。夜風がゆったり髪や頬を撫でていく。おかあさんが水を撒いて世話をする芝生の匂いがして、澄んだ月と星が暗い空を彩っている。
 このサンデッキは、鷺乃の家の庭に面している。鷺乃は寝たかな、と思った。何となく、緋咲はあっきり寝ている気がするけど、鷺乃は──
 そう思ったとき、突然「由麻」と呼ばれたから、どきっとマグカップを落としかけた。慌てて把手を握ってあたりを見まわすと、さく、さく、と芝生を踏む足音がして、その音を目でたどる。
 垣根の向こう、鷺乃の家の庭に影があるのに気づいた。
「鷺乃?」
「うん」
 鷺乃の声だ。
 私はサンデッキにマグカップを置いて、石畳にあるサンダルに足を引っかけると、芝生に降りた。
 垣根に歩み寄ると、鷺乃が気まずそうに私を見て、何だか私まで気まずくなる。
「ね、寝てなかったんだ」
「さっきちょっと寝たから。由麻は」
「私は、……まあ、何となく」
「そっか」
「うん」
 視線を落とす。緋咲の言葉がよぎる。相談されていた。由麻が好きなんだけど──。
 何で、私なの?
 鷺乃にも緋咲にも、それを訊きたいけど、訊けるほど冷静でいられない。今も脳が茹だって、胸がどきどきしている。
「緋咲と──」
 私は、はっと鷺乃を見た。鷺乃は視線を落とすままだ。
「つきあう、のか?」
「はっ?」
「つきあう……よな。緋咲だもんな」
「………、」
「つきあえよ。きっと大事にしてくれる──」
「鷺乃は」
 私がさえぎると、鷺乃は口をつぐむ。
「私の、こと」
「……別に」
 私は鷺乃を見つめた。鷺乃もゆっくり私を見た。
 鷺乃は垣根越しに手を伸ばし、私の髪に少し触れた。その彷徨ったような指先に、ちりっと軆がしびれる。
 鷺乃はすぐ手を引っこめ、「由麻は学校サボったりしないだろ」と顔を背けた。
「もう、部屋戻って寝ろよ」
「ん、うん」
「おやすみ」
 鷺乃は垣根を離れて、庭から玄関に行ってしまった。私はおやすみを返すのも忘れて、それを見送り、確かに明日も学校だと気づく。早く寝ないといけない。
 でも、静電気みたいだったしびれから染み出した熱で、鼓動がかき乱されている。
 こんなので、眠れるかな。そう思いながらも、私はサンデッキに引き返して、マグカップを取って家の中に戻った。
 熟睡できずに、朝が来てしまった。いまさらぼんやりする頭で支度をして、「いってきます」と家を出る。よく晴れているのを確認したとき、「おはよう、由麻」という声がさわやかにかかってきた。
 はたと道路を見やると、ブレザーすがたの緋咲が立っている。一瞬、足を止めてとまどったものの、「おはよう」と階段を駆け降りて緋咲の前に立つ。
「どうしたの。学校は? 遅刻じゃない?」
「いつもは、ラッシュ避けて早めに出てただけだから。由麻と同じ電車でも間に合うよ」
「そ、そうなんだ。えと、ラッシュほんとすごいよ?」
「だから、守ったほうがいいかなとは思ってた」
「守る……と言われても、別に痴漢とか遭ってないし」
「どうせつぶされてるだろ、由麻はちっこいからな」
「ちっこいって」
「ほら、行こう。遅刻したら、俺の高校は厳しいんだ」
 そう言って、自然と緋咲は私の手を取って歩きはじめる。その手の温もりに混乱しながら、引っ張られるので緋咲の背中についていく。
 緋咲は私をかえりみて微笑み、その笑顔が優しくて、心臓がざわめく。けっこう緋咲って反則な男かもしれない、と思いながら、私は緋咲の手を握り返して、その隣に並んだ。
 ふだん緋咲が避けるだけあって、今朝もラッシュは揉みくちゃでひどかった。駆け込み乗車が続いて、ちょっと駅に止まる時間が長引くと、そのぶん運転も急いで揺れが大きくなる。それで間に合うから、事故で遅滞するよりいいのだけど。市内の駅に出るまで、人はどんどん詰めこまれてほとんど降りない。
 イヤホンの音漏れ。フローラル系の香水。どうしても汗が滲む。
 駅に停車して、また人が乗りこんできたとき、窮屈な中へと押しこまれてよろけそうになった。そんな私を、緋咲が混雑の中なのに器用に受け止めた。緋咲の胸板に密着したとき、扉が閉まって電車が動き出した。
「あ、……ごめん」
「いや。やっぱすごいな、この時間帯」
「明日からは、いつも通りにしなよ」
「これ知ったら、余計にほっとけないだろ」
 緋咲の鼓動が、鼓膜に響く。ちょっと速い気がする。私が好きだというのなら、この状態は緋咲こそ緊張しているのだろうか。
「緋咲──」
 顔を上げると、すぐそばに私を見下ろしている緋咲の顔がある。鮮明な黒目がちの瞳に私がいる。
 また視線がそわそわしてきて、慌ててうつむいた拍子に、緋咲は私を支えていた腕を私の背中にまわして、ぎゅっと抱きしめてきた。どきんと肩が揺れて、息もできないほど固まってしまう。緋咲の匂いが、軆の中に溶けていく。
「あ、あ……の、」
「俺は我慢しないことにしたから」
 耳元で聞く緋咲の声は、周りに聞こえないように抑えた低音で、余計に胸が高鳴る。
「明日から、朝は由麻のことこうやってから学校行く」
 緋咲の吐息が耳たぶに熱を灯し、私はどう答えたらいいのか分からず、身動きもできなかった。そのまま私が降りる駅に着いて、やっと緋咲は腕をほどいて、「またな」と頭をぽんぽんとして、私をホームに送り出した。
 ホームから振り返って緋咲を見ると、あのずるい優しい笑みを浮かべ、手を振ってくれる。何か、彼氏みたいじゃん。そう思いつつも、私も手を振り返して、エスカレーターへと流れている人波に混じって、学校に急いだ。
 ずっと、気兼ねない幼なじみだった。鷺乃も。緋咲も。それを、どちらか「彼氏」として選ぶことなんて──
 相談できそうな、ちゃんとした女友達が思い当たらない。広海はそこそこ仲がいいから、聞いてくれるかな。でも、あの子は今、彼氏と過ごしたいだろうか。
 何だか、本当に人の彼氏にふわふわしているどころではなくなってしまった。鷺乃の目が、緋咲の熱が、意識にまとわりついて、それ以外の男について考えている余裕がなくなっていく。
 授業も聞かずに迷った挙句、昼休み、広海にヘルプのスタンプだけ送っておいた。午後の授業もぼんやりしていたら終わってしまい、放課後の教室でスマホを取り出すと、広海から壁からこちらを窺うスタンプとはてなのスタンプが来ていた。
 私はちょっと考えてから、相談があると言ってしまって鷺乃と緋咲のことを話さざるを得なくなるより、『何かゆーうつっぽい』と適当な気分だけ伝えた。『女の子来たの?』と返信が来てちょっと咲ってしまい、『そうだったほうがマシかも』と返す。
 すると通話着信がついて、私は画面をスワイプして、スマホを耳に当てた。
『何かあったのー?』
「まあ、いろいろありますよ」
『そっかー。話なら聞くよ?』
「ん……広海、今どこ?」
『学校。彼氏の教室の前。終わるの待ってる』
「じゃあ、彼氏さんとデートじゃない日のほうがいいか」
『由麻が気にしないなら、彼氏、うちらの地元まで来てくれるから。駅で一緒にお茶する?』
「いいの?」
『うん。彼氏いると話しづらい?』
「んーん、一緒にお茶してくれるだけでありがたい。ひとりだとぐちゃぐちゃ考えちゃって」
『マジか。大丈夫?』
「ありがと。大丈夫。じゃあ、私は先に地元帰ってる」
『了解。元気出してね』
「うん」と答えて、私は通話を切った。それから、よし、と気分をどうにか切り替えて、席を立つ。

第三話へ

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