かけはなれるだけで
「おねえさん、あずきちょうだい」
相変わらずの毎日で、足元をストーブにかざし、店の奥でケータイから掲示板を眺めていた私は、顔を上げた。そこには、ショートカットが見慣れてきた悠くんがいた。
私は慌ててケータイを放って、「いらっしゃいませ」と駆け寄る。商店街の通りの中に、萌梨くんがいる──けど、あの人はいない。
「今日はあずき?」
「うん」
「悠くんってさ、抹茶は絶対食べないよね」
笑いを噛みながらさしだされた三百円を受け取ると、「苦そうだもん」と悠くんは眉を寄せる。
「苦くはないよ。渋味はあるけど」
「それが苦いの」
「ふふ、そういうとこはかわいらしいよねー」
言いながらコーンを手に取ると、「かわいくないよ」と悠くんはふくれる。
「もう、ちゃんと働くんだしっ」
「え、バンドのサポーターやるんじゃないの」
悠くんは私に首をかたむけ、「弟が言ってた」と言い添えつつ、私はあずきの機械に歩み寄る。
「ああ、おにいちゃんか。うん、だから働くんだよ。ステージに混ぜる代わりに、雑用とかめいっぱいさせるって言われてる」
「……へえ」
「でも、雑用も入れて、ずっと夢だったんだ。いっぱい修行して、いつか自分のバンド持つ!」
「悠くんがテレビに映るのか」
「んー、メジャーは行くか分かんない。アルバムとかはたくさん残したいから、おねえさんも聴いてね」
「はは、買うお金があればねー」
「おねえさんは、ここで働いてるじゃん」
「んー、ここは実家だからなー」
「とうさんも、おねえさんのこと、ここの人だって憶えてたよ。『エプロンがぶかぶかの女の子』って」
手元が狂いそうになった。エプロン、そんな認識なの!?
いや、これは、家が私のサイズを用意してくれないのだ。もともとこれを着ていたのは、今は会社勤めに戻った、開店当時はこの店にいたおとうさんだった。ちなみに、私が出ないとき店番をやる聖良もこれを着ている。でも、そんなの説明したところで、もはやずぼらな印象は変わりそうにない。
萌梨くんはケータイを見ているようなので、あずきのソフトクリームを渡しながら、私は声を抑えた。
「ねえ、悠くん」
「んー?」
悠くんは、あずきのソフトクリームをぱくっと頬張る。
「あれ、おとうさんに渡した……よね?」
悠くんは私を見上げて、首をかしげた。
「『あれ』?」
「だから、その──」
「ああ!」
悠くんが思い当たったのはいいけど、萌梨くんがこちらを見たので、私は焦る。
「『あれ』ね。うん、渡した」
その先を訊きたくても、萌梨くんがケータイを閉じて近づいてくる。
「悠紗?」
「あ、今行くー。──じゃあ、おねえさん。俺、今週末にはいなくなるけど。帰ってきたときは、また食べに来るね」
「えっ、今週──」
「ばいばーい」
「ば、ばい……いや、ありがとうございまし、た……」
悠くんが手を振ったので、それに手を振る私に、萌梨くんは頭を下げて、ふたりは商店街の雑踏に紛れていった。
今週末。今週末、悠くんはいなくなる、のか。そういえば、聖良にいついなくなるのかは訊いていなかった。
私とあの人の、かすかなつながりなんて、悠くんがこの店のソフトクリームを気に入ってくれていることぐらいだ。その悠くんがいなくなったら、あの人はもちろん、萌梨くんもここに立ち止まってくれそうにない。いつかは卒業されてしまうのが、こういう店の宿命だ。あの人も萌梨くんも、ソフトクリームなんてとっくに卒業している。ゆいいつのつながりが、立ち消えてしまう……
その夜、一階の閉店作業をすると、私は二階に上がって聖良の部屋に行った。エアコン代わりの電気カーペットの床に転がって、漫画を読んでいた聖良は、身を起こして眉間を寄せる。
染めていない髪、わりと丸っこい瞳、ちょっとそっけない口元。特にピアスなどで飾り立ててもいない。軆つきはさすがに男と女とで違うけど、私と聖良は、一卵性双生児のなずなとすずなより似ている。
「何だよ」と息をついた聖良に、おもむろにドアを閉めた私は、いきなり座りこんで床に伏せった。
「どうなの!?」
「は?」
「私は、女としてどうなの!?」
「え……いや、弟に訊くなよ」
「おとうさんはどうせ『かわいいだろ』しか言わないしっ。あんたしかいないだろ!」
「………、ちょっと、化粧とかも憶えたほうが……」
「すっぴんの何が悪い! まだ肌は生きてるぞっ。すっぴんなんて今のうちなんだよ」
「………、じゃあ、髪とかさ。そんな、後ろに縛ってるだけとか質素だろ」
「素朴と言え!」
「服ももっとスカートとか……」
「すみませんね、見せられない脚ですみませんねっ」
「性格も──」
「あんたに私の性格の何が分かるっ」
きっと顔を上げた私に、聖良は鬱陶しそうな動作で漫画に向き直った。私は聖良の隣に行って、漫画を取り上げる。
「こら──」
開かれたページを見ると、ほんのりとエロなシーンだった。私は背後に本を投げる。
「てめ、」
「お前は、漫画ともすずなともよろしくやってんのに、私は何だよっ」
「すずなを後者にするのやめろよ」
「私は何なんだよっ」
「知るか!」
「あーっ、もう、そんなに私がどうでもいいか、スルーか、挨拶もなしかっ」
「何の話だよっ」
「拒否もしないほど拒絶かあっ」
どんっとドアをたたく音がして、「うるさいよっ」とおかあさんの声が続いた。
「かあさん──」
「聖良が私を全力で否定するの!」
「おとうさんが『聖乃はかわいいだろ』って言ってたから」
「ほらやっぱり、もう、やっぱり! 全部案の定だよ!」
「かあさん、こいつうるさいんだけど」
「仲良くしなさい、夜なんだから響いてるよ」
「ってか──」
おかあさんの足音は遠ざかる。ちょっと泣きそうになっている私に、聖良はしばらく、なす術もなく沈黙していた。が、不意にため息をつくと、「男に振られたのかよ」と私にぶっきらぼうに言葉を投げてくる。私は髪を縛るゴムをほどきながら唇を噛んで、立ち上がった。
「ねえちゃん──」
「関係ないだろ」
「いや、それ言うと、初めから俺は関係ないんだけど」
「とっとと隣に嫁げ。どうせここは、一生独身の私が継ぐんだよ」
「……あのなあ、」
私は何も聞かず、無言で聖良の部屋をあとにした。隣の自分の部屋に入ると、明かりはつけても何もする気が起きず、ベッドに軆を投げる。私が一日店番しているあいだに、おかあさんがふとんを干したのか、ふかふかでひなたの匂いがした。
他人になる。いや、今も他人に等しいけど。あの人と、たったひとつの細いつながりもなくなる。あの人は店の前を通り過ぎるだけの人になる。お客さんですら、なくなる。
ポケットからケータイを取り出した。エプロンを脱いだとき、来ていた高校時代の女友達のメールはチェックしていた。だから、メールなんて来ていない。
こんなに好きなのに。近づきたいのに。話したいのに。
お茶どころか、メールひとつできない。何にも知ることができない。何にも伝えることができない。
想うだけで声を上げたくなるほど、心にひりひりと気持ちが焼きつく。哀しいくらいに切なくなる。それほど、私はあなたに恋をしているのに。
【第四話へ】
