ここから始まる
「あの子だよ、男の先輩とつきあってる男子って」
別にいちゃいちゃと過ごしているわけではないし、並んで下校したり、お弁当を一緒に食べたりするくらいだけど。僕が広瀬先輩──実和とつきあうようになったのは、すぐに校内にうわさとして広まった。でも無視は今に始まったことではないし、すれちがいざまにそんなささやきが聞こえるくらいだった。
「あのうわさってほんとなの?」
そう訊かれると、僕はやっとクラスメイトの目が見ることができた。そこには好奇があったり、嫌悪があったり、偏見があったりした。でも、どんな場合でも僕はにっこりと咲って返せた。
「うん、つきあってるよ」
あまりにも素直に返すので、たいてい相手は一瞬臆した顔になる。そして、「そうなんだー」とか言いながら去っていったり、「じゃあ同じ班になっても話さないから」と謎の釘を刺したり、何とも言えない眼つきで離れていったりする。
「──実和は大丈夫?」
お弁当を食べ終わった昼休み、渡り廊下の窓に並んでもたれて実和を見上げる。実和はうなずき、「むしろ『今度は険悪になるなよ』って言われる」と苦笑いし、僕も笑ってしまった。
ずっと友達ができなくて塞いでいたけど、ゆっくり僕は教室で顔を上げられるようになっていった。陰口や嫌がらせもゼロではなかったけれど、気にならなかった。
自信を持つことができる。実和が僕を好きだと言ってくれる。そんな僕なら、僕も自分のことを好きになれる。そうしているうちに、ふとした切っかけで話してくれるようになるクラスメイトも現れてきていた。
「実和、今日うちに来れる?」
予鈴が鳴った別れ際、ふと思い出した僕は実和を呼び止めて訊いた。
「ん、またむずかしいところ?」
「実和がテンポ取ってくれないとよく分からなくて」
「そっか、分かった。リズムは一緒に練習したほうがいいしね」
実和の勧めもあったし、希咲の要求もあったので、僕はふたりとバンドを組んでベースを弾くようになっていた。
僕たちとバンドをやることになって、実和は軽音部で組んでいたバンドを抜けた。「もともと、あのバンドの限界感じてたから」と実和は言って、「それを一瞬で見抜いて、軽音部に入らなかった希咲はすごいよ」と褒めていた。
僕たちのことはもちろん希咲が一番初めに知った。始業式の日、希咲は昇降口に腰掛けて僕たちを待っていた。暗くなりかけている中にその中を見つけたので、びっくりして駆け寄って声をかけた。すると「遅せえよ」と静まり返る学校の中で、相変わらず憎まれ口をたたかれた。
「ま、待ってるとは思わなくて」
「汗びっしょりだよ、ったく」
希咲が立ち上がったところに実和もやってくる。僕たちを交互に見た希咲は、「ふむ」と腰に手を当てた。
「とりあえず、色恋沙汰はうまくいった感じ?」
「……おかげさまで」
「そっ。じゃあ今日のところは帰ろ。つか帰らせろ。腹減った。実和先輩、いきなりお持ち帰りはないですよね」
「あ、当たり前だよ。気をつけて」
「はあい。じゃあ帰るよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。先輩、また明日っ」
「うん。また明日。あ──」
僕は希咲に引っ張られながら振り返った。
「実和でいいよ。希雪くん」
「あ……ぼ、僕も希雪でいいですっ。明日、朝に靴箱で待ってますねっ」
うなずいた実和を見届けて、僕は希咲に並んだ。希咲はわざとらしく舌打ちした。少し涼しくなった夜風が連れてきた月明かりを頼りに、僕は希咲を見た。
「希咲、その、僕のこと──」
「全部あんたの自由だし」
「……気持ち、悪い?」
「ふたごの片割れのことそんなふうに思ってたら、こっちの気がおかしくなるわ」
あたりはけっこう暗かったから、僕には見えていないと思ったのかもしれない。希咲はすごく満足そうに微笑んでいた。その笑みに僕も咲うことができて、でも「うん」とだけ言って、希咲と同じ家に急いだ。
とうさんとかあさんにも、実和とのことはうわさで伝わるより直接打ち明けた。ふたりとも動じなかったと言えば嘘だけど、拒絶や否定はしなかった。それより、僕が小学生のときからひとりで抱えていたものを、やっと話してくれたことを喜んでくれた。
「とうさんの両親はちょっと分からないが、お義母さんなら分かってくれるだろうから、話せそうなとき話してみたらどうだ?」
「希雪が心配だって話、あの夏休みのとき聞いてもらったのよ。だからきっと、あんな高価なものも買ってくれたんだと思うの」
僕はうなずき、お正月に話そうと思った。そして、実際に実和が僕にベースを教えるために家に来ても、両親は僕の大切な人として接してくれた。実和も両親も初めは照れていて、何だか僕は恥ずかしかったけど、やっぱり嬉しかった。
そんなふうに変わっていく身の周りを、変わらずに詞に残していた。それを読んで、「ポップスみたいな奴もあるけど、まあいいんじゃない」と希咲は肩をすくめる。詞を読み返して、「書き直してもいいけど」と言うと、「いらない」と希咲はギターを抱く。
「落ちこんだ詞は落ちこんだときに書け。それらしく陰気にした詞はいらない」
「でも──」
「嬉しいときはそういう詞でいい。そんな曲もあったほうが、どっちかと言うと共感されるし」
「そうなのかな」
「うん。そういう詞も書けるってのは知らなかったな」
「今までは落ちこんだときの手段だったから」
「そっか。まあライヴで盛り上がる曲ってのは欲しかったから」
「え」と希咲と並んで床でベッドにもたれる僕はまばたく。
「とりあえず、文化祭狙お」
「え……えっ、文化祭?」
「十一月にやるらしいから、今なら二ヵ月はある」
「そんな、無理だよ。僕、やっと実和がリズム取ってくれて弾けるのに」
「実和もそのステージにいるんだから同じだろうが」
「いや、それは……」
「ソロはまださせないから大丈夫だよ。歌も仕方ないから希雪に音程合わせる。ってことで申請しとくね。締切、九月中らしいんで」
僕がいくら言っても、この妹はやると言い出したらやる。そうなるなら僕もなるべく練習しておかなきゃ、と立ち上がってベースに手をかける。希咲は鼻歌で僕たちの歌を歌う。
「何か、僕たちだけのものだと思ってた」
「ん」
「僕と希咲の曲は──両親とかおばあちゃんは聴いてたけど。何か、僕と希咲だけの、昔からの内緒だと思ってた」
「作った曲?」
「うん」
「あたしはひとりでも多く、誰かに聴いてほしい。でも分かるよ、希雪のその感覚は」
「ほんと」
「ふたごだからね」
「……僕も、今は希咲と同じ。思ってること詞にして。それに希咲が曲をつけて。実和と一緒に、たくさんの人に──
──知ってほしい、僕たちのこと。僕と希咲が、ぼろぼろになるまで遊んでも手離せない人形みたいに、暖めてきた言葉と音。そんな遊びに僕の大切な人、実和が加わって──僕たちは、始まるんだ』
体育館の舞台から校内を見渡す。中学の文化祭なんて、展示ばかりでつまらない。だからある程度は覚悟していたけど、予想以上にヒマつぶしの生徒と保護者が集まっている。今日だけは私服を許された希咲、リズムを取り始める実和、目配せして、僕は希咲と声を合わせて叫ぶ。
『RAG BABYはここからすべて始まる!』
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