毎日の中に-3

「年上なの? やっぱ傷をこうむるのは年上なの?」
「俺なんか、いつも陽ちゃんに対して傷ついてばっかりだぜ」
 来年五十歳の大将は、陽ねえちゃんにもう何年も熱をあげている。大将はとっくに結婚しているのだけど、たまに店に顔を出す女将さんはさばさばしたいい人で、たぶん陽ねえちゃんのことはネタに近いんだろうなと思っている。
「はあ、ひーちゃんがいなくなったら、陽ちゃんに会いたいとき誰がこの店に連れてきてくれるんだよ」
「大将が『飲みに来ねえか』って言ったら、陽ねえちゃんは来ると思うよ」
「そ、そうか? 試してみるか……」
「というかねっ、築。僕は誠くんに、春になったら実家に戻ることも言えてないんだよ。あ、誠くんって好きな人ね」
「黙って消えたら、誠くんショックじゃねえか」
「だよねえ。でも、それで遠恋になるけどつきあいたいんだ、って変でしょ」
「別に変ではないだろ」
「ええー。僕ならやだなー。告白と遠恋がセットって」
「とっとと告らなかったお前が悪い」
「誠くんが高校生だったんだよ!」
「あー……そうか。じゃあ、縁がないんじゃね」
「やだもん! せっかく一年半、途切れずにつながってきたのに」
 脚をじたばたさせる僕に築はあきれた息をつき、「まあ、告白は置いといてさ」とお湯割りをすする。
「引っ越すことは伝えてから、離れたほうがいいとは思うぜ」
「……そしたら、僕のこと恋愛対象外にしない?」
「それは分かんねえけど、何も言わずにいなくなったら、自然消滅しかない」
「うー。まあ、そうか。はあ。今度それは言うか。受験なのにうるさくないかなあ」
「動揺してたら、告白しても脈ありってことじゃね」
「そっか。そうだねえ。頑張るかあ……」
 僕は皮の塩焼きを頬張った。皮はかりかりしているのに、塩味は蕩けそうにまろやかで、さすが陽ねえちゃんが気に入って紹介してくれた店ではあるなと改めて思う。
「大将の焼き鳥もしょっちゅう食べれなくなるなあ」
 そんなことをつぶやくと、「大事がなきゃ俺はここで店やってるから、いつでも来な」と大将はにかっとした。
 陽ねえちゃんと四年間暮らした部屋で、僕はぼちぼちと荷物の整理も始めている。まだ業者には連絡していない。専門学校を卒業してすぐの三月、そして四月は引っ越し料金はとんでもない。だから、荷物全部は五月になってから単身パックで持って帰ることにして、三月末に僕は必要最低限なものとだけ実家に帰って働きはじめる。
 手に取ったスマホのカレンダーを見て、僕の卒業式までは一ヵ月もないなあなんてため息をつく。誠くんも受験のあとは卒業式か。ここのところ、連絡も途切れがちで会えていないままだ。
 自然消滅、という先日の築の言葉を思い出し、僕は迷ったものの誠くんにメッセを送った。
『週末って会える?
 受験いそがしいかな』
 スマホを置いて、持ち帰る服と捨ててしまう服を分けていると、しばらくしてスマホの着信音が鳴った。ぱっと手に取ると、誠くんからのメッセだ。
『すみません、三月半ばくらいまで受験が大変かも……
 終わったら会えます!』
 うん、終わる頃には僕は荷造りでばたばたした挙句、実家に帰るな。「どうするんだよおおお」と僕は床に転がってごろごろして、散らかした服の中で仰向けになると天井を見上げた。
 会えないなら、仕方ないけどメッセで説明するしかないのかな。せめて通話できたらいいけど、それも時間を割いてしまうだろうし。でも、メッセで伝えていいことなのかなあと遅疑してしまって、誠くんに何も伝えられないまま三月になった。
 卒業式は三月の上旬で、風は冷たいけど晴天の陽射しは暖かい日だった。僕は成人式には晴れ着を着たし、もちろん卒業式には袴を着た。結局、僕が男だと知らないままの生徒もいたと思う。築はスーツだったので、「ホストだね」と僕が揶揄うと「っせえな」と肘鉄された。
「言えたのか」
「ん?」
「好きな男に、実家に帰ること」
「……言えてない」
「いいのかよ」
「よくないけど、今は受験がいそがしいって」
 築は息をついてから、「その格好は見てもらえよ」と唐突に僕をスマホで撮影すると、メッセで転送してきた。びっくりした顔で、笑顔でも何でもないから、「やだ撮りなおしてよ」と言っても築は請け合わない。
 ほかの写真は誰かと一緒のものばかりだったので、仕方なく僕は築がくれた写真を誠くんに送った。すると、わりとすぐに反応が返ってくる。
『卒業式だったんですね!
 おめでとうございます!
 俺もこないだ卒業式でした』
 誠くんの制服すがたってどんなだったのかなあと思う。見てみたかったな。でも、卒業式は関係者以外しか参加できなかっただろうし、僕はその最後のチャンスにも縁がなかった。
 縁がない、か。そうなのかな。なのに必死につなぎとめて、僕は滑稽だったりするのかな。会えるかなって訊いて、いそがしいとか言われる時点で、僕に脈なんかないのかも──
 どうせ、ゲイバーで知り合ったような男の子だ。きっとやるだけで交際に発展しないし、したってすぐに終わる。だったら、始まる前に壊すことだって同じことなのかもしれない。
 考えあぐねていた挙句の深夜、僕はついに誠くんにすべてメッセで伝えた。この土地を引っ越すこと。親の病院を手伝うこと。好きって言わなくてごめんね、とも。
 我ながらうざったい、メンヘラじみた長文だった。この長文で嫌われても仕方ないなあと思いながら、送信ボタンを押した。
 こんなに引き留めてきたのに、結局自分から逃げ出すなんて弱虫だ。スマホを握ったままぐったりソファに沈んだとき、思いのほかすぐに着信音がついた。
 どきんとして、震えを抑えた指先で、通知バーで誠くんからのメッセだと確認する。こういう長文うざい、とか来てるのかな。怖かったけど、覚悟はして、僕はそのメッセを開いてみる。
『引っ越すって遠いんですか?
 もう会えないくらいなんですか?
 俺はこれからも秀さんと仲良くしたいです。』
 心臓が、ぎゅっとすくむ。その三行を見つめて、どうしようもなく、ほっとしてしまった。そうですか、ではさようなら。そんな返事が来ていたら、しょせん泣き出すこともできないほどショックだった。
 ダメだ、やっぱり僕は誠くんが好きだ。これからも仲良くしたいのはこちらのほうだ。着信音がまた鳴り、誠くんからで、僕は届いたメッセを開く。
『今、通話できますか?』
 通話。わななく呼吸を飲みこみ、僕は躊躇う指で通話ボタンを表示させた。
 時刻は午前二時半。だけど、こう訊いてくるってことは、誠くんも今は通話大丈夫ってことだよね。何度もそう胸の内で反芻して、大きく深呼吸して、思い切って通話ボタンを押した。
 すぐに『もしもしっ』と誠くんのあの声がして、僕はおそるおそるスマホを耳に当てる。
「あ……えと、ごめん、遅くに」
『ぜんぜん。今、こんな時間しか空いてないから』
「そうなんだ。勉強、頑張ってるんだね」
『はい。でも、もうすぐ終わりなんで』
 僕はちょっと咲って、「進学ならこれからだよ」と言った。『あ、』と声をもらした誠くんは『そっか。そうですね』と続ける。
 僕はきゅっとスマホを握りしめた。誠くんの声、やっぱり好きだなあなんてぼんやり思う。
『てか、さっきのメッセなんですけど』
 どきんと心臓が跳ね、「あ、うん」と言ったきり僕は口ごもる。
『引っ越すって、そんな遠くですか?』
「そう、だね。この街には、今の学校に通うために住んでただけなんだ。僕の夢は、親の病院手伝うことだったから」
『夢……』
「というか、国試の資格のために実務経験をまず積むんだけどね。国試受かったあとは、まだ決めてない」
 誠くんはしばし黙っていたけど、『受験終わったら』とつぶやくように言う。
『また、秀さんと、たくさん会えるって……頑張ってたのに』
「……ごめん」
『もう、秀さんの中で、俺は片づいちゃったんですか?』
「えっ」
『俺が好きって……いうのは、終わったんですか?』
「………」
『俺は、次会えたら、もう高校生じゃないから告白できるってすごく楽しみにしてました。でも俺、秀さんに振られちゃったんですか』
「誠……くん」
『俺は秀さんが好きです。遠距離になるとしても、秀さんと気持ちまで離れたくない』
 揺らめいた視界がこぼれそうになって、目をつむった。目の前にいるときは、はにかんでばかりの男の子なのに、電話だとこんなにまっすぐ伝えてくるのか。
『秀さん』と名前を呼ばれて、「うん」と何とか応えると、『秀さんには、俺とか子供っていうのは分かってるんです』と誠くんは言う。
『釣り合うかなとか、ガキだってあきれられないかなとか、いっぱい考えたけど──やっぱ、秀さんと離れることが一番嫌だ。仲良くなれたんだから、大切にしたいんです。遠距離になっても、たくさん会いにいきます。会いたいときは普通に会いたいって言ってくれていいです、会いにいきます。だから、俺、秀さんに「ごめんね」とは言われたくない』
「誠くん──」
『秀さんが、俺の毎日の中にいなくなるのは嫌だ』
 絞り出すような声に、僕は滲んだ目をこすった。
 そうだ。僕も、毎日の中に誠くんがいなくなるのは嫌だ。いつでもメッセを送れる。都合が合えば声も聴ける。会うことだってできないわけじゃない。それらをすべて、日常から取りはらうなんて無理だ。
 僕は毎日、目覚めたらまずは誠くんのことを考えたい。
「何か……」
『はい』
「会ってから、言ったほうがいいのかもしれないけど。我慢できないから言うね」
『……はい』
「僕も誠くんが好き。僕の彼氏になって」
 誠くんは一瞬息を飲みこんだものの、『はい』と優しくささやく。
『俺も、初めて話せたときから秀さんが好きです』
 好きな人に、好きって言ってもらえたのは、正直初めてじゃない。ああ、でも、こんなに全身が歓喜で痺れるのは初めてだ。
 誠くんが彼氏になるなんて、たぶん、どこかではあきらめていた。傷つかなくていいように、失恋だと決めつけていた。その恋が実ったのだ。「やばい、誠くんにぎゅってされたい」と僕が言うと、誠くんは咲って「今度しますね」といつもの照れたような口調で返した。
 三月末に実家に戻る前に、誠くんに何度かだけど会った。コンピュータ系の大学を志望していた受験は、うまくいったそうだ。「おめでとう」と僕がにっこりすると、「どうも」と誠くんはやはり対面だと恥ずかしそうで、視線をキャップに隠す。
 でも、僕が手をつかんでみると、優しく握り返してくれた。「何かお祝いで欲しいものある?」と訊くと、誠くんは僕を見て「今日、親には友達と徹夜で合格祝いするって言ってきたから」とぼそぼそと言った。
 徹夜。その言葉の意味にきょとんとまばたきしたあと、「そっか」と何だか僕も照れ咲いして、「じゃあ、ぶらつくより早くふたりきりになろっか」と提案した。誠くんがこくりとしたので、僕たちはラブホテルに入った。
 部屋のドアを閉めると、誠くんが僕の手を引いて腕で抱きとめ、ぎゅっとしてくれた。誠くんの匂いと、しっかりした胸板が伝わってきて、鼓動が跳ね上がる。誠くんは噛みしめるように僕の名前を呼び、僕の全身は溶けそうな発熱に浮かされる。
 そっと顔を上げて誠くんにキスをすると、キスはノリで何度か交わしていたので、誠くんは初めてのときより上手に応えた。「秀さんとしたい」と少し甘えるように言われると、僕は微笑んでうなずき、ベッドに移動した。
 誠くんの愛撫はたどたどしくても愛があふれていて、僕は敏感に感じてしまった。いつもストリート系の緩い服装だから知らなかったけど、誠くんはわりと筋肉質な軆をしていた。
 僕も服を脱いで、「僕どっちもできるけど、誠くんどっちがしたい?」と確認すると、「どっちとか考えたことなかった……」と誠くんは言う。「じゃあ、とりあえず童貞卒業しとこっか」と僕は咲って、ゴムをつけた誠くんを体内に招いた。
 僕の中を動きながら、誠くんは少しずつ息を上げて声をもらす。僕も攻められるリズムに合わせて自分をこすって、もう一方の腕は誠くんの首にまわした。うわずった声が喘ぐ声になって、誠くんが達したのに合わせ、僕も自身をきつくしごいて吐き出した。
 一緒にシャワーを浴びたあとも、ベッドでくっついていちゃついていて、幸せだった。同時に、あと何日かでしょっちゅうこういう時間を過ごせなくなるのが寂しくなる。
「ほんとに、会いたいときは『会いたい』って言っていいの?」と問うと、「言ってくれないほうが不安です」と誠くんは僕を抱きしめた。「困らせるぐらい言うからね」と言っておくと、誠くんはウィッグを外した僕の頭をさすって、「俺からも言います」と約束してくれた。

第四話へ

error: