そうして、僕は生まれ育った町に帰ってきた。四年間離れているうちに、おとうさんの病院は通院する人がさらに増え、このタイミングで僕が平日の常勤になるのは、とても助かると言われた。
ちなみに制服はすでに用意してもらっていたのだけど、ナース服だったので咳きこんでしまった。「え、いいの? 仕事だよね?」と訊くと、「こっちが似合うだろ」とおとうさんが大まじめに答えたので、まあ確かに、ということで僕はナース服で四月から仕事に入った。
僕の仕事は、おとうさんの補助なんてぬるいものでなく、初めから、心理室で行なう高校生くらいまでの子供たちの診察だった。なかなか心を開かない子もいれば、無邪気に懐いてくれる子、付き添いの親御さんが席を外した途端に泣き出すような子もいる。
学校、家庭、恋愛や友人関係、イジメや引きこもりなど、いろんな子のいろんな悩みが押し寄せ、僕まで巻きこまれて病みそうになった。でも、おとうさんとおかあさんが励ましてくれたし、中学校のスクールカウンセラーになって同じく子供たちの話を聞く築と飲みにいくときもあって、何とか僕まで壊れることなく仕事を頑張れた。
誠くんとも連絡は取り合って、月に一度は会うようにしていた。僕が誠くんのところに会いにいったときは、一緒にあの大将の焼き鳥も食べにいった。誠くんがこちらに来たときは、僕の育った町を案内して遊びまわる。夜はホテルで過ごして、いちゃいちゃしてそういうことをした。
別れ際はすごく名残惜しくて、改札でなくホームまで見送る。傍目には男女のカップルなので、手をつないで電車を待っていても変な目は向けられない。
僕は隣の誠くんを見て、離れなくていいようにいつか一緒に暮らせないかなあなんて思う。でも、さすがに重いかなと言えない。僕の視線に気づくと、誠くんは「また来ますね」と言ってくれる。僕はこくんとして、「僕も会いに行く」と誠くんの腕にしがみつく。
そうしていると電車が来て、あっという間に誠くんをさらっていってしまう。僕は電車が見えなくなるまでホームに突っ立っていて、ため息をついてしまうけど、明日も頑張ろ、と気分を仕事モードに切り替えて顔を上げた。
そんな生活があわただしく過ぎ、一年くらい、すぐに過ぎてしまった。僕は土日がオフなので、誠くんと会う約束がなければ、自分の部屋でだらだら過ごす。その春先の夜は、ネットで知り合った男の娘仲間とDMのグループでチャットをすることになり、僕はベッドに腹這いになってスマホを覗きこんでいた。
SNSでは、何かしら同類の人間で横のつながりを持ちはじめることがある。そんなつながりからの男の娘ネットワークで知り合った友達の中で、今、特に親しいのがみなちゃんとサキちゃんというふたりだ。三人だけのグループも作り、その部屋でたまにこうして時間を合わせ、三人であれこれおしゃべりをする。
みなちゃんは二十六歳、アパレルメーカーのショップでカリスマ店員をやっている。サキちゃんは二十四歳で、男の娘ホステスとして水商売をしている。
三人とも住む地域はばらばらで、会ったことはないのだけど、写真はDMグループ内で見せあったことがある。みなちゃんはゆるふわ系、サキちゃんは妖艶な美人だった。
『ひぃちゃん、そろそろ彼氏と一年くらいだよね』
春先の週末、始まったチャットの中でサキちゃんがそんなメッセージを投げてきた。
『去年の春からって言ってたもんねー』
みなちゃんも言って、『先月、バレンタインのチョコ渡しにいってきたよ』と僕が答えると、『すごいなー、遠恋。僕は無理』とみなちゃんが感嘆しているのが浮かぶ。
『ひぃちゃんがチョコ渡す側なんだね』
『まあ、結局エッチでは僕が受けだしね?』
『エッチ基準w みなちゃんはバレンタインどうだった?』
『僕は彼女にもらって、僕からも彼女にあげちゃった』
『それ、友チョコじゃん』
『えー、ちゃんとつきあってるよ』
みなちゃんは女の子とつきあっていて、結婚を前提に同棲もしている。彼女さんの両親への挨拶も済ませているそうだ。そのときばかりはスーツを着たほうがいいのかと悩んでいたけど、「女装辞めないなら、あとあとどうせ知られるじゃん」と彼女さんに言われ、みなちゃんは女装で彼女の両親に会った。びっくりされたけれど、一応、受け入れてはもらえたらしい。
『サキちゃんは彼女とどうだった?』
僕がそう訊くと、『もらえないだろうなと思ってたら、やっぱりもらえなかったから、僕があげたよね』と返ってくる。『もらえなかったの?』と言う僕に、『つきあいはじめたんだよね?』とみなちゃんも続くと、『そういうの疎い子だからなー』とサキちゃんはぼやく。
サキちゃんはずっと片想いしていた女の子がいて、でも何年か離れて過ごしていたらしい。ようやくその子が会いにきて、サキちゃんはまだ好きな気持ちを伝えた。彼女は自分のことをいまさらと思っていたようでびっくりしたけれど、サキちゃんを受け入れてふたりはつきあうことになった。
ただ、サキちゃんも言った通り恋愛に疎い子で、誕生日を訊いたら一ヵ月前に過ぎていたときには、「そういうの教えて!?」とサキちゃんは半泣きになったそうだ。
『でも、ホワイトデー頑張るって彼女言ってたから、それは嬉しい』
サキちゃんは言い、『ホワイトデーは、僕たちまた何か交換するかなー』とみなちゃんも言う。我ながら、もう男からも女からもあったもんじゃないなと思うけど、それが心地いいと僕は思う。
『僕はホワイトデーは会いにいくねって言われてるから、それだけで楽しみかな』
僕が言うと、『ひぃちゃんは一周年のお祝いもしなきゃだよね』とサキちゃんが答える。
『彼氏さん、大学生だっけ? 卒業まであと何年?』
『留年しなきゃ三年かな』
『あと三年は遠距離なのかあ。ほんと僕なら無理……』
『みなちゃんは甘えたい子だもんね。サキちゃんは片想いでそれくらい待ったよね?』
『まあね。だからもう、彼女がちょっとくらい抜けてても、そばにいるだけで尊い』
そんなのろけあうようなやりとりをまったり続けていたら、一時間くらいすぐ過ぎる。『じゃあ、また話そうね』と僕たちはいつとは決めずとも、また集まるのを約束して解散した。
いつか三人でリアルでお茶とかできたらいいなあとか思うのだけど、物理的距離やら仕事の都合やらがどうしようもない。TLで『お茶会楽しかった!』とつぶやき、そのツイにみなちゃんとサキちゃんからいいねがついたのを確認すると、僕はうーんと背伸びしてシャワーでも浴びることにした。
その日から間もなく、三月十四日を迎えた。スマホをチェックする程度の短い休憩に、『新幹線乗った!』という誠くんのメッセが着信しているのに気づいた。当日に来てくれるんだと驚いたものの、もちろん嬉しい。『仕事終わったら駅に行くね』と返信しておき、僕は気合いを入れなおして二十時過ぎまで働いた。
最後の患者さんを見送ると、カルテなどの整理をして、二十一時に退勤する。そのまま駅に向かい、改札と向かい合うカフェのショウウィンドウに面したテーブルで、スツールに腰かけて桜風味のラテを飲む。
『改札の前のカフェで待ってるね。』
誠くんに送信しておくと、『早く会いたいです!』と相変わらず対面でなければ誠くんはまっすぐだ。思わず笑みを噛み、この時間ならお泊まりだなあとかそわそわしていると、「秀さん」と呼ばれて僕は振り返った。
そこには、大きなバッグを斜めがけにした、キャップとストリート系の変わらない誠くんがいた。「誠くん」と僕がぱあっと笑顔になると、その笑顔に誠くんもはにかみつつ笑んで、荷物が人に当たらないようにしながら僕の隣の席に腰をおろす。「荷物多いね」と訊くと、「三日くらい泊まっていこうかなって」と誠くんが言ったので僕はまじろいだ。
「三日? 大丈夫なの?」
「大学は春休みだし、バイトも連休取れました。泊まる金もあります」
「三日間ラブホ?」
「えっ、いや。普通のとこに泊まりますけど」
「普通のとこ」
「……ネカフェとかかもしれないです」
僕は首をかしげて桜ラテを飲み、少し考えてから、「僕の家に来る?」と訊いてみる。
「えっ」
「誠くんが嫌じゃなかったら、僕の家はOKだよ。てか、おとうさんもおかあさんも、そろそろ誠くんに会ってみたいと思うし」
「えっ……と、ご両親、俺のこと知ってるんですか」
「うん。あ、話しちゃダメだったかな」
「いやっ、そんなことは……。いきなり現れたら、驚きませんか。俺、菓子折りとか持ってないし。挨拶とかも分からない……」
「いいよ、そんなの。『彼氏です』って言ってくれたら。で、僕の部屋で一緒に寝よ?」
甘えるように言って誠くんの手をつかむと、誠くんはどきりとしたのを表情に見せる。
「秀さん──」
「嫌、かな?」
「ぜんぜんっ。ただ、ほんと、迷惑じゃなければ」
「大丈夫。せっかくこっちでゆっくりしてくなら、別々なんて寂しいよ」
誠くんは照れたように咲い、「そうですね」と首肯する。
それから「今日のうちに、これあげたくて」と荷物から両手に乗るくらいの水色の箱を取り出した。猫の絵が描いてある箱だ。「ホワイトデーだ」と言うと誠くんはうなずく。「開けていい?」と確かめて、「もちろん」と言ってもらうと、僕は慎重に包装をはがしてふたを開けた。
甘い香りが鼻腔をくすぐる。ホワイトラングドシャとココアラングドシャが、交互に敷き詰められていた。「おいしい奴だ」と僕が咲うと「おいしそうな奴にしました」と誠くんも咲う。僕はホワイトを一枚抜き取り、個装から取り出してさくっと食べてみた。なめらかなホワイトチョコも、クッキーの舌触りも、ほどよく甘やかだ。「へへ、おいしい」と僕がにっこりすると、「よかった」と誠くんも微笑んだ。
そして、僕は誠くんを連れて家に帰った。おとうさんは夕食を食べているところで、僕たちを出迎えたおかあさんに、「秀が彼氏さん連れてきましたよ!」と言われて慌てていた。
玄関で向かい合った誠くんと僕の両親は、お互い緊張していたけど、「秀がお世話になってるそうで」とおとうさんから挨拶すると、「こちらこそ、秀さんと仲良くさせてもらってます」とキャップを脱いだ誠くんは応じ、「素敵な子じゃない、秀」とおかあさんはにっこりしてくれた。
誠くんを泊めるのも両親は承諾してくれて、僕はいそいそと誠くんを二階の自分の部屋に案内する。「おとうさん、お医者さんですよね」と確認され、「うん、精神科医」と答えると、「やっぱ家がでかいですね……」と誠くんがしみじみつぶやいたので笑ってしまった。
「よく考えたら、片づけとかしてないけど」
そう断りつつ、僕は誠くんを部屋に招く。誠くんは部屋を見渡し、「かわいい感じなんですね」と述べた。「男らしい部屋がよかった?」とくすっとすると、「男らしい部屋って汚いだけですよ」と誠くんも笑う。
「秀さんらしくて好きです」
「うん。ありがと」
「荷物、置いていいですか」
「あ、どこでも置いて。重かったよね」
誠くんは荷物をおろして息をつくと、僕を見つめて「今回はひと月ぶりですね」と手を取って握る。
「うん。寂しかった」
「俺もです。……就職はこっちでしようかな、とか考えます」
「志望してる会社とか、向こうにはないの?」
「特にここっていうのはないです。たぶん、仕事はどこでもあるんで。俺の専攻、WEBデザインなんです」
「WEBデザイン」
「ホームページ制作とか。無心にタグいじったりしてるの好きなんです」
「そっか。タグかあ。高校のとき、情報の授業でやったかも」
「イメージした通りに表示させるのが楽しくて。俺にはパズルみたいなものです」
「そっか。ふふ、じゃあいつか、うちの病院のホームページ作ってもらおうかな」
「ないんですか?」
「あるけど、ざっくりしててしょぼいよね。おとうさん、関心外のことはほんとダメだから」
手をつなぐまま僕はベッドサイドに腰掛け、誠くんはその隣に座った。僕は誠くんの肩に頭を乗せる。
「昔はさ、僕の女装もあんまり理解できない人だったんだよ。おとうさんだけじゃなくて、おかあさんも」
「え、そんなふうに見えなかったです」
「んー、頭が堅いんじゃなくて、ショックっていうのかな。僕から打ち明けたんじゃなくて、学校の先生に注意されるってかたちだったのもよくなかった」
「学校の先生」
「ちょっとばれちゃってね。でも僕が反省しないから、親に伝えちゃったんだ」
「……そうなんですか」
「まあ、今は理解してくれてるからいいんだ。誠くんは、親に言えてる?」
「言えてないです。……いつ言えるのかも分かんないし、ずっと言えないかも。親が嫌いとかはないから、逆に言えないです」
「そっ、か。じゃあ、もしいつか挨拶するときがあれば、女の子ですってしといたほうがいい?」
「秀さんが、それはつらいですよね」
「そんなことないよ。紹介したくないなら、されなくてもいいし。誠くんと一緒にいられるのが一番大事」
誠くんはじっと僕を見つめると、急に手を引っ張って抱きしめてきた。その腕の中から顔を上げると、「俺も秀さんのそばにいることを誰にも邪魔されたくない」と誠くんは言った。僕は小さく咲うと、温かい軆にぎゅっとしがみついて、「卒業したら、こっちおいで」と誠くんの頭を撫でた。
「メッセも通話もあるけど、会えるのが少ないの寂しいもん」
「はい」
「毎日の中に、お互いがいたら幸せだよね」
誠くんはうなずき、僕をいっそう抱きしめる。そうだ。毎日の中に相手がいなくなるのは嫌だ、と結ばれた僕たちだから。いずれは毎日の中に相手がいる生活を持ちたい。
誠くんの体温が軆に伝わってくる。鼓動が肌に響いてくる。匂いが僕をふんわり包む。
ここまで大切に想える好きな人をようやく見つけた。離さない。離したくない。いつか一緒に暮らして、「おはよう」を最初に言える人になってほしい。
だからね、誠くん。この街に来て、僕をつかまえて。君の毎日の中に、閉じこめて。僕はそのまま逃げられなくなってもいいって、そう思うんだよ。
FIN
