SNSのトレンドを指先で追っていると、男性教諭が男子中学生に「みだらな行為」をして逮捕されたというニュースが走っていた。
あーあ、と思いつつ画面をなぞっていくと、『ホモ教師死ねよ』だの『だからホモは異常だし』だの、偏見に満ちた罵倒が飛び散っている。そして、腐女子が少々。
こんな社会のどこが、同性愛に理解をしめしつつある──だよ。俺は舌打ちするとスマホの画面を落とし、腹這いになっているベッドに伏せる。
ああ、同性愛がもっと普通だったらなあ。しょせんリアルにいると異常者あつかいなんだよあ。もし同性愛が当たり前だったら、俺のこの気持ちも、こんなに厳しく拘束しなくてよかったのに──
そのとき、階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。誰の足音のかはすぐ分かって、もう画面は落としているのに、ついスマホをまくらの下に隠す。
「咲くんっ。何で帰ってきたのにメッセくれないの」
俺はベッドからドアを振り返り、やっぱりそこにいるのが、みっつ年下の幼なじみの楓なのを認める。そのふわふわした髪や悪戯っぽい瞳を眺め、大きく息をついてベッドに伏せった。
「咲くん」
「学校は」
「もう終わったよっ。咲くんは高校いつ終わったの」
俺は答えずにわざと大袈裟に耳を塞いでみせて、すると楓は俺を揺すぶってくる。
「ゲームしようよー。咲くんと対戦したい」
俺は楓を一瞥して、その涙目に胸がざわついても、「友達とやってろよ」と自分を律して背を向ける。すると楓はベッドに飛び乗り、無防備に俺の背中に抱きついてくる。
くそっ。くそくそくそ。こいつ、何も分かってないからって──
「咲くんがいいんだもん」
楓の声が背骨から響いてくる。
「俺がすぐ負けるからですか」
「ゲームもっとやったら僕に勝てるよ」
「別に勝たなくていいし」
「僕は咲くんと遊びたいんだよー。咲くん高校生になってから不良だしー」
「夜遊び程度で不良とか言われたくねえわ」
「うー、僕、高校生になったら絶対ついていくからね。一緒に夜遊びしてね」
連れていけるか、と思っても、いったいどこに行っているのかを追及されたくないので黙る。
ベッドスタンドの時計を見ると、十八時半をまわっている。もうすぐ夕食の時間だ。今夜のロールキャベツ、コンソメかシチューかかあさんに訊かれてコンソメと答えておいたが、どうなっただろう。こういうとき、とうさんと兄貴と俺のリクエストの多数決で決まる。
「楓んちも、もうすぐ夕飯じゃね」
楓の腕をほどいて、俺はシーツに手をついて起き上がる。すると楓も身を起こしてベッドの上に座り、「僕もこっちで食べる」とかぬかしてくる。
「おばさん、飯作ってるだろ」
俺がそう言うと、楓は駄々っ子のように首を振って、「僕が家に帰ったら」とガキっぽくむくれる。
「そのあいだに、咲くん出かけちゃうんでしょ。いつもそうだもん」
「俺がどこに行こうが勝手だろうが」
「僕が咲くんのこと一番知ってるのにー」
「昔はな。もう違うんです」
楓は一気にふくれっ面になって、俺の胸板を押しのけて「咲くんのバカっ」と言い残すと、部屋を走って出ていってしまった。
ああ、もう。本当に俺はバカだな。本当は楓のそばにいたくてたまらないくせに。懐いてくれているうちに捕まえて、抱きしめてしまいたいのに。
でも、楓にとって俺は「幼なじみの兄貴」だから。俺はそれを演じなくてはならない。幼い頃から抱えているこの熱っぽい気持ちを知られたら、きっとあっさり嫌われる。
幼い頃、結婚したい子は誰かという話題で、何の疑問もなく「楓」と言ってしまったので、保育園時代は暗黒だった。小学校に上がって、さいわい保育園のメンツが散ったので、そこから俺は死んでも楓が好きだという本音を誰にもさらさなかった。
「そんなのいない」をつらぬくのも怪しいかと思えてくると、クラスのかわいいとうわさの女子の名前を適当に言っておく狡猾さだった。楓とは三学年違うので、それが楓の耳に届いて、何とかさんが好きって本当? とか問いつめられることはなかった。
今は俺は高二、楓は中二、俺は楓を無愛想に避けて、楓は今のところまだ俺を追いかけてくる。
楓を好きになったのが先で、そのあと、どうも自分がゲイだと悟った。楓以外の男にときめいたことはない。しかし楓に失恋したらしれっと女とつきあうとは思わない。楓が終わっても、次も男だろう。
楓に失恋するなんて考えたくなくても、いつかは直面しなくてはならない。それは俺が告って振られるのでなく、楓に彼女ができるとか、そういうかたちだとは思うが。
十九時、家族揃って夕食を食べる。ロールキャベツはコンソメだった。テーブルに着くのは、とうさんとかあさん、そして大学生の兄貴だ。
もちろん家族にもカミングアウトはしていない。しようとも思わない。俺と違ってまじめな兄貴とか、確実に同性愛なんて眉を顰めるタイプだ。とうさんとかあさんは、知ったらいきなり俺との距離感に悩むだろう。
何より楓に話されたらたまんないしな、と早食いで夕食を食べ終わると、「ごちそうさま」と席を立って、いったん部屋に向かう。
四月中旬になるけれど、まだ服は長袖だ。ちょっと暑いかなあなんて日は出てきて、重ね着はしないけど、夜が更けて寒くなったときのためにシャツを羽織っておく。ブルージーンズはこのままでいいか。
さらさらした短めの黒髪も、セットまでしなくていいだろう。しっかりした眉、二重の瞳、顎の線。相変わらずのフツメン。
よし、と納得いくと、家族にも楓にも捕まる前に家を出て駅に向かう。夜道にふわりと浮かぶ桜は、今年は開花が遅くて、今、ちょうど満開に咲いている。
俺がこうして気をはらって向かうのは、高校生になって通うようになったゲイバーだ。地下鉄で五駅のぼった場所で、セクマイがひしめくネオンサインの街ではなく、二十時時には完全に閉まる商店街の奥のほうにひっそりとある。スマホで検索して、家から一番身近に行けるゲイバーだから通うようになった。
ちなみにここは支店で、本店はゲイ、ビアン、ミックスバーが立ち並ぶネオン街にあるらしい。出逢いは格段にそっちのほうがあるそうで興味はあっても、どうせ俺は楓が好きで、そのことを話したいだけなので、結局この支店で間に合わせている。
「あ、咲里じゃーん」
からん、とドアを開けると、カウンターからそんな声がかかった。顔を向けると、例によって麗乃だった。しなやかな猫のような彼は、一浪した大学生で、俺にモーションをかけてくるところは面倒臭いけど、何だかんだでこの店の客で一番親しい奴だ。
「俺がいる日に来てくれるなんて嬉しー」
「麗乃っていつもいるよな」
「えー、いつもはいないよ」
「大学生ってそんなヒマなの?」
「レポートえぐい」
「麗乃なら、本店行ったほうが出逢いあるのに」
「咲里だって」
「俺は楓のこと愚痴りたいだけだし」
「まだあきらめてないの? いい加減にしなさい」
「何で麗乃にそれ言われるのか分からん」
「そんなガキはあきらめて俺にしなよ」
「えー……」
「俺にしたほうが絶対幸せなのに」
麗乃はむうっとふくれて、レモンを沈めた透明なカクテルを飲む。
麗乃と出逢って半年くらいで、根気よくこんなふうに口説かれる。それをスルーして、俺は俺で楓のことを麗乃に愚痴る。ちぐはぐなのだけど、なぜかしゃべっていて楽だ。
「楓が無防備すぎてつらい……。中二男子は高二男子に抱きつくものですか?」
「楓くんはちょっと頭弱そうだよね」
「嫌な言い方すんな」
「鈍感そう」
「鈍感、だとは思う。いや、俺が完全にステルスしてるのか」
「だだ漏れに見えるけど」
「楓には気づかれないぞ」
「脈がないんだよ」
「あっさり言うな」
「一回俺と寝たら、絶対気持ち変わると思うよお?」
「好きでもないのに寝るって」
「乙女か」
未成年の俺は烏龍茶を飲み、またもや辛気臭いため息をつく。それでもやっぱり、麗乃とどうこうやる気にはならない。
ずっと楓が好きだったのだ。もしやったって、全部楓に見立てるだけだろう。梳く髪、覗く瞳、触る肌、全部楓だったらと──そんなの、麗乃にも失礼だ。
「思い切って、楓くんに告っちゃえよ」
「楓に軽蔑の目で見られるとか耐えられない」
「そこは俺がなぐさめるから」
「何で同性愛って、変な目で見られなきゃいけないんだ。あ、教師が男子中学生に手出ししてたニュース見た?」
「見た。ロリコン教師もいるのに、ショタコン教師のほうがヒカれるよなー」
「ほんと、ああいうのやめてほしい。ゲイの偏見にかかわってくることやめてほしい」
「中学生なんて、男か女かはっきりしてない奴もいるのになあ。筋肉大事だろ」
「楓はまだ筋肉とかあんまりないな」
「ほんと、どこがいいの? ペットがかわいいのと間違えてない?」
「ペットって。そりゃあ、楓は何といっても──」
何と、いっても。何だろう。楓が好きだと思ったほうが早くて、どこが好きかと問われたらよく分からない。
しいて言えば、俺に甘ったれるところか。同時にそれがつらくもあるのだけど。
黙りこんだ俺に、「もういいじゃん」と麗乃が肩をたたいてくる。
「よくやったよ、咲里は」
「何をだよ」
「片想いをまっとうしたよ。今度は俺と両想いというステージにいこう」
「片想い……」
「楓くんがストレートなら、それを侵しちゃいけないというのはあると思うよ」
「だよなあ。はあ……」
「その点、俺なら何も問題は──」
「ママあ、カルピスソーダ」
「聞けよ」
ほかの客としゃべっていたママが、「はいはい」と空になったグラスを受け取って、新しいグラスにカルピスソーダをそそいで渡してくれる。それをひと口ごくんと飲むと、「そんなふうに俺の精子飲んでほしいなあ」とか麗乃が言うから、俺は眉を寄せて変な顔になった。
【第二話へ】